明治2年1月中旬 探索
小さな咳が五稜郭の執務室に響く。椿は申し訳なさそうにに手拭いを口元に当てた。
「椿ちゃん、風邪が長引くようなら凌雲先生に診てもらいなさい。僕から病院に連絡するから」
「はい」
大鳥は少し心配そうに椿に微笑むと、廊下をやってくる人影に視線を向けた。
金太郎は隣に座る椿の手をそっと握った。なかなか具合が良くならないのは気がかりだし、五稜郭に呼ばれて緊張しているのを少しでも和らげたかった。
一週間ぶりに会った椿が知らせてくれた箱館山の謎の武器弾薬の存在は、意外にも幹部の間に波紋を呼んだ。
そして翌日に当たる今日、金太郎と椿は揃って大鳥陸軍奉行から呼び出されたのだ。
「遅くなって申し訳ない」
執務室に入ってきた土方陸軍奉行並の後方からもう一人の男が姿を見せた。飄々とした町民風の身なりだが、これでも仮政権の役職に就いていて、土方の配下で箱館市中取締と探索を担当している。
「あ、あなたは……」
椿が驚きの声を上げた。目尻の下がった優しげな顔のその男には見覚えがあった。出会った時のことを思い出し、椿の頬は赤らんだ。
「こんなところで再会するとは思いませんでしたね、お嬢さん」
「何だ、君たち知り合いだったのか」
「半年ほど前、道を尋ねただけですがよく覚えてますよ。外国の歌がお上手でした。お嬢さん、改めまして、私は小芝長之助。市中取締役と探索役を仰せつかっていましてね」
椿はきょとんとして、目の前に座った大人たちを見た。
「どうして小芝さんが……? 椿の話とどう関係あるんですか?」
身を乗り出して金太郎が大鳥に問うと、彼はにこやかに説明を始めた。
「結論から言うとね、椿ちゃんは手柄を立てたんだよ。我々は以前から小芝さんの探索を通じて敵対勢力の情報を集めていたんだ。そのうち、どうやら我々が倒した松前藩士の一部が新政府軍の援助を受けて、津軽陣屋を襲撃する計画を立てていることがわかった」
「イギリスの箱館商人も絡んでるらしい」
「でも、武器の隠し場所が一向に探り当てられなくて困っていたんだ」
金太郎はごくりと唾を飲み込んだ。隣で一生懸命に話を聞いている少女が偶然ではあるが、その隠し場所を見つけたのだった。
「それが、私が報告した箱館山の小屋だったんですね」
「そうだよ、お嬢さん。あなたは我々の立派な仲間だ」
「探索役の一員にしたいね。榎本総裁は役に立ちたい気持ちがあるなら女も男も分け隔てなく……って考えだしな」
小芝と土方は笑いながら、椿の手柄を褒めた。
「そんな……私は何も……。でも、お役に立てて嬉しいです。これからも私にできることがあったら命じてください。少しならフランス語もわかりますし」
椿の瞳は高揚して輝いていた。両親が今の自分の姿を見たらきっと涙を流して喜んでくれるに違いない。過激な攘夷運動に巻き添えになり、長年つらい生活を強いられてきたが、やっと報われた気がする。
「もしお針子の仕事をしていて気になることがあったら、田島くんにすぐに教えてほしい。でも、くれぐれも進んで危ないことをしてはいけないよ。約束できるね?」
大鳥の言葉に、椿はしっかりと頷いた。
あの小屋は既に昨日の時点で、探索役の者たちが見張って武器を密かに持ち出してしまったらしい。ファーブル夫妻は無関係だということを聞き、椿は胸を撫で下ろした。
「ところで、椿ちゃん。我々からお礼がしたいと思ってるんだが、何か希望はあるかい?」
突然の土方の申し出は恐れ多く、椿はどうしようと金太郎に助けを求めた。金太郎だって上官に何と答えていいかわからない。
すると土方は苦笑して部下に命じた。
「ま、いきなりじゃ仕方ねぇよな。田島、恋人の誉れなんだ。おまえが彼女の喜ぶことを考えて後で報告しろ」
「はいっ」
金太郎は慌てて立ち上がって敬礼をした。
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