花屋敷

野沢 響

第1話

 1

 「どうしたんだい? こんな時間に。行くところがないのかい? それならうちに来ると良い」

 あれから五年が経つというのに、時々この屋敷に連れて来られた日のことを思い出す。母と市場に買い物に来た際、待っているようにと言われたので黙って待っていたが、いくら待っても母が戻って来ることはなかった。そうしているうちに、日が沈み、辺りが暗くなっても母を待っていた。その時、ある男が声を掛けてきた。

 最初は母が来るまで待つと言い張っていたのだが、空腹には勝てなかった。

  男はまた「さあ、おいで」と柔和な笑みを浮かべて少年の手を引いて歩き出した。

 連れて来られたのは大き屋敷だった。そして、その屋敷の庭には色取り取りの花が夕焼けの真っ赤な光を浴びて、その美しさを主張していた。

 屋敷内の少年達が皆女物の着物とかつらを身に着けているのが不思議だった。

 

 「桜未おうみ、惚けていないで手を動かせ!」

 屋敷内の巡回係の男から怒鳴りつけられ、驚いて振り返ると彼は腕を組み仁王立ちでこちらを見下ろしていた。

 「す、すみません!」

 桜未と呼ばれた少年は頭を下げると、慌てて手にしていた雑巾で床を拭き始めた。

 桜未というのはこの屋敷に連れて来られた日に名付けられた名であり、勿論出生名ではない。

 「もうすぐ店が開く時間だ、それまでには終わらせろ」 

 「はい」

 周りにちらりと目をやると、他の少年達も皆忙しそうに開店準備に追われている。床に視線を戻すと、桜未は溜息を吐いた。

 大急ぎで床磨きを済ませると、店の開く時刻となった。桜未は他の少年たちと同じように自分の立ち位置に着く。

 扉が開かれる。その先にいるのは比較的裕福な層の者たちである。外交で成功した者もいれば、企業の社長や医者までもがここへお忍びでやつて来る。中には貴婦人と思しき女性の姿もあった。

 客たちは皆自分の気に入りの少年を見つけては話しかけている。そんな客たちに向けて少年たちは頭を下げ、愛想の良い笑みを浮かべて受け答えをする。

 桜未がその様子を黙って見ていると、

 「おお、桜未。久しぶりだねえ」

 名を呼ぶ客へ顔を向けると、六十代半場の男が穏やかな顔でこちらも見ていた。

 「楠谷くすたに様、お久しぶりで御座います。お元気でしたか?」

 愛想よく頷くと、楠谷と呼ばれた老人は言葉を詰まらせた。

 「最近胃の調子が悪くてねえ」

 そう答える楠谷の顔色はあまり良くないように見える。

 「左様でございますか。外出されて大丈夫なのですか?」

 「なに、少しくらいなら平気だ。もうあまり長くないのかもしれん。まだ外に出る元気があるうちにお前に会いたいと思ってね」

 そんな会話を続けていると背後から視線を感じた。思わず振り返ると、巡回係の男が桜未を睨んでいる。目で「早くご案内しろ」と言っているのが分かる。

 「楠谷様、お部屋へ参りましょう」

 桜未は急いで部屋へと楠谷を案内した。

 

 2

 幾分か時間が過ぎ、楠谷が帰るというので屋敷の門まで送って行った。背を向け遠ざかっていく楠谷へ頭を下げていると、ふいに名を呼ばれた。

 「あら、桜未。あのじいさん、話長いわよねえ。今日いつもよりも長くなかった?」

 声をした方を見ると、自分より一カ月程早くこの屋敷に連れて来られた白菊しらぎくが怠そうに呟いた。

 「まあ、いつものことよ。それより、あんた何でここにいるのよ」

 客の相手をしなくても良いのか、という意味を込めて聞いたのだが、白菊はひらひらと顔の前で手を振ってから、

 「ちょっと休憩よ。ここ最近寝不足なのよねえ」

 そう言うと、あくびまでし始めたので、桜未は慌てて辺りを見回した。もし巡回係の男に見つかってしまえば、何を言われるか分かったものではない。だが、周りには客も巡回係の姿もいなかった。彼がほっと息を吐いたその時、軍帽を被り黒マントを翻した青年が突如屋敷の中へ入ってきた。

 青年は被っていた軍帽を外すと、頭を下げてから、

 「夜分遅くに申し訳ない。こちらで見目麗しい少年たちにお目にかかれると聞いたので、一度足を運んでみたくて今回お邪魔したのだが」

 青年は低音にも関わらずよく通る声で、屋敷を尋ねた理由を口にした。背が高く整った顔立ちをしていて、切れ長の涼し気な目元が印象的だった。

 「いらっしゃいませ。夜分遅くになどとんでもない。こちらには二十名程の男子おのこがおりまして、その中からお気に召した者を選んで頂き、軽いお食事やお酒とご一緒に談笑を楽しんで頂けます」

 愛想笑いを浮かべて桜未は簡単に説明する。

 「客の性別などは問われないのか?」

 「勿論でございます。男性も女性も楽しんで頂けますよ」

 「なるほど。ふと思ったんだが、こちらで働いているのは皆少年達なのに、何故君たちは女子おなごの恰好をしているんだい?」

 「ああ、それは……」

  桜未が答えようとした時、背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。

  白菊と共に振り返ると、屋敷の主である暮埼と従業員の男達が慌てて駆け付けて来た。

 「これはこれは、鹿倉かぐら様。まさか、華族様に来て頂けるとは」

 男達も驚きを隠せないようで、お互い顔を見合わせていた。

 騒ぎを聞きつけてきた少年達も集まって来るや、珍しそうな面持ちで青年に視線を送っている。

 「おや、鹿倉の名をご存じでしたか?」

 「も、勿論でございます! ところで、お付きの方がお見えになりませんが……?」

 暮埼が顔色を窺うように鹿倉と呼ばれた青年に問う。

 「ここは花街から離れているとはいえ、娯楽街でしょう? 家の者に知れたら何を言われるか分かったものではありませんから、くれぐれもこのことは内密にお願い致しますよ、暮埼殿?」

 「ええ、それはもう。十分承知しておりますとも」

 少年達は面白がって騒がしく話し出した。

 呆然とその様子を見ていた桜未の肩を白菊がぽんぽんと叩きながら興奮した様子で、

 「どこの華族様かしらと思ったら、鹿倉様だったのねえ。ちょっと、桜未聞いてる?」

 桜未は彼の問い掛けには答えなかった。先程から何か引っかかるものがある。けれど、それが何なのか分からない。

 ここで暮埼がはっと思い出したように、周りにいた少年達や男達に向かって命じた。

 「お前達、鹿倉様がお目見えなのだぞ。頭を下げろ」

 皆慌てて鹿倉へ頭を下げる。桜未と白菊も少し遅れを取るかたちで頭を下げた。

 皆が一斉に自分に頭を下げたのが可笑しかったのか、「頭なんて下げなくて良いよ」と鹿倉は快活に笑った。

 皆その言葉を聞き徐々に頭を上げていく。

 その後、鹿倉はこの屋敷の利用方法を詳しく知りたいと言ったので、暮埼が応接室まで案内することになった。

 桜未は自分の中にある引っかかったものの正体が分からないまま、次の客の相手をすることとなった。


 3

 翌日も鹿倉は屋敷に現れた。前日よりも早い時刻での来店である。

 そして、鹿倉は屋敷に入ってから近くにいた従業員の男に桜未を指名したいと申し出たのだ。

 「え、私ですか? 鹿倉様のお相手を?」

 桜未はすっとんきょうな声を上げて、そのことを伝えに来た男を見上げた。

 「あら、せっかくだから鹿倉様が普段どんな生活をされているのか聞いて来てよ。興味があるから」

 横にいた白菊が面白可笑しく言ってくる。

 それを聞いた男は白菊を睨み付け、

 「馬鹿なことを言うな、白菊!」

  今度は桜未に向かって、険しい顔つきのままこう言い放つ。

 「いいか、桜未。くれぐれも鹿倉様に失礼のないように接しろ。妙な真似は絶対にするな。もし、鹿倉様の機嫌を損ねてみろ。ここは潰れるぞ」

 桜未は一瞬、びくりと大きく身を震わせた。それから何度も頷く。

 男に頭を下げると、鹿倉の待つところへと急いだ。


 「鹿倉様、お待たせして申し訳ありません!」

 桜未が駆け足で鹿倉の前に向かうと、鹿倉が手を振りながらにこやかな顔をこちらへ向けた。

 「そんなに走ったら、着物の裾を踏んで転んでしまうぞ」

 「お客様を待たせるわけにはいきませんので……それでは、お部屋の方へ参りましょう」

  桜未はまだ浅い呼吸を繰り返したまま、廊下を進む。

  鹿倉に「大丈夫か?」と問われたが、笑ってごまかした。

 一番奥に設置されている部屋の前に着き、襖を開ける。この部屋は屋敷の中にある部屋の中でも一番広い部屋だ。もともと、数人で訪れた客用に用意される部屋なのだが、今日はたまたまこちらが開いていた。もしかしたら、屋敷の主である暮埼が鹿倉が来ることを見越して、他の客を入れなかったのかもしれない。桜未は、従業員の男からこの部屋に彼を通すように言われていた。

 「鹿倉様、どうぞこちらへ」

 客用の座席に彼を座らせると、飲み物と軽食が書かれた冊子を渡した。

 「珍しいな」

 冊子に視線を落としながら、鹿倉が呟いた。

 「こちらでは季節の花を使った酒を提供しているのか?」

 「はい、皆さん珍しがって注文されますよ。今は丁度四月ですから、桜や藤、それにクチナシなどがございます」

 鹿倉はどの花の酒にするか少々考えていたようだが、ちらりと桜未の方を見ると、

 「それでは桜の酒を頂こうか。君の言う通り今は四月だし、君の来ている着物も桜柄だから。あと、カステラも。君は何にする?」

 「お心遣いありがとうございます。実は、私共は飲むものが決まっておりますので」

 「こんなに種類が豊富なのに勿体ない。好きな物を飲め」

 「で、ですが……」

 「大丈夫だ。私が飲んだことにするから」

 笑みを浮かべながら桜未へ冊子を渡してくる。桜未は少し迷ったが、ラムネを選んだ。

 程なくして、飲み物が運ばれて来た。

 鹿倉が注文した桜の酒はリキュールに桜の花びらを浮かべたもので、うっすらと桃色に色付いている。

 少しの間眺めた後、グラスに口をつけた。

 「おいしいよ、ほんのりと桜の香りがする」

 「喜んで頂けて良かったです」

 「桜未はいくつになるんだい?」

 「今年で十六です」

 すると、鹿倉は少々驚いた顔をした。

 「もっと若いのかと思った。そうか十六か。昨夜君と一緒にいた少年もそれぐらいなのか?」

 「白菊のことでございますね? 彼は私より一つばかり上でございます。他の者達もはっきりとした年齢は分かりませんが、恐らく十五から十八くらいだと思います」

 鹿倉はそのことに衝撃を受けたように悲しそうな顔をした。

 その表情を見て、桜未はしまったと思い、咄嗟に笑顔を作る。

 「最初の頃は不都合もありましたが、慣れてくればそれ程気になりませんよ」

 誤解を与えぬように慎重に言葉を選んでそう返した。納得はしていないようだったが幾分かは理解してくれたのか、鹿倉は笑みを浮かべた。

 その後は好みの食べ物の話や、感銘を受けた本について、異国の珍しい代物の話を桜未に聞かせてくれた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、桜未は寂しさを隠すように笑顔を作り、鹿倉を門の外まで送った。

 「そうだ。桜未、手を出してくれ」

 言われた通り桜未は両手を差し出した。鹿倉はポケットから小さな塊を取り出すと、彼の手のひらにその塊を置いた。

 「あの、これは?」

 「ミルクキャラメルだよ。白菊と二人でお食べ」

 「よろしいんですか?」

 自分の手のひらに視線を落とす。そこにはミルクキャラメル四粒が乗っている。

 「ああ、今日は楽しませて貰ったからそのお礼だ。明日またお邪魔するよ。それでは失礼」

 黒いマントを翻して、桜未に背を向けて歩き出す。

 「ありがとうございます。頂きます」

 桜未が咄嗟に礼を述べると、鹿倉は軽く手をあげて答えた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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