僕たちはウインクができない
浦登 みっひ
僕たちが運命共同体になった経緯と最も深刻な問題について
僕たちはウインクができない。
ここでいう『僕たち』とは、僕、
ウインクができないぐらいのことがどうした、と思われるかもしれないが、これは僕たちにとって極めて重要な問題であり、目下のところ、僕たちの最大の悩みでもある。その理由をこれから説明しよう。
西暦2040年。脳科学の進歩によって、我々は自分の記憶を外部ストレージに保存したり、また逆にストレージに保存された情報を脳に直接書き込んだりできるようになった。この技術によって、我々の生活は大きく変わった。物忘れの激しい僕のような人間は、日常的にこの技術のお世話になっている。鶏は三歩歩けば物を忘れるというけれど、僕なんかは一歩も歩いていなくてもすっぽりと記憶が抜け落ちてしまうことがある。知能と脳の容量が必ずしも比例しないという優良なサンプルである。
しかし、記憶に関する研究が進んだ一方で、脳の機能を機械が完全に代替することは不可能だ。いくら脳科学が進歩したといっても、人間の脳には未だに謎が多く、情報のインプット・アウトプットが自由にできるようになっても、情報処理のプロセスはまだまだ研究中の領域。囲碁や将棋で人間がコンピュータに勝てなくなってから既に長い年月が過ぎたが、実際の人間の精神活動は、ボードゲームなんかよりずっと複雑らしい。
そして、僕は一年前、不慮の事故によって脳死状態になった。
より専門的な言葉を用いれば、失外套症候群。体の機能は完全に維持されているが、精神活動を全く行えない状態。大脳皮質の著しい損傷によって引き起こされる障害だ。先述したとおり、現代の科学技術では情報の記録、出力はできても、脳による情報処理を機械で代用することはできない。つまり、僕は死んだも同然になった。
では何故僕がまだこの世にいて、日常生活を送っているのか。それは、麻梨丫の脳が僕の脳の機能を補ってくれているからだ。
これは日本では初の試みだった。麻梨丫の記憶領域に僕の記憶を移植し、彼女の大脳皮質の一部を僕の認知活動に利用する。その結果を、彼女の脳に埋め込まれたマイクロチップから送信し、僕の死んだ脳に埋め込まれた受信機で受け取る。そうすることで、僕の失われた脳の機能を補おうというわけだ。
一人の人間の大脳皮質で二人分の認知活動を処理する。それはまだ机上の空論レベルの仮説であり、確立された技術ではなかった。だが、他の臓器のような移植が難しく、またコンピュータで代用することもできない脳という器官にとって、ほぼ唯一の可能性だった。
そして、麻梨丫はそれに賭けた。
その結果として、僕は今ここにいる。彼女の偉大なる決断のおかげで、考えることも話すことも体を動かすこともできる。僕は彼女に命を救われ、彼女の中で生きているのだ。また、互いの脳の送信・受信機の性能による制約のため、僕たちは三十メートル以上離れられない。だから僕たちは、家でもずっと一緒にいるし、外出する際も、万が一はぐれてしまったりしないよう、なるべく手を繋いでいる。周囲には、まだ付き合いたての初々しいカップルに見えているに違いない。あるいは、年甲斐もなく非常識、だろうか。
しかし、一つの脳を二人の人間が使っているのだから、全く問題がないわけではない。彼女の大脳皮質の一部を僕専用に確保しているため、思考や認知は二人同時に行えるのだが、そこに至るまでの感覚器官はそうもいかないのだ。
僕たちは、あらゆる感覚をシェアするようになった。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。この五つのうち、触覚については何の問題もない。皮膚感覚はもともと複数の刺激に対する処理が可能だから、その対象が二人になってもさほど支障はないわけだ。ただし、痛覚までシェアされるようになってしまったのが、若干不便なポイントではあるけれど。
次に聴覚と嗅覚だが、これもあまり大きな問題にはならない。耳栓をしたりヘッドフォンをかけたりしない限り、ごく近い距離にいる僕たちは大体同じ音を聞いているはずだし、臭いに関しても同様のことが言える。例外はトイレぐらいだろうか。こればっかりは、彼女の……いや、これ以上は彼女の名誉に関することだから、やめておこう。
味覚についても、なるべく同じものを食べるようにすれば弊害はない。
元々、つまり僕の体がこんなに不便なことになるより以前、僕が甘党で麻梨丫は辛党だった。だから、共同生活を始めた当初はどうなることかと思っていたが、お互いの配慮で何とか上手くやっている。配慮とは、要するに、彼女があまり辛いものを食べなくなったという意味だ。
ただし、視覚だけはどうにもならない。
例えば、遠くの風景を眺めたりする場合は、それほど問題がない。僕が見ている風景と彼女が見ている風景がほとんど同じだからだ。しかし、見る対象が近いものになればなるほど、視点の違いによる差が大きくなる。
これは言うまでもないことだが、我々の脳は二人以上の視覚を処理できるようには設計されていない。故に、僕の網膜が結んだ像と彼女の網膜が結んだ像が一度に脳に流れ込むと、視覚がクラッシュして何が何だかわからなくなるのだ。だから、僕たちはどちらかが目を開いているとき、もう片方は目を閉じるようにしている。そうしなければ、まともに物を見ることができないからだ。つまり、この現象を多少センチメンタルに表現するとしたら、僕たちは見つめ合うことができない。
だが、これには一つ、上手い対処法が存在する。人間には目が二つあるのだから、例えば僕が右目を開けているとき、彼女は左目を開ければいい。そうすれば、視覚が混線することはなくなる。なんて素敵なアイディアだろう。
しかし、僕たちはここで冒頭の一節に舞い戻ってしまう。
僕も彼女も、ウインクができないのだ。
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