第3話


 おかしい……実におかしい。

 俺は何か正体が気づかれるようなヘマをしていただろうか、いな! 何もしていない、していないはずなんだが。


「……なんとか言ってください、様」


 こいつ実は俺みたいに魔術でも使えるんじゃないのか、だからこんなに早くバレるような事態になったのではないか?


「な、何故そう思ったのか聞いても?」


 問いかけるとイツキは目を伏せ俯いた。なんだ、この表情は。

 あれか? 使えるべき主人を疑ってしまったからと自分を責めてでもいるのか……。


「あの……」


 不安になりそっと手を伸ばし肩に触れようとした瞬間、その手はガシッと掴まれた。


「!」

「私は……」


 掴まれた手に力が込められていく。


「ちょっ、痛っ」

「私は! 汐李様が大好きだからだーー!!」

「はぁ!?」


 突然のカミングアウトに変な声が出てしまった。大好きだからなんだというのだ。


「私は汐李様を心から愛し尊敬し敬い、慕っております。そのような相手を別人と間違うわけがありません! 見た目が同じでも中身が違えば私にとっては別人です」

「……それ、俺が本当に汐李だったら赤面ものだな」


 イツキの汐李への思いが本物で本当にバレたのなら、こいつの前で汐李を演じる必要はない。俺は俺としてイツキと接することにした。


「もう一度聞きます、あなたは誰ですか」


 掴まれた手を振りほどき俺は言う。


「……エルゲン。ヴァル・ナロっていう異世界から来た魔術師だよ」

「魔術師……?」


 イツキは怪訝そうに首を傾げた。そうだろう、日本こちらには魔法なんてものは存在しないと聞いたことがある。知っている方がおかしい。


「俺は向こうから転移魔法陣を使って逃げて来た。気づいたらこの体に入っていたんだ」

「本当の汐李様は?」


 その質問に俺は首を振るしかない。


「普通誰かの体に意識を入り込ませた場合、元の人格を感じることができると聞いたことがある。でも、この体から汐李の意識は感じられない」


 事故から目覚めていないのか、あるいは……。


「……というかあんた、なんでもっと驚いたりしないんだ?」

「私ですか? なんででしょう、順応力が高いからですかね?」


 イツキは小さく微笑むとスッと立ち上がった。


「それで、あなたはどうするんですか」

「どうって……?」

「これからその異世界に戻るのですか?」


 そういえばこっちに来てから戻ろうとしたことはなかった。


「戻れるなら戻りたい」

「やってみたことはないのですか?」

「……やってみるか」


 転移魔法は消費魔力が桁違いだ。正直数日休んだだけで再び使えるとは思わないが、何事もやってみなくては分からないこともある。


「チョークあるか? あとは広いところ」

「案内しましょう」


 イツキにつれられ着いたのは裏庭だった。そこには大きな砂地があり俺はそこで陣を書くことにした。


「チョーク、必要なかったな」


 俺は適当な小枝を拾い転移の魔法陣を書いていく。不思議なことにあの出来事から日数が経っているはずなのに、感覚的にはつい昨日この魔法陣を書いたばかりかのように記憶がはっきりしていた。

 目覚めたばかりはあんなにも曖昧だったのに。


 イツキは俺が書いてている間一言も喋らずジッと魔法陣を見つめていた。珍しいからなのか興味があるからなのか。

 魔法陣を書き終え息を吐き俺はイツキに言わなければならないことを思い出し、向き直った。


「汐李は事故にあって瀕死だったんだよな?」

「はい、そのように聞いています」

「なら言わなきゃな」


 イツキは首を傾げた。


「もし俺が入る直前に汐李が死んでいた場合、俺が転移魔法を成功させこの体から出て行ってしまったら、汐李の体は死ぬ」

「それは、どういう……とこでしょう」

「簡単に言えば俺の魂で汐李の身体は動いているし、生きている。が、魂が抜ければただの屍だろ」

「……それでは、あんなに喜んでおられた奥様方は……」


 その言葉に俺は目を伏せた。誰でも想像がつく、そんなこと。


「……正直俺は向こうに戻る資格がない、だからこのまま汐李として生きるのもアリだと思ってる」


 俺の言葉にイツキが顔を上げ「え……」と小さく声をあけた。

 できた魔方陣を見つめ俺は頭をかいた。こういう事は柄じゃないしこんな事をしても俺の得にはならない。でも心の何処かで、何も出来ずに逃げ出したあの行為を、汐李として生きる事で許したい……と思っているのかもしれない。


「ただし、あんたの協力は必須だからなイツキ。なんたって俺は男でさらに異世界人、汐李のこともこっちのことも何もわからないんだから。……まぁ幸い、記憶喪失っていう設定がついてる」

「私が貴方のサポートをします……全力で」


 汐李の家族のため、イツキは真っ直ぐに俺を見据えていた。俺はその目に小さく微笑んだ。


「……頼んだ」



 書いた魔方陣を足で踏み消し、屋敷へ戻る。後ろにはイツキが続く。


 バレない保証なんてないし、何処かで必ずボロが出るだろう。それでも俺は汐李として生きてみようと思った。何も出来なかった俺でも何かが出来るならやりたいと思ったんだ。


 きっとそれが一番の……。



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