第七章 見知らぬ男
どのくらい、気を失っていたんだろう?
意識が戻って目を開いたら……見知らぬ男の顔が、僕を覗き込んでいた。
「しょうちゃん?」
低音だが優しい声で呼ぶこの男は誰だ? 歳はたぶん僕より4~5歳上かな?
レンズの薄い眼鏡をかけた知的で品の良い……なかなかスマートな美男子……そう、日本の奥さまたちに絶大な人気を誇る漢流ドラマ「冬の……」の、あの人を思わせる風貌だった。
「君を巻き込んですまない……死ななくて良かった」
「…………」
僕はまだ頭の中が痺れた状態で言葉が出てこない。ここは……そう僕のパジェロミニの中だ。
男は運転席のドアを大きく開いて、覗き込んで僕に話しかけてくる。
「即効性の睡眠薬だから……気つけ薬で目を覚まさせたんだ、大丈夫?」
なんとか上体を持ち上げて、のろのろと頭を振りながら座席から身体を起こした僕。朦朧とする脳で助手席を見て、心臓が飛び出すほど驚いた!
「キリちゃん?」
彼女は目を見開いたまま、口から血を流して動かない……完全に死んでいるようだ。
「キ、キ、キリちゃん死んでいる……」
ショックで一気に目が醒めた!
「
「…………」
あまりのことに僕の心臓はバクバクするが、睡眠薬のせいで身体が思うように動かない。
「わたしが妻を殺した。しょうちゃん……わたしたち夫婦の話しを聞いてくれないか?」
そういうと、静かな声で男が話し始めた。
「あなたが本当のキリちゃん……?」
僕はこの男と、毎晩ラブラブチャットをしていたのか?
「しょうちゃんに、真実を知って貰いたいんだ、少し長くなるけど話を聞いて欲しい」
どっちみち、頭がフラフラしてる僕は逃げだすこともできず、この状況では男の告白を聞くしかないだろう?
――静かな声で男が話し始めた。
わたしはN県で父親の代から続く歯科医を開業している者だ。
妻と知り合ったのは、彼女が高校生で父親の歯科医院に患者として来院したのが始まりだった。まだ医学生だったわたしは、父の歯科医院で手伝いをしていた。
当時から女性にはモテるわたしだったが、初めて妻を見た時は「可愛い娘だなぁー」と興味を惹いた。
妻の方も、わたしに一目惚れしたらしく歯の治療が終わってからも、毎日毎日、歯科医院にやってきて、あげく受付のバイトに雇われた。
妻の実家は大きな薬局で、妻も薬剤師を目指して受験勉強していたんだ。
医者と薬剤師は良い取り合わせだろう?
男は当時を思い出してか? フッと薄く笑った。
妻が大学を卒業、薬剤師になり、わたしは歯科医師になった。
その頃、父が病気で身体を壊して歯科医院を続けられなくなったのを期に、わたしたちは結婚して、父の歯科医院を引き継いだ。
妻が恋愛時代から、かなり焼きもち妬きの性格なのは分かっていたが……。
むしろ、結婚してからの方が、さらにひどくなってきた。歯科医院で雇っている、歯科衛生士や受付の女の子にも焼きもちを妬いて、つまらない理由で辞めさせたりするようになった。
その上、わたしに興味を示す女性患者にまでヒステリーを起こして、時々トラブルになり、歯科医院の評判まで落とす始末で……。さすがに、わたしやわたしの母に厳重注意され、それが原因で歯科医院の手伝いをさせて貰えなくなったんだよ。
そのことで、さらにフラストレーションが溜まった妻は……。前よりいっそう、わたしに対する監視が厳しくなってきたんだ!
家に居ると四六時中、側に付いて回るし、たまに気晴らしにひとりで出掛けようものなら……。携帯に5分置きにメールを送り続けるし、もう息が詰まりそうで……。
何度も別れ話で夫婦ゲンカになったが、その度に妻は泣いて「捨てないでくれ」と縋ってくるんだよ。
そこまで話して、男はフゥーと深い溜息を漏らす。
さぞや、地獄の
惚れられ過ぎるのも幸せかどうか、考えさせられる。
結婚して1年過ぎた頃から、子どもの出来ないわたしたち夫婦に周りがいろいろ言ってくるようになった。「子どもはまだなの?」その質問が、専業主婦をしている妻には死ぬほど辛かったようだ。
その頃はまだ、妻とも普通にセックスをしていたが……。
「わたしは元々……それはど、その行為に執着するタイプではなかったので……妻には不満だったようだ」
男は苦笑いをして、照れたように瞳を伏せた。
たしかにイイ男だ!
キリちゃん(死んだ方)が焼きもち妬いて、おかしくなる気持ちも分からなくもない。
「子どもが欲しい、子どもが欲しい……と、妻がそればかりを言うようになって、わたしは妻とのセックスが……まるで義務のように感じて、段々気が重くなって……そういう気分にならなくなってきた」
……だから、彼女はあれの最中に赤ちゃんが欲しいっていったのか?
なのに、母親になれないまま死んだキリちゃんが可哀相だった。
「いろいろ検査したんだが……どうも彼女の方に原因があったようなので、それで妻は余計に……」
男は言葉を詰まらせて……唇を噛みしめた。
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