第二章 チャットルームの女

それから『蟷螂かまきり』と名乗る女性は朝晩、僕の伝言板に挨拶をしていくようになった。

時々、伝言板で話をするようになって、僕らは少しずつ仲良くなっていった。

その頃から、どんな女性だろうかと僕の中で想像が広がってゆく――高価なアバターを着けているし、たぶん社会人だろう。ネットにかなりお金をかけてるみたいだし、案外若くないかも、もしかしたら主婦だったりして。

ネットの相手に対して、リアルのことは訊けない……ネット社会のマナーとして、相手が言わない限り、こちらから年齢や職業、住んでる地域などについて、訊ねてはいけないのである。


――そういうことはネット社会の常識として、暗黙の了解なのだ。


そんなある日。

『蟷螂』からメールがきて、サイト内のチャットルームに誘われた。

ふたり部屋を作ったので入室用パスワードを教えるから、来てねと書いてあった。

チャットのふたり部屋というのは、『鍵』をかけられるので、他の人が入って来れない、入室用のパスワードをあらかじめ決めて置いて、それを打ち込んでから入室するのである。

そこはサイトのカップルたちがよく使っている場所だった。


チャットルームでふたりっきりで会話ができるとあって、僕はわくわくした。

異性に興味を持ったのは1年振り以上だ、僕も心の中では分かっているんだ。

死んだ彼女のことは、もう忘れなくてはいけないってことは……。

チャットルームにいって、彼女が教えてくれた部屋の入室用パスワードを打ち込んだ。『蟷螂』は先にきて待っていた。


若者の多いこのサイトでは、ほとんどの会話は顔文字で行われている。

顔文字は若者たちの新しいコミュニケーション方法で、言葉プラス感情表現を記号文字で作って絵にできるのだ。

これらの顔文字は専用サイトからインストールして辞書登録して、一発変換できるようにしてある。

特にチャットでは早く打ち込める、この顔文字がとても便利なのだ。

取りあえず、僕らはこのサイトのやり方で挨拶をした。


 僕: (*´・ω・)ノ ・゚:*:゚★⊃`ノ八”`ノ八☆・゚:*:゚

 彼女: ⊃`ノ八゛`ノ八_〆(●ゝ∀・●)ゞ^☆

 僕: Syochan85です( ´艸`)ド-ゾ (っ´▽`)っ))ヨロチク

 彼女: (○´-ω-)っ[蟷螂]ト申シマス。(。-ω・)ゞヨロシクネ♪

 僕: 今日はチャット誘ってくれてヾ(@^∇^@)ノアリガトー♪

 彼女: 楽しくお話しましょう( 〃´艸`)ネッ


こんな風にいい大人が顔文字で会話している。

これもネット社会の新しいコミュニケーションのひとつの方法だし、慣れてくるととても楽しい。

だいたい、こういう顔文字を500~1000文字くらい登録しているのが、このサイトでは普通なのだ。


チャットルームで僕らはリアルの話もいろいろした。

彼女、『蟷螂』は30歳で去年離婚したが子どもはいないと言っていた。親の遺産で悠々自適ゆうゆうじてきな生活をしているが、やっぱし夜になると人恋しいので人が集まるネットで遊んでいるそうだ。

寂しい者同士でふたりは意気投合した、彼女の住所は僕の住む隣の県でそんなに遠くなかった。

いつかリアル(現実)で会えるかもしれない……僕の中で、ほのかな期待が広がった。


チャットの日から僕らは急に親密になった。

サイト内のゲームルームでパチンコや麻雀などをして、ふたりで遊んだり。

ある日、無料で遊べるゲーム『ババ抜き』の部屋に入ったときだが……小学生か中学生の子どもに「アバターをくれ!」やら「マネーをください!」とか、しつこく付きまとわれて難儀なんぎした。

無料で遊べるゲームルームには、子どもが多いのでマナーがなってない奴らも多い。


このサイトではウェブマネー(ネットで使うお金)で有料のゲームをしたり、ガチャでアバターを買ったりして、マイページをデコレーションすることができる。

お金を持っている大人たちは高価なアバターをつけて、有料のゲームで遊んだりしてセレブなネット生活を謳歌できるが……ネットでお金が使えない小・中学生にはそれができない。

だから、高そうなアバターを着けてる人を見つけると、誰かれなしにアバターやお金をくれと要求してくる、それが(ものごい)といわれる、荒らしである。


困った存在だが仕方がない。

お金を使わないと楽しめないサイトのシステムが悪いのだ。ネットで遊んでいる自分の子どもが、まさか物乞いをしているとは親も知るまい……。

――こういう恥知らずな行為ができるのもネットだから?

いくら子どもとはいえ、物乞いや伝言板に悪口を書いていく迷惑行為などしてよい筈がない。

顔が見えないネットの世界、子どもたちは誰に対しても自分と同等だと思い、厚顔無恥こうがんむちな自己主張を繰り返す、こんな子どもが大人になったらどうなるのか?

しかし注意したくとも、後で大勢の仲間たちを連れて仕返しに伝言板を荒らされるのが怖くて……大人たちは相手にしないで、ただただ逃げるだけである。


毎日、会社から帰るとパソコンを立ち上げて『蟷螂かまきり』こと、キリちゃんと会うのが楽しみになっていた。

残業のない日は晩飯を食べて、風呂に入って、後は寝るだけの準備万端じゅんびばんたんでネットに入るのだが、9時半くらいにINすることが多い、キリちゃんはだいたい先にネットにきている。

僕がマイページを開くと伝言板には、いつも彼女の挨拶が書き込まれている。

それを確認してから、キリちゃんの伝言板に挨拶にいって、今日はなにして遊ぶか、メールで打ち合わせてからゲームをすることになっている。


今日はキリちゃんがチャットルームにいこうというので、入室用パスワードを決めてから、僕らは同時にふたり部屋に入った。

ここなら誰にも邪魔されずに、ふたりだけの時間が過ごせるから、僕らはふざけてこんな顔文字を書き込んだ。


 僕:「キリちゃん( *´ω`)φ….大好き♪」

 彼女:「:。*スリ(( ´-ω-)-ω-` )」スリ*。:゚」

 僕:「エイッ!!(ノ。>ω<)ノ ⌒【愛】」

 彼女:「【愛】ヽ(>ω<ヽ)キャッチ!! 」

 僕・彼女:「*+・。.ずぅぅっと(●>∀<)人(>∀<○)一緒ww.。・+* 」


とても、リアルではできないような恥ずかしいことを堂々とやれる。

これがネットの凄いところで、いい大人が顔文字で愛を語っているのだから面白い。


今日のチャットでキリちゃんが『ラブ友』にならないかという。

『ラブ友』とは、仲良しさんと一緒にアバターを表示されるシステムである。たいていネットの彼氏と彼女がお揃いのアバターをつけてプロフィールに表示されていることが多い。このサイトではネットの彼氏は「OOさんです」とプロフィールに書き込んでいれば、もう誰もちょっかいを出さない。

アバターもカップル用の『赤い糸』や『ラブレター』『結婚指輪』などあって、お揃いでつけて、ふたりの愛を周りに見せつけている。

痛いシステムだが、こういうのは結構人気がある。

しかも、ふたりでラブラブのアバターを『プリショット』というネット写真みたいなのも撮れて、それをアルバムに保存ができるのである。


「だけど……僕はキリちゃんみたいなレアアバを持ってないよ」

「大丈夫、わたしが何とかしますから!」

「ラブ友はやっぱし背景やペットもお揃いでないとかっこ悪いもんなぁー」

「わたしアバ倉庫にいろいろ持ってるから、ご心配なく」

「ホント? じゃあキリちゃんに任せるよ」

素直にキリちゃんの申し出に甘えることにした。

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