第2話 凶体

 ――高速で走る車が突然スリップを起こす、ハンドルを急激に切ったのか車体が右に大きく逸れた、見えない何かを踏みつけたかのように、片側のタイヤが地面から離れ空を掻く。不自然に車体が浮き上がり、路面から離れるとばくんと一際大きな音をたて、天井が空を薙ぎつつ車体が空中回転をしながら突っ込んでくる



 「俺ってさ、スリルを常に感じていないと生きていけない性質たちなのよ」


 店に差し込んだ太陽の光を背にして、数年ぶりに顔を合わせた唐沢は、タンクトップにGパン姿、黒く焼けた肌、引き締まる筋肉を惜しげもなくさらして、あの頃と一言一句変わらない言葉を俺に投げかけた。


 白い歯をこぼしながら軽快に笑うこいつは中学時代の友人だ。昔から無茶ばかりを口にする奴だった。俺と友人の付き合いを止めてからも、馬鹿の一つ覚えみたいに後先何も考えず、危険に飛び込んでゆく性格は変わらなかったようだ。


 周りの環境に叩かれ、時間と社会の波に揉まれていれば大抵の人間は、そんな無謀な性格を少なからず変えざるを得ないのに、唐沢に限ってはそれが当てはまらなかった。丸くなるどころが余計尖ってしまった気がする。


 俺は変わらない唐沢が恐ろしかった。顔を会わせる事が一切できなくなった原因の、あの出来事はこいつには反省を促すような結果にはならず、寧ろ狂気じみた快楽主義をいっそう増進させてしまっていた。その結果がスタントマンという最悪の職業を選ばせる事になったらしい。


 これまでに数々のスタントをやり遂げた唐沢は不死身の男と呼ばれていた。どんな状況からも生還を果す、それがこいつの売りだった。以前見たのは速度100kmオーバで走行中の車からヘルメットとレーシングスーツのみで、脱出するスタントだった。


 テスト走行用のコースを高速で走り抜けるバン、後のドアが剥がされて中が丸見えになっている。運転席の後ろは全て取り払われ、天井に取り付けられた遠隔操作のカメラが、目の前に腰を落として床に付けられた取っ手を掴み、屈み込んでいる男をレンズの中に捉えていた。


 カメラのズーム機能が作動して、その男が唐沢である事を顔をアップで映し出し、証明する。


 コースが直線に入り、走行速度が100kmを超えた時、カメラマンの後の男が合図を送る。すると屈みこんでいた唐沢が車の中で立ち上がり、路面に飛び込むように体を前転させた。


 まず、丸めた背中が地面に触れる、ヘルメットの後頭部が地面に触れ火花を上げた。意識を失ったのか、投げ出された手足が不恰好に絡まりあって好き勝手な方向に放り出される。跳ねまわり、数十回体を路面に打ち付け、摩擦でスーツが所々黒く焦げつく。


 やがてバラバラに動いていた体の反動が緩やかになり、静かに動作が止った。


 通常であれば確実に無事ではすまない、どうみても不恰好でスタントではありえない落ち方をしていた。だが、あいつはすぐに意識を取り戻し、立ち上がると手で埃を振り払い、無傷での成功を証明して見せた。


 それ以降も20mの高さの橋から海へと落下、絶壁から自転車に乗りダイブ、火の付いたガソリンの海を泳ぎきるなど、数え切れない、それこそ正気の沙汰ではないスタントを試みては成功させていた。


 「お前も俺と同じだろう、あの事故から生き残った俺達は怖いもんなんざ無い。なのになんでお前はこんな地味な生活続けてんの? わっかんねえなぁ」


 数々の不可能を乗り越えた唐沢。自信に満ち溢れ、その顔は輝いていた、この数年ですっかり俗気が抜けてしまった唐沢は性格とは違い、外見は変わってしまっていて、どことなく常人離れした空気を放っていた。俺は落ち着かず、持ち手のない刃物、手にするとこっちも傷を負ってしまうような、危険な刃物を目の前にしているようだった。


 唐沢はいう、俺もこうなれるんだと。だが、俺は唐沢のようにはなれない、なるつもりはない、あの事故を有耶無耶にできる程、俺の心は強くなかった。それにあの時と同じだ、常に首にかけて持ち歩いているあれが、いつも以上に、驚く程膨らんでいる、唐沢はあの時と何も変わっていない。



 ――迫る車体、反射的に尻餅をつくと顔面を金属のボティがかすめる、天井から腹へと回転する車、ガラスの向うで赤に染めあげられながら顔に恐怖を張りつかせている運転手、車が裏返りタイヤが猛回転を繰り返しながら巻き込んだ風で俺の髪を僅かに揺らし、後方へと飛び、視界から抜けていった



 スタントマンとして有名になった唐沢は数年振りに俺との再会を果すと、近況報告だけお互いに簡単に交わし、すぐに別れた。俺はあいつには会いたくは無かった、だから簡単な挨拶だけで済ませたかったんだ。


 元々こうして長々と顔を合わせ、話し合おうと思って会ったわけじゃあなかった。どの道話が通じるとも思えない。


 コンビニで偶々顔を合わせたに過ぎなかった。あいつがどんなに有名になろうと関係ない、とにかく俺はあいつから離れたかった。


 常軌を逸したスタントにより爆発的に売れ、有名になった唐沢は、ところが数年後、燃え上がった炎が一瞬で風に吹き消されるようにして業界から姿を消した。


 あれ程有名だったにもかかわらず、今では名前を挙げることですらタブーとされる程、忌視されている。その原因は俺には解らない、いや、実は薄々解ってはいる、だが認めたくは無かった。


 各メディアでも話題に上がった事もある、様々な噂が囁かれていた。不死身の男が遂に死んだ、実はもう随分前にスタントで死んでいて、他のスタントマンがその度に代行を果していたが、それももう不可能になった。などという噂話が数々あがったりもした。


 そんな話題も数ヶ月が過ぎるとすっかりと姿をひそめ、俺もきっと唐沢は戻ってこないだろうと思っていた。全くメディアでも現実でも姿を見せなくなった唐沢に対して、俺は安堵していた。そしてあいつの存在を忘れようとしていた。だが、現実は甘くは無かった、どこでどうやって探したのかは知らないが、遂に唐沢は俺の家を探し出し、尋ねてきた。


 数年前の唐沢とは、違った意味で別人だった。青く変色した肌、病的に落ち窪み影が落ちる顔付き。痩せぎすに変わってしまった筋肉、浮き出した骨格が唐沢自身のここ数年の落ち込み振りを物語っていた。


 久々に会えたんだ、酒でも飲まないか。そう誘われた俺は、渋々ながら従うほか無かった。断ればつきまとわれてしまうだろう。どうにかして、すぐにでも追い払いたい。本当ならば願い下げだ、なぜなら、こいつの顔を見ると昔を思い出す、恐怖の波が、確かな感情が、俺に再び押し寄せてくるからだ。




 ――口から息が漏れる、刹那、がぎんと金属同士がぶつかり合う音。強烈な圧迫感、這いずり、右に側転、再び仰向けとなった途端、熱の波と轟音、鼓膜に衝撃、音が遠のく




 中学時代の修学旅行時、俺達は一通りの修学を終えて自県へと観光バスに乗り、帰る途中だった。友人と雑談を繰り返していた時、突然ポケットが大きく膨らんでいる事に気がついた。胸のポケットには爺さんから預ったお守りが入っていた。


 旅行中、何かあってからじゃあ遅いからと爺さんに無理やり持たされたお守りだ、爺さんの兄が戦争から無事戻った際に持っていたお守りだといっていた。正直効果なんて期待しちゃいなかった、心細さから持っていたに過ぎない。その古ぼけたお守りの袋があり得ないくらい膨らんでいた。


 なんだ、と思っていると体が自然に傾き始める。重力が右に寄り始めていた。するとバスの中が突然静まりかえり、皆の目がバスの天井に向いた。その時の凍りついた皆の顔が脳裏に焼きついて忘れられない。


 何か起こったのか解らず硬直する、瞬間バス内が絶叫に包まれた。するとバスの側面が大きく盛り上がり、椅子とそこに座っていたクラスメイトが弾けた。すぐに体が浮き上がり悲鳴が車内であがったかと思うと即頭部に痛みを感じて、気がついたらお守りを硬く握り締めたまま、病院で眠っていた。


 助かったのは俺と唐沢だけだった。クラスメイト三十人、先生やバスガイド、運転手を合わせて、助かったのは俺と唐沢二人だけだった。運が良かったとかそんなもんじゃない、俺には助かった理由があった。けれど、なぜ唐沢が助かったのかが不思議でしょうがなかった、あいつが助かるはずが無かったんだ。




 ――視界の端から銀色が閃いた、斜め前の街灯、中ほどに金属片が突き刺さる、後を追って楕円の黒い物体が飛んでくる、視界の端に落ち破裂。すると銀色の板が射出された、更に体を右に回転、頬に熱、目に焼きつくメーカのロゴ、あれはタイヤのホイルカバーか、遠のいた音が戻る、仰向けに戻るとバチバチと音、眩しさが視力を奪う




 俺と唐沢は初夏の修学旅行中、同じ班にいた。その日は五人ずつで別れての自由行動の予定だった。宿泊施設からタクシーと徒歩でそれぞれ、予定にそって行動するはずだったんだ。だが一つ目の目的地を過ぎて、徒歩で次の目的地に向う途中、俺達は道に迷った。


 おかしな道に入り込んだのか、高い垣根に囲まれた人っ子一人いない、もの寂しい路地を五人で歩いていた。そんな時だ、何年も手入れされていないような荒れ寺が張り巡らされた垣根の向うに見えた。面白がった唐沢はあの寺に行ってみようぜなんて俺たちに声をかける。


 言われなくても退屈していた俺たちだ、すぐに話に乗ってその荒れ寺に足を向けた。近くまで来て見ると、予想以上に寺が荒れている事がわかった。木が腐りかけ、本堂は傾いて、黒に近い緑の苔がその殆どを飲み込んでいた。そんな状態だから人なんて当然入れるわけが無い。


 原型が僅かに残っている瓦屋根の中央部はでかい穴がぽっかりあいていて、暗闇が顔を覗かせている。そこから何かが覗くんじゃないかなんて思えて、寒気が走った。


 怖いな、帰ろうぜ、そういって尻込みする俺達を余所に唐沢だけは全く怖がってなかった。するとすぐに唐沢は本堂の向うに見える荒地に気がついた。背の高い草が大量に茂っていて、そんな草の中にでかい墓石が一つだけ頭を出してた。


「お、あれ良い雰囲気出てるじゃねえの、どうよ、ここで度胸試ししようぜ。一人であの石まで行って小便ひっかけて来るって面白くねえ?」


 全く空気を読まずに唐沢がそういった。冗談じゃねえ、只でさえ腰が引けてるんだ、そんな事できるかよと内心では叫んでいた。俺と、他の三人も似たような事を考えてたんだろうな。付き合いきれねえよ、冗談だろ。なんて呟いている内に、唐沢が切れた。


「腰抜けが、お前らじゃいつまで経ってもなにもできねえよ。いいぜ、俺を見てろよ」


 そう吐き捨てて唐沢が墓石まで走って行った。俺達は慌てて後を追う、石に近づいてみると、尚更不気味さが際立った。草が辺り一面に生えているのに石の周りは綺麗に何一つ生えていない。半ば風化して崩れかけている灰色の長方形、下には割れた石の破片が積まれていて、穴が目立つ緑色の気味の悪い苔が生している。石の表面のへこみで文字が刻んであった事はわかるけれど、その意味はすっかり読みとれなくなっていた。


 その不気味な墓石に唐沢は、軽く蹴りを入れてから、実は結構前から我慢してたんだよななんていいながら、平気で小便をひっかけたんだ。すると墓石の中から黒い物体が飛び出して落ちてきた、石が崩れたのかと思って飛びのくと、そいつは石なんかじゃなかった。生首だ、剃られた頭頂部、青白い月代。横から伸びきったざんばらな黒髪が顔に張り付き、隙間から濁り目が覗いていた。



 ――堪らず目をつぶると、煮込んだ魚を何ヶ月も放置したような生臭さと酸っぱさが鼻を突いた。腹の上に強烈な存在感が湧き上がるのを感じる、同時に頬をざわざわと何かが触れ、地面に体が張り付けられる。恐怖で目蓋を開く、しかし視力は戻らない



 俺達はそれぞれにばらばらになって逃げた、唐沢だけが何も見ていないのかばかみたいに立ち尽くしてた。それから旅行が終わるまで、俺達は誰一人それに触れなかった。恐ろしかったんだ。巻き込まれた事を信じたくなかった。だが、帰りのバスで同じ生首を見た、そうだ、クラスメイトが、あのバスの中の全員が見たに違いない生首、前回より増えていた。干しぶどうみたいに腐りかけた首、半ばまで断ち切られて割られた頭。そんなものがいくつも天井に浮んでた。


 病院で起き上がった俺は、命は無事とはいえ体は到底無事とはいえなかった。そこへ無傷の唐沢が現れて助かったのは俺達だけなんだと笑った。唐沢は一時的なヒーローだった。大事故から無傷で生還を果した奇跡の人。俺の前ではそれをさも当然のように掲げていた。


 俺はその得意げな顔をぶん殴りたかった、お前、クラスメイトの事はどうでも良いのかよ、お前一人が助かればそれで良いのかといってやりたかった。だが俺はろくに動くことも出来ない体で声も出せなかった。学生時代は唐沢とはそれっきり、学校も変わってしまい会わなかった。



 ――きりきりと金切り音、徐々に戻る視力、視界の中でざわめく黒い筋の先、街灯の中程から電光、点滅する街灯、電球を支える柱が折れ曲がり、こちらに倒れこんでくる



 家を出て居酒屋に向う途中、待ち切れないのか唐沢は俺にスタントを止めた理由を訥々(とつとつ)と話し始めた。


 「俺はさ、これまで天性の運が味方してんだと思ってたんだ。なんでかって? あれだけの事故から生還できたんだ、俺たちだけが生還できた。だから、大概の事なら平気だと思ったのさ。なにをしても、どんなに危険なスタントでも俺なら無傷で成功させられた。凄えだろ、俺にしかできねえんだぞ、なんてな。自信もあった、骨折や擦り傷一つ負った事なかったんだぜ」


 知っていた、これまで唐沢が助かっているのはその運のお陰なのだろう。だが俺は違う、このお守り無くして俺はきっとここまで生抜くことなんざ無かったはずだ。入院中も握り締め離さずにいたお守りを一度、外した事があった。


 事故の日から僅かに膨れ続けていたお守り、数年が過ぎるとそろそろ俺も吹っ切らなければと思いだしていた。外してから時間にして数分、シャワーを浴びていた俺はごろごろと何かが転がる音を聞き、音の原因が足の指先に触れたのを感じた。閉じていた目を薄く開くと黒く丸い陰影が足元にあった、その中に濁り目が二つ、視線が重なった。同時に背中を切りつけられたような痛みが走った。


 給湯機の故障だった、俺の背中は引き攣れた火傷痕が今も残っている。今じゃ一秒たりとも手が離せない。それでもこの身に起きている現象は確実に収束に向っている、そう思いたかった。


 「でも、数ヶ月目でおかしな事が起こり始めた。あれはあんまりに帰って来いと喧しくて音信を絶ってた俺の家族になにかあったって人づてに聞いた頃だったか、スタッフ連中がやたら怪我をしはじめたのさ。それもすぐには治らないような怪我ばっかりだった。


 路面に落ちてた釘がリハーサル中にタイヤで弾かれて突き刺さるなんてのはしょっちゅうだった。それが遂に俺の人気が絶頂だった時分にね、死人が出ちまったんだ。そいつは、俺の恋人だった。俺を心配してスタントを見に来てたんだ、俺は無事スタントを成功させた、けどな、セットされた爆薬にある筈の無い鉄片が混じっていてそいつが彼女の首をすっとばした。ありえない事故だった。新人の一人が機材を置き忘れたって事にされちまってた。


 それが始まりだったんだよ。いきなり俺の周りに死人が増えていったんだ。マネージャからプロデューサ、スポンサの人間から友人、観客に至るまでだ。俺と親しい奴から先に次々に原因不明の事故やら病気やらで片っ端から逝っちまった、弱った俺は実家に帰ったが親、兄弟、親戚まで一人残らず死んじまってた。


 俺は参った。そこでやっと鈍い俺でも気がついた、あん時の墓石にした事が原因じゃあないかって。とっくに過ぎたと思ってた過去の罪償いがまだ続いてた。それも、どんどんと強烈になっていきやがる。


 俺は何とかあの墓をもう一度探そうと何度も通ったが、結局辿りつけやしなかった。あの修学旅行の日、俺たち迷っただろ。実際はな、俺が迷わせたんだ。ちょっとした遊びさ、予定どうりじゃおもしろくないだろ。そこにおあつらえ向けに廃寺が登場さ、俺は盛り上がると喜んだな。


 でもなあ、後からそこに向おうとしてみたらあの時見た垣根なんてどこにもありゃしない、すっかり普通の住宅地に変わっちまってた。俺達が入った廃寺なんてのはな、どこにもなかったんだ」


 枯れかけの声でぜいぜいと話し続ける唐沢に向って俺は、嘘だろう、と無意識に叫んでいた。


「嘘なもんか、それで俺は血眼で祓い師やら神主やらを渡ったがどうにもならなかった。やつら揃って無理だとぬかした。だから、俺はとうとう全てを諦めて自殺しようと思ったんだ。けどな、それも無理だった、どう足掻いても俺は傷一つ負えなかったんだ。飛び降りようが首吊りしようが奇跡的に助かっちまう。見えない力に阻まれちまうんだ。


 それで気がついた。俺は運が良かったんじゃない、生かされ続けてるだけなんだ。考えても見ろよ、俺のまわりは死人の山、怖がって誰も近寄りゃしない、その上こっちから歩み寄って繋がりを持っただけで相手はすぐ死んじまう、これ以上の呪いなんて無いだろう? だから、俺はお前を探して会いに来たんだ、あん時の事故で生き残ったのは俺とお前だけだった、だから、お前なら、俺をそばて見ててくれ、支えてくれ、俺を、俺を」


 唐沢がそこまで話した時、ばつんと音がしてシャツの下のお守り袋がはじけた。粉みじんになったお守りがふわふわとシャツの隙間から抜け出して舞う。消えかけるその粉を呆然と見つめていると、びゅうと生暖かい風が吹き全てを運び流していった、それを目で追うとよたついて数歩、俺から離れる唐沢が視界に入る。するとやつの頭の上にばかでかい生首がわきだし、浮いていて、グラグラと揺れていた。


 目が離せない、それは大量の小さな生首が交じり合って大きな生首の形を成していた。そいつが動けずにいる俺の前で一際大きく傾くと、路面に落ちて数回転がり、唐突にべしゃりと潰れた。


 道路にぬめりのある黒い水が広がる、正面から高速で走る車がこちらに向って走ってきていた。車のタイヤが黒い水に触れ、その姿が大きくぶれた。こちらに突っ込んでくる、それに気がついた瞬間、俺のこれまでの唐沢に関する記憶が急に頭をもたげ、次々に展開されていった。



 ――どこからかお前でも駄目なのかと、唐沢の声が届いた。倒れ込む柱を避けようと体を動かそうとするが、腹に圧し掛かった何かが俺を拘束していた。街灯の先端が顔に近づき、押し潰される寸前、ぎりぎりと首を引っ張り上げられ、目前に姿を現した腐りかけの生首は、糸の引いた馬鹿でかい口を開いた。


 中には無残に変わり果てた死んだはずの連中の生首が並び、皆同様に口を開いて叫びを上げながら俺が飲まれるのを待っていた。気がつけば、俺はやつらの横に並び、首だけとなって、ぼろ雑巾のように崩れかけた俺の体を目前に、叫び声をあげていた。

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