第2話 湖面の月は
「綾愛、蔵の虫干しと二階の整理してくれ」
人丸神社の神主である、オヤジがある日ふと思いついたように私に言いつけた。
「え〜〜〜!? いやだ!」
私が即座に反論すると、オヤジは腕を組んで蔵の裏の杜を親指で差す。
「それじゃあ、速真の代わりに行くか、ん?」
蔵の裏の杜……うげぇ、人丸の本宮へは小さな岩山をロッククライミングしていかねばならない。おかげさまでおやじはヒグマみたいな風貌だ。アニキはまだ毛が薄いがそのうち体毛が濃くなるんだろうな。
「アニキは? アニキに頼んでよ、あそこ平気なのアニキじゃん」
「速真は今から人丸様の調伏修行だ」
あーそう……あの岩山を二人してロッククライミングするんだ〜。と、思うと、私も文句が言えなくなってしまう。諦めて、境内をはいていた箒を片づけて、エプロンとすす払いを取りに社務所に入った。
人丸神社の蔵は結構でかい。歴々の品物が詰め込まれているのだ。二階建てになっていて、一階には神社が保有している骨とう品や普通に使わなくなった家電なんかもある。
で、問題は二階。
私がなるべく行かないようにしている場所だ。
幼馴染の未雪が、物心ついたころから持ち寄る怪しげな物品を、小さかったころの私は何も分からずおやじに手渡していた。おやじはその霊障付き物品を何も考えずに蔵の二階に放り込んでいたのだ。
小学生まで私はそれらの物品をおやじがお祓いしているものだと信じ込んでいた。
純真で素直な私は、オヤジが全く手つかずにほったらかしている事実を知り、未雪からの持ち込みをストップさせようと頑張った。が、あまり効果がない。
蔵の扉を開ける。漆喰に塗り固められたの扉は私の体幅より厚い。もう死んだ爺さんから以前聞いたが第二次世界大戦の大空襲の時にも燃えずに残ったという。
その分厚さが戦時だけでなく今非常に役立っている。
蔵の中はひんやりと寒い。春先だから当然としても、ここは年じゅう息が白くなる。
トトトトトトトト
蔵に上がってすぐに、二階を小さな動物が駆け回る音がし始める。
無視だ。
私は虫干しのために奥のものから順番に蔵の外に出す。
ダン ダン ダン
そうこうするうちに二階を誰かが歩き回る。二階にはだれもいない。オヤジとアニキは今裏の杜にいる。第一人丸神社は家族運営である。小さいころに母さんが死んだ私のうちにこれ以上人間はいない。
それを無視していると、ごにょごにょ人の話す声が聞こえてくる。
さらに私の名前を呼ぶ声。しつこい。
「綾愛……綾愛やい……あーやーめーさーん……綾愛ちゃん」
私は機械的に蔵の中と外を行き来して、重たい行李や小さな箱や家電なんかを運んでいく。その間にもず〜っと私の名前を呼び続ける。
「綾愛ちゃん……綾愛ちゃ〜ん、あ、や、め、ちゃん」
いい加減うざくなってきた。
「あー、もー、うるさいっ!」
「綾愛ちゃん……ひどいですぅ」
私は我に返って周囲を見回した。泣きべそをかいた未雪が高く積まれた家電や行李の影から、恨めしそうに私を見ている。
私は反射的に叫んだ。
「帰れっ!」
「無視した上に帰れだなんて、意地悪ですぅ!」
たしかに埋もれ具合から言って三十分くらいは無視したかもしれないが、どうせろくな事をしに来たわけじゃないからこれでいいのだ。
「私には用なんかない。帰れ! 忙しい!」
「そんなこと言わずに助けてください〜」
「こっちが助けてほしいくらいだ」
「ついでにこれも蔵に入れてください〜」
そう言って未雪は自分の背丈より少しだけ小さい大きな荷物を影から引き出した。
「でかっ! 図々しい! うちはおまえんちの倉庫じゃないぞ! 二階にあるものも一緒に持って帰れ!」
「困ってるんですぅ〜」
未雪の図々しさは年々ひどくなる。ほぼ毎日大小さまざまな粗大ゴミや燃えないゴミを持ってきては置いて帰るのだから迷惑極まりない。
「そんなことしらん! 帰れ!」
「あのね……」
またもや未雪は人の話を聞かずに自分の話を始めた。
ヨーロッパ土産だとおじさんが未雪に素敵な姿見をくれた。それはそれは女の子が憧れるようなデザインのアンティークだった。(おまえんち超古い日本家屋じゃんか!)
毎日その鏡を覗いてはうっとりとしていたが、ある日、映るはずのないものが鏡の中にあることに気付いた。赤いドレスを着た外人の女が物陰からそっとこちらをうかがっているのだ。(今更そんなことで怖がってるのか)
それだけならそれほどでもないが、少しずつ女は近づいてくる。しまいには鏡の中だけでなく、ものが映り込む者の中すべてに女は現れるようになった。(死ぬわけじゃないんだからいいじゃん、我慢しろ)
「でも〜弟の目の中に移ったときはさすがに気味が悪くなってぇ〜」
もっとやばいものを持ってきたことだってあるくせに、なぜ、女が見えるくらい我慢できないんだろう。
「綾愛ちゃんは、見たことないから分からないんです!」
未雪はアヒルの口をして、えらそうに文句を言いだした。
「綾愛ちゃんだって、血まみれで体が半分しかない女の人が四六時中見えたら嫌だと思います!」
うっ、確かにそれは嫌かも……
しかし逆切れされたくないぞ。結果的に粗大ゴミを押し付けられるわけだし。
私はすす払いを腰から取り、未雪に向かって衝くように振り回した。
「帰れ! とにかく今日は絶対に置いて帰るな!」
今日置いて帰られたら、その姿見をもって二階に上がるのは私ということになりそうで嫌だった。
「じゃあ、明日だったらいいんですかぁ〜?」
「う〜、明日もダメ!」
「明日がダメなら今日置いて帰りたいです!」
未雪はデパートの包装紙に包んだ、自分よりも小さいとはいえ、かなり大きな姿見を左右に動かして私のすす払いの衝きをよける。
「くぅ〜、おぬし、できるな」
「なんの、なんのですぅ」
そこへオヤジがやってきて、豪快に笑いながら、ほぼ叩くに近い力で未雪の頭をなでた。
「おお、久しぶりだなぁ、元気にしとるか! 相変わらず別嬪さんだ!」
「あ、おじさまぁ、お久しぶりですぅ〜」
オヤジに気付いたとたん未雪の瞳がきらきら輝き始める。オヤジは知らないが、未雪は親父に惚れている。こんなひげもじゃヒグマのどこがいいのかわからないが、昔からお嫁さんになりたいと言い続けている。
オヤジの後ろからよろよろと疲労困憊の体でアニキがやってきた。
「あ、速真君!」
「お、未雪ちゃん、どうしたの?」
「実は〜」
アニキが出てきた段階で私は未雪を追っ払うことをあきらめた。アニキは八方美人だ。おそらく、あのでかい姿身を引き取るとか言い出すに違いない。
「赤いドレスの半身の女か……」
やっぱり、アニキは未雪の話を聞き終わると言った。
「ちょっとその姿見見せて」
アニキは未雪から鏡を受け取り包装紙を破いて中身を出した。純和風の部屋に絶対に合わないアールデコ調の装飾の鏡が出てきた。アニキはその鏡を表、裏とじーっと眺めて、にやりと笑った。
「なに? また引き取るの?」
私が迷惑そうな目でアニキを睨むと、アニキは涼しい顔で言った。
「実はな……」
数週間前、速真は隣県の割と大きな骨とう品店のオーナーに相談を受けた。
鏡台のお祓いをしてほしい。
その鏡台は千七百年代のフランス革命の時期のもので、ある貴族の娘のために作られた逸品だという。しかし、その娘というのが親の財産にあかせて黒魔術におぼれ、その鏡台にも仕組みを作った。結局娘は突然病のために死んでしまう。その後、その貴族も財産を失い、没落してしまう。革命の際、屋敷が暴徒に襲われ、多くの家財が盗まれたという。
この鏡台もそうして失われた財産の一つだった。
鏡台をオーナーのもとに持ってきたのはある成金だった。バブル時代に骨とう品をかき集め、その後、破産して方々にアンティーク家具を手放した。その成金は鏡台のいわくを知らなかった。おそらく飾って楽しんでいるだけだったからだろう。
しかし、オーナーがこの鏡台を売った先で、初めていわくつきの品だということが分かったのだ。
客は一ヶ月しないうちに鏡台を店に返しに来た。それも金は要らないと言って逃げるように置いて帰る。
最初のうちオーナーは金もうけできると再度その鏡台を売ったのだが、またそれは戻ってきた。しかも二度三度と返品は続く。さすがにこれはおかしいなとオーナーも思い始め、店に飾ってある鏡台を自分の家に持って帰ってみた。
「ありゃ、だめだ。持ってられない。手放す客の気持ちがよくわかったよ」
「どういうことです?」
速真は青い顔をしているオーナーに訊ねた。
「血まみれの女が、鏡の中から、こう、ズルッとはい出てきたかと思うと、床にベチャと落ちてねぇ。よーくみてみたら、体の左半分がないんだよ。そんで、半分だけの体で、ズッズッて、蛇みたいに這いずるんだ。部屋中の床をだよ、一晩中。わたしはその部屋で寝たんだが、グググーっと女が身を乗り出してわたしの顔をじーっと見つめるんだ。その間、ポタァポタァってねぇ、血が私の顔に滴るんだよぉ、もう、こりゃ、たまらんてねぇ! あれはだめだ!」
速真は鏡を預かり、蔵の二階において、まずは基本中の基本から始めた。
「って、今この二階にあるの!?」
私はのどから心臓が飛び出すほど驚いて叫んだ。
「べつに、鏡台だけじゃないんだし、問題ないだろ」
「ほらぁ、あたしの言うとおりですぅ〜」
し、知らないうちに恐ろしいものが我が家の蔵に増えてるなんて……!
「ばかぁ! お前が言うな!」
今度は私が半べそかいて未雪を睨みつけた。自慢じゃないが私はアニキや未雪と違ってお化けが平気ではないのだ。むしろ怖いのだ。それなのになんでみんなこんなに無神経なんだ!
そんな私の気持ちも知らずにアニキが非情なことをほざいた。
「ちょうどいい、綾愛、手伝ってくれ」
「いやだぁ!」
意志の弱い私は、残りの蔵掃除をアニキが手伝う、二階は全部アニキがするということで決着をつけた。
「ぎ、ぎりぎりまで呼ばないでね……」
下剤を飲んだような青い顔で私はアニキに告げた。
時刻は深夜12時前20分。
問題の怪現象は深夜12時ちょうどに起こる。
蔵の二階には例の鏡台と未雪が昼間置いていった姿見がある。二階にあった他の怪しいものは怖がりの私を配慮して、アニキがオヤジの部屋に置いたと言っていた。オヤジもアニキとどっこいなのであまり気にしないと思う。
私は蔵の一階の行李の上に座り、アニキから聞いた話を反芻していた。思い出すだけで脂汗が垂れる。
アニキは持ち帰った鏡台に我が神社のお札を貼った。強力な両面テープで貼り付けてもお札ははがれおちたらしい。次に御利益があると有名な神社のお札を貼ったらひと晩もったが、翌朝びりびりに破られていたらしい。
それで今度は鏡面を割ろうとしたが、金槌を振り上げた途端血を吐いて失神。鏡以外の家具の部分は全く問題なく傷つけることができるのだが、鏡だけは絶対に手出しできない。
どうしたものかと悩んでいたところに、未雪が姿見を持ってきたというのだ。
未雪の陰謀じゃないかと思ってしまうのだが、やつは成金じゃないしアンティーク趣味でもない。
私があれこれ現実逃避していると二階からアニキの声が聞こえた。
「綾愛」
私は重たい腰を上げ、急なつくりになっている蔵の階段を上った。
キャンプ用のランプの明かりに照らされ、ドーンと目の前に想像を超える大きさの鏡台があった。私が母さんの形見でもらった和風の小さな鏡台なんか、おもちゃに思えるほど大きい。圧倒されて固まってる私にアニキが急かすように言った。
「早く鏡台の裏に回れ」
恐怖でがちがちに固まった私はぎくしゃくしながら鏡台の裏にたった。
「足元に縄があるだろ? それ持って合図するまで待機な」
かくいうアニキは姿見を抱え込み、鏡台の真ん前に立っている。
合わせ鏡である。
私はがくがくふるえながら、鏡台の裏で縮こまった。
「なぁ、綾愛、その裏に文字が書いてあるだろ?」
アニキの言葉に私は顔を上げる。暗くて鏡台の裏の文字は見えない。
「フランス語で書いてるらしい。知り合いに聞いたら、『湖面の月は月に非ず』って書いてるんだと。どういう意味なんだろうな」
わ、わかりません、お兄様……
なんでこんな緊張を強いる場面でそんな悠長なことを言っていられるのだろうか……わたしが泣き笑いしていると、次第に空気が冷たくなってきた。
アニキももうしゃべってない。どうやら始まったようだ。私は絶対見たくないと心に決め、ギュッと目をつぶった。
ズルッ ズッ ズッ
何か大きなものを引きずる音。
ばんっ!
鏡台に激しい衝撃。私も鏡台とともに大きく揺れる。
グチュルゥ
衝撃の後に間髪いれず水気のある熟した果実がつぶれる音。
「綾愛!」
「ひぃいいい!!」
私は目をつぶったまま縄を縄跳びをする要領でアニキのほうに渡した。
「片側貸せ! そのままもってろよ!」
「うおりゃああああ——!!!」
うひゃあああぁぁぁ(涙目)
アニキが力いっぱい縄を引っ張るたびに私の体が引きずられる。それを両足を踏ん張ってこらえていると、鏡台からギリギリギリときしむ音が聞こえ始めた。
「貸せ」
アニキの声がした方向に私は必死で縄を振った。それをグイと引っ張る感触がし、縄から解放された私は床板に両手をついて、ふと眼を上げた。
キャンプ用のランプのか細い灯火を背にアニキの黒い影が私の頭上に立ちはだかっている。そのこうべになにやら突起があるのに気づいて私は目を見張った。
「ア、アニキ……つ、つの?」
「ん? ほら、手」
アニキは私に手を貸して立ち上がらせると、鏡台を指差した。
鏡台と姿見は合わせ鏡の状態のまま縄でくくられ、固定されていた。鏡の合わさった部分から赤い液体が滴っている。それが血液なのか、別のものなのか知りたいと思わない。
背を丸めておびえている私にアニキは不気味なことを言った。
「これで彼女はやっと一つになれたってわけだな」
そうですね、力ずくで一つになりました。
私の家は神社だ。ごく普通の神社のはずなんだ……
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