第55話 俺は俺に間違いない

「前から気にはなってたんだけどね」


「……何よ」


 相変わらず顔を赤くして尋ねる佳織だが、本人は眉間に皺を寄せて小首を傾げている。静が言う『気になってたこと』に心当たりはないらしい。俺も何となく本調子でなさそうな感じは見て取れるが、それほど違和感は覚えなかった。ふとした違いに気づけるというのは、男と女で違いがあるんだろうか。……今の俺は女だけど。


「うん、佳織ちゃんちょっと前から変わったよね」


「そうかな……?」


「……変わったというか、戻った?」


 戻った? そんなに変化あったか? ちょっとした違和感くらいならあるが……。うーむ、わからん。やっぱりこれは俺が疎いだけなのか。そういえば女の変化に敏感な男もどこかにいたな。ついさっき思ったこととは真逆だが、やっぱり男女差はないのかもしれない。


「何かきっかけがあったかどうかは知らないけど、ちょっと前から圭ちゃんのこと、ちゃんと名前で呼ぶようになったよね」


「――えっ?」


 ハッとしたように目を見開く佳織。俺も最近は全然気にしてなかったが、そういえばそうだったな。女になってからは『アンタ』呼びが多かったのは確かだ。それとなくと佳織に視線を向けるが、本人は自覚がなかったんだろうか? うーん、まぁ幼馴染の性別がいきなり変わったりすればそれはそれで衝撃だろう。どういう心境の変化があったのかまではわからんが、名前で呼んでくれるようになったのはいいことなんじゃなかろうか。


「佳織……?」


 固まって動かない佳織に声を掛けると、ゆっくりと顔をこちらに向ける。……が、視線は俺に向けられておらず彷徨っている。


「おーい、大丈夫かー」


 顔の前で手を振ってやるとだんだんと焦点が合ってきたようだ。なんとなく目が潤んでるような気がしないでもないが、やっぱり佳織らしくないというのは俺でもわかる。ツッコミ担当の佳織が大人しいとかありえん。


「ごめんね……、圭一……」


 かすれた声で呟く佳織の目じりから一筋の涙が零れ落ちる。


 ――はぁ?


 いやちょっと待て。いつもと違いすぎだろ。……そんなに大人しく謝るキャラじゃねーだろお前は。ってか泣いてんのかよ……。俺のからかいにぎゃーぎゃー反応するのが佳織だろ。そんなにしおらしくされると調子が狂うというかなんというか……。


「あー……」


 意味のない言葉を発して明後日の方向に視線をやる。若干早くなった鼓動を無視して部屋の中に視線を彷徨わせるが、特に珍しいものがあるわけでもない自分の部屋だ。というか視界に入った静と千亜季の表情がニヤニヤしててウザい。なんとかしてくれと思ったが期待するだけ無駄だろう。


「圭一……」


 俺を呼ぶ声と共に、ストンと佳織の顔の位置が俺よりも低くなる。力が抜けたのか膝立ちの状態になった佳織が、ゆっくりと手を伸ばしてきたかと思うと、そのまま俺の腰へと抱き着いてきた。


「ちょっ……」


 大丈夫かコイツ……。まあそこは佳織だし大丈夫だと思うが。……大丈夫だよな?

 いまいち確信が持てなかったが、そんなことよりも重要なことがある。そう……、佳織よりも自分の事だ。心臓のドキドキが止まらん。なんだこれ。つーかさっきより激しくなってる気がするが……。


 ――というか佳織ってこんなに可愛かったっけ?


 目の前にある佳織のつむじから視線が外せなくなっていることにも気づかずに、俺は自分自身に困惑しかできないでいる。思わず目の前にある頭を撫でながら、ようやくあることに思い至った。


「ごめんね、圭一。……例え女の子になっても、圭一は圭一だもんね。最初は圭一がいなくなったと思って……、別人になっちゃったのかと思って……」


 まとまりのない言葉を続ける佳織だが、なんとなく言いたいことはわかる。女になったことで、男の俺がいなくなったとでも思ったんだろう。……いや確かに男の俺はいなくなったが。

 腐れ縁とは言え幼馴染だ。見知った人間が急にいなくなれば、寂しくもなる……かもしれない。佳織に限って……、と思わなくもないが、少なくとも両親を急に亡くした俺にはよくわかる気持ちではある。


「大丈夫だ……。俺は俺だ」


 意外な一面を見せる佳織に、案外可愛いところもあるんだなと思いながら自分の状況を納得させる。……うん、理由がわかればなんてこたないな。俺が佳織にドキドキするとかありえんし。だってあの佳織だぞ?


「……それに着ぐるみパジャマだったな」


 後頭部が見えるように視線を動かすと、佳織の首の後ろにはピンク色のうさぎのフードが見えた。佳織自身はともかく、うさぎのパジャマは可愛かったと思う。うん、つまりあれだな。女になったことで可愛いものを見るとドキドキするようになったってことだろ? 俺自身もいつも通り、何も問題ないはずだ。


「うん……。そうだね」


「よかったね、佳織!」


「これで元通り……、なのかな?」


 今まで沈黙していた静と千亜季が、俺たちのやり取りが一息ついたことを見計らって割り込んできた。

 二人がいることに今更気づいたとでもいうように、佳織が勢いよく俺から離れる。顔が真っ赤になってるが、いつもの佳織と違う行動を取ったからだろうか。


「ま、俺は女になっちまったが……、圭一には違いない」


 自分を落ち着かせるように一言ずつ区切って言葉を口にするが、胸のドキドキはおさまりそうにない。


「そう……だね」


 顔を赤くしながら返事をする佳織に、俺の心の中にあるドキドキは消えることはなかった。

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