白夜(7)

 部屋の前で大声を出したもんだから、療養中の由佳を起こしてしまった。罰として俺はドリンクとアイスクリームのお使いを頼まれた。寮の冷蔵庫はアイスクリームを切らしていたので、ついでに補充しておいた。


「――もういいのか?」


「まだ頭痛がするけど、だいぶマシになった」


 夕食の終わった食堂は静寂が降りていた。その一角でひっそりと照らし出された電球が寂しさを物語る。

 アイスキャンディーの封を開けようとしたが、力が入らないのか由佳は四苦八苦していた。

 代わりに開けてやると、由佳はまず俺の口にアイスを突っ込んだ。それから自分の口元に運び、小さな舌でペロリと、俺が齧ったところを舐めていた。


「あーあ、間接キスだ」


 俺は肩をすくめた。


「その様子じゃ、だいぶ良くなったみたいだな」


「ごめんね、監督。大事な場面でやらかしちゃって。だから今のはそのお詫び」


「ベストだったら良い線言ってたかもしれない」


 思わず漏らしてしまった。こんなことはキャプテンの彼女にしか漏らせない。いや、それも飲み込むべきことだったのかもしれないが。


「うん、私もそう感じた。シフトを変えてから、あるいは後半の出だしは悪くなかった」


「俺たちは対策され始めてて、通用してきたことが通用しなくなってる」


「でも変わろうとしてる。修正もできてる。新しいことをしようとして、前を向けてる。そこだけは信じて良い。誰もまだ諦めちゃいないから。そのことだけは言いたかった」


 由佳が最後までスタジアムに残って試合を見届けたのは、意地や途中離脱した後ろめたさからくる贖罪ではなく、キャプテンとしてチームの状態を把握しようとしていたようだ。

 ただし、後ろを振り返って立ち止まっている奴がいるけれども。


「多分今みたいな壁にぶつかって苦しい場面って、一生ついて回ることだと思う」


「現状維持で満足しているやつなんていない」


「あのさ、監督。もし私が調子悪かったり、戦術的にマッチしなかったら容赦なく外して良いから。キャプテンとか関係なく、その時の最高出力で挑みたい。私はチームが勝ってくれればそれで良い。もちろん、勝利のために貢献するつもりだけど」


「だったら君が欠けないように、体調管理はしっかりとな」


「わかってますぅー」


「そうだ、飯は食ったか? 簡単なものなら作れるが」


「うーん、じゃあ、ミートローフ」


「本格的!」


「じゃあ、おかゆで」


「……ハナからその選択肢しかなさそうだったものだが」


「わーい、監督の手料理。楽しみぃ」


 声色を明るくした由佳はキッチンに入って距離を寄せた。熱中症で弱ったからか、由佳の甘えた様子は珍しい。まあ普段から、キャプテンとして気を張って、多くの情報にさらされているから疲れが出たのだろう。こりゃ、おかゆにたっぷりの愛情スパイスを入れてやろうと気合を入れた時。


「なあ月見」


 と、声をかけたのはイザベラだった。すっかりチームスタッフとして馴染んでおり、今日も選手たちのケアに尽力してくれた。


「どうした?」


「あれ、どうすりゃい?」


 イザベラは窓外を指差し、俺と由佳は覗き込んだ。


 ナイターが点いていた。


「さすがに不味いと思って、止めたんだがな。試合後だし。けど、言っても聞かなくてよー」


 練習場の隅っこで、未だユニフォーム姿の舞が自主練にはげんでいた。


 現状維持に甘んじているやつなんてここにはいなかった。

 限界を感じても彼女はもがき続けていた。

 例えばそれは、泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロのように。

 きっとそれが彼女のペース。

 才能のなさを嘆く彼女はただ練習することで、埋め立て続けてきたのだろう。



 熱帯夜に浮かぶナイターの明かりは、太陽の沈まない白夜のようだった。

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