前年度覇者(2)

 環が倒されて、緊迫したゲームに息が入った。


 ギリギリのだったから逆にイエローをもらうのではないかとハラハラしたが、なかなかの女優だ。


 暑さもあり、選手たちが一斉に水分補給に向かった。ベンチすぐそばで、ドリンクボトルを煽る真穂へ、芒選手が声をかけているのが見えた。


「白井さんだよね?」


「え、あ、はい」


「さっきの――ああいや、抽象的すぎたね。正確には十一分過ぎに君が左ウイングへと出そうとした瞬間――」


 真穂の創造的なプレーが読まれた瞬間のことだった。


「くっきりと感じたよ」


 やっぱりか。


「君ならそうするだろうって。だからまだ君はそこまでの選手」


「えっと……?」


「私は年に一回か二回ほど見える程度だよ。昔はもっと見えたのだけれどね、年齢かな。最近、テンションが上がることも減ってね。今は熟成した技術に頼りきっている。あの景色のさらに向こう側を見たかったのだけれど……」


「芒さんもがあるんですか?」


「へえ、白井さんはそういう見え方なんだ」芒選手は微笑を浮かべた。「ススでいいよ。君なら、多分もっと先へ行ける。今はまだ私の足元にも及ばないけれども。だから、より上を目指すなら、この試合で私に追いつき、そして超えろ」


 長く話し込んでいて、審判がせかすように笛を鳴らした。芒選手は去り際、俺の方を見やり、ふと微笑みを向けた。


 彼女の口元はこう言った。


新陳代謝リジェネレーションの時かな。がっかりさせないでくれよ、月見くん」と。正確に言葉にされたわけではなかったのだけれど、ゆえなのか、確かに伝わった。


 大きなお世話だ。


 ゲームが再開し、由佳のキックはわずかにバーを逸れた。冷静な由佳ですらこの状況に少なからず焦りがあったようだ。


 川崎は一点の貯金があっても前がかりに攻めてきた。この辺り、守備に自信を持つチームゆえの積極性だ。息の根を止めにかかっている。


 芒選手はさらにギアを上げた。こちらが彼女を警戒し、由佳をマンマーク気味につけているのだが、今までよりもワンテンポ早く、寄せる前にパスを散らした。


 テクニックで抜き去られた杏奈だったが、加速力でしぶとく食らいつき、サイドへと追い込む。


 心美との二人がかりで囲むも、股を抜かれ、また10番。一旦、中盤の底に当ててのワンツーで、一気に危険域バイタルエリア


 柔らかいタッチからのループパスは萌の頭を超え、強烈なボレーシュート。


 指先に触れる奇跡で、バーに跳ね返る。


 これを萌が相手を背負いながらも高く弾き返し、香苗が競り合いから環に落とす。いち早く反応した環だったが、相手も一歩遅れたののみですぐに追いつかれた。


 前を向いていた選手は二人。恐ろしい速度で駆け上がった杏奈と、真穂。体勢的に杏奈へのパスは動作がもう一つ必要だ。早い展開なら真穂。


 環の選択は真穂だったが、芒選手のハードコンタクトで再びボールを奪われる。


 再びのカウンター。


 攻めようとした時の連続カウンターはきつい。


 それ以上に、真穂が完全に封じられているのが問題だ。両手両足は自由なはずであるのに、首だけを締められ、息ができぬ苦しさ。攻撃のリズムが作れない。


 芒選手からのスルーパスは味方に合わず、ゴールラインを割った。


「……珍しいですね、彼女がパスミスをするなんて」


「いや、あの人のんだ。今のボールを予期できる選手はそういない」


 だが息が合っていたら二点目だった。


「自分の力を抑えていたということですか……」


 年齢を重ねて経験豊富な芒選手が自らを律しきれないなんてのは考えにくい。もしかしたら、同じ毛色の選手を目の当たりにして、共振作用を起こしているのかもしれない。


 吉と出るか凶と出るか。


 それは本人たちのみぞ知ることであろう。


「アップ、終わったわよ」


 俺は、闘志を燃やす紫苑の瞳を一瞥し、時計に目を向けた。


 前半残り時間十分。


 このタイミングなら後半まで待った方がいいかもしれない――


「――プレス!!」


 真賀田の怒声と、皐月の指示がほぼ同時に飛んだ。


 もはや出し惜しみをできる状況ではなかった。


「行ってこい、紫苑」


「ようやく出番ね。待ちくたびれたわ」


 交代の準備に取り掛かった紫苑と俺は行く末を見届けた。


 芒選手がタメを作って出された今日イチのパスは、架け橋を渡すように綺麗な曲線を描いで、萌の頭を超える。すかさず芽がカバーに入ったが、これをひらりとあしらわれ、皐月との一対一。


 いくら集中している皐月とはいえ、これを止められず追加点を許した。


 元をたどれば、また真穂のところから始まった失点だった。


「由佳、心美! 視野を広く、ワイドに選手を使え!」


 勝ちにこだわるなら、実力差の大きい真穂で勝負をすべきではない。


「……監督、一つ提案があります」


 真賀田の考えはすぐにわかった。俺自身、そのプランをずっと頭の片隅で考えていた。


 ゲーム再開からイシュタルFCは出しどころを探すも、フリーの選手を作れず、DFラインまで下げては何度も仕切り直しが続いた。前半も終盤に入ったというのに川崎の運動量はまったく衰えず、二点のリードがありながら攻撃的な守備で牙を見せる。まったく隙がない。まるで居合の剣豪のような佇まい。隙がありそうでまったく隙がない。こちらが一つでもミスをすれば、すっぱりと喉元を斬られる。


「彼女の成長のためにも、この試合で何かを掴んで欲しいとは思いますが……その、勝ちにこだわるなら、替えるべきかと。準備をさせますか?」


 通用しない真穂の交代。


 勝利への最善手だろう。


「真賀田コーってさ、賭けには強い方?」


「こんな時に何ですか?」


 俺はコインを手にした。


「表が出たら、真賀田さんの考えに従う」


「裏が出たら? 何か策が……?」


 俺はコインを爪弾いた。回転運動をしながら高く上がったコインは頂点へとたどり着き、一度滞空してから落下を始めた。


 俺は空中でコインを握りしめ、表か裏かなんて見もしなかった。


「可変で行く」

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