背水の陣(2)

 オフが開けた火曜日、全体練習が終わり、ほとんどの選手たちがクールダウンに向かう中、中軸三人娘を集めた。


「おーい、月見ぃ、この辺でいいか?」


 イザベラはボールとゴールの間に模型を並べ、声をかけた。


「ああ、設置が終わったらイザベラもこっちに来てくれ」


 真穂、心美、由佳はやや困惑顔を浮かべながら、イザベラが合流するのを待った。


 少し前に、時間をとってイザベラがチームスタッフとして働くことは説明していたし、彼女からも謝罪の言葉もあった。それでも、ほんのりわだかまりは残っており、選手とイザベラとの距離感は微妙なままだ。


「ストレッチは終わったか?」


「ああ、久しぶりにボールを蹴りたくてうずうずしてる」


「じゃあお手本を頼む」


 にこりと親指を立てて、イザベラはキックの準備に取り掛かった。


 キーパーは宮瀬コーチである。プロ経験もある彼女からゴールを奪うのは容易ではない。それでもイザベラの弾丸シュートは、たやすくネットを突き刺したのだった。


 三人娘は小さく「すご」と漏らしていた。


「あたしもまだまだ現役でいけるんじゃないか?」


「代打がサッカーにもあればな」


「じゃあ今度は月見の番だ」


「いや俺は……」


「お手本なら、あたしなんかより、月見の方がよっぽどいいだろ? 気を利かせてくれたのはありがたいが、これからマッサージに洗濯と、あいにく雑用は忙しくてな! あっはっは!」


 高笑いを浮かべながらイザベラはクラブハウスへと去っていった。


「イザベラさんって……」


「あんなキャラだったのね……」


「なんか意外……」


「というわけで、本日はフリーキック選手権を開催します。ルールは簡単、左右の位置から一〇本ずつ蹴って、ゴール率の高かった選手がフリーキッカーの権利を得ます」


「はいはーい。監督。質問でーす」


「はい、真穂くん。なんでしょう?」


「流れに任せて監督のお手本の話が流れているんですが?」


「優勝者には俺とのマンツーマン特訓付きってのはどうだ?」


 その瞬間、朗らかだった三人の目つきが変わった。


「絶対に」由佳。


「負けられない戦いが」心美。


「ここにある!」真穂。


 そうか、お前ら。


 そんなに俺のことを愛してくれていたのか。


「監督との練習は」由佳。


「どうでもいいけど」心美。


「セットプレーで走らなくていい!」真穂。


 お前ら……。


「はっは! いつでもかかってこい! 全部止めてやる! 延長サドンデスだ!」


 宮瀬コーチもやる気十分。


 そんなこんなで、日が落ちていく。





 ナイターの明かりが俺たちの影を幾重にも重ねていた。


「実はね」


 ボールをセットし、涼しい顔で蹴りあげた。宮瀬コーチの手前で鋭く曲がり、またサイドネットを揺らした。


「……ちょ……由佳くん……そろそろ……休憩を」


「あ、大丈夫です。コーチは適宜水分補給してください。限界だったらご自由に辞めていいですよ」


「いや私が……負けるわけにはいかない! まだまだ……若いものに負けるつもりはない! せめて……せめてあと一本を……止めるまで私は負けない!!!!」


「あの人、しつこいわね」


 しつこいというか、容赦がないというか。


 結果から言うと、由佳の圧勝だった。左右合わせて二十本中、真穂が三割。心美が五割。宮瀬を相手にして、心美の数字は高い方だ。対して由佳は八割と言う驚異的な数字を叩き出して、宮瀬コーチのプライドをへし折ってしまったのである。


「キックだけには自信があるの。でもまあ、パスセンスとかさ、状況状況の判断スピードとかでは心美に負けるけど。これだけは誰にも負けないって思ってる。私の唯一の拠り所だから」


「でもさ、由佳はこれまで合わせる方が多かったよな?」


「そりゃ、私が一人で点取るよりも、香苗に合わせて得点とアシストが付けば、契約に有利でしょ?」


「……腹黒いな」


「止まっているゴールの的を狙うより、動く香苗に合わせる方が楽しかったから」


「そう言うもんか? ゴールした方が気持ちいいだろうに」


「そうね。前の試合はその気持ちを思い出せた。あと……」


 言葉を切った由佳は再びボールを蹴った。俺の目から見ても、明らかに手を抜いている。流石に疲れたのもあるだろう。


 宮瀬の正面にボールが収まった。


「舐めとんのかぁ!? 由佳くん! 今のはノーカンだ! こんな腑抜けのボールを止めたところで私の威厳は回復しない!」


「……いやもう私も限界なんですけど」


「じゃあ明日だ! 明日も特訓やるぞ!?」


「仕方ないですね。仕方ないから付き合ってあげます」


 そう言って、由佳は俺にボールを寄越した。


「で、いつになったら監督の特別レッスンをしてくれるの?」


「教えることなんてないと思うけどな。十割のキックを成功させるやつなんていない」


「実力とは思ってないよ。宮瀬コーチって、左腕を怪我して引退したから、左側は入りやすいってだけで」


「そこまで分析してたのか」


「私は勝つためなら、汚いことも考える。でもま、ルールの範囲内でだけど」


「言っとくが」


 俺は芝生の感触を確かめながら位置についた。


「全盛期ほどは蹴られないぞ?」


「構わない。監督と二人っきりってのが良かったから」


 一瞬、思考が白くなって、俺は振り返る。


「ほんと、監督って可愛い。女の子と付き合ったことないでしょ?」


「……からかったな?」


「どうでしょうねー」


 ニコニコ笑顔を返す由佳の腹の底が読めなかった。


 ともあれ、雑念を払い、俺はボールを蹴った。


 ダイビングして、起き上がった宮瀬は悔しそうに芝生を叩いていた。


「チクショウ! 二人して私をいじめて楽しいですか!? こんな気持ちになったのは現役時代以来です! ちょっと山に修行行ってきます!」


 宮瀬は素早い足取りでグラウンドをあとにした。明日までに戻ってくるのだろうか。


「まだ現役でいけるんじゃない?」


「かもな。けど、俺はもう腹をくくった」


「それって……」


「ああ」


「どうして?」


「君らに出会ってしまったから」


 由佳はまぶたを叩いて、俺を見据えてしばらく。


「……ほんと、そういうとこ嫌いじゃない」


「似たような境遇だったからかもな。行き場がない俺を佐竹さんが拾ってくれた。君らは結城に捨てられた弱小チームだった」


「義理ってやつ?」


「どうだか。俺に何かできると思いたかった。ほとんど何もしてないが、君らとサッカーできるのは楽しい。それだけさ」


「私も」


 由佳は少し笑い、優しく呟いた。


「私たちも監督に……ううん、月見健吾に出会えて良かった。あなたのおかげで私たちはここまでこられた。絶対勝てないって思ってたTGAにも勝ったりして、いろんなものをもらった」


「惚れるなよ」


「もう惚れてる。お互いに、でしょ?」


 俺たちは肩をすくめ、笑いあった。


「ところで、中盤の底だが」


「うん、不思議と居心地がいい。ようやく自分の場所が見つかった気がする」


「ならいいんだが。無理はするなよ。やりたくもないポジションをやったっていいパフォーマンスは引き出せない」


「無理だってしたくなるよ。監督のため、チームのためなら。でも、今はもっと上に行ける気がしてる」


 最近、彼女たちの顔を見れば、嫌かそうでないかくらいはわかるようになってきた。今の由佳は嫌な顔をしてない。


「由佳、これからキッカーを含め、キャプテンも任せていいか?」


「私じゃないとダメ?」


「もちろん」


「じゃあ仕方ないから任されてあげる。監督のためだもんね」


 今日の彼女はとても表情豊かだった。

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