帰郷(5)
最初にボールをエスコートしたのは大阪だった。
予想ではサイドを使ってくるかと思ったが、中央でドリブルのタメを作ってからの、スペースズドン。
相手のCFと、最終ラインの芽との競り合い。両者ハードコンタクトで骨と骨との打つかる音が聞こえてきそうだった。CFの9番は身体が大きく、鋼のような筋肉を鎧っている。芽は一回り小さな身体であったが、当たり負けはしていない。
9番は苦しい体勢からでもミドルを放った。しかしコースを限定しており、キーパー正面。
皐月のパントキックから、香苗と相手CBとがヘディング合戦。真穂に落とそうとするも、厳しい競り合いでルーズボールになる。
真穂とDMFとが衝突し、小さな真穂は吹っ飛ばされた。笛はなし。
「――さすがにフィジカルでは真穂は不利ですね」
成長期の今にあまり高くないってことは、今後もサイズアップはあまり期待はできないだろう。
「真穂にとっちゃ、自分よりでかい相手との球際の競り合いは一生ついて回る問題だ」
大阪の選手は、とにかく当たりが強かった。そして、全体的に足の速い選手が揃っている。
このスピードとフィジカルを活かした速い攻撃がレッツ大阪の十八番。
印象的には、イングランドサッカーと似ているところがある。
俺がかつてプレイしていた場所と。
そう思えば、なぜだか細胞の奥がくつくつと煮えるような感覚さえ覚えた。
今度はサイドへ散らし、大阪はワイドにボールを動かした。
「……左サイドを使ってきませんね」
大阪の左サイド――つまり俺たちにとっての右サイド。
「向こうも杏奈の爆速には警戒してるってことだろう。右での陣取り合戦をすれば、否応でもスタミナを削られる」
すると、当初の予定にあったゲームプランが、早めの対応を余儀なくされるのだ。
勝負の鉄則は、必ず勝てるポイントでイニシアチブを取ること。
「相手の左SHの先発はスタメンを変えての、守備の上手い選手ですし、今日は杏奈がキーマンになると考えていたのですか?」
逆を言うと、こちらの攻撃では杏奈が主軸になるだろう。
中央に戻そうとしたボールを、DMFの桐生彩香が攻撃的な守備でインターセプト。一気に右サイドへと送られ、環が受ける。インターセプトからほぼ同時に駆け上がった杏奈を囮に使い、環自身がボールをキープ。DFをあしらい、一瞬の隙をついたところで、センタリング。
DFの反応が遅れたのはもちろん、香苗ですらも一歩が遅く、惜しくも合わずに逆サイドを割った。
「……今の、完全に誰も反応できてませんでしたね。というか、環はあんなに上手かったですか?」
「俺も初耳というか……」
環への印象は覆されてばかりである。
もしかしたら全員が思っている以上に、持っているのかもしれない。あの性格だから、相手を出し抜く術には長けていることは考えられたが、底が知れないというか。
いや、努力家という印象だけは間違っていないのかも知れない。
「彼女のセンスは抜群にいいですよ」
と、宮瀬コーチが目を細めながら言った。
「環くんには独特の世界観がある。ゆえにチーム戦術にあまりフィットしないところがあります。彼女の見る世界は早すぎるんですよ。彼女自身ですら、自らの理想に体が追いついていなかった。ですが、積み重ねてきた時間は決して無駄じゃないということです。ベンチに甘んじて腐ることなく、宮瀬流ブートキャンプを心美くんとこなした環くんには今、自分だけの世界を描く表現力が備わった」
再び、環へとボールが渡る。
「紬くんが天性のドリブルで突破力を売りにするボールの支配者だとすれば、環くんは人を手玉に取る女王さまと言えましょう。……そう、まるで戦場を支配する鬼将軍のように。いえ、猫将軍でしょうか」
宮瀬コーチの表現力も独特というか。
しまらねえなあ。
とはいえ。
環がキープして絶妙な溜めを作ってくれるおかげで、快速杏奈が仕事をしやすくなった。相手DFを追い越して、新幹線――リニア――いや、ジェット機のように離陸した杏奈を止めるものはいない。
一人独走から相手DFがフォローに回ったとき、中へ速いボールを折り返し、香苗の足元。きっちりミートして振り抜くが、わずかにゴールを逸れた。
大阪ファンの、万の声がどよめきを漏らす。
香苗は悔しそうに芝生を叩いて、杏奈を褒めるように親指を立てていた。
「完全に噛み合いはしませんね。今日の香苗はやや精度を欠いています」
「あいつは考えすぎるきらいがあるからな」
完全に抜け出したキーパーとの二対一の場面で、杏奈が取るか、自分が取るかとでも考えてしまったのだろう。無駄なことなんて考えなくていいのに。
そういう意味じゃ、香苗はまだエースに遠い。
前半戦の中盤から終盤に至るまで、両者鋭い攻撃を見せるも、互いの守備と運に救われ、硬直した展開が続いた。
「今日はもっと、ノーガード戦法で点の取り合いになるかと思いましたが……意外というか、共にもどかしいですね」
「言ったろ? 攻撃は最大の防御だって。パンチ力で殴り合いをするボクサーの試合で、一番怖いのは一発ノックアウトだ」
「一点の重み」
「点を取れるチームが先制点を取られるって意味はでかい。是が非でも点を取りに行こうとすればドツボにはまる」
ある種、俺たちがシーズン開幕から負けが込んでいたのもそれが一因だ。
点を取りたい気持ちが先行して思考が単調になると、無意識が確立を優先してしまう。つまり、自分たちの得意パターンを使おうとする。しかし相手は当然研究している。要するに守りやすくなる。それが相手のカウンター戦術にはまってしまい、重いパンチが何倍にもなって自分に返ってくる。
「いかに九〇分冷静さを保っていられるか。崩せない相手をどう倒すか。考えを煮詰めた奴が均衡を破る」
試合終盤、大阪は身体能力を生かしたスピードサッカーで攻め立てる。アディショナルタイムが示すのは一分。ボールの切れないゲーム展開が続いて、走り通し。
速度が落ち始めていた。
しかし何年もリーグ上位常連だけはある大阪の底力は驚異的で、衰え知らず。
シュートを皐月がかろうじてそらすもコーナーキック。
残り時間、分もない。
ラストワンプレー。
ここを抑えるかどうかでチームの精神力が問われる。
空中戦を制したのは大阪だった。
俺たちはまだ、狩られる側。
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