帰郷(3)
ここ最近、クラブハウスでの寝泊まりが続いていた。
敗因の分析、次節の対策をするため、試合映像を見るだけなら家に帰ってもいいのだろうけれど、ちょっと目を離すと、寮の選手たちがこっそり練習を始めるのだ。
勝てない不安を練習に打つけたくなる気持ちはわかる。それでもプロならベストコンディションを作るのも重要な仕事であるし、結果的に怪我をしないことの方が時間を無駄にしなくて済む。とはいえ、今回のTGA戦は練習をする気も起きないほどダメージはでかかったようだ。
加えて本日は雨。
さすがに外で練習するバカはいないと思ったが、バカが一人いた。
事務所の窓を開け、ラントレする杏奈に声をかけようとしたところで辞めた。
俺にそれを言う資格はなかった。
曲がりなりにも杏奈だってプロだし、自分の限界はわかっているだろう。
そう、わかっているはずなんだ。むしろわかっていなかったのは俺の方だったろう。
TGA戦の前半で見せた彼女の気迫は、「まだやれる」「もっとやらせてほしい」ってな意思表示だった。杏奈は思っている以上にガッツの豊富な選手で、負けず嫌いなんだろう。
本当は使ってやりたかった気持ちもある。
根性論でなんとかできるなら大いに活用すべきでもある。一方で、自分が怪我をして現役を去ったからこそ、同じ道は歩んで欲しくないと思った。
何が正しいかなんて俺にもわからない。
頑張れも、頑張るなも両方違う気がした。
最善なのは、選手一人一人に対してメンタルトレーナーとフィジカルトレーナーをつけられたらとは思う。そう言う意味で足りないものは多すぎる。
「――なあお前さ」
次の周回で眼下を通った杏奈へ声をかけた。
「思ってることがあるならちゃんと言ってくれ」
杏奈は睨むように俺を見上げた。
「監督に何がわかるって言うんや?」
「わかんねえよ。わかんねえから言って欲しいんだ。意思表示する奴は嫌いじゃない。周りとか他人のこととか全然考えなくて、自分の欲望だけ言う奴も嫌いじゃない。でも多分、お前はそういうこと考えてしまう性格なんだろう」
閉口して俯くと、雨合羽のフードが陰を作った。
「俺にはお前の限界がわからない。だから、強がりとかじゃなくてさ、ちゃんと正確な状態を言ってくれ。TGA戦、正直杏奈がいて欲しかった」
カッと瞠って、杏奈は声を張り上げた。
「なら、監督もそう言ってくれたらよかったやん! ウチが必要やって、ウチは言ってもらいたかったんや! そのためにウチは頑張った! ウチには足しかない! だからそれを活かせるよう死に物狂いで戦っとる!」
ぎゅっと心臓を掴まれる。
「真穂とは親友で、ライバルで、ずっと一緒にやってきた! ずっと一緒にやれたらなって思ってた! でも監督が来て、一年目のシーズン、真穂よりもウチが先にデビューできたのはめっちゃ嬉しかったんや! 監督に認めてもろて、真穂に先んじたことが嬉しかったんや! だから、もっとウチは監督の期待に応えたい思とった!」
競争心はスポーツ選手にとって当たり前。
「でも、真穂には抜群のセンスがあって、ウチなんかよりもずっと期待されてるのがわかる。苦しい時、いっつも監督は真穂に声かけてる……ウチもあんな風にされたかった」
「何言ってんだバーカ。今似たようなことしてんじゃないか」
「ちゃうわ! ハーフタイムとか、皆がいるところでチヤホヤされたいんや!」
目立ちたがりめ。
「ウチ、ちっぱいやし、ちんちくりんやし、中心選手やないし、目立てへんけど……それでもスター扱いされたいのは求めすぎなんか!?」
「お前、どんだけ主人公になりたがりなんだよ」
「誰かって、主役になりたいやん!」
俺はため息を吐くと、
「もう練習は切り上げろ。上がってこい。マッサージしてやるから」
「……そっちに誰かいるん?」
「いや?」
「それってエロいやつ?」
「お疲れでしたー」
「ちょま! 冗談やん!」
ツインテが解け、髪の濡れた杏奈はやけに色っぽく映った。しおらしく黙っていれば、別人かと思うほど、美人だと改めて気づかされる。
事務所に上がってきた杏奈は、雨合羽を脱ぎ、ジャージ姿になるとソファに横たわった。
早速俺は杏奈の足をねぎらうことにする。
「あふん。そこが気持ちええわ。もっと激しくして?」
「……お前なあ」
「たまには監督を独り占めさせてや。最近、佐竹さんや真穂っちと一緒に部屋でご飯食べることもなくなったんやし」
杏奈は寂しげな色を目に浮かべた。
真穂が寮に入ってから、四人で集まることはほとんどなくなった。昨シーズンの前半、勝利に酔いしれる時は多々あったが、後半に入って、真剣モードになっていくほど数は減ったし、何より、俺は対策やらでクラブハウスに閉じこもることが多くなっていた。
「あの時間、結構好きやってんで」
俺だって。
「……悪かったな。最近は俺も自分のことで手一杯だった」
「それってウチだけに見せる弱み?」
「かもな」
「なあ、監督。突っ込んだこと聞いてええ?」
「お前はいつも突っ込んでくるがな」
「その……監督は紬んのこと、ほんまはどう思ってたん?」
虚を突かれて、俺はぽかんとした。
「……なんで紬の話が出てくる?」
「はたから見れば、まんざらでもない感じなんかなーって。でも、監督は佐竹さんにもエロい目してたし、こいつ浮気性やなって思とった」
「……」
「てゆか、皆んな可愛いもんな。男やったらそりゃ鼻の下伸ばすやろ」
「いや、俺は……」
「紬ん、今頑張ってんねんやろな」
「結果、見てないのか?」
「見れるわけないやん。自分より凄い選手のこと目の当たりにしたら、押し潰されそうになってまう……」
杏奈はうつ伏せて、ボソボソと言った。
「あいつも杏奈も必死なのは変わらないさ。場所こそ違えど、皆んな頑張ってる」
「ウチ、追いつけるんやろか。いつかまた紬んと一緒のコートでサッカーできるんやろか。なんで監督は紬を止めてくれへんかったん? 紬んが居てくれたら、ウチらはもっとやれるはずやのに……」
俺が感じていた以上に、紬の存在はチームにとって不可欠だったのだろう。
「俺はさ、杏奈。根性論は嫌いだが、杏奈みたいな根性娘は嫌いじゃない。そういう選手も一人は必要だ」
「それって告白と受け取ってええん?」
「好きにしろ」
「じゃあ付き合う?」
気だるげに顔を向けた杏奈は虚ろな視線をくれた。
今日の杏奈はやけに色っぽい。
「冗談にしても、返しやすい冗談を言ってくれ」
むくりと身を起こした杏奈は苦笑を浮かべた。
「まあ、今のは冗談にしても、月見健吾に皆んな憧れてたのはほんまなんよ」
いつものハイテンションな様がなりを潜め、たおやかな杏奈を見るのは初めてのことだった。「ウチな」
言葉を探るように間を開ける。
「結構寂しかった」
杏奈の横顔は儚げだった。
「ウチ、関西出身やろ? 地元離れてユースに入った時から寮暮らしで、こっちに来た時は枕濡らすこともあった。あ、エロい意味やないで? あと、これ内緒の話やから」
彼女が自分のことを話すのは珍しい。
しおらしい杏奈を見るのも珍しい。
「でもま、一緒にやってきた仲間もおるし、孤独でもなかった。せやかて、お母ちゃんに甘えたい時もあった。ウチはまだ子供やし。でも皆んなはちょっと走ればお母ちゃんやお父ちゃんのとこ行けて、羨ましいなあ思とった。ウチは新幹線乗っても何時間もかかる。シーズンオフしか会いに行かれへんし、お父ちゃんもお母ちゃんも共働きでなかなかこっち来られへんしな」
だから、と呟いた杏奈は俺の袖口を摘んだ。
「ちょっとだけ甘えさせて」
頭をもたげ、杏奈は肩を借りた。
「ウチ、ずっとこの日を夢見てた」
二人っきりになることだろうか――そんな期待はすぐに裏切られる。
「来週のアウェイ、途中交代なんてしたら、しばきまわしたるからな」
あ、と俺は小さく漏らす。
大阪だ。
「でもま、勝負の世界に人間ドラマなんて見せんでもええよ。ウチが使いもんにならへんかったら容赦なく替えるべきやし、それが監督の仕事やし。でも、そうならへんように、今日まで頑張ってきた。……つもり」
「ズルイよな。試合前にそういうこというのは」
「よう目立つように髪、染めたろかな」
「いいなそれ。金髪にするか?」
「金髪ツインテペチャパイとか、狙いすぎやろ」
「それでいて、コテコテの関西弁も逆に狙いすぎだな」
「ヒロイン枠狙ってるんやで」
「結構杏奈ファン多いと思うけどな。ほら、横断幕とかいっぱい二つ名があって、人気者じゃない?」
「右サイドの快速ってやつが一番腹たつわ。ウチ電車ちゃうし! 新幹線やし!」
「両方似たようなもんじゃね?」
「こっちじゃ、特別快速っていうのがあるねんな。関西じゃ、新快速なんやで」
「どうでもいいな」
「ウチは特別で、新しい快足になりたい」
「いつも頼りにしてるぜ、ゴールデンルーキー」
翌日、杏奈は金髪に染めていた。
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