それぞれが背負うもの(4)

 蝉のうなる蒸し暑い八月。


 夏休みが本格化して学生の選手たちは、ほとんどが寮で寝泊りをしていた。午前中は食堂を占拠して、夏休みの宿題をしながら次回の対戦相手の自主的に行い、全体練習が始まる前にはコーチ陣とコンタクトを取り、自主練のメニューを相談する場面が多々見受けられた。


 現在、イシュタルFCは四位に浮上していた。TGAが首位なのは変わらず、三ゲーム差で二位に宮崎と仙台が共に勝ち点差なしでつけている。そこから二ゲーム差離されて俺たちは四位。しかし五位とも勝ち点差は2しか違わず、TGAを除いた上位は混戦模様だった。


 上位チームは格下相手に負けることはなく、リーグ後半が始まってから勝ち点差は平行線のままだった。


 昇格には、上位二チームが自動的に選ばれる。そして三位とから六位までに加えての一部のワンチームを加えてのプレーオフ。昇格を決めるには、三連勝を決めなければならない。リーグをフルに戦ったあとのトーナメントは厳しいものがある。


 最低でも二位で終わりたい。


 ともすれば、上位との直接対決で競り勝たねばならなかった。TGA、仙台、宮崎、どれも前半の時よりパワーアップして一筋縄ではいかない。


 そんなことを思っていると、青白い顔をした紫苑が駆け寄ってくる。彼女は雑誌を俺に突きつけた。


 いぶかしみつつ、週刊誌を開いた俺は言葉を失った。


 二枚の白黒写真が掲載されている。


 一つ、誕生日会の日の夜、由佳と握手を交わした場面。そしてもう一つは、飛行機の中で紫苑を抱き寄せる俺の姿がしかと写されているのであった。


 内容は見るまでもなかった。根も葉も無い憶測で語られている。


 ふと背後で気配がする。


「月見監督。わかっているね?」


 佐竹氏の顔つきは、非常に険しいものだった。





 まず、クラブとしての対応は、実態の聞き取り調査という名目だった。そのため俺は事情聴取が終わるまでの期間、謹慎処分を言い渡された。連日、クラブハウスや、どこで嗅ぎつけたのか自宅前まで押し寄せ、マスメディアの姿は絶えず、またテレビを付けても、『月見監督のセクハラ疑惑』で持ちきりだ。


 朝から晩まで電話が鳴りっぱなしで、佐竹親娘はこの対応に追われていた。また練習中にも関わらず、選手へのインタビューが行われた。この騒ぎにコーチ陣は練習場の締め出しを断行したが、それでも足を踏み入れてくる記者はいたそうな。


 クラブとしては俺をかばってくれていたが、雲隠れする俺に対しての非難は日に日に厳しい論調になっていた。


 そして土曜日。


 俺は自宅から衛星放送でイシュタルFCの試合を観戦することとなった。夏希はチームに帯同し、俺は一人、申し訳なさを感じながら試合開始のホイッスルを耳にする。


 彼女たちが異性だということを忘れていたのは否めない。軽率なことをしてしまった反省もある。それでも自分が間違っているとは思えなかった。もっとも、一番被害を被っていたのは紫苑だ。密会疑惑を課せられ、メディアでの仕事が激減したと夏希経由で聞いた。


 試合の方は、苦しい展開が続いた。画面端に映る真賀田、宮瀬両名が怒鳴り声をあげている様子が見て取れた。


 今まででは見られなかったイージーミスを連発し、試合開始早々失点を許してしまう。


 拳を握る。


 今すぐ彼女たちの元へ駆け込んで、プランを示してやりたい。だが今日はアウェーゲームで今から空港に飛んでも、試合は終わってしまう。——電話するか?


 そう浮かぶが、果たして俺にその権利はあるのだろうか。メディアの言葉を借りれば、重大な背任行為だ。俺は信頼を失った。そんな監督の言葉が届くわけがない。それに、結局のところ生の現場で戦うのは彼女たちだ。監督がやれることと言えば、せいぜい道を示すことくらい。それが誤っていたともなれば、監督をする資格はなかった。


 また、マークの受け渡しがかみ合わず、失点を許して前半を折り返す。

 脳裏にはロッカールームの光景が浮かんだ。


 たぶん香苗は吠えている。俯いている選手たちにかつを入れているだろう。真賀田が後半の指示を出すも、紫苑や紬、それから真穂といった天才肌たちは聞く耳持たずで、由佳が彼女たちをそっと叱る。心美は、あんぱんをかじるかどうかで煩悶はんもんし、木崎姉妹はお互いの修正点を話し合っているだろう。意外にチームがバラバラな時、動じるのが杏奈だ。きっと、面白いことや上手いことを言おうとしてもぞもぞしている。でも結局、何も言わず、後半の時間が迫り、『ほな行くで!』と空元気を見せるのだ。


 そんな光景を想像すると、悔しさや情けなさよりも、安堵を感じられた。


 きっと、俺がいなくても彼女たちは大丈夫だ。

 監督がそう信じてやらなくてどうする。


 ピッチに帰還したイレブンを、俺は一人ずつ確認した。メンバーの交代はなし。けれど彼女たちの顔つきはガラリと変わっていた。


 空腹を剥き出した十一匹の獣。


 ゲームが再開する手前、イレブンは円陣を組んだ。


 カメラの向こうにいる俺に見せつけるように。

 ベンチも含めて皆、一本指を天高く掲げていた。





 後半、まず右の翼が羽を広げた。


 柔らかいボールコントロールでサイドを舞うと、紬はそのままゴールめがけてドリブルを続けた。が、相手に奪われる。カウンターを食らい、自陣中央でボールを持ったFWに対して彩香は厳しいスライディングを浴びせた。


 当然イエロー。下手をすればレッドでもおかしくない当たりだ。


 合わせてきたフリーキックを、キーパーがかろうじて触り、コーナーキック。しかしここでも小競り合いが起こり、審判が注意をうながしていた。


 萌がボールを弾き返し、真穂から紫苑にボールが渡る。すると彼女はトップスピードに乗り、一人二人とかわして、ミドルを放った。だがこれは大きくゴールを逸れ、紫苑は地団駄を踏んで悔しさをあらわにしていた。


「あいつら……」


 次にボールを持った香苗は長く時間をかけて高い位置でめを作るも、持ちすぎて奪われ、カウンター。これをあっさり決められ、三失点目。


 普段球離れの早い真穂ですら、無謀なドリブルを果敢に挑み、弾き飛ばされる。


「どうしてそんなスタンドプレーを……」


 皆、自己主張の激しい個人技ばかりで、攻め入ろうとしていた。しかし一辺倒な攻撃は当然読まれて、あわや失点という場面に直面する。


 彼女たちが何か伝えようとしている気はしたが、読み取れはしなかった。


 しかし次第に両ウイングの個人技が、相手ディフェンスをこじ開け始めた。


 紬が華麗なドリブルから香苗に華を持たせてやると、紫苑は普段しない守備に走り回ってボールをカット。秒殺で二点目を返す。


 再開後、彩香がインターセプトし、心美からサイドへ繰り出されたボールを杏奈が受け、クロスを上げた。これを香苗が落として、真穂のオーバーヘッドキック。


 ディフェンダーの死角ブラインドから飛び出したボールはネットを揺らし、同点弾。


 その後、個人技に頼った猛攻が繰り返されるも、次の追加点は遠かった。


 試合後、リポーターが試合の総括そうかつをする中、駆け込んできた紫苑がマイクを奪う。


『あ、ちょっと——』


『見たでしょ、月見』


 画面の向こうから呼びかけられて俺はどきりとする。


『これが限界。あなたがいなくちゃ、引き分けが限界。才能を全部吐き出して、それでも私たちはまだその程度なの。今までの勝利は全部あなたが導いてくれた。あなたが私たちを信じて、皆が活きるように考えてくれたから、勝てた。少なくとも私たちにはあなたが必要だった。外野が何を言おうが、私はあなたなしじゃ輝けない』


『それは宇都宮選手、月見監督との仲を認める発言で——』


 紫苑はアイアンクローをかました。


『黙りなさい、ブス』


 リポーターは蒼白して絶句。


『世間は知らないでしょうけれど、私、相当性格悪いから。夢見ないでくれるかしら。いいえ、ここにいるのは一癖も二癖もあるサッカーバカ。そんな連中をお綺麗な言葉で取りまとめようなんて無理があるわ』


 すると紫苑はカメラの向きを変えた。


『ウガァァァァァア————————っ!!!』


 カメラを向けられた香苗は敗北の悔しさに、素の怪獣を出していた。


 その背後では、グラウンドに現れた蝶を追いかける真穂に、ベンチで睡眠を取る紬。心美は素なのか演技なのか、芝生を食み、杏奈に頭をどつかれていた。


 マイクを奪った由佳が、木崎姉妹にインタビューする。


『今日は残念な試合でしたね。敗因を伺っても?』


『今日はいつもいる監督が』萌。


『お空から見守って』芽。


 二人は涙ぐむ。

 手には、遺影。


「俺死んでねえよ!」


 思わず画面に突っ込んだ。


 カオスだった。なぜそんなことをしているのか、俺にはさっぱり検討もつかない。


 すると由佳が疑問にこう答えた。


『皆んな、。だって世界最高の選手で、世界最高の監督の前で、醜態しゅうたいは晒せない。勝てば、監督笑ってるから。私たち、勝つためならなんだってする。ギリギリプロだった私たちを拾ってくれて、ここまで強くしてくれたのに、なのにいろいろ言われて可哀想なあなたを、私たちが最高の監督にする。だからそれまで側にいて。一緒に優勝しよ』


 いつの間にか、チーム全員が枠の中に収まっていた。


「お前ら……」


『私たちは、人としても選手としてもまだまだ未熟です。ですから、ご指導ご鞭撻べんたつのほど、どうかよろしくお願いします』


 ベンチ入りを含めた十八人が揃って頭を下げた。


 俺は、涙を堪えるのに必死だった。

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