それぞれが背負うもの(2)

 週が明け、リーグ後半戦はアウェイでの一戦から始まった。


 愛媛ドルフィンFCはリーグ前半で悔しい敗北をきっした相手だ。だが相手も当然進化を止めることなく、苦しい立ち上がりが続く。


 好きなことをさせてもらえない。攻撃のリズムに乗り切れず、カウンターを食らった。幸いにもポストに命拾いしたが、幸運は何度も続かず、一点ビハインドで前半を折り返す。


 スタメン発表の時にも一悶着はあったが、とうとう我慢できなくなった香苗が俺に食ってかかった。


「監督もわかってるでしょ!? 攻撃のリズムの悪さは、連携の悪さだって!」


 原因をひも解いていけば、まだ紬がスタメン復帰していないところにある。足の具合はほぼ完治と言ってよかったが、大事をとって今回もお休み。その代わりに右ウイングに入った紫苑に対してのバッシングだ。


 香苗、と真賀田コーチが窘める。


「他の監督は知らないが、俺に対しての監督批判は大いに結構。納得できないならどんどん意見を打つけろ。だがな香苗。いや香苗を含めて全員だ。君ら、いつまでコートに私情持ち込んでる?」


 前半で俺たちが放ったシュートは一本だけ。それは紫苑のものだった。キーパーのファインセーブに阻まれたが、普通なら入っていた。


「血の気の多いスポーツ選手だから、馬の合う合わないはあるだろう。だからってコートに感情持ち込んで自滅しちゃ世話ない。言っておくが、紬が出られない今日、能力的に代わりになるのは紫苑だ。いや、断言しよう。俺は紬が復帰しても紫苑を使う」


 香苗は唖然としていた。


「じゃあ監督は、あいつが言っていることが正しいって言うんですか!? あいつの肩を持つってんですか!?」


 視線は、ロッカールームの端にいた紫苑に向けられた。しかし彼女は音楽プレイヤーで蓋をして、雑音を耳に入れてはいなかった。


「それが私情だって言ってる。君は何のためにここにいる?」


「勝つためです!」


 この問題を解決するには時間がかかる。香苗の見ている〝次元〟と紫苑が抱えている〝次元〟はまったく違うのだ。しかし紫苑に残された時間はあまりない。


 そう思っていると、真穂は紫苑の隣に腰掛け、ツンツンと肩を突いていた。初めは無視されていたが、しつこい真穂に呆れて、イヤホンを外す。


「ねね、紫苑ちゃん。それ、何聞いてるの?」


 言葉は返さず、紫苑はイヤホンの片方を真穂に預けると、またイメトレに戻っていた。


「へぇ〜、紫苑ちゃんってこういうの聞くんだ。ロック?」


「ファンク」


「あ、でも。なんかわかる。テンション上がってくるね」


 真穂にはピッチ以外でも不思議な力があるかもしれない。で彼女はわかっていた。由佳のような計算が悪いわけじゃないが、天才肌の感性は天才肌でしか感じ取れないのだ。


 それから後半への指示を出し、イレブンをコートに送り返す。


 試合の方は、ちぐはぐなリズムが拭えないまま。

 立ち上がり、危ない場面に肝をつぶした。


 ペナルティエリア内、「ゴールは硬い」という距離でシュートを放たれるも、アグレッシブに飛び込んだ彩香がスレスレで軌道をらしてくれ、コーナキック。これを芽が弾き返して、真穂がボールを持つ。真穂は、ディフェンダーを背負いながら、ロングカウンター一本。


 綺麗な放物線を描いてボールはすっと紫苑の足元に収まった。切り裂くような風に乗って、紫苑はコートの半分を疾駆しっくすると、ゴールネットを揺らした。


「……口で言うだけのことはありますね」


 真賀田が口にした。


「今のは真穂に感謝すべきだな」


 わかっているのか、ゴール後、紫苑は真穂のところへ寄り添って、照れ臭そうに頭をわしゃわしゃしていた。


 ゲームが再開される手前、俺は真穂に「紫苑だけに出せ」と告げた。すると彼女はキョトンとしながら紫苑を視界に入れていた。


「なんかね、監督とプレイしたらこんな感じかもしれないって思うんだ」


 言い置くと真穂は飛び跳ねるようにピッチへ戻っていく。


 同点になって相手は攻め気を見せてきた。身を削ぐような鋭いサイド攻撃から均衡を破ろうとするも、木崎姉妹の一歩先を読んだ反応で落下点を先取り。ことごとくクロスを跳ね返す。


 そして、短いパス回しから再び真穂がボールを持った。


「……監督は」真賀田は険しく眉を寄せ、納得できかねる様子だった。「我々に新しいサッカーをさせる為に紫苑を?」


 真穂から速いボールが放り出され、いち早く反応した紫苑がサイドを抉る。


「硬い守備の現代サッカーで、もっとも最短で点を取る方法。それはカウンターだ」


 これに必要とされる選手は、足の速い選手。フィジカルが強く、そして足元の技術もある選手。


 右サイド、スピードを殺さないまま跨ぎシザースフェイントから、紫苑は一気に危険バイタルエリアへ切り込んだ。相手選手は思わず手が出て、フリーキックをもぎ取る。しかし紫苑は悔しそうに倒した選手を睨みつけ、一触即発。間に入った真穂が宥め、陣取りが始まった。


「直接狙えますね」


 キッカーは心美が立った。嵐の誕生日会以来、またブートキャンプにヒイヒイ言っていた彼女だが、まだ体重は落ちきっていなかった。


 フェイント要因に真穂が走り、ボールには


 低弾道で放たれたシュートは決してスピードがあったわけではないが、壁の外側を超え始めたところから、揺れた。


 無回転時、マグヌス効果で流体に引きずられ、ボール後方に生み出されたカルマン渦がその軌道を無秩序に乱す。


 反応の遅れたキーパーが横っとびするも、ゴールサイドにボールは吸い込まれた。


 決して偶然ではなかった。


 一週間ほどの短期間で、真穂は自分の武器を増やそうと練習していたのだ。スピードもフィジカルもない彼女にとって、技を増やすのは生存戦略だ。恐ろしいのは、短い時間で自分のものにしていく彼女の成長スピード。


 イシュタルFCに絡みついて結び目を作っていた複雑な糸は、小さな魔法使いによって微かに保たれていた。


 そして試合終盤、コーナーキックからの混戦をなんとか防ぎきり、俺たちは2-1で勝利した。


 勝つには勝ったが、すっきりとしない勝利ではある。


「まあ、ブサイクでも勝ち切れる、これが我々の今の強さかもしれません」


 真賀田は楽観的に言ったが、俺はただ運が向いただけだと見ている。もちろん、その運を手繰り寄せた選手がいるのだが、その二人を一〇〇%活かしきれていない。




 試合後、反省会とミーティングそこそこに、選手たちはバスに乗り始める。


「おーし、皆んなそろったか?」


 すると、香苗が舌打ちしてあごをしゃくった。「あいつ、また勝手なことを」


 窓外に目を向けると、紫苑がサインに応えていた。俺は夏希にあとは任せることにして、スタジアムの方へ向かった。


「あ、月見選手だ!」


 子供が声をあげ、バリケードに集まる。


 俺は紫苑の隣にサインを書き、ボールを返した。その内に大人のファンも集まってきそうになったので、紫苑を回収してタクシーに乗り込んだ。


 俺は運転手さんに空港までと告げる。


「私、これから撮影なんだけど」


「んなもん、ブッチしちまえ」


「バカ言わないで」


「バカ言ってるのはお前だ。人には練習しろと言っておきながら、自分はサッカー以外のことをやってる」


「これも大事な仕事でしょ!? プロはねえ、顔を知ってもらうことも——」


「金のためか?」


 紫苑は俺を睨むと、口をつぐんだ。


「確かにファンサービスは重要だ。プロの仕事。これを否定する気は無い。テレビや雑誌の仕事もオファーが来るうちが華だ」


「じゃあ——」


「シーズンオフにやれ」


「そんな余裕ないわよ!」


 やがて空港に着いて、俺はポケットマネーをはたいてファーストクラスを二つ取る。ロビーで待つ間、彼女の足を念入りにマッサージし、飛行機に乗せた。


「今日は休め」


 まだご機嫌斜めな紫苑様は一瞥をくれただけで反応はなかった。やってきたアテンダントに、「ビーフを二つ」と頼むと、紫苑はぎょっと目を剥いた。


「あなた、本当何考えてるの?」


 飛行機が離陸する中、俺は正直に漏らした。


「お前のこと」


「当然ね。だって私可愛いし。惚れても仕方がないわ」


「ずっとそんな調子で疲れないか?」


「何もわかってない癖に言わないで」


「ああ、何もわかってない。君は何も言わないからな」


「私はもっと上手くなって、稼がなくちゃならないのよ! 休んでる暇なんてない!」


 キンと声が弾けた。


 周囲が何事かと目を向ける。慌てて仲裁に入ってくるアテンダントをブロックして、俺は紫苑の胸ぐらを掴んだ。


「いい加減、独り相撲は辞めろよな。君はプロだ。その自覚が足りなさ過ぎる。スポーツ選手は身体が資本だ。もっと自分を大事にしろ。、自分を優先しろ」


 紫苑は目を細めた。


「あなた、どこまで知ってるの?」


 俺は、先日目にしたプロファイルの記憶を引っ張り出した。


「弟が三人。妹が二人。父親は蒸発して、今は母親が家計を支えている」


 紫苑はじっと見つめたまま何も言い返さなかった。


「実にドラマティックな話だよ、まったく」


 紫苑は観念するようにため息を吐くと、ぽつりと口にした。


「上の弟が今度大学に行く。下の妹は高校生。二人とも塾にも行かせてやりたい」


 俺は手を離して、紫苑が白状していくのを静かに聞いた。アテンダントも、冷静な話し合いになると踏んでか静かに立ち去って行った。


「二番目の弟も中学の部活で入り用だし、他の子も修学旅行だったり、何かとお金がかかる。だから私が稼がなくちゃならない」


 俺は何も言わず、ポケットから小切手を取り出すと、0を並べて記入した。唖然とする彼女の手に握らせる。


「何これ」みるみると紫苑は赤みを帯びた。「ふざけないで! 憐れみも施しも受けやしないわ! あなたがいくら稼いでいたかは知らないけれど、私たちは可哀想じゃないし、自分たちで生きているのよ!」


「勘違いするな。君の、来季の契約金だ」


 え、と紫苑は言葉を失った。


「今日で確信した。君はウチに必要な選手だ。佐竹マネにも相談して、移籍先よりもいい条件で来年も契約したい」


 ウチの選手の年俸からすれば、破格の金額だ。しかし補強をしなければ出せない額でもない。紫苑は知名度もあるし、集客力は悪くない。それに、来年一部に昇格できれば決して高い買い物ではないというのが佐竹親娘の見解だった。もっとも、紫苑を引き止めるに当たって忘れてはならない条件がある。


 昇格と二部での優勝。


 勝負は水物だが、紫苑が残ってくれればあるいはという思いもあった。


「そんな……だって私、自分勝手なことばかり言って、チームじゃ厄介者なのに受け入れてくれるわけが……」


「かもしれない。その時は移籍でもなんでも考え直せばいい。だが俺のいる限り、君を使うし、チームに馴染めるよう緩衝材かんしょうにもなる」


「どうしてそこまで……?」


「似てるから、かな」


 紫苑は首を傾いだ。


「プレイスタイルも、その傲慢なところも、昔の俺によく似てる。だから放って置けなくなった」


「やっぱり同情じゃない」


「お前はさ、俺みたいになって欲しくない。せっかく怪我が治ってこれからって時に無理はしないでくれ。自分を追い込むなよ。壊れるまでやるなよ。見ていて俺が辛い」


 紫苑は顔をくしゃくしゃにして、涙を何度も拭っていた。


 声を押し殺して泣きじゃくる彼女の頭を抱き寄せる。


「何かを背負ったり、誰かの夢を抱えるのは悪いことじゃない。でも君はサッカー以外のことに目を向け過ぎている。その優しさを、今隣にいるチームメイトに少しだけ向けてほしい。すると君はもっと輝ける。もっといい選手になる。じゃあたくさんのお金を稼げる」


 金なんて結果だ。時にそういったハングリー精神が貪欲に練習に打ち込ませてくれる。だがそれだけに固執していくと、視野が狭くなり、自由なプレイができなくなる。


 俺は、ポケットからくしゃくしゃになった紙袋を取り出した。それは、誕生日会で由佳たちが渡そうとしていたプレゼント。


 受け取った紫苑は封を切って、大きな瞳をさらに見開いた。とめどなく涙がこぼれ落ちていく。


 サッカーボールの刺繍ししゅうが入った髪留め。


 決して高価なものではなかった。だが、チーム全員が一本一本編んだ糸が確かに結ばれていた。そこには、確かに皆の意思が宿っている。


 紫苑はプレゼントを胸に抱えてうずくまると、むせび泣いた。


「私……私——ごめんなさい、ごめんなさい——」


 彼女は繰り言を吐いた。




 クラブハウスに帰った紫苑は、まだ泣きらした目を抱えたまま、寮を一つずつ訪れた。言葉少なではあったが、たっぷりと謝意を込めて頭を下げて回った。皆、意外そうにしていたが、素直になった彼女を笑顔で受け入れていた。あの香苗にしても、納得できない部分はまだあったろうが、「とりあえずチャラにしてやる」と許す方向性だった。


 それから、紫苑はぽつりとこう言った。


「ねえ月見。私の恋人になって」


 目が点。


「夜の相手になりなさい」


 それはエロいことだろうか——との期待はすぐにひっくり返される。


「あなたが私の相手になってくれるなら、月見の言う通り、ほどほどに抑えるわ」


 ああ、そう言うこと。


「よし、じゃあやるか。個人練習」


「あら、何を勘違いしているの? 男女のウェイトトレーニング的なアレよ」


「おまっ——」


 全身が一気に火照ほてった。


「健吾のスケコマシ」


 すると紫苑は悪戯に笑って、ペロリと舌を出した。


「だから月見も」


 紫苑は真っ白い肌を赤らめて、俯くとそう言い落とした。


「他の子には言えないことを私に言って。監督もいろいろ大変でしょ? 泣きたい時は膝を貸してあげる。あなたが前を向けるまで私が支えてあげるわ。あなたのために、あなただけのために点を取ってあげる」


「ああ、期待してる」


 顔をあげた紫苑は、き物が取れたように身軽く笑った。

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