空中分解(6)

「チクショウ! 今日は食うぞ! 飲むぞ! 体重管理とか知るか!」


 夜、都内の一角で俺は結城学と焼鳥屋に来ていた。


「……なんかあったのか月見君?」


 三杯目の日本酒をあおり、すっかり俺は出来上がっていた。


 前回の試合後、結城は辞任をほのめかすようなことを言っていたし、実際に辞表を出したそうなのだが、フロントに説得され、とりあえず今期はTGAに残ることにしたようだ。


 あれ以来、わだかまりがなくなったというか、日本で知り合いの多くない俺は、結城としばしば連絡を取り合っていたりする。


「なーにが大人だ。なーにが商品価値だ。俺の人生、俺の好きなようにやって何が悪い!?」


「だが皆が皆、好きなように生きたら、社会が回らなくなるだろう?」


「ア? あんたも、詰まんねーこと言うのかよ?」


「そうじゃない。俺たちは——いや、ましてや月見健吾の勇姿を見たいファンは少なからずいるってことだ。俺もそのうちの一人ってことさ」


「タレント、王様、天才」


 そう呟いて俺は鼻を鳴らす。


「勝手に印象だけが一人歩きしやがる。結城さん、あんたならわかるだろ? 俺はそんな選手じゃないってことを」


 結城は苦笑を漏らした。


「……確かに俺の知る月見健吾はナイーブで、非常にメンタルの脆い選手だったな」


 ユース時代、代表のコーチとして結城さんは俺のことをよく知ってくれていた。


「一つのミスをいつまでも引きずって、切り替えの遅い選手だった。だが憂いなく伸び伸びプレーした時は素晴らしいプレーを見せた。俺はそこに惚れたんだよ。おそらく及川さんも一緒だろう。君は一人海外に行って変わった。メンタルが強くなって、一流選手にけた。それがあんなことになって残念だよ」


 ふと、怪我をした時の光景がフラッシュバックした。


「……俺はサッカーが特別好きだったわけじゃない。たまたま、最初に触れたスポーツがサッカーで、周りよりよくできたって話だ。それで気がつけば、サッカー選手になっていた」


「プロを目指す選手が聞いたら、殺されるな。血反吐を吐いてプロになりたくても成れない選手はごまんといる」


 自己表現の場所だったのかもしれない。俺は喋る方じゃなかったし、友達もそんなにいなかった。だけどピッチ上じゃ輝けた。そうして気がつけば、どっぷりはまっていた。


「皮肉なもので、サッカーを辞めてからサッカーが何なのかを自分なりに必死に考えた。そして俺はサッカーしかやってこなくて、サッカーしかないことを知った。それでもサッカーが好きかどうか、自分自身よくわからない。でもさ、あいつら見てると思うんだよ。もしかしたら本当は好きなのかもって」


 結城はぐるりと天井に視線をわせると、


「あの時君が言っていた言葉の意味はそう言うことだったのか」


 俺は首を傾げる。


「『今の居場所が好き』だと君は言った」


 そんなことも言った気がしたが、酒に酔った頭では思い出せなかった。


「なあ月見君。プロとアマの違いがなんだかわかるか?」


「そりゃあんた、技術とか身体能力とか——」


「一番上手い選手がプロになるのは当たり前として、努力し続けたプロとアマにさほど違いがあると思うか? 例えば技術的に差のない選手がいたとして、その二人の違いはなんだろう? アマの世界にだって上手い奴はたくさんいる」


 俺は肩をすくめた。


「そんなもん、両方プロになるだろうよ」


「もちろんスポーツが見世物だって言う気はないけれどね。プロってのは見るものに夢や希望を与える選手なんじゃないかって思うんだ」


 俺は笑った。


「いつからあんたはロマンチストになった?」


「俺たちがシステム論やトレーニング論など、スポーツに関するあらゆる理論を突き詰めていった結果、サッカーが究極の形に進化した時、サッカーは進化を辞めてしまうのだろうか?」


「そん時はまた対抗策なり出てくるだろう?」


「完璧なサッカーが完成した時、果たして次のステージや進化を見出すのは一体誰だろうね」


 答えのない問いかけだった。


 深奥しんおうで、終わりのないもの。


「夢を見続けるバカだけがきっと夢を見せられる。君の、君たちイシュタルFCからはそんな意思を感じた」


 結城はビールジョッキに口をつけると、


「これは俺の勝手な意見だが、きっと君は見たこともない世界を見たいんじゃないか? その可能性を彼女たちから感じた。だからそこにいる」


 確かにそうかもしれない、とある部分では納得することができた。


「で結局、結城さんは俺に戻って欲しいのかそうじゃないのかどっちなんだよ?」


「それこそ、大人は自分で決めいとな」




 翌日。


 スタメン組が各々調整している中、


「あのね、監督。ちょっといいかな?」


 と、水分補給がてらキャプテンの由佳が声を掛けてきた来た。凛とした眼差しを持ち、冷静さが売りの彼女はどこか不安げな顔色を見せていた。


 由佳は周囲を気にした素ぶりで視線を這わせる。ここじゃ言いたくない話なのだろう。現場は真賀田や宮瀬コーチに任せることにして、俺と由佳はグラウンドを離れて、クラブハウス前のベンチに腰掛ける。


「えと、最近さ」


 由佳は切り出すのをためらっていた。ポニーテールにくくった髪を時折ときおり触りながら、目を泳がせている。


「香苗のことか? あと紫苑とか」


「うん……それもあるんだけどね。全体的にも気持ちが一つになり切れていないと言うか、皆んな不安なのか、オーバーワーク気味なの」


 それは俺も感じていたことだ。この一週間、リーグ前半の疲れを取る意味もあって調整を掲示したが、ほとんどの選手が朝から晩までボールを蹴っていた。学生も多い彼女たちだったが、学校が近くということもあり、早朝、昼休みにも顔を出している。


 もちろん、コーチ陣がギリギリのところでメニューを組んでくれているものの、リーグ後半が始まって戦線離脱が続けば本末転倒である。不慮ふりょのアクシデントを除いて、怪我の大半が間違ったトレーニングかやりすぎなのだ。


 だが、彼女たちの気持ちもわからないでもなかった。まだ自分たちが本当に強いのか半信半疑で、その不安をぬぐえる唯一の方法があるとすれば、練習しかない。


「そこでですっ」


 由佳はパッと顔色を明るくして言った。


「キャプテン独断の、大お誕生日会を決行したいと考えます!」


 俺はキョトンとしていた。


 お誕生日会ってあれだよな、料理とか振舞ふるまってゲームとかして、プレゼント交換するクリスマスみたいな。


「ね、だめ?」


 愁眉しゅうびを潜めて、上目づかいの由佳。


 この子、魔性をめているなと思った俺は断ることができなかった。


 まあ、不穏が立ち込める香苗と紫苑を取り持つ意味でも案外いい企画かもしれない。




 その後の由佳の行動は素早かった。まず夏希に話を通して、予算やら場所やら日程やらを組むと、チーム全員をかき集めて、役割分担を始めた。


 これは後から知ったことなのだけれど、実は主役が紫苑らしかった。さすがはキャプテンというか、よく周りが見えていると感心するばかりである。確かに彼女たちはプロの世界で切磋琢磨するライバルでもあるが、去ってしまうかもしれない紫苑に良い思い出の一つでも残したかったのだろう。


「——一生の思い出にしてあげなくちゃね!」


 食材調達係に任命された真穂は、諭吉様を握りしめながら、らんらんと目を輝かせていた。


「キャビアにフォアグラにトリュフを買うっきゃない! あとデザートに前菜も気は抜けない。一層の事シェフを雇って、最高のおもてなしを!」


 確実に予算オーバーである。


「ドアホ、そんな色々買えるわけあらへんやん!」


「予算がなくなったら、真穂のポケットマネーから出すよ?」


 プロとは言ってもまだC契約の真穂はあまりもらってないはずなのだが。


「サッカー用品以外にあまり使わないし」


「はあ、これやからお子ちゃまは。いっぺんに人生経験してもうたら、老後の楽しみなくなるで?」


 杏奈は逆にジジくさい。というか、もう老後とか考えてんの?


 貸してみ、と真穂の手から諭吉様をひったくった杏奈。


「諭吉様お一人でできることは限られとる。なら、目標は一本に絞るべきやで。誕生日言えば、チキンやん? それ以外に誕生日祝う品なんてあらへんやん?」


 真穂は首を傾げた。


「高級地鶏に全額使うんや!」


「その手があったか!」


 誰だこいつらを食材班に任命したのは。


 明らかにミスキャストである。しかし、この天然三羽烏さんばがらす首領ドンが誰だか、見当がついてしまう。……キョトンとする夏希の顔が浮かんだ。


「プランが決まったら、早速調達に行くで! 地鶏言うたら、名古屋コーチンやで」


「新幹線の予約してくる!」


 意気揚々と駆け出してく二人の背中には不安しか感じられなかった。


 あいつら、一羽まるまる買う気だろうか。


 と言うか、新幹線の往復で諭吉様軽く飛ぶよなあ……。


 これはポケットマネーを切り崩すしかないだろうな、と一人スーパーに出かける俺であった。

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