第6話 李徴と曹雪芹

隴西ろうせいの李徴は博学才穎はくがくさいえい、天宝の末年、若くして名を虎榜こぼうに連ね…」とは、中島敦『山月記』の名高い冒頭であり、私も三、四行ほどは今でも暗誦でき(あくまで冒頭だけ、だが)、好きな小説のひとつである。


 高校国語の教科書によく掲載されているので、授業で習われた方も多いだろう。私の場合も『山月記』の授業を楽しみにしながら待っていたのに、当時の担当教師が「ざーっ」と早口で一回朗読しただけでお終いにしたのは、いかにも遺憾なことであった。


 さて、高校生の私にとって、詩文で千古の名声を得ようとした李徴が上手く行かず、「名声は容易にあがらず、生活は日を逐うて苦しくなる」となるこの一文がえらく印象に残り、いまでも小説など「ものを書いている」と、ふっとこのくだりを思いだし、わけもなく苦しくなる。


 千古の名声を得るという大きな望みはなく、また生活についてならば元から苦しいのであるが(笑いゴトではない)、上手く書けないときは「名声は……生活は……」のフレーズが頭のなかをぐるぐるするのである。


 もう一つ、私が高校生の時に大きな影響を受けた小説に、中国清代に書かれた古典小説の名作『紅楼夢』がある。外戚として栄光をほしいままにし、やがて零落していく貴族家庭を舞台に、若い男女の繊細な恋愛を主軸とする大河小説である。


 作者である曹雪芹そうせっきんの出身は、祖父の曹寅そういん康熙帝こうきていの乳兄弟であり、江寧織造チャンニンしょくぞうという、織物の監督と南方事情探索を兼ねる重職に任ぜられた名家であった。

 しかし次の雍正帝ようぜいていの御世になると曹家は帝寵ていちょうを失い、没落の道を辿って行った。


 康熙帝の江南巡幸時には、行在所が置かれるほどの権勢を誇ったその家も、彼が『紅楼夢』を執筆したときにはすでに昔日の面影なく、北京では生活のために書画をひさぎ、その困窮すること甚だしかったという。


 しかし彼は、そんな生活のなかで『紅楼夢』を書き続けた。華麗な貴族生活の精緻な描写、人間の本性を見据えた冷徹とも皮肉ともとれる眼差し……それらは、彼の啜った薄い粥のなかから湧き出てきたのだろう。

 

 彼は一体、自分の小説がのちに千古の名作となることを確信しただろうか?代表的な中国古典小説と称されることを予想しただろうか?知る由もない。

 ただ一つ確かなことは、曹雪芹はひもじくても何でも、書きたいから書き続けた。表現したいという欲求をついぞ途切れさせなかったのだ。

 

 私は、現実生活でも「専業で食べていくのがかなり難しい業界」を半分抜け出し(まだ尻尾くらいはその業界に残したままだが)、今は隣接する業界で口をのりしている。

 その古巣の業界に所属している友人が、もし業界入りを志望している若い人からアドバイスを求められたら?…という話で、

 「自分も非正規の身分だし、食べていくのが大変だからおススメはしないが、それでもいい!お腹を減らしても、毎日パンの耳を齧ってでも何でも、とにかくやりたい!時間を忘れてしまうくらいに好きだ!人生それだけで幸せで決して後悔しない!と断言できる人は、無理には止めない」

と言っていたのを思い出す。


 「粥をすすってでも、パンの耳を齧ってでも、専業としてその道を極める」ことはかつての私にはできなかった。

 その業界で得たことは今の仕事に資するところ大だが、「極められなかった」ことは、そのまま私の心の負い目として残っている。


 そして、私の小説創作に対する態度も、確かに、石に齧りついてでも、とか毎日パンの耳でも…という、非常に切迫したものではないかもしれない。

 だが人の眼に触れる以上、真面目に書かない、ということはしたくないし、「こんなもんか」では済まさず、丁寧に、自分らしい話を紡ぎ続けていきたい。 

 それは、今まで私を育ててくれた素晴らしい物語、心を動かされた文章に対する、そして「書くひと」「読むひと」に対する、私の最低限の礼儀である。

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