午前0時のラヴレター
銀鮭
午前0時のラブレター
-1-
鼻の穴にピーマンさん、一番コメありがとう~ \(´▽`)/
そうなんですよ、日中は小学校で先生やってま~す!
そして夜は……(/0\)イヤンハズカシ
パソコンのディスプレイに文字が躍る!
顔文字が、笑ったり恥ずかしがったりする!
画面をスクロールする
すると突然、背後の
「もう、遅いでしょう? つづきは明日になさればどうですか」
と、妻の幸子の心配そうな声が聞こえてくる。
「うるさいなぁ~! あと少ししてから寝るから───」
比良井は振り返りもせず、言い捨てる。
ここ数日更新されなかった、お気に入りのブログの
「そうですか。夜更かしはお体に毒ですから気をつけてくださいね」
幸子が小さく
比良井家では、このようなやり取りが繰り返し行われていた。
もちろん冷静に考えてみれば、幸子の言うとおりである。還暦を過ぎた比良井にとっては、夜更かしや睡眠不足がよいはずがない。
───幸子、いつもありがとう───
君がいるからこそ僕はこうして好きなことをしていられるんだよ。何も出来ない僕に、君は妻としての思いやりで接し、母親のような優しさで世話をしてくれる。わかっているさ、君がいなければ到底、僕なんて生きてはいけないってことを……。
ことあるごとに比良井はそう思って感謝するのだが、あろうことか、この男、その妻に内緒で浮気をしているのである。いや、厳密には不倫というやつだ。もっといえばダブル不倫になるのだ。なぜなら、相手にも素晴らしい旦那様がいるのだから。
相手の女性は小学校の教師で、年の頃は三十前の、とても幸子にはくらべようもない若い娘。決して派手を好まない、薄紫のパステルのような淡い女性。眼が大きくて、髪の毛は黒く肩までのセミロング……。
しかし、それはほとんど比良井の想像である。
想像!……って?
そう。つまり彼はパソコンの中の、あるブログ主に恋しているのだった。
だから、不倫といってもプラトニックな不倫であり、もちろん比良井の片思いであることは言うまでもない。
ブログのタイトルは、
*****『河合恭子の小説の世界』*****。
主に連載小説を定期的に掲載する以外に、日常の出来事を写真などとともに掲載している。ブログ主の姿も写真として載せられるときもあるが、その場合は加工されていて、目のところにモザイク代わりに大きなバンドエイドが貼られている。だから、実際の顔はわからないが、髪形やスタイル、衣装などから判断して、彼女は充分過ぎるほど若くてかわいらしいお嬢様だった。
しかし、比良井が彼女に惚れた最大の理由は、なんといっても彼女の性格が好ましく思われたからだった。
彼女は世話好きで、何事にも一生懸命で、愛想がいいのは老舗旅館の若女将、いや大衆食堂の看板娘だ。もちろん、これも想像だが、ネット上で付き合って得た実感である。話したわけではないが、文字を交わして感じた彼女の偽らざる性格だ。
そんなところは幸子に似ているな、と気づいて、
「だから
と、比良井は苦笑ったものだった。
何事にも一生懸命に、そして真面目に考えてしまうものだから、その
比良井はそれが心配だった。
「あまり無理するんじゃないよ……河合恭子先生! あした誕生日なんでしょ……」
パソコンの画面に映る彼女の
-2-
「いや、待て! もうすぐ午前0時だ。もう一度だけ見てみよう」
比良井は、自分が書き込んだコメントのある記事をクリックした。
そこには比良井をはじめ十数人のファンがコメントを書き込んでいる。
そして一番最後のコメントは……。
─── おなじみの顔文字とお決まりのセリフ! ───
「あっ、恭子先生!」
今まさに、彼女がファン一人ひとりに対してコメントを返している。
比良井は息を呑んだ。
今現在、彼女と同じ画面を見ているのだ。
彼には、うっすらと見えた。
自分とノートパソコンの間に彼女の後ろ姿が……。
パソコンを入力する恭子先生を、比良井は背後から眺めている。
比良井は(更新)をクリックした。
彼女のアバターが一瞬消え、再度現れる。
すると、新しいコメントも表示される。
確実に恋人は自分の腕の中にいるのだ。
比良井は、ある種の感動に揺れていた。
初恋にも似た心のたかぶり。
何とかしてこの気持ちを彼女に伝えたい……。
「そうだ!」
比良井の頭に、いい考えが浮かんだ。
「言葉ではなく、この行為に意味があるんだ!」
と、自分の“
彼女のコメントの更新に要する時間を確認すると3分から5分だった。
そして比良井のコメントまでにまだ4人の先客がいる。
自分宛のコメントをもらうまでにはあと15分から25分かかる計算になる。
比良井は(更新)をクリックしつづけた。
タイミングを逃してはいけない!
比良井はコメントをすばやく作成した。
そうして、コメント欄へすばやく貼り付けられるよう準備した。
彼女のコメントのすぐ後ろに、自分の返事を返さなければ意味がない。
彼女のコメントが続くのはまだ許されるが、彼女と自分の間に誰かが割って入ることは我慢できなかった。
比良井はマウスでクリックしつづけた。
その度に一瞬画面が白くなり、また戻る。
時刻を見ると、午前0時を少しばかり過ぎていた。
まさに天恵ともいえるタイミングだった。
「よし、今だ!」
比良井の心臓は口から飛び出しそうに、大きな鼓動を打ち始める。
彼は用意してあったコメントを素早く貼り付けると更新をクリッ……。
画面が白くなり……そして、真っ暗になった──。
-3-
比良井がブログを始めたのは、いまから半年前のことである。
「することがないのでしたらパソコンのお勉強でもなされたらどうですか?」
定年退職後、家でぶらぶらする比良井に幸子が市の広報誌を広げて見せた。
これといった趣味のなかった彼は、さっそく高齢者向けのパソコン教室へ参加することにした。できれば、自分史というものでも残してみようと思ったのだ。
何度目かの講義が終わり、帰り道を歩いていると、
「ヒライさん! ヒライケンさん!」
と、背後から声をかけられた。
横を歩いていた女学生が、「えっ! 平井堅だって──」という顔でキョロキョロしている。
比良井が、ばつの悪い思いで振り返ってみると、
「あ、先生!」
パソコンの講師である
「比良井さん、あなたもこちらにお住まいなんですか?」
そう、講義のある市民会館からは、私鉄の駅で三つ目である。
「では、恵比寿先生もこちらに?」
「はい。あの緑の屋根のマンションです」
「なーんだ。じゃあお隣さんだ。私の家は、その前の白壁の塀のある平屋です」
それ以来、比良井と恵比寿は懇意になった。
お隣さんということもあって、お互いの家を訪ねたりすることもあった。
幸子が病で寝込んだときは、恵比寿の妻である明美が比良井の身のまわりの世話をした。
子供が出来なかった比良井にとって、恵比寿夫妻はまるで、この歳になってやっと授かった子供のようだった。
-4-
「おい、あけみー! 最近、比良井さん見たか?」
風呂上りのビールを傍らに置き、恵比寿はパソコンを覗いている。
「いいえ、全然。父兄会と家庭訪問で忙しくって、お見舞いにも行けなかったわ」
明美がバスタオルで髪を拭いながら返事をする。小学校の先生は大変だ。
「俺も残業で忙しかったから帰りに立ち寄ることも出来なかったよ」
今度の、幸子さんのことでは比良井は相当ダメージを受けたようだった。
恵比寿はそんな比良井のために、介護の認定を受けてケアサービスを受けたらどうかと提案もした。
しかし、比良井は大丈夫だ、と頑なに断った。
「幸子がいるかぎり、俺は大丈夫さ」
その言葉を聞いて、恵比寿は尚更心配になった。
一度、市の福祉相談室を訪ねてみよう。
そう思ったのだが、急に仕事の方が忙しくなって曖昧になってしまったのだ。
明美が恵比寿のビールに手を伸ばし、一口飲んで、
「あら、ちょっとー、もうよしなさいってばぁ!」
とブログの記事を指差して、苦笑う。
「いいじゃないか。君からこの生徒たちの話聞いた時さ、こりゃおもしろいわ、って思ったもの」
「あなたに学校での話するんじゃなかった」
「もう遅いよ。……で、結局はA君、何て言ったの? ねえ、教えてよ。あとでサービスするからさぁ」
「ふふふっ。あのね……実は、あたしと結婚したいんだって……」
よしなさい、というわりには明美も話の続きを楽しそうにする。
「じゃ、私、明日も早いから寝るね」
恵比寿の後ろから肩に顔だけ載せた格好で言う。
「なーんだ、サービスはいらないのか?」
「何言ってんのよ。サービスっていっても、アッ! という間じゃないのよ!」
「まあ、そういわれりゃね……。しかし、アアッ! くらいは我慢するさ」
明美の首に手を回して、軽く唇を重ねる。
去り際に、パジャマ姿の明美の内腿に掌を滑り込ませるが、「うん、もう」と軽くあしらわれる。
「さーてと! もうすぐ午前0時か……。まぁ、とりあえず返事だけでも書いておこうか」
今夜も恵比寿はブログマスターに変身する。
momotaroさん、そうなんですか。知らなかったのでもうびっくり!(◎ω◎)
salmoman23さん、ほんとうだったらチューしちゃいま~す。チュ!ε^
古時計さん、いつも……
「古時計さんかぁ。ちょっと、まずかったかな……」
恵比寿は首筋を揉みながら思考をめぐらした。
古時計とは、ブログファンのニックネームだ。時々、恵比寿の時代小説の感想などを書いてくれる。その感想が、少しばかり常識を離れていておもしろかったりするものだから、気を惹くようなことや揉ませるようなことを書いてからかったつもりだったのが、どう勘違いしたのか、古時計は自分のポートレートまで見せてきた。
このままの状態でつづけていれば、なんだかどんどんエスカレートしそうな予感があったのだ。
ブログには、まったく個人を特定できるような情報を掲載はしていない。
それでも、気味悪さは拭えない……。
-5-
翌朝、恵比寿は比良井の家に寄るために30分ばかり早く家を出た。
奥さんが亡くなって一ヶ月たつが、どうやら比良井はそれが理解できていないらしい。
まるで、今でも一緒に暮らしているような口ぶりである。
だから栄養失調で寝込んだとき、心配になった恵比寿は明美を毎日通わせた。
幸いなことに明美は小学校の教師なので、夕方の早い時間に訊ねて食事などの世話をした。
しかし、ここ一週間は夫婦ともども忙しく、訪ねるどころか比良井の存在そのものさえ忘れていた。
「おはようございます!」
玄関に立って、恵比寿は声を張りあげた。
さっきからベルを鳴らしているのだが、返事がないのだ。
裏木戸のかんぬきをはずして、庭に入ってみた。
「比良井さん! おはようございます。 恵比寿です!」
声を張りあげながら、吐き出し窓のガラス戸に手をかけるとカラカラと開く。
恵比寿は、厭な予感がした。
しかし、それを確認しなければ、なにをどうすることもできない。
靴を脱いで部屋に上がった。
寝室を覗いてみたが比良井はいなかった。
その隣の書斎への障子を開けてみた。
すると、椅子に腰かけた比良井の後ろ姿が目に入った。
「比良井さん……比良井さん……」
小声で二度ばかり呼びかけたが、恵比寿にとってこの呼びかけは、返事がないのを確認するためのものだった。
比良井は椅子の背にもたれているが、首が右前方に傾いていて、体も大体そちら側に傾いていた。
それを見るだけで確信が持てた。
とにかく警察へ電話をしなければ……そう思って恵比寿は背広のうちポケットから携帯を取り出し、
「えーっと、何番だったかな! あ~わかんないや!」
人間、冷静さを欠けば、こんなものである。
「そーだ! インターネットで調べよう!」
恵比寿は掌を左の顔にかざして、近づいていった。
比良井はパソコンをしているうちに亡くなったらしいのだ。
その姿を間近で見ないためである。
マウスに触れると、すぐに起動し出した。
真っ黒な画面がカラフルに色づいていく。
「えっ! 嘘だろ!」
画面はには、見慣れたブログタイトルが──。
*****『河合恭子の小説の世界』*****
そして、まだ(決定)をクリックされていないコメントがある……。
河合恭子というのは、妻の明美に成りすまして書いていた恵比寿のブログでのニックネームだった。
そうして、残されたコメントは、
「L・O・V・E! ラブリー恭子! お誕生っ日おめでと~~~~~~~~~!」
もちろんニックネームは“古時計”だった。
〈了〉
午前0時のラヴレター 銀鮭 @dowa45man
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます