中編:雄山

 ――翌日の放課後。


 日の傾きも早くなってきたこの季節。この時間帯になるともう、世界は終わりゆく赤色と、これから訪れる暗色のコントラストによって彩られ始める。世界が真っ暗闇に包まれるのにも、そう時間はかからないだろう。俺は沈む夕日に背を向けて、一つ、大きく息を吐く――それは白い湯気となって、天へと昇っていった。


「よっし……っ!」


 そして、そう気合を込めるように言葉にする。

 手には軍手をはめて、家から持ってきたゴミ袋を持った。首には汗を拭くための赤いタオルをぶら下げて、服装は汚れてもいいように体操着である。


 これで、準備万端――清掃活動・・・・、開始だ。


 そう。これが、俺に出来ることだった。

 アンジェリカと電話をした翌日。俺は新星の――すなわち、エニシのいる神社を訪れていた。


 そこは以前とは異なるものの、相も変らぬ荒れ模様。枯草や落ち葉、さらにはどこからかやってきたゴミも転がっていた。参道や鳥居も汚れが目立つ。これは一朝一夕で落としきれる汚れではないのだろう。

 出迎えてくれる狛犬たちも、人相が悪くなってしまっていた。


 これでは、おおよそ人が寄り付くことはないだろう。

 むしろ先月の終わりに一人、『縁』を結べたのが奇跡だとも思えるほどに。


「――――っ」


 そう考えると、エニシがどれだけ一人で頑張っていたのかが分かる。

 彼女は定期的に送られてくる手紙の中で、しきりに「心配するな」、「一人で大丈夫」だ、と。そう書いていた。だけども、冷静に考えてみれば大丈夫なはずはない。


 このような有様で、大丈夫なはずがなかった。

 それだというのに俺は、自分だけが苦しんでいるかのように考えて、目を背けていた。あの少女が一人で抱え込む癖を持っていることを、すっかり忘れてしまっていた。あの時『俺が支えてやる』なんて言葉を口にしておきながら、今日この日まで、ここに足を運んだこともなかった――何という体たらくだろうか。


 情けないにも、ほどがある。

 だけど、それもここまで。ここからは、前に進むんだ。


 ――そう。俺は取り戻す。

   あの日見た、この神社の在るべき姿を。

   そして、大切な女の子のことを――


「やるかっ! それなら、まずは――」


 ――などと。

 その時の俺は、息まいていた。

 だから気付くことが出来なかったのである。


 そんな風に意気込んでいる俺の姿を、黙って見つめている男の存在に――


◆◇◆


 ――そうして、数日が経過した。


「……ふぅ」


 俺は白い息をついて、額の汗を拭う。

 エニシと『縁』を結んだあの頃とは打って変わって、肌を刺すような風が吹く季節になったこの頃。しかし毎日、こうして精力的に身体を動かしている間は、そのことを忘れられる。それでも時たまに吹きつける風には辟易とすることもあるが、だからといって止めようだなんて思わない。その程度のことで折れるほど、もう俺の意志は弱くはなかった。


 だがしかし、問題は如実に顔を覗かせていて――


「――……やっぱり、そう簡単にはいかない、か」


 俺は自然と一つ、そう漏らしてしまう。

 それは、どうしようもなく直面するであろう問題であった。

 そう。それは――

 

「一人じゃ……どうしても、な」


 ――明らかな人手不足。

 それほど広い神社ではないとはいっても、流石に一人ですべてを元通りにするには無茶があった。しかも、それに加えて俺の理想は高く、あの日見たエニシの心象世界、あの美しさが目蓋の裏に張り付いて離れない。忘れられないのだ。

 それは、ある意味で虜囚になってしまっていると、そう言っても過言ではなかった。

 

 だから俺は、いくらこの場所を綺麗にしても、納得ができない。

 参道や鳥居の汚れは、出来る範囲であらかた落とした。それでも、あの日に見た荘厳なたたずまいには程遠い。あの思い出の木の周辺を含め、神社の敷地内に落ちていたゴミや枯れた雑草だって処理をした。それでも、あの日に見た洗練された美しさには及ばない。


 誰にでも、すべての人に愛される。

 そうあるべき理想の姿には、まだまだ届きそうになかった。だから――


「やっぱり、厳しい……な」


 俺は鳥居の前で立ち尽くし、思わずそう呟いてしまった。

 これは不味い。せっかく固めた意志が、信念が揺らぎ始めてしまっている。こうなってしまうと、つい何もかもを投げ出したくなってしまう。ほんの微かな諦めが、胸の奥に生まれてしまっていた。


 いや、駄目だ。それじゃあ、逆戻りだ。

 そう自らを叱咤する。だがしかし、暗い現実は確実に、俺の心に影を落とし――


「困ってるようだな……鵜坂っ!」

「えっ……?」


 ――かけた、その時だった。

 背後から芝居がかったそんな、聞き覚えのある声がしたのは。

 俺は驚いて振り返る。すると、そこにいたのはやはり――


「雄山様――華麗~に参上! ……なんてな!」


 長めの茶髪の先を遊ばせた、俺と同じ格好をした男子。

 オシャレのための伊達メガネを――キラリ、と。夕日に光らせた、さして特徴的ではない顔立ちをした男子だった。まぁ、俺は声を聞いた瞬間に分かっていたのであるが、彼の自己紹介正しく雄山である。


 彼は何やら右手を腰に、左手でメガネを押さえて決めポーズを取っていた。

 そして、決まった――と。そう言わんばかりに不敵に微笑む。


「……何してんの? お前」


 だが俺はそんな雄山に、やる気のない声でそう切り返した。

 というか、コイツのせいでそんな声になってしまったのである。今まで保ってきた緊張感が、この野郎のせいでプツリと切れてしまった。思わずだらり、と全身から力が抜けてしまう。


 しかし、そんな俺の様子など気にかけるつもりもないらしい。

 雄山はこちらに駆け寄ってきたと思えば、がばりと、深く肩を組んできやがった。そして思いっきり顔を近付け、小声で意地悪くこう言うのだ。


「鵜坂こそ、こそこそ隠れて毎日ナニやってんだぁ? 俺様に内緒でよぉ~」

「………………」

「ん~? 何だよコレ。ボランティア活動じゃねぇかよ! 真面目だねぇっ!」

「――――――」


 ――……うぜぇ。滅茶苦茶うぜぇ。

 軽くヘッドロックをかました上、腹を肘でぐりぐりと押してくる。身体的にも精神的にも、今のコイツは、とにかくウザ過ぎだった。長年の『腐れ縁』でもなければ、即刻ぶん殴ってるくらいにウザい。

 とりあえず、ニヤニヤとしたその顔の鼻っ柱を折ってやりたい衝動を抑え込み、俺はこう尋ねた。


「お前、何しにきたんだよ……」


 すると突然――ピタリ。

 雄山の腕から力が抜けるのが分かった。そして、あっさりと解放される。

 俺は思わず「え?」と声を漏らしてしまった。それに対して、雄山はやれやれといった様子で肩をすくめてみせる。当然、こちらは彼の行動の意図が分からずに困惑することとなった。だがその後に起こった出来事は、俺のことをよりいっそう困惑させる。

 何故なら――



「よお! 鵜坂。俺らも手伝うぜ!」



「……なっ!?」


 ――そこにいたのは、大勢の同級生たちだったのだから。

 彼らは一様に体操着に着替え、俺からは死角であった場所からぞろぞろと現われた。その数――数十人といったところだろうか。彼らは男女問わずして、何やら楽しげにこちらへ声をかけてくる。

 そうして、まるでそうすることが当たり前かのように、神社の清掃活動を始めたのであった。


 唖然とする俺。

 そんな俺に、雄山が静かにこう声をかけてきた。


「鵜坂、なにか一人で抱え込んでただろ。俺達に黙って――この前みたいに、さ」

「雄山……」


 それは、長年の付き合いだからこそ分かったことなのだろうか。

 彼の指摘は、いとも容易く核心を突いてきた。


「何でも、困ったことがあったら相談しろっての! そんなに、俺様が信用ならねぇか?」


 雄山が満面の笑みを浮かべながら、俺の額を軽く小突く。

 俺はほんの少しだけ後ずさりして、ようやく状況が呑み込めてきた。つまりは、雄山は最初から俺がやっていることを知っていたわけだ。その上で、この活動に参加する有志を募ってくれた。

 コイツはお調子者で、男女関係なく交友の幅が広い。そんな彼だから、出来たことだった。


 俺は不覚にもぐっと来てしまうのを、どうにか堪える。

 そんな俺に、雄山は最後にこう言った。


「俺達は親友だろ? ――な?」――と。


 あぁ、間違いなく親友だ――と、俺は思った。

 何故なら今の一言で、彼がいったい何を考えてこのようなことをしてくれたのか、その核心・・が分かってしまったのだから。


 そう。

 だから俺は、感謝の気持ちを込めつつこう答えた。







「……で。何が知りたいんだ?」

「アンジェリカさんの連絡先、教えてくださいっ!」



 俺に対して雄山は素早く、それでいて綺麗に、深々と頭を下げる。

 その姿に俺は思わず笑ってしまった。

 そして、思う。



 ――なるほど。

 やっぱり、『こういう縁くされえん』も悪くない、と――




 そして俺は、はっきりと確信した。


 大切な女の子――エニシとの再会は、近付いている、と。


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