万能定理

美作為朝

エントロピー反転円境界線まで+10キロ

 陸自のUH-60JAブラックホークで飛行して30分、こんなにヘリの飛行が揺れるとは知らなかった。目の前に岐阜県最北異端に位置する2000メートル級の山、三方崩山さんぽうくずれやまが見えてきた。和才只虎わさいただとら准教授は、吐く一歩手前だった。 楽になるためにシートベルトを緩めると、陸自のUH-60Jブラックホークの機付き乗員の二等陸曹がそれに気付き和才准教授をねめめつけた。

 和才准教授はヘッドセットをつけていない。ヘリの内部がこんなにうるさいとも知らなかった。ほとんど会話は不可能。

 ラペリングの訓練は、陸自の岐阜分屯地の四階建ての建物の窓からおこなっただけだった。しかも、習志野の空挺師団の曹長が実演するのを見たのが一回、自分が実際そこで降下したのが一回。

 和才がヘリからはラペリングするのは、ぶっつけ本番だった。

 陸自の二曹が怒鳴った。

「後、一分です、準備してください」

 UH-60JAブラックホークの右側に座る副機長が心配そうにキャビンのほうに振りむいた。メットのバイザーは降りていない。 和才が、もう自分でシートベルトを外しだした。酔ったのはこのせいかもしれない。メットのきつい顎留めか。ヘリの揺れか。

 和才が、シートベルトに手こずっていると、二曹が慌てて手伝いだした。

「准教授、降下まではまだ、です」

(おまえの、顔にゲロを振りまいてやろうか)

 和才は、そう思ったが、もう一人の機付きの陸士長が機長より支持を受けたらしく、それより早く、UH-60JAブラックホークのキャビンのドアをスライドさせた。

 朝焼けの中、冷たい、風がどっと入ってきた。気がついたら、UH-60JAブラックホークは、地上5,6メートルあたりを停止しホバリングしていた。

 陸士長が続いて、ロープを放り投げる。

「准教授っ今です」

 和才は、ベンチシートから身をのり出した、それと、同時に、この機付きの二曹の襟口を掴むとぐっと引き寄せた、そして怒鳴りつけた。

「おい、兵隊。もう、二度とヘリには乗らんぞっ、とりわけ、自衛隊のはっ」

 そういうと、和才は、もう機外の人だった。ロープを伝い、垂直懸垂降下を行った。UH-60JAブラックホークのダウンウォッシュ。自身の10キロはあろうかというクソ重い装備と荷物。ゴーゴルをUH-60JAブラックホークに忘れてきたという慌てぶり。顎留めがきつい陸自のメット。そして、極めつけは寝不足と極度の緊張。最後が一番重要、人生で始めて覚える今まで感じたことのない激しい憤怒ふんぬ

 そして、もっと重要なのは、吐き気は丁度ピーク・オブ・ザ・ピーク。トップ・オブ・ザ・ノウジャー。 

 和才は、ゲロを周囲にぶちまけながら、ロープを降下した。

 

 人類史上最低のラペリングだった。


 これも、かれも、あの変わり者の教授のおかげなのだ。

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