銀の天使

「はぁ、はぁ……」


 イライラする、イライラするっ!

 爪を立てる、白いシーツをガリガリ掻く。切り裂きたい、壊したい。

 摩擦に熱した指でシーツはやがて裂かれた。それでは収まらない衝動はベッドマットレスの穴に向かう。ボロボロになった傷口を更に抉るように中身をほじくり返す、綿やスポンジ屑が飛び出て、内蔵のようにぶちまけられる。


「かんなっ……かんなぁッ」


 かんなという人物をえぐっているようにナギはマットレスから綿を出し続けた。


「喉が渇くんだ――限界なんだよ!」


 ナギはミズガレやウルワには黙っていたが、水分を満足に摂取出来ないストレスや渇きから度々このような衝動に苛まれていた。寝具に限らず髪を引き抜いた事もあるし、床を爪で掻きむしった事もある。一ヶ月前から現れているこの症状は眠りを妨げ精神を食い破った。

 嘆き、怒り、叫び。思いとは裏腹にこれ以上狂う気力はないし、声も枯れている。涙なんて水分不足な体から流れるわけがない。

 血でもなんでもいいと、腕に噛み付いて液体を舐めようとした事もある、痛い、ただ痛い……。


「かんなぁ……」


 ナギは内臓をあらかた掻き出すと誰にも見つからないよう外に出た。

 夜の二夜は肌寒い、銀の月が美しい光で心を少しだけ落ち着けてくれるが、下を向いたらそれも憎悪に変わる。水が足元を揺らめく、そこにある希望と手の届かない絶望が怒りに変わる。

 ガラスに血が飛び、折れた爪の下から肉が悲鳴を上げる。口から呪いが零れる。

 ――何故水に手が届かないのかと。

 ナギは立ち上がる。ガリ……。何かを噛み砕く音、薄い殻が歯とぶつかる音。ナギの口元には小さな影があり、それはやがて体の中に消えた。


「はぁ、はぁ……」


 足りない。何もかもが生きていくには全然足りない。

 木の皮を剥く、指先が赤黒くなっていたが構わず続ける。皮を剥いだ幹に口を付ける、何もない。水分なんて一滴もない。


「は、はは」


 笑えてきた。無様にもがく様も、何も得られず悔し涙を滲ませる様も、この世に生きている事も全てが可笑しい。


「死にたいよ、死んだ方が楽だろ!? こんなの!」


 そう言う度、こう続ける。

『人を殺したからこうなったんだろ?』

 誰でもなく自分に叩きつける。生きる事も苦痛であり、死ぬ事も怖くて決心付かない。なんて、中途半端な人間。



 暫くしたら破壊衝動は鎮静に至った。

 口に残る嫌な味覚に吐き気がし、服を舐めて味を拭おうとしたが既で停止した、服を汚すのは嫌悪があった。

 寒い。落ち着いてから感じる素直な感想はそれだった、肩を震わせ腕を抱く。


「かんな……」


 何度も口にした名前をまた口にする。

 銀の月を見上げるとかんなの事だけが瞳に映る。愛しい人、大切な人、大好きな――どれとも違う、形容できない想いを抱かせる銀の人を。


「かんなごめん……、自分で選んだのに、結末を呪うなんておかしいよな」

『辛い?』

「見て分かるだろ。言わせんなよ」

『死にたいって言ってたね、君は……死ねないよ』

「分ってる、誰かを殺した罰だろ。分かってる、世界が許すまで誰も死ねないんだ」

『もし僕が君を殺せるとして、殺してあげようと言ったら?』

「……いい、俺は生きるから。死ぬまでは、生きる」


 瞳を閉じる、瞼の上に優しい光が落ちる。月の光、銀の色、長い髪。

 妄想と虚像のかんながついに現実に舞い降りた。

 美しい姿、それは天使と呼ぶべきだろうか、この世に生きている人間では無し得ない美貌と神秘性を――カンナは持っていた。

 青い二夜の夜の泉のような目はナギの瞳と重なる、地に届く程長い髪は銀色で、空の月と同じように輝いていた。白い服は風に揺れる。

 二夜を人として具現したならカンナのような容貌になるだろう、ナギは思った。カンナなら二夜に水を齎せるのではないかと、権化であるならば無し得てしまえるのではないかと、悲しい錯覚すらした。


「カンナ、そろそろ本見してくんない?」

「だめだよ」


 開口1番のお願いは常のように否定される。


「天使様は何でもお見通しなんだろ?」


 ちらりとカンナの体を探る。目当ての本は見当たらない。もちろん絵本や小説といったものではない、カンナにのみ有り得る異端の能力とナギは推測している。


「俺の憎しみはまだ消えてない、復讐は、ほんとには遂げられていないんだ。ウルワやミズガレがいなくなったら、俺はあいつを殺す」

「殺すから教えないって、わかる?」

「知ってんだな、やっぱ。本に書いてある? 黒幕をやった時みたいに教えてよ」

「ナギをこんなにした元凶、両親を殺した犯人を?」

「殺したいんだよ、そいつを殺した時、俺は本当に報われる。父さんや母さんみたいに、腸をえぐって真っ赤にしてやる」

「復讐に充足感も満足感もありはしない。虚しさと心の崩壊だけが残る。ナギは犯人を殺したら、その先どうする?」


 カンナはナギの心情を分かりきっている。ナギ本人も的確な問いに答えがない虚しさを理解して黙る。だが、理解を超えて憎しみは上書きされる。


「殺した後何もなくても俺はやる。俺がその先に死しか考えられなくても」

「犯人はここにはいない」

「……死んだのか、それともまた人を殺して消えたのか。消えた先にも二夜みたいな世界があるなら、俺は迷いなく、行く」

「ナギ、家族が居るうちは愛憎から愛だけとらない? 今は時じゃない」


 ……カンナはずるいよな、とナギは言う。それから狡賢いと心に思う。ウルワやミズガレの話をされたら反撃出来ない。


「死にたいも生きたいも、殺したいも守りたいも、ナギは大変だね」


 己にはそれらの感情がないようにカンナは他人事に言う。カンナは本を見せない代わりにナギを抱きしめた。


「カンナ……?」

「人と抱き合ったの、久しぶりだな」


 柔らかさを、肌の暖かさを深く感じようとカンナはナギの肩に顔を埋める。


「天使様は人間との交流は久しぶりなわけか」


 ナギからもカンナを抱きしめる。綺麗な銀色の髪、ナギより少しだけ背の高いカンナの髪に指を絡める。


「翼も輪もないでしょう? 天使なんかじゃないよ」

「人間……なのか。カンナも人を殺した? ここに居るんなら」

「ナギと一緒」


 風が吹く。静寂の優しさを拐い、カンナの長い髪を巻き上げる。


「うっとおしくない? 風」


 ぴたりと止む風。消えた風の行方を探しながら乱れた髪をカンナは手櫛で梳かす。


「すごいね、風が止んじゃった」

「俺が止めたからな」

「空も飛べちゃう?」

「止めただけでもう俺が風使いだと考えるのは早計じゃないか?」

「ふふっ」


 カンナは笑う。綺麗な人、二夜の夜の泉のような人。

 二人は寒さを我慢して、寒さより二人で話す時間が愛しくて、ナギは木の傍に座り、カンナは髪が汚れるからと立ったまま膝を交える。


「カンナは何歳?」

「500歳」

「嘘つけ。20代?」

「天使様はナギと482歳近いだよ」

「意地でもその設定続けるつもりか! まあいい、じゃあ天使様、二夜のこの水とガラスは何なの?」

「これは空なんだよ。ガラスの下は月夜、水はその下にある世界に降りだそうと待ちわびる雨達。僕達はガラスの上の世界で罰と業に苦しめられ生きる天使達」


 上手いこと天使に繋げるな、とナギは感心したが、肝心のカンナの説明は子供のメルヘンチックな夢にしか聞こえず納得は出来なかった。ただ皮肉が混じっていた事で、虚妄にも少しだけ真実味がありはしたが。


「俺さ、1回夜になるの観察してた事あるんだけど、なんか自然と、知らぬ間に大地がガラスになってた。でさ、次は穴掘って観察してたの、そしたらさ、また知らぬ間にガラスになってた、穴もない」

「ある場所にはナギより凄い人が居たよ。穴を掘って自分が埋まってたの、で、夜が来たらどうなってたと思う?」

「うーん、知らぬ間にガラスの上にいた」

「水の中に居た」

「うそ!?」

「うそ。ガラスの上にいた。土の中の虫や動物もみんな水の中にはいないでしょ?」

「だよな」


 地中に隠れ住む虫や動物を人は夜に狩る。ガラスの上を彷徨う虫は気持悪いの一言だが、捕まえて食べるには絶好のチャンス。


「木の根っていうのも不思議でしょ。地中は水になってるのにしっかり根付いて生きているのだから。二夜は不思議だらけなんだ、ただその不思議を解き明かす学者が圧倒的に少なく、謎が不明瞭のまま放置されている。こちらから帰れれば一巡の学者を連れてきて謎を解明出来るのだろうけどね」

「帰れないから知らせようもねぇわな」


 結論は行き着く。二夜に落ちた以上はここで謎と共に残りの人生を過ごすしかあるまいと。



「そろそろ寝たら?」

「嫌だ、まだカンナといたい」

「何それ、恋人みたい」

「恋人より大事だよ、俺はカンナが居なきゃ生きてなかった、今も生きていけない」

「依存しちゃった? ずっと一緒にいたから」

「とっくにそうだよ……カンナが居なきゃ、駄目なんだ。笑っちまう」

「例えば君の思い出は僕が偽造した偽りの日々だったとして、僕は君を都合よく扱う為に執着を抱かせていただけとしたら」

「カンナってさ、突拍子もない事言ったり、夢語りしたり、時々変わってるよな」

「知ってるでしょ? 二夜に落ちる時記憶の一部が欠落したり、逆に有りもしない記憶を思い込みで有していたりする事があるのを。二夜という異界に飛ぶにあたって人体に一種の障害が起こるんだよ、異能力というのもそうなのだろうね」

「言いたいことは分かるけど意図がわからない。俺の記憶が偽物かもしれなくて、カンナを好きになる事に問題があるのか?」

「偽りの記憶で誤って好きになってるのに、いいの?」

「随分断定的に話すんだな。カンナになら利用されてもいいし、何に使うのか教えてくれたらもっと役に立つよ」

「その傾慕な態度も偽りが生み出しているのかも。全部が君の"自身"じゃないんだ」

「……いいじゃん。こうやってカンナと話すの好きだし、この時間が偽りじゃないなら」

「じゃあさ。君の大好きなカンナがもしウルワやミズガレを殺せと言ったら、どうする?」

「……理由を聞く」

「理由次第ではやる? それとも僕を敵に回す?」

「っはは、やっぱカンナって変。そうだ、このまま夜明けを見てみようぜ、ガラスの大地が土になる瞬間を」

「いいよ」


 見晴るかす先に風が吹く。次は止む事なく、ナギの横で風は自由に二夜を駆けた。



 大切な人が周りにこんなにも出来た。

 皮肉にも死んで初めて2度目の家族が見つかった。

 みながみな人殺しの筈なのに、いかれた殺人者は殺人者に愛を抱いてしまう。

 青い、蒼い、あおい。

 空も、水も、美しい青。この青の元で人は生きて死ぬ。



「おっはよーさーん!」


 今日もアガミがやってきた。ナギは布団に潜り込み無視を決め込む、それが布団を捲り上げるアガミの強引な手段により更なる怒りに変わるとしても、繰り返すのが日常。


「いい加減にしろよ!」

「おーこわ、ナギ君が噴火したー、ウルワちゃーん」


 布団を床に捨てたアガミは居間へ駆けていく、ウルワの名を出せば朝が苦手なナギでも後を追ってくると学習した。その後叩かれる痛みも。


「決してMではないですよ!」

「Mじゃねぇよなぁ、しまいにゃ俺に刺されたい異常嗜好者だもんなぁ」


 寝起き最悪のナギが最悪の状態でテーブルにつく。アガミはナギの向かいで頭を抑えながらわざとらしく瞠若する。苦笑いを零すミズガレは朝食を運び、ウルワはユキノの看病をしていた。

 アガミが居座ってから数日、穏やかに日々は過ぎようとしていた。

 しかし――。昼、それは訪れた。

 玄関を叩く音、訪客等滅多にない為ミズガレは奇妙に感じながらも玄関を開く。


「うわ! かっこいい人!」


 開口1番、うら若い少女の声がミズガレに届く。

 声を発した少女の背丈は小さく、歳は十代前半だろう。茶髪のロングヘアに同じ茶色の瞳、服は女の子らしいフリルのついた白いブラウス、ワンポイントにリボン、スカートは茶色。二夜に居るのが不思議なくらい女の子らしい女の子がミズガレを見上げていた。


「紳士だ! 素敵!」


 少女は眉目秀麗なミズガレにときめきを抑えられず胸を踊らせる、それどころか実際に体も踊らせる。


「どちらさまですか?」

「あっはい! お迎えに上がりました!」


 誰を何処へ? という疑問が真っ先に浮かんだので言葉にして伝える。


「誰をどのような目的でお迎えですか?」


 ミズガレは少女を虜にするような笑顔の奥で冷静に少女の動向を警戒する。隙を見てちらりと置いてあった杖までの距離を確認する。


「えっとーわからないー、オウサマ〜」


 少女は今更目的不明であったのに気が付いたと、外に待たせているオウサマという人物に確認をとりに行く。穏やかで終始抜けた少女とは裏腹に、ミズガレは即座に杖を握りアガミを呼んだ。


(オウサマだと――っ。あり得ない、だが)


 オウサマ――まさか奪うだけの国の暴君がこんな秘境に来るなど考えられない話ではあった、だが確率は0ではない、万が一、本物の暴君が目と鼻の先に居るとしたら。

 奪われるだけの国から食べ物を水を奪い、人を傷付け蛮行の限りを尽くす。自分は城の玉座に鎮座し悲しみの遍満を愉快に眺める。そのような人物が訪ねてきた、迎えに来た。誰を? 何のために?

 理由を弾き出すが、どれも最悪の項目しか並べてくれない。


「こんにちは……」


 杖を握りしめ緊張していたミズガレが次に目にしたのは黒髪の少女だった。少女は低く抑えた声で玄関先から家の中を覗き込むと、不行儀にも辺りをくまなく物色する。ぐるぐる動く眼球はやがて仄暗い廊下を下り、その先立ちすくむ足にぶつかる。足から視線を上げ、瞳にぶつかる。

 動揺に揺れるオレンジの瞳。


「マナコ……久しぶり」

「ユウラ……」


 タイミング悪く出てきてしまったアガミはついにユウラと言葉を交わす事になってしまった。緊急事態にと持ってきた剣を強く握り締め、ユウラに対する引け目や苦痛を打ち消そうとする。

 ユウラはアガミの顔色など構わず玄関から中に踏み込む。ミズガレの隣を過ぎ、ゆっくりと腰に挿していた軽めの長剣を拔いた。


「マナコも持ってるね。オウサマとやる気だった? それとも……」


 目はマナコだけを捉え離さない。ユウラはそのまま土足で廊下へ足を上げる、ミズガレが恐る恐る声を掛けた。


「そのまま、上がるのは……」

「ごめんなさい、じゃあマナコ、貴方がこちらに来て」

「……」


 そうせざるを得ない状況にアガミは歯を食いしばった。従わなければ側に居るミズガレが何をされるか解らない。強制的に心を動かされ、鉛のような足がユウラの元へ体を運ぶ。


「(ミズガレさん、ナギとウルワちゃんを連れて逃げてください)」


 すれ違いざまにアガミはミズガレに託す。


「(君は――)」

「(きっと俺がなんとかしますので、こう見えて赤の血族ですからね)」

「……」

「大丈夫」


 アガミはユウラとは違う、剛の長剣を携え外に出る。


梳理くしけずり……」


 それは一巡の華族の一家の名。国内でもきっての栄誉と権力を持つ貴族の血族、赤い髪と赤い目を持つ彼らを人は赤の一族と呼ぶ、それが……アガミ。

 梳理は代々男が生まれやすく、武を司る一家は男系の一途を辿っていた。

 例えば華族である黒の家、桐生は芸道を、白の家、華矜院かきょういんは大企業を営んでいるが、赤の家、梳理は軍事を、武術を専門に受け持っていた。戦闘民族と揶揄され言われているように、彼らは戦を呼び寄せ、戦を狩場とし、血で血を満たすような狂気じみた側面を持っていた。

 そんな彼らだが殺人に対しては嫌う傾向にあった、殺してしまえば自分が殺されるのと同じ、再び武器を手に取れない状態になり、血を味わえない。故に彼らは殺しを避ける。その理由からミズガレは二夜に梳理は落ちないものと思っていた。


(梳理の者ならば……いや、だからと言って彼一人で……)


 外はまだ静か。茶髪の少女、黒髪の少女、オウサマ、場合によれば少なくとも3人の人物がアガミに敵対するという事になる。ユウラという少女は既に刃を見せていた、戦闘になるのは明白だ。

 ミズガレは逃げるというアガミがくれた選択を否定する。話し合えばもしかしたら――



「お久しぶりです、王様」

「久しぶり、マナコ。私の元を離れてこんな所まで来ていたんですね」


 何ヶ月ぶりに仰ぐ王の姿は以前のままだった。銀の髪は神秘的で、白哲の肌は美しい。夜でないのが惜しまれる、彼は夜の月の元でこそ神ともなれる。


「私はいいからユウラと話したら? 積もる話もあるんじゃない?」


 オウサマはわざとらしく笑みを作る。茶髪の少女はオウサマの隣に従ったまま動かない。


「ユウラはいいんで、今日こちらにいらっしゃった訳をお聞かせ願えませんか」

「マナコ」


 蔑ろにされたユウラが不満から二人の会話を遮断する。拔いた剣は仕舞わないまま、愛らしい顔を鬱屈させる。


「ユウラ、オレは……」

「ごめんも沈黙もいらない、帰ってきて」

「出来ない」

「僕は変わったでしょ? マナコは可愛い娘が好きなんだよね、マナコが喜んでくれるようにって可愛くなったでしょ? だから」

「外見じゃないんだ、駄目なんだよ……」


 狂気のような女の執着に、抗う精一杯の否定の言葉。それだけしか今のアガミからは出せない。


「帰ってきてよ! くれないなら……それなら僕を殺して。どうせ君がいなければ死んでいた、君が帰らないなら僕は死んでいるのと同じ、なら、殺して」


 オウサマは密かに微笑んでいた。男女の関係の縺れを、今まさに愛憎から女が病んでしまった場面を、娯楽として観賞しているように。

 昔からイカレていたが今もまだそのままだ、アガミは再確認した。


「オレは帰らない、殺しもしない」

「殺してくれないなら、帰らないなら僕が側に居る! 一緒に住めるなら地獄だっていいよ」

「それも、出来ない……」

「なんでっ」

「オレは、お前と居たくない――」


 それはユウラにとって聞きたくない、最悪の言葉だった。何よりも恐れていた。それでいて"わざと引き出した。"

 もう終わりにするべきだ、逃走劇も、愛も。報われない。

 ユウラの元からマナコが去った時、既に愛は終わっていた。ずるずると未練がましく日々を追い続け、結局その日々が共有される事は二度となかった。先程の言葉で全てが終わりになった。


「はは、わかってるのに、堪えるね、おかしくなりそうッ……ううん、もうおかしかったんだ」


 ユウラは剣を向ける。真っ直ぐ向かうのはアガミの胸。


「聞きたくなかったよ、貴方にとって僕が必要ない、嫌悪に値する存在だったなんて……。認めたくなかった、怖くて、あの時も何も言えずに去るしかなかった。君がいたから僕は生きていられたし普通でいられた、トキワじゃない、僕は貴方を愛してた!」


 殺された恋人トキワの弟であったマナコへ。亡くした恋人の弟だからではなく、一人の男性ひととして愛していた。偽りない思いを剣に乗せユウラは斬撃を振りかぶる。

 ユウラはもはや正常ではなかった、元々壊れていたのをマナコという存在が薬となって救っていたのだ。薬が切れてしまったユウラは空の存在、殻は傷つき自壊を始める。


「トキワを殺す命令を下した奴もこうしてやった! 僕は貴方までもそうしようとしている! 怖いけど嬉しいんだよ! 殺したい、まだ見つけてない、トキワをほんとに殺した奴も、貴方もっ!」

「ユウラッ」


 振り下ろされた斬撃を躱す。アガミは己の剣でユウラの剣を弾く、しかしユウラは強く握り締めた剣を放さず更に連続して斬撃を放つ。

 武を司る梳理であるアガミに匹敵する力を持っているユウラ、女の身で武術を此処まで鍛え上げた逸材に当時アガミは驚いたものだ。

 ユウラにとって黒い髪と同じく戦いが生まれながらの必然であったとしても、アガミが知る事はない。

 剣と剣が弾きあう、拮抗した実力は更なる手を加えない限り揺れ動く事はない。それでも、このまま切り合えばいずれアガミが負けるのは明白。ユウラは本気だ、アガミは覚悟も決心もない、殺す気もない。


「今のうちって感じしない?」

「しますします」


 オウサマはここぞとばかりに悪戯げに少女の同意を求める。少女が従順に返答すると、賛同を得られた喜びでオウサマは笑顔になる。


「待てッ! 行くならオレを殺してからにしろ」


 アガミはオウサマに斬りかかる。


「そういう義理みたいな形に付き合ってる程大人じゃないんですよー」


 オウサマと少女はアガミを尻目にミズガレの住宅に入り込む。アガミは彼等を気にしながらも迫りくるユウラの殺意という現実と向き会うしかなかった。



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