まるで一文の値打ちにもならないような、くだらない与太話

安納にむ

――この小説に描かれているような事件は絶対に起こりえないと、我が国警察は保証する。またここに登場する人物はすべて架空で、実在の人物との関連は少しもない――

 小説家は朝から機嫌が良かった。こんな夢を見たからである。

 自分の創った噺があまりにおかしいために、聞く人をみな笑い死にさせてしまう落語家がいた。彼は何とか客を死なせまいと、必死に笑えない噺を考えるのだが、スベろうとすればするほど逆に大爆笑を引き起こし、来た客をひとり残らず笑い殺してしまう。とうとう警察が捜査に乗り出し、落語家は逮捕され殺人罪で起訴される。しかしそれでも好きな落語をやめたくない彼は、警官の前で噺を披露して爆笑死させると、留置所を抜け出し、落語の自由、表現の自由を訴えて浅草演芸ホールに立てこもる。だがそこに耳栓をした警察の機動隊が突入してきて――と、ここで小説家は夢から覚めた。

 まるで一文の値打ちにもならないような、くだらない与太話である。しかし弱冠二十代の、この若き女流作家は、こういうしようもない黒い笑いが大好物であった。彼女は思い出し笑いをしながら、落語で笑い死にできるのなら落語ファンの人はある意味、幸せかもしれないな。でも落語家は皮肉だな。私なら、好きな小説のために立てこもったりするのだろうか……と、しばし反芻した。そしてまたひとしきり笑って満足すると、コーヒーを片手にパソコンの前に座った。毎朝、起きぬけに昨日書いた原稿を読み返すのが彼女の日課なのである。

 この小説家の書く物も彼女の見る夢同様、まるで荒唐無稽な三文未満小説であった。現在、ある週刊誌に連載している作品も、いたずらが生きがいというおばあさんを描いたギャグものである。先週号では、自分の入れ歯を洗った汚水を水道に混入されたくなければ年金を上げろと、首相官邸に脅迫電話をかけた回を載せていた。さて、さもしいおばあさんのいたずらはどんな結末を迎えるのか。

 小説家が思案していると、その答えは訪問者となって彼女の家の呼び鈴を鳴らした。仕事を邪魔され、いささか腹を立てながらドアを開けた小説家は、戸口にいた背広姿の男たち十数名を見てたちまち言葉を失った。見知らぬ男たちに、自分のあられもないパジャマ姿を見られてしまった羞恥心からではない。男が黒い革の警察手帳と家宅捜査の令状を手にしていたからである。

 容疑は脅迫、及び教唆だった。なんと先週号のいたずらおばあさんの話が、それに当たるという。

 何かの冗談かと小説家が呆れて苦笑を漏らしていると、刑事は大真面目な顔で、良い子があんたのくだらん小説を読んで真似したらどうするんだ? と彼女に手錠を掛けた。今まで味わったことのないような、異様に重く冷たい感触が小説家の華奢な両手首を絞めつける。

 小説の眠るパソコンが警察の段ボール箱に無造作に押し込まれていく様を見ながら、彼女は夢に出てきた落語家の心境がようやく理解できた気がした。そして同時に、今ここで刑事たちに抵抗しても、それはもはや手遅れなのだと小説家は悟っていた。

 なぜなら彼女の書いた小説に、人を笑い死にさせるような特別な力などあるはずもないのだから。

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まるで一文の値打ちにもならないような、くだらない与太話 安納にむ @charley-d

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