「明日」への出会い
ユーキの発した光に包まれたエリスが漸く視界を取り戻したのは、どこか見覚えのある部屋の中だった。
いや、何処かの……ではなく、懐かしく見覚えのある部屋だったのだ。
そこはエリスの生家、彼女の実家にある彼女の自室だった。
エリスはユーキによって、自室のベッドへと転送されたのだった。
「ユ、ユーキッ!? ユーキッ!」
周囲に彼の姿を見つける事が出来なかった彼女はユーキの名を呼んだ。突如発せられた大声に、ベッド脇の鳥籠にいたセキセイキンコのヒナがバタバタと驚きの羽ばたきを上げる。
―――ドカドカドカッ!
すぐに階下から足早に駆けあがって来る音が聞こえた。
「なんじゃっ!? どうしたっ!?」
ドアを開けると同時にそう叫んだのはエリスの祖父、ガストンだった。
「エ……リス……か?」
そしてすぐにベッドへ座り込むエリスを見つけて絶句した。
「お……じいちゃん……」
ガストンの顔を見て哀しみと安堵からエリスの顔は破顔し、涙が止め処なく溢れて来た。
「エリスッ!」
ガストンは彼女に駆け寄りその体を抱きしめ、その胸でエリスは嗚咽を上げるしか出来なかった。二階での騒動を心配したマリエスも、恐る恐るエリスの部屋を覗き込み、そこに二人を見止めて駆け寄った。
今生の別れを済ませた三人が再会したのだ。
僅か一ヶ月余りの別れだったが、あの夜エリス達が交わした別れは間違いなく今生であり、生きて会えるとは思っていなかったのだ。
「そうか……ユーキ様が……約束を……」
その夜、夕食の席で経緯を話したエリスに、ガストンは感慨深げに呟いた。
約束を交わしたガストンだが、彼も本当にそれが履行されるとは思っていなかった。それは彼の息子夫婦を始めとして、今までの勇者を見れば明らかだ。
それだけにあの時、山で熊に襲われた日に交わした約束を本当に守ってくれたユーキに心から感謝したのだった。
「それでエリス、これからどうするんじゃ?」
今までこの様な形で戻って来た勇者は居ない。勿論それをノクトに報告しなければならないだろう。
「うん、王城に行って報告して来る。またしばらく家を離れるんだけど……」
折角再会を果たしたにも拘らず、すぐに王城へと出立する意思を示したエリスはどこか気遣わしげだった。王城に向かうと言うだけで、祖父母に要らぬ不安を与えてしまうのではと思ったのだ。
「そうか……うん、気を付けて行って来るんじゃぞ」
だがそんな杞憂も不要だった。ガストンは笑顔で彼女の言葉に同意し、それはマリエスも同様だった。
「もう今生の別れではないんじゃ。お前の帰りを待って居るよ」
聖霊を伴わない今のエリスは、もう勇者として前線に向かう事は無い。魔属との戦いで命を落とす事は無いのだ。
「うん……ありがとう、お祖父ちゃん」
そしてエリスも気負いのない柔らかい笑顔でそう答えた。
翌朝早く、エリスは再びモルグ村を発つ。
しかし今度はユーキを伴わない、たった一人の道中だった。
あれ程嫌で騒がしかったユーキとの道程だったが、今はそれすらも懐かしく感じる事が出来ていた。
たった一か月余り前の事を懐かしみながら、エリスは王城へと歩を進めたのだった。
エリスは村を発った翌日の昼前には城下町へと到着した。そして前回とは違い、昼食を取る事無く王城へと向かったのだった。
ボルタリオンの城下町は以前と同じく活気づき、人々は力強く往来している。あの時には感じなかったが、人々の平和を、笑顔を守っているのは間違いなく勇者の犠牲に寄る処なのだ。そしてそれは本当に危ういバランスの上に成り立っている。
今ある平和が明日も同じく続く保証などどこにもないのだ。
だが、だからこそ勇者はその平和を持続させる為にその命を懸けているのだ。
今のエリスにはその事が痛いほど良く分かった。
王城に着いたエリスは驚きと共に迎えられ、すぐさまノクトの元へと通されて事情説明を求められた。
特に現場近くまで同行していたメイファーの驚きは小さくなかった。
「あの後―すぐにあなた達を―追ったんですよ―」
メイファーはユックリと思い出す様に話した。
「三人で―三方に分かれて―追ったんですが―私の目前で―巨大な火柱が起こって―そこへ向かった所―その場には―何も残されていませんでした―」
それはユーキが自爆魔法を行使した直後の話だった。しかしエリスはその場を目撃する前に転送されており、その火柱がどの様に齎されたのかは知り得なかった。
「それでエリス、一体あの場で何が起こったのだ? メイファーの見た火柱に心当たりはあるのか?」
ノクトがエリスに説明を求める。
エリスはユックリと思い出す様に言葉を綴った。彼女が今回経験した戦闘は、どれもノクトでさえ驚く物ばかりだった。
知性を持ち言葉を話す魔属。
その魔属がA級魔属並の力を持つドラゴンへと変異した事実。
ユーキの、試作型精霊体の隠された能力。
そして宿主を助ける為に取ったユーキの行動。
エリスの拙い説明を、ノクトは急かす事無く静かに聞いていた。
一通り説明を終え沈黙がその場を支配する。情報が余りにも多すぎて、ノクトでさえすぐに整理付かなかったのだ。
「変異する魔属か……」
真っ先にノクトが口にしたのはその事だった。
現状B級以上の魔属は“門”に接近すれば探知する事が出来る。だがそれ以下の魔属は目視や目撃情報で察するしか出来ず、殆ど野放し状態だ。
しかしC級以下はそれ程脅威となる魔属では無い。勿論一般人には野獣よりも遥かに脅威となるが、勇者の力をもってすれば即座に鎮圧可能だと言えた。
だがB級以上の魔属が、何らかの力を使って自身の力を低く抑え込み“門”を通過する様な事が多発するのではその限りでは無い。突如王城の近辺に強力な魔属が出現した場合、すぐにその対処が可能とは言い切れないのだ。
「厄介だな……」
ノクトは苦々しく呟いた。彼女にして、すぐに妙案など思いつかないのだろう。
彼女がエリスから聞いたユーキの能力は、凄まじいと同時にまだまだ不安定であると思われたのだ。特に感情をエネルギーとする等、安定した戦力として計上するには不確定要素が多すぎるのだ。人間の感情程安定しない物は無いのだから。
しかし有意義な能力も確認された。
ユーキが言っていた通り、今までの戦いで圧倒的に不足しているのは“情報量”だった。魔界奥深くに到達しても、そこで力尽きてしまったならば戦闘経験は聖霊が持ち帰ってもそこまでの情報はすべて失われるのだ。故に魔界攻略はカメの如き歩みで慎重に行われていた。だが新たな聖霊の有する能力ならば、情報の収集が格段に上がる事は間違いない。
「エリス、ご苦労だった。今日は一先ずこれで解散とする。尚エリスにはこの王城に留まり引き続き話を聞かせてもらいたい、良いな?」
とりあえず今日の報告終了を宣言してノクトはその場を後にした。エリスはメイファーに連れられて宿泊する部屋に案内されたのだった。
「そうですか―……エイビスさんは―その様な最期を―……」
部屋に向かう最中、メイファーと交わす話は自然とエイビスの最期についてだった。
面識のある者の死は誰にとっても悲痛な物である。
その日、メイファーとエリスはエイビスの冥福を祈って共に夕食を摂った。
それから数日、エリスは王城に逗留した。
ノクトは可能な限り情報を引き出そうと、連日エリスとの会談を行った。
エリスも可能な限りそれに答えたが、やはり全てを解き明かすまでには至らなかった。
彼女は余りにも無為だったユーキとの日々に後悔したが、今となってはもう後の祭りである。それに当時は聖霊を心底憎んでいたエリスであり、もし時が巻き戻ってもやはり同じような態度を取った事は疑いようが無かった。
ノクトの満足するまで会談を行ったエリスは、ようやく王城から解放された。勿論いざと言う時は情報参謀と言う事でノクトの元へと駆けつけなければならない。しかし常時は自宅のあるモルグ村での生活を認められたのだ。
数日後、無事エリスはガストン達の元へと帰り着いたのだった。
朝、眠りから覚醒したエリスは、眼を開けなくても今日が良い天気だとすぐに分かった。
瞼の上からでも眩しい光を感じる事が出来るのは、部屋の中がとても明るい証拠だ。
彼女はユックリと瞼を開けた。ベッドの上に備えついている大きめの窓から、カーテンを通しても明るい陽光が射しこんでいた。
嬉しい予測が当たって、エリスの頭は一気に覚めた。
(うふふ、また当たった)
大きく目を見開いたエリスは勢いよく上半身を起こした。
今日も昨日と同じ一日が始まる。だがそれは繰り返される退屈な物では無い。
もうエリスは知っているのだ。今この時が、数多いる勇者の血と汗で培われている事を。
だから退屈なんてとんでもなかった。
それに全く昨日を繰り返す今日等有り得ない。
大きく分類すれば、同じ作業を同じスケジュールでこなすと言う意味で“同じ“かもしれない。しかし天気は微妙に違っているし、昨日吹いた風が今日も吹くなど有り得ない。
作物も、飼っている動物たちも成長しているし、どんなアクシデントが待っているか分からない。そう考えると毎日が発見の繰り返しだった。
もうエリスには、昨日見た景色を今日も同じ様な感性で見る事は無かった。
「おはよう、ヒナ」
青いセキセイインコのヒナに朝の挨拶をする。ヒナはエリスの呼びかけに今にも返事を返しそうだ。
「やあ、おはよう。エリス」
その瞬間、エリスの時間が停まった。
どこかで見た景色、何処かで聞いた声、何処かで体験したシチュエーション。
「エ……リス……?」
ヒナはエリスの事を名前で呼ぶようには教えていない。だからそんな返事が返って来る事は無い筈だった。それにヒナが喋ったにしては流暢に話し過ぎる。
「もうすっかり日が昇っているよ。お寝坊さんだなー」
―――ゴクリッ……。
エリスは思わず喉を鳴らした。
「さぁさぁ、もうお祖父さんもお祖母さんも起きてるよ。着替えて顔を洗って、朝食を取らないとね」
硬直するエリスを余所に、ヒナとは別の所から声が聞こえる。
次の瞬間、エリスはババッと頭を左右に巡らせた。そして鳥籠の下に“彼”を見つけたのだ。
「ユーキッ!」
その瞬間、エリスは彼の名前を叫んでいた。彼女の目の前には、あの日あの時別れたはずのユーキが立っていた。
「そうっ! 俺は今日君に顕現したユーキ……って、あれ? それって俺の名前なの?」
何か勝手が違うと言った風に、彼の頭上にはハテナマークが無数に浮かんでいる。
―――バッ!
エリスはユーキに飛びつき、彼を両手で掴んで捕獲した。
「グフッ!」
突然繰り出された攻撃に、彼の口からはうめき声が漏れた。
「そうよっ! あんたの名前はユーキなんだからっ! あんな別れ方なんてないよーっ! バカーッ!」
そう叫んだエリスの目からは涙が零れている。
悲しみでも悔しさでも、当然憎悪から来るものでも無く。
それは再会を喜ぶ、感激の涙だった。
彼女の両手に拘束されているユーキは、そんな彼女を見て優しく呟いた。
「宜しく、エリス」
了
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