伝言

 僕はテレビ局のヘリコプターから異様な光景を見ていた。


 高速道路に沢山の人が前を向いて並んでいる。人の列はどこまでも続き、地平線の彼方へと消えていた。地平線には赤くなりかけてた低い太陽が見える。


 スタッフから手渡された双眼鏡で眺めてみる。


 それぞれが背中にモニターを付け、ヘルメットをかぶっている。若者や中年、男女問わず様々な人間が真剣な表情をして一列に並んでいる。僕は息を呑んでただその光景を眺めた。


「間さん、あと五秒で本番入ります」

 そう言われた僕は、双眼鏡をスタッフに返し、代わりにマイクを受け取った。カメラに視線を移し、大きく息を吸う。ADが指でカウントをする。


 三,二、一、ゼロ。

「こんにちはみなさん。私は今、史上初の大規模予知実験が行われている○○市の高速道路上空にいます……」




 みなさんの中には、まだ何故人間を一列に並べることで予知ができるのかわからない人がたくさんいるでしょう。実験開始まであと一五分ありますので、簡単に説明したいと思います。


 みなさんは、手を動かそうと思ったとき、身体は自分が思ったあとに動くと思いますか、前に動くと思いますか? だいたいのみなさんは、自分が思ったあとに身体が動くと思いますよね?


 でも、違うんです。


 実はですね、十数年ほど前にわかったことなのですが、私たちが『手を動かそう』と思う前に、脳は手を動かす準備をしているんです。運動の準備をするための運動準備電位というものが脳の中で見られます。つまり、私たちは、「自分で思うよりも先に身体が動いている」わけなんです。ここが今回の予知実験で一番大事な所ですから、注意してください。


 この運動準備電位というのは、実際に私たちが思う数ミリ秒前、つまり千分の一秒程度前に見る事が出来ます。


 ここで、もし、何らかの手段で、運動準備電位が起こるのをずっと前にすることができたら、どうなると思いますか? つまり、私たちが思う数ミリ秒前ではなく、数十秒前に運動準備電位が起こすことができたとしたら?


 科学者は薬物により、通常の一万九千倍早く運動準備電位を発生させることに成功しました。


 これと最近開発された心を読む為の脳波モニタリング装置を使えば、「本人が思うより前に」、「本人が思うであろうこと」がわかるようになります。


 これだけじゃ、まだ、どの辺が大規模予知実験に繋がるかわからないですよね。誰かの思っていることが読めるだけじゃないか、と。


 でもそれだけではありませんでした。


 本人が思うであろうことがわかる、というのは、実は、未来に本人が思うことがわかる、ということでした。


 たとえばですよ、ある人が「あ、リンゴがテーブルに置かれた」と思うとします。これを一九秒前に読めるとしたら、どのような事になるのか、考えてみてください。


 この心が読めれば、一九秒後にリンゴがテーブルに置かれるということがわかるんです。つまり、一九秒後の未来がわかる。


 だいぶん、近づいてきました。


 そう、人間の脳はほんの少し先の未来を読む力があるんです。後ろからボールが飛んできたときに、一瞬で反応して避けたりすることがありますね? それも実は脳が未来を読んでいるからかもしれません。ま、私の想像ですけど。


 この実験では、確実に未来を読むことが出来ます。これじゃ、一九秒しか読めないんじゃないかと思われる方も多いかもしれません。しかし、ここで、こうしたらどうなりますか?


 一九秒後に思っていることが文字になる装置を背中につけるとします。その背中の文字を違う人が読みます。その時、その読んだ人の背中にも一九秒後に思っていることが文字になる装置がついていたら、どうなりますか?


 それを読んだ人は、一番前にいる人が思っている事を三八秒前にわかることになります。


 もし、これを二万人並べて行ったら、というのが、今回の実験です。


 二万人ですので、三八万秒、つまり、一〇五時間、つまり約四日後の先頭の人が思っている事がわかることになります。


 一〇〇人を並べて小規模な実験では、充分成果が出ています。失敗しませんでした。


 四日後に先頭の人は何を思うのか? もし天気を思えば、一〇〇パーセント確実な天気予報になります。


 あ、あと三分で実験開始です。カメラ会場にお返ししますね。





 ふう、と僕は息をついた。


 マイクをスタッフに渡し、代わりにタオルを受け取る。額の汗を拭う。


 終始にこやかに説明していたが、僕は自分の心の中の漠然とした不安と戦っていた。


 どう考えても失敗しそうにないのに。失敗したとしても、未来がわからないだけだというのに。


 でも何故か、人数が多すぎるんじゃないか、という根拠のない不安がわき起こってくる。


 ヘリコプターは最後尾へと移動している。僕は双眼鏡を再び借りて眺める。


 最後尾にいる人間は、二〇才後半くらいの若者だった。緊張した面持ちで前の人間のモニターを凝視している。


「全装置の電源を入れるまで、あと一〇秒です」

 あの列にいる人たちは何を思うのだろう。


 双眼鏡を返す。ADが指で合図する。


 三、二、一、ゼロ。


 最後尾の人間の声が、僕のヘッドホンから聞こえてきた。


「な、何も、見えません」

 ヘリコプターが揺れ、僕は頭を窓に強打する。


 頭をさすりながら、ほっと息をつく。


 失敗したらしい。


 スタッフがため息の声を漏らし始めた。こんなつまらないオチかよ、という声も聞こえてくる。


 僕は窓の外、太陽の方を見た。


 太陽が、歪んでいる。いや、歪み続けている。黄色い光を出す円はそこにはすでになかった。自然界にはありえないような鮮やかな青い光を発する、五角形の太陽。


 地平線が、せり上がってきた。あらゆる色が空にあふれ出し、それを持ち上げるかのように大地が湾曲していく。


 ありえない。


 でも目の前に見えている。


――そして。


 地面に黒い穴が現れた。その穴に次々と建物が陥没していく。人やものがミニチュアのおもちゃみたいに落ちていく。黒い穴は急速に広がっていく。


 僕は、突如、悟った。


 狭い機内であたふたしているスタッフからマイクをもぎ取り、カメラのレンズを自分に向ける。放送されているかされていないか等は構わなかった。喋らずにはいられない。


「みなさん、今回の予知実験は、純粋な未来を見るわけではなかったようです。私たちが未来として見たものは、未来として確定されてしまう。もし、無理矢理に予知したら、その予知した未来が本当の出来事になります」

 ちらりと窓の外を見る。すでに街は無かった。照り返しのない黒が広がっている。心なしか息苦しい。空気が冷たい。


 僕は息を大きく吸った。


「二万人の伝言ゲームは、最初から最後まで同じ内容を伝えられるわけが……」

 地上の黒が跳び上がり、ヘリコプターを包み込んだ。





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9/4/2003

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