第十二節 彼女達の理由

 ヨハン達がマルクの屋敷に戻る頃には、既に日も傾き始めていた。

 クラウディアとは一度そこで分かれて、荷物を持ってそれらを借りている部屋へと運び込む。

 ベッドと、最低限の家具だけが置かれた簡素な部屋に乱雑に荷物を置くと、扉が開かれて誰かが入ってきた。

 ヨハンが振り向くよりも早く、背中に固い何かを突き付けられた感触が走った。

「何のつもりだ?」

「クラウディアさんとのデートは楽しかったですか?」

「それなりにはな。まさか嫉妬と言うわけではないだろう?」

「ご冗談を。クラウディアさんのことは好きですけど、そっちの趣味はありませんよ。今のところは」

「不安になる答えだな。だとしたらなんでこんなことをする?」

「……誰も彼も、良い人ばかりで嫌になってしまいます」

 答えになっているようでなっていない。

 開けっ放しの窓から流れてくる潮風がカーテンを揺らし、部屋の中を小さく撫でていく。

「奇遇だな。俺も常々そう思っている。どうして自分の周りにはこう、悪人が少ないのだろうと」

「そんな世間話に興味はありませんよ」

 自分から振っておいて随分と身勝手なことだが、ヨハンは黙っていた。

 少し話した程度の印象しかないが、決してラニーニャは思慮が浅い女性ではない。その彼女がこうしているということは、少なくとも半分は本気と言うことだ。

「そう。本当にいい人なんです。エトランゼとしてこの世界にやってきたわたしを、嫌な顔一つせずに世話をしてくれて、だからわたしはクラウディアさんの役に立てるならと、海に出ること決めました。幸い、わたしのギフトは水上では無敵ですから」

「ベアトリスにはしてやられていたがな」

「刺しますよ?」

 ぐっと力が込められるのを感じて、ヨハンは慌てて口を噤んだ。

「だからわたしは我慢できない。もし貴方がこの状況を利用してハーフェンをその手に収めようとしているのなら、力尽くでもそれを排除する覚悟があります」

「今回の件で、ハーフェンをか」

 それができればどんなに楽だろうか。

 ずっと頭の中にはあった構想で、ベアトリスの件も御使いの襲撃ですらもそのために利用できると考えた。

 だが、今のヨハンにそれを実行に移すつもりはない。

「それはそれ、これはこれだ」

「……ならばどうやって戦力を確保するんです? 何の見返りもなしにイシュトナルが動くとは思えませんが」

「そうだな。組織と言うのは面倒なもので。姫様一人なら説得できる自身はあるが、周りの貴族もと言われると骨が折れる。……そっちを見てもいいか?」

「……許可します」

 振り返ると相変わらず切っ先を向けたまま、ラニーニャは厳しい表情を崩さない。

 彼女は恩があるこの街を、クラウディアを護りたいのだろう。

「貴方は善人、だと思います。カナタちゃんも、きっといい子なのでしょう。でも、それで全てが片付く世界ではないと、お互いによく知っているでしょう?」

「そうだな。その通りだ」

「利用されるだけなんて御免ですよ。わたし達を使って手柄を我が物にして、その上でハーフェンを手中に収めるつもりなら」

「それができればどんなに楽なことか」

「……どういう意味ですか?」

 口で言うほど難しいことにはラニーニャには思えなかった。簡単に思いつくだけでもマルクの元に向かって、イシュトナルの傘下に入ることを宣言するまで手を貸さないと言い張ればハーフェンは折れるしかなくなる。

 その上でヨハンは武装商船団を率いて御使いを倒し、そのままハーフェンを支配すればいい。

 ラニーニャを初めとする街の人々の声はともかくとして、それを汚いと罵られることはないだろう。綺麗ごとだけでは成り立たないものもある。

 それでも、今は違う。それをやる時ではない。

 ヨハンが一人で戦うのならともかく、彼女と一緒にいるうえでそれは余計なことだ。

「宣言する。俺は今回の件に、ハーフェンの支配権を持ち出すつもりはない。御使いと戦うのはイシュトナルの……いや、俺の個人的な理由によるものだ。それが偶然、海域を封鎖されているそちらとの利害が一致したと思ってくれればいい」

 向けられた刃の切っ先が揺らぐ。

 その答えを引きだすのがラニーニャの目的だったとはいえ、そう簡単に叶ってしまうとは思ってもみなかった。

 その表情は嘘を言っているようには見えない。少なくとも表面上は。

「……信用できません」

「だったら常にマルク殿やクラウディアに確認を取って、俺が怪しい動きをしたら斬ればいい。お前の腕ならそれほど苦労はしないだろう?」

「……そうさせてもらいます」

 手に持ったカトラスを、鞘に納める。

 これ以上の問答に意味はない。そして何よりも、一先ずはヨハンを信用することにした。

「変な人ですね」

「そんなことはない」

 不満そうにヨハンは答えた。

 その様子がおかしくて、クラウディアは小さく噴き出す。

 その際に髪が揺れて、覆い隠されていた右目が小さく覗いた。

「その目」

 右目に縦一本に刻まれた傷。そして綺麗な青色の瞳には、何も映っていなかった。

「武装商船団を組織したての頃に、下手を打ちましてね。完全に見えないわけではないのですがこうするともう、貴方の素敵なお顔も殆ど見えません」

 おどけて、左目を瞑ってからそう言った。

 無理に明るく振る舞ってはいるが、そこには多少の無理が見て取れる。

「傷がある上にエトランゼ。これはもうお嫁の貰い手もありませんね。いい男性紹介してくれません?」

「御使いを何とかしたらな」

「ちなみに年収はそこそこでイケメンで浮気の心配がなくてできれば専業主婦希望なんですけど。それから両親と同居はちょっと嫌ですね。できれば次男が……ってあれー、どうして部屋から出ていこうとするんですか?」

 手ばやく荷物を整理して、ラニーニャの戯言を無視してヨハンは部屋を後にしていた。


 ▽


 アーデルハイトはむすっとしていた。

 マルクの屋敷には使われていない地下室がある。

 そもそもこの屋敷は大昔に建てられて、家主がいなくなっていたものをマルクが買い上げて修繕した家で、地下には当時まだあった奴隷制度により買われてきた奴隷達が生活していた部屋がある。

 勿論しっかりと掃除されているため当時の面影などは何も残ってはいないのだが、地上部分だけで事足りてしまっていたので今日まで何にも使われていなかった。

 ヨハンはそこを借り受けて、短い間の自分の工房とした。

 木造りの地下室は複数人が一緒に生活することを想定していたらしくそれなりの広さがあり、そこに並べられた道具制作のための設備はアーデルハイトからすれば何処か懐かしいものがある。

 薬品調合用のガラス瓶に細かく粉にするための薬研。それから視線を移せば武器制作用の工具の数々もある。

 ヨハンは道具作成のために工具も使えば調合もするし、アーデルハイトのローブのように裁縫までこなす。ギフトのあるなしに関わらずそれは立派な特技だ。

 それはいい。それは別に問題ない。

 目下アーデルハイトにとって問題なのは、何故かそのヨハンに対してクラウディアが妙に引っ付いていることだった。

「よっちゃん! これ本当!? 本当にできんの!?」 

「設計図はあるし、原理もなんとなくは理解できる。後は材料だが」

「あるよ! 材料あるって! 多分!」

 ヨハンがテーブルの上に広げている本は、アーデルハイトの祖父が彼に託したと言われている魔導書だ。そこには魔法の技術だけではなく様々な道具についての知識も載せられていると聞く。

 ヨハンはそれを見ながら手持ちの材料と相談して武器を作るのだろう。そしてそこに、クラウディアが気に入りそうなものがあったと。

「これ絶対凄いじゃん! なんか連射とかできそうだし!」

「魔導書に載っているだけあって、火薬ではなくて魔法力を使って弾を撃ち出すみたいだが、宛はあるのか?」

「へ? アーちゃんに入れてもらえばいいんじゃないの?」

 視線がアーデルハイトに向けられる。

「嫌よ」

「えー」

「魔力は無尽蔵にあるわけではないの」

「そうなんだ。アタシは魔法って全く使えないから、全然判らなかったよ。ゴメンね」

「…………」

 そう素直に謝られると、これ以上言及することもできない。

 ちなみに現在の位置関係は入り口近くの椅子にアーデルハイトとカナタが並んで座っており、そこに並べられた材料を手持無沙汰に弄っている。

 そしてヨハンの横にはクラウディアがいて、その少し後ろでラニーニャがにこにこしながら二人の様子を眺めている。

「何かしらの魔力を貯蔵する物があれば何とかなるか。確か昼間のうちに買っておいたものが幾つか」

「これ?」

 目の前に積まれた材料の山から、小さな水晶を手に取る。

「ああ、それだ。そこに魔力を溜めて、回路に流して弾を発射できるようにしよう。だが問題は」

 それからヨハンは聞かれてもいないのに新武器の機構の説明を始めている。

 クラウディアが興味があるのは具体的にいつできるのか、それがどのぐらいの性能を持っているのかだけで、中身に関しては全くと言っていいほど興味を示していない。

 やがて制作を始めると言った段階で、部屋の中の空気が変わる。

 それは恐らく、アーデルハイトにしか感知できないほどの小さな変化。魔法でもなく、未知なる力による領域の書き換え、それこそがヨハンの中に残されたギフトだった。

 工房化。

 仮にそう呼称しておく彼のギフトによって、この狭い地下室は独自の法則によって動き始める。

 その中でヨハンは全能――には程遠いが、自らの中にある法則に従って魔法の力が宿った道具を操ることができる。

「ヨハンさんのギフト初めてみた。……地味だね」

「ええ、地味ね」

 だが、その価値は計り知れない。

 それによって本来はこの世界に在り得ない力を生み出すことすら不可能ではないのだから。

「あのさ、ボク全然判んないんだけど。ヨハンさんの工房って、要は珍しい道具を作れる力ってことでいいんだよね?」

「……厳密には少し違うわ。早い話が道具の作り方を書き変えてしまう力よ」

 首を傾げるカナタ。

 アーデルハイトは溜息をついて、改めて彼女に向き直る。

 目の前に積まれたガラクタにしか見えない材料の山から、適当な薬草を取り出して彼女の目の前に差し出した。

「これがなんだか判る?」

「薬草しょ? 傷薬の材料だよね。集めてくる仕事したことあるし」

 一本につき、極めて足元を見られた値段で買い叩かれていたのだが、イシュトナルでは冒険者ギルドが機能しているためそこそこの収入にはなる。

「そう。これを使った傷薬の作り方は?」

「判るわけないじゃん」

「……エトランゼの冒険者は自分で調合することもできないの?」

 居なくはないが、多くはない。市販品を買った方が手間もないし、何よりもそれを学べる場所も多くはないからだ。時折この世界の魔法使いに気に入られて弟子になったエトランゼが薬品を調合し安く売ることもあるが、お目にかかる機会は決して多くはない。

「……それで、本来はこれと他の材料を幾つか調合することで貴方達の手元に来る傷薬を作るの。それが彼のギフトなら、異なる素材で作ることができるようになる」

「うんうん」

「例えば本来傷薬を作るのにこの薬草一つと、こっちの根っこが二つ必要だっとするでしょう? でも、彼の力なら各一つずつで作れる」

 これは実際のところではなく、あくまでも一例として紹介しただけだ。

「……地味」

「もし半分のコストでそれよりも効果が高いものが作れるようになるとしたらどう?」

「……地味」

 目を眇めてカナタを睨む。

 カナタも流石に拙いと理解したが、何せそれ以外の答えが出てこないというのも事実だった。

「貴方が貰った道具も、わたしのローブも、本来ならばただで人にあげるなんて考えつかないようなほどの高価な代物なの。それを低価格で高品質に作り出せることがどれだけ優れたことか……」

「あ、ちょっと判ったかも。タダだもんね」

「そこで凄さを理解するのはどうなのかしら……」

「でも多分、タダな理由ってコストとかが安いからじゃないと思うんだよね」

 カナタが視線を逸らす。

 彼女の目線を追って行くと、作業に取り掛かったヨハンにじゃれついているクラウディアの姿があった。

「え、よっちゃん、タダでいいの!? 本当!? 凄い、よっちゃん大好き!」

 どうやら値段の話になったようで、クラウディアはヨハンの腕にしがみついて、その豊かな双丘を惜しげもなく押し付けている。

「よっちゃんさん、よっちゃんさん。ついでと言っては何ですがこのラニーニャさんにも新しく素敵な道具の一つでも……」

 言いながらラニーニャはもう片方の手を握って、上目遣いにおねだりしていた。クラウディアにインパクトでは勝てないことを知っての、自らの武器を上手に使った戦術と言えるだろう。

「女の子に弱いだけじゃないかな……。むっつりすけべだし」

「脛を蹴ってくるわ」

 立ち上がってヨハンの元に歩いていくアーデルハイト。

 その直前カナタが言った一言に、これまでの彼女にはなかった感情が込められていることに気付くことはなかった。


 ▽


 御使いが現れてからの数日間は大きな動きこそなかったものの、怒涛の日々と言っても過言ではない。

 武器や道具の制作、船の改良などヨハンが行わなくてはならない業務は数多い。

 そして何よりも、今も解決できない最大の問題が目の前に立ち塞がっているのだ。

「……戦力が足りん」

そればかりはいかんとも解決しがたい問題だった。御使いとの戦いはカナタとヨハン自身の仕事になるとしても、それ以外の敵の数も多い。

 クラウディアの一存で何度か沖合を偵察に出ている武装商船団からの報告によれば大量の魚の怪物が海に溢れているそうだ。

 そして今のところ、武装商船団の最大のパトロンであるマルクからの返事は色よいものとは言えない。彼の娘であるクラウディアは協力する気満々であるとはいえ、それ以外の団員や船は半分は彼の資産でもある。それを何の利益もない行いのために消費するなど、商人として思い切りが付かないのだろう。

 海上が封鎖されたままでは大きな損害が出ることも判っているだろうが、それも駆け引きのうちの一つなのだ。

 イシュトナルかオルタリア、どちらかが我先にと事態を解決すれば、ハーフェンとの関係は良好なものへと変わる。それを狙って軍を動かしてくれることを狙っているのだろう。

 それに対して彼を汚いと罵ることはできない。事実、武装商船団の戦力は決して大規模とは言えない。下手に動かせば取り返しのつかない大打撃を被ることもありうるのだから。

 現状ではオルタリアは動く気配はない。向こうから出向している官吏に事態を説明はしたようだが、様子を見るという返事が来て以降は動きはないようだった。

 イシュトナルもまた、戦力の提供については前向きではない。エレオノーラは積極的な支援を行ってくれているが、それ以外の貴族達は後ろ向きな回答でそれを滞らせている。

「やはり人が増えれば動きは鈍るな」

 とはいえ彼等が連れて来てくれた戦力や情報、そして何より多くの貴族がエレオノーラを支持しているという大義名分は非常に重要なものでもある。

 ――戦力の出し惜しみをする理由の一つとして、エトランゼでありながら王女の寵愛を受け、手柄を立て続けるヨハンに対する悪感情があるとの噂もあるが、真偽は定かではない。

 とにかく道具の作成と並行して何度も試算を続けているが、勝機は限りなく薄い。

 そして何よりも、事態の停滞は焦りを生む。そんなことではいけないと判っていながらも、何もできない自分が不甲斐なく思えてくる。

 せめてもの気分転換に外の空気でも吸いながら、用意してある武器と戦力の確認でもしようと部屋を出ようとして椅子から立ち上がると、同時に扉をノックする音が聞こえた。

「ラニーニャさんです。お時間よろしいですか?」

「ああ。ちょうど俺も用があったところだ。入ってくれ」

 扉が開かれて、海色の髪をした美少女が部屋に入ってくる。その涼やかな笑顔に、少しだけ心の棘が取れたような気がした。

「殿方から用事なんてドキドキしてしまいますね」

「適当な椅子にでも掛けてくれ。そっちの用件を先に聞きたい」

「連れないですねー」

 そう言いながら、勝手にその辺りにあった椅子を引っ張って来てそこに座るラニーニャ。

 彼女の手には霊符による包帯が巻かれ、回復力を高めて骨を無理矢理にくっつけている。もう殆ど問題なく動かせるはずだった。

「はい。プレゼントです」

「……なんだこれは?」

 懐から彼女が取り出したのは、一枚の書類。

 この世界では珍しい白い綺麗な紙に記されている要項を上から下へと眺めていく。

「武装商船団の戦力、船員に対する全ての権限を、一時的にヨハン殿に貸与するものとする。御使い討伐に対しての費用は全てマルクが負うものとして、返還の必要はない」

「直筆サイン入り、です」

 ヨハンの顔を見て、してやったりと言った表情で見上げるラニーニャ。

「……なんでこんなものを?」

「嬉しくないんですか? 問題の一つが解決しましたよね? さあさ、ラニーニャさんを讃えてくれて構いませんよ?」

「いや、まず理由の説明をだな」

「ふふふっ。仕方ありませんね。ちょっとクラウディアさんをそそのかし……いえ、説得したうえでマルク様へと直談判に向かいまして、そこでその証文を書いてもらってわけですよ」

「そんな簡単に進む話だったとは思えんが」

「って思うでしょう? でもちょっと考えてみてくださいよ。そもそもクラウディアさんは戦う気満々なんですから、マルク様が戦力を出さないと一隻の船で戦うわけで」

 ラニーニャの言う通り、そのままではクラウディアの命も危うい。だが、娘の命と大勢の組合員の命を天秤に掛けるのもどうかと思うのだが。

「勝てばいいんです、勝てば。わたしことラニーニャさんと、クラウディアさんがしっかりとヨハンさんのことを売り込んでおきましたから」

「……それはありがたいが。なんで急にそんなことをした?」

「いや、だって。本当にそのまま戦ったらクラウディアさん、死んじゃうじゃないですか? わたしはそんなの嫌なので、打てる手を打っただけですよ」

 しれっとそう言ってのけた。

「それに、よっちゃんさんがそれなりに信用できる人だって言うのも判りましたしね」

「なんだそれは」

「用事ってこれのことでしょう?」

 そう言って彼女は右目を指さす。傷はそのままだが、そこはもう以前のように髪に隠れてはいない。

「ああ。具合はどうだ?」

「いい感じです。ちょっとぼやけてますけど。そのうち慣れますかね?」

「大丈夫なはずだ」

 彼女の右目には今、薄いレンズが張り付いている。

 元の世界で言うコンタクトレンズと同じ形状の魔法道具で、光の収束率を高めて視力を回復させている。

 その他にも様々な機構が搭載されているのだが、半分程度説明したところでクラウディアが寝てしまったので打ち切られた。

「ならよかった」

「これ、とても大事なんです」

「何の話だ?」

「わだかまりを解いてくれました」

 クラウディアもラニーニャもまだ戦いに慣れていなかったころの話だ。

 敵を深追いしたクラウディアを庇って、ラニーニャは片目の視力を失った。

 ラニーニャはそのことを全く恨んではいないのだが、クラウディアにとっては深い負い目として残っていた。

「別に問題は視力の話じゃないだろう」

「ええ、でも。片方だけの世界はやっぱり狭かったもので。海の広さを感じられるのって、大切だと思いません?」

「どうだかな」

「そのお礼の一つです。マルク様を説得したのは」

「なら、作った甲斐もあったな」

「それから、貴方を信用できたのも」

 ラニーニャに背を向けて机に向かっていると、その両肩に手が乗せられた。そのまま小さな手が肩を揉みしだいていく。

「そんなことで人を信用するな」

「あら。それじゃあわたし達を裏切りますか?」

「結果的にそうなるかも知れんぞ。御使いに勝てる保証はないからな」

「正直な人ですね。生き辛くありません?」

「……どうだかな」

 誰も助けてはくれなかった。

 ハーフェンで海賊や海の魔物の被害が発生したとき、オルタリアも、他国からの船も、手を差し出してはくれなかった。

 そこに手を上げたのがクラウディアで、彼女はこの街が好きだったから、危険も顧みずに海へを飛び込んでいった。

 それから年月が経って、自分達の力だけで解決してしまうことに慣れきってしまったころ。

 直面した大きな問題に、利益も関係なく立ち向かってくれる人がいる。

 それだけで、信ずるに値する。

 悪党である大海賊とは正反対の、誰かのためだけに戦う人には。

「勝ちましょう。勝ったら、もっと素敵なお礼をしてあげますから」

「……期待しておく」

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