第7話 【リサ】9月28日(火)

 仕事明けに泊めてもらったミサキの部屋でダラダラしてしまい、曳舟の駅に着いたのはお昼過ぎになってしまった。

 通い慣れた道を進む。公園を過ぎて角を曲がると突き当たりに見慣れたアパートが見えてくる。でも、今のわたしの手にある鍵はタケシという男のものだ。

 そろそろ本腰をいれて一千万を探さなきゃいけない。トイレのタンクの中とか、外のメーターボックスとかは昨日見たので、今日は押入れの天板の裏とか、もっと突っ込んだところを探してみる予定だ。

 一千万円といっても、万札にすると10センチほどらしい。わかりやすく紙袋とかにまとめてくれてればいいけど、小分けにされたらかなり見つけるのは難しい。

 部屋に入り、押入れを開けてみると乱雑に荷物が押し込まれていた。タケシは見られたくないものを慌てて詰め込んだのだろう。

 わたしとタケシはホームエクスチェンジをするにあたって、お互いの部屋を漁ってはならないというルールを決めた。お互いに会いに行くことも禁じた。日中、彼は会社に出ていて、わたしは浅草の花屋で働いていることになっている。

 押入れの下段の奥に膨らんだゴミ袋が見えた。当然ケンジのものじゃないのだけれど、なんとなく取り出して中を覗いてみる。そしてやっぱり見なきゃよかったと後悔した。

 そこには女性ものの洋服やコート、帽子などが入っていた。きっとタケシの恋人が置いたまま出ていったのだろう。絶対に別れを認めないタケシに対して、「あたしのもの全部捨てちゃっていいから」と言い捨てる見知らぬ女性の絵が浮かぶ。

 袋の奥には腕時計やスニーカーまであった。さらに歯ブラシや下着、手帳までが出てきた時には薄気味悪くて背筋が震えた。あの男はやはり病んでいる。

 一昨日の日曜日、わたしはあの男の後をつけて、公園で声を掛けた。

 少し話しただけで、異常な状態であることはすぐにわかった。なんというか、目が合っているのに焦点がずっと震えている感じ。危険なことはわかったけども、この男なら取り込めると自信を深めたのも事実だった。

 わたしは仕事で磨いた話術を駆使して、あの男をときほぐした。そして、ホームエクスチェンジの提案をすると簡単に受け入れた。あの男はきっとわたしを運命の女と思ったことだろう。そりゃそうだ。そうなるようにわたしが仕向けたのだから。

 押入れに潜り込み天板をあげてみる。でも顔を突き出す気にはなれない。埃っぽいに決まっているし、ネズミとかが大家族でいても不思議じゃない。

 でも、だからこそ、こういう場所に隠すのかもしれない。

 たとえそうだとしてもわたしには無理だ。顔中が埃まみれになるなんて耐えられない。

 正直、心のどこかで見つかるわけないなんて思っている。お金もケンジも。

 きっと見つけ出すことが目的じゃなくて、探しているという行為自体がわたしを落ち着かせるのだ。

 その後、タケシの女の手帳を盗み見たりしていると、美容院の時間が近づいてきた。

 どうやらミキというタケシの女は、出会い系にはまっているようなロクデモナイ奴のようだ。そんな女にはまってしまうあの男もロクデモナイ。

 つうか、手帳くらい持ってけよ、ミキ。いや、それくらいタケシと過ごした時間は断ち切りたいほどのものだったのかな。

 今日は太客ふときゃくの同伴がある。わたしはさっさとこの部屋を後にする。


 お店で体が空いたのは二十一時ギリギリだった。小休憩をもらいビルの外へ出る。曳舟に戻る余裕はないので、わたしから自分の家の電話番号を鳴らす。妙な気分だ。

「タケシくん、今日もピッタリだね」

「ルールを守るのは当然じゃん。それに、錦糸町の方が職場に近いから実は楽になったんだよね」

 タケシの息遣いが荒い。きっと食事もしないで一目散に帰ってきたのだろう。わたしが外から連絡しているのも知らずに律儀な男だ。

 その後も適当に会話を弾ませて、本日の業務連絡を終える。どんなにくだらない話でも気持ちよく語らせてあげるのが、接客のプロとしてのわたしの実力だ。

 ビルに戻ろうとした時に「ケンジか?」と、後ろから声がして驚いて振り返る。ビルの陰でネオンの影にしかみえない人間が立っていた。広い肩幅に固太りしてそうな肉付き。わたしは思わず記憶の中の影を重ねた。

「……ケンジ?」

 そう口にした直後に、今日はまだ「公衆電話」からの着信がきていないことを思い出した。

「あんたが電話していた相手だよ。わかったのか、ケンジって奴の居場所」

 わたしの部屋に上がり込んできたチンピラの一人だった。「あなた誰ですか……」って怯えたふりをしようかと思ったけど、めんどくさいからやめた。

「まだわかんない。いろいろ探してはいるんだけど……」

「約束まであと三日だぞ。大丈夫なのか」

「ぜんぜん大丈夫じゃないよ。いきなり探せって言われても、こっちは警察でも探偵でもないんだから」

 皮肉をこめて笑ってみせる。この男はケンジと風貌が似ているせいか、恐怖を感じない。どうせ立ち位置は使いっ走りのチンピラだろう。

 男は黙ったままたばこをくわえた。去勢を張ろうとしているのが伝わってくる。怯えているからこそ強く出るタイプだ。もちろんわたしはライターを差し出したりしない。

「金の隠し場所もまだわからないのか」

「わかってたらすぐに渡すって」

「本当か?」

「あたしが嘘つく必要性ってなによ」

 ひと睨みしてやる。男の煙を吐くペースが早い。慌てている証拠だ。

「いいか、実際に金を見つけたとしても、変な気を起こすなよ」

「変な気?」

「それ持ってトンズラしようとかだ」

「トンズラ? そんなわけないじゃん。思いつきもしなかったよ」

 それは本心だ。それまで思いつきもしなかった。

「金はマジで人を変えるからな。ケンジって奴も金を目の前にした途端、変な気を起こしちまったのかもしんねえ」

「そんなんで命を狙われるなんて、割に合わないって」

 わたしが笑うと、男も「間違いねえ」と肩を揺らして笑った。その肩は相当に分厚い。

「ところで、あんたの家に住み着いているあの痩せっぽちの男はなんだ。まさかあれがケンジってことはないよな」

 ドキッとさせられた。やはりわたしは見張られているのだ。でもその本心は見せない。

「んなわけないじゃん。今の彼氏だよ。だから最初からケンジとはもう関係ないって言ってるのに」

「それなら、なんであんたは帰ってこないんだ。喧嘩でもしてるのか?」

「それ、答える必要ある? ああ見えて彼は超凶暴なんだよ」

「……ぜんぜん見えないな」

 男はたばこを踏み消した。ようやく男がわたしから目を逸らした瞬間に、ふと気づいたことがある。

「つうか、あなたケンジの顔、知らないの?」

「ああ」

 男は平然と即答した。 

「それじゃ、ケンジを連れてっても本人かどうか確かめらんないじゃん」

「ああ」

「は? あんた、バカじゃないの? あたしが赤の他人連れっててもわかんないってことでしょ?」

 いきなり男の右手がわたしの首を握っていた。動きがまったく見えなかった。男がだんだんと力を加えていく。

「いいか、人間って思ったより簡単に他人を殺せちゃうんだよ。殺される人と人殺しの違いなんて、黄色い線の内側か外側かくらいのもんだ。だから、変な気は起こすんじゃねえぞ」

 呼吸が苦しくて自然と地面に膝をついた。いつのまにか、男はわたしを見下ろす形になっていた。

「ボスも言ってたように、金の出どころは問わない。とにかく一千万、あればいい。ケンジの出どころも問わない。とにかくケンジ、って男がいればいい。どうせ死体はなにも語れない」

 うんうん、と何度も頷くと、呼吸が解放された。息を整えて顔を起こすと、男はいなくなっていた。わたしは痛感した。あの男への見立ては大きく間違っていたことに。

 いや、この騒動自体への見立てが間違っていた。どこかで映画の中の他人事のような気でいたけれど、わたしは完全に当事者で、本気で向き合わないとわたしの身も危ない。


 その日の仕事上がりに、トールと居酒屋で落ち合った。

 トールはケンジの後輩ホストで年齢はケンジやわたしより三つも上だ。今は配達の仕事をしているらしいけど、ホスト時代はケンジにくっついて歩いていた。

 ケンジは動物を躾けるように扱っていたけど、トールにとってケンジの下にいるというのがあの世界で生き延びる術だったのだろう。とにかくトールはホストに向いていなかった。

 あいつらが部屋に来た翌日、トールに相談すると彼は迷いなく言い切った。

「ケンジさんのためならなんでもやりますよ」

 それはケンジではなくわたしのためだってわかっていたので、遠慮なく動いてもらっている。盛り場でのケンジ情報の収集をしてもらい、思えばケンジが前の家に金を隠したんじゃないかと推理したのもトールだ。

 わたしは数時間前の恐怖を微塵も出さずにケンジ情報の進捗を訊く。

「錦糸町にはもういないみたいっすね。浅草と上野の知り合いに聞いても、まったく話に出てこないっす」

 トールはのんきな顔でビールをあおっている。その危機感のなさに腹が立った。でも、無理に煽ると逃げ出す恐れもあるのでやめておいた。

 その後もトールに気持ちよく話をさせてやり、絶対的な協力を約束させた。明日の床下、天井裏を探索するのはトールだ。

 今日のワインは妙に沁みる。恐怖によるストレスが心を高ぶらせて酔いを深くさせているのかもしれない。

「一千万あったらなんでもできるよな〜。俺だったらさっさと沖縄に引っ越して農業でもしながらゆうゆう暮らすけどな」

 トールが遠い目をして言った。

 確かにそうだ。一千万あれば、ここではないどこかで何かを始めることができるだろう。人生の逆転劇だって可能だろう。

「リサさんさ、本当に一千万見つけちゃったらどうするの?」

 トールが訊いてきた。いつのまにかタメ口になっている。

「どうするもなにも、あいつらに渡して、それで終わり」

 わたしの首はあの男の強い力を覚えている。あいつが言っていた「変な気」のことも。

「それって本心? ホストに嘘はつけないよ〜?」

 酔った顔を近づけてきたので、灰皿を顔にぶちまけてやった。

「調子に乗んなよ」

 トールは一瞬、顔を強張らせ、すぐに周囲を気にしながらおしぼりで顔を拭った。

 わたしは決して本心を覗かせたりはしない。

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