女の子の髪には素敵なものが詰まっている

松本 知樹

第1話 少女と美容師

 10月も終わろうかという日のこと。

 小さな美容室を営んでいる弘前シゲルが、今日はそろそろ店終いにしようかと考えていたところへ、一人の客があられた。


 その客はドアの前で何かためらっていたようだったが、ほんの少し迷った後、ドアを開けて入ってきた。

 人並みの身長しか無い弘前より、頭一つ以上低い。

 目深にかぶった帽子から覗いた顔は、まだあどけなさを残す女の子の顔をしていた。


 小学校高学年くらいだろうか、と、弘前は考える。

 というより小学生にしか見えなかった。手足もきゃしゃで細く、子供っぽさがある。

 真面目な顔で唇をきゅっと引き結んだその顔も、整ってはいるが、クールな美人というより幼さを感じるかわいらしさがあった。

 通りすがりに見かけたら思わず微笑んでしまいそうな、そんなかわいらしさとは裏腹に、弘前はこの状況に怪訝さを感じた。


 この時間帯に小学生……?


 日没はもうとっくに過ぎていて、外は真っ暗だ。時間も夜の8時近い。

 暗い赤色をした厚手のコートに、膝上くらいのグレーのスカート、頭をすっぽり覆う大きなつばのある黒い毛糸の帽子をかぶり、チェックのマフラーを巻いたファッションは、どこかへ遊びに行ってきた帰りにも見えるが、小学生が一人で髪を切りに来るにはいくらなんでも遅い時間だった。


 ――なんでこんな時間に子供が?

 珍しい状況を前に思わず考え込んでいた弘前は、この小さいお客様に対して無遠慮に眺めるだけで来店の挨拶すらしていないことに気付き、とりあえず接客業としての礼儀を全うすることにした。


「いらっしゃいませ」「あの」


 同時に女の子も話し出して声が被ってしまった。

 女の子が真面目な顔を崩して、少し頬を赤くする。


「あの、カットを、おねがいしたいんですけど」

 女の子は気を取り直したのか、それともこれを言わなきゃ始まらないと思ったのか、赤い顔のまま、少し震える声でそう言った。

 それを聞いた弘前は少し眉をひそめた。


 ……どうしようか。

 美容室の業務はカットにしろシャンプーやヘアカラーにしろ、時間がかかる物が多い。

 閉店間際の、その上飛び込みの客なんだし、断ってもいいかなとも思う。

 実際、弘前が見習い時代に勤めていた店ではこういう客は断っていた。


 とはいえ、それは前の店での話だ。

 弘前が開いた美容室は自分一人で経営してる小さな店だから、時間的な融通は効く。

 カットだけなら30分もかからないだろうし、何より客を断るという状況には前々から抵抗があった。


 そうは言っても、子供が一人で夜遅くに来るというのはその時点で問題がある。

 弘前自身にしたって今年で31歳、まだ若いといえる男だ。

 子供の、それも女の子を、こんな時間に、しかも親の承諾もなしで客として迎えるのは、正直どうかと思う。

 弘前が考えている間も、女の子は緊張した顔でじっとこちらを見ている。


 ……まずは事情を聞くほうが先だろう。そう結論づけた弘前は女の子に話しかけた。

「ええっと……、一人で来たの?」

「はっ、はい」

 少し上ずった声で返事をしてきた。


「……小学生だよね?」

「はい」

 やっぱり小学生か。


「お母さんとか、ご家族は?」

「その……、家にいます」

 少し言いにくそうに答える。

 ううん、どうすりゃいいんだろう。

「あの……、ダメでしょうか」

「ううん、そんなコトは無いんだけど、もう夜も遅いからさ、また明日とかじゃダメかな」


「あっ、明日じゃダメなんです!」

「うわっ!」

 急に大きな声を上げて顔を近づけてきた女の子に、弘前は思わず後ずさってしまった。

「あっ……」

 女の子は自分の出した声に自分でびっくりしたのか、少し目を見開き、

「……ごめんなさい」

 その後うつむいて、しょんぼりした声で、謝った。


「いや、大丈夫だよ。大丈夫。気にしないで」

 声には少しびっくりしたが、特に問題はない。

「……」

 本当に問題は無いし、本当に気にしてはいないのだが、女の子はコートの裾をギュッと掴んで、うつむいたまま黙ってしまった。

 そのまま無言になってしまう。


「本当に、気にしてないよ?」

「……」

 ……本当にどうしようこれ。


 弘前の体感的に30分くらい無言だった女の子は、実際には1分くらい黙った後で顔を上げた。

「……今日じゃなきゃいけない理由があるんです」

 そして、先程までの緊張を吹っ切ったような、何かを決断した人の顔でそうつぶやいて、それでも少し震える手で、被っていた帽子とマフラーを脱いだ。


 現れたのは濡れたような艶のある黒髪だった。

 それも床に垂れるほどの長さの。


 こんな綺麗な髪は見たことがなかった。

 その髪は恐ろしく滑らかで、帽子の中に詰め込まれてぐしゃぐしゃになっていたはずなのに、頭の天辺から耳、肩、そして背中へと何の抵抗も無いかのようにさらさらと流れた。

 クセも一切無く、きれいなストレートヘアで、室内の照明を反射してきらきらと輝く。


 こんな長さの髪も初めて見た。

 ロングヘアというにも長過ぎる。

 帽子から滑り落ちた髪の毛は滝のように一直線に足先まで到達して、床に毛溜まりを作っていた。


 明らかに異常な長さなのだが、弘前はその異常さを考える前に

 ――太陽の下で見たらきっと、もっと綺麗なのだろうな。

 思わずそんなことを考えた。

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