3-5 人見知り
アリーシアは孤児院と修道院へいったあと、勉強を真面目にしようと考えるようになった。それはアリーシアがもっと世界のことを知りたいという気持ちと、レインから子どもたちの話を聞くようになったからだ。
実は悲しい話も聞いた。
アリーシアたちが行った孤児院は比較的管理が行き届いている孤児院だが、場所によってはもっと環境がよくないところも多くあるという。孤児院を出た子どもたちは、社会で出て行くことが難しい事もあるという。先日、雇い主と雇われ側の暴力事件があったらしい。雇い主は大きな商売をしているらしいが、もともといい噂がなかった。雇うときの契約内容がひどいというのだ。この世界では文字が読めない人も多い。
雇われるときに、契約書をかわしたといても文字が読むことができなったらその時点でアウト。今回事件が起こったのは、もともと孤児院で育った青年たちだった。彼らはある一定年齢になったら孤児院を出て行く。そして自分で生活をしなくてはならない。
孤児というだけで、仕事も見つからないこともある。商人の警護という名目で雇われたが、契約はひどいものだった。実質ただ働きに近く、奴隷のような待遇だったらしい。しかしその契約に縛られてしまい、逃げ出すことも抵抗することもできなかった。積もり積もった不満が爆発し、暴力事件になってしまったのだという。
こういうことは実はそれほど珍しくはないことだ。圧倒的に弱い立場のものが、力の強い者に
アリーシアは世の中の仕組みなど考えたこともなかった。前世だって、学校に行って、大人になって働いて。それが当たり前と思っていたし、生活は淡々と過ぎていくものだと思っていた。実際、前世においては高校を卒業したら、すんなり働き出して、25歳になった。学校の中はそれなりに人間関係の
ただアリーシアは頭でわかっていたが、実際どうにもならないことを目の前にして、同じ世代の、それほど変わらない人たちが困難なこと遭遇していることがとても衝撃的だったのだ。自分だって生まれが違えば同じことに悩んだに違いない。努力ではどうにもならないことの前で、必死に生き、前に進もうとする人にいること、自分も何かしらできないことはないだろうかという気づきが生まれた。
何ができるわけでもない。今ある環境のなかでできることと言えば、今以上に勉強に励むと言うことだ。そしていろんな事を知り、いろんな事を学ぶ。母のいうことは当たっていた。いろんな事を実際見て、知ると言うことは何よりも勉強になる。
「といっても・・・・、急に何かできるわけではないけれどね。」
アリーシアは妙に冷めているところもあった。あくまで自分の力量はわかっている。自分が特に何か素晴らしい能力をもっているわけでもないし、生まれ変わってもチートスキルのようなものなどない。転生者なのだから天から与えられた能力なんてあってもいいだろうな、となんとなく考えたこともあった。
「サンパウロさまはその点チートスキルみたいに強かったわよね。」
今日の妄想のネタができあがりそうだ。午前中の勉強が終わり、午後からはアリーシアの秘密基地、もといサンパウロさまコレクションがある部屋でこもって過ごすことにした。
今日もアポロは親戚回りを父としている。今日のアポロはひどかった。出かける前からぐずって仕方がなかった。アポロの様子を見ていると、親戚回りが窮屈でつまらないのだとよくわかった。兄・アランのかわりにアポロに出番がきた。アリーシアはアポロがかわいそうな気持ちと、では代わりに自分が行きたいかと言われると自分は行きたくない気持ちがあり、複雑な気分だった。
エントランスが騒がしくなった。どうやら父とアポロが帰ってきたらしい。今日は早いお帰りである。父はそのまま城へ行ってしまうようで、慌ただしく支度をしていった。アポロはうつむいたまま着替えに連れて行かれ、家の中にいる軽装の服に着替えた。アリーシアは今日は特別にアポロを秘密基地に招待してあげようと思った。
いつもは勝手に入ってこようとするのを阻止しているが、今日は特別だ。嫌な仕事をしているアポロに、レインからもらって城下で流行っているお菓子を振る舞ってあげようと思った。
案の定アポロは着替えてからアリーシアの部屋の前にきた。
「アポロ、お帰りなさい。」
「お腹へった。」
「外で食べてこなかったの?」
「何か出てきた気がするけど、覚えてない」
食べ物が出たら真っ先に手を出しそうなアポロが、その存在を忘れているなんてよほど窮屈な挨拶回りだったのだろう。
「そう?だったら今日はお菓子があるから、秘密基地へ行って食べましょう。お茶をキッチンからいただいてくるから。」
「お菓子!?」
ほら、食いつきがいい。食べ物に食いつきがいいのは、アリーシアもだがアポロである。もちろん父譲りの特徴だろう。先ほどまで悲壮感が出ていたアポロの表情に喜びが混じる。
「私はキッチンへお茶をもらいに行くから、アポロは部屋に行っていて。決してモノを勝手にいじったり、倒したり、壊したりしないでね。」
いつもアポロにはアリーシアの秘密基地のものをいじられて、たまに壊されるので、注意には念を押す。アポロはわかっているのか、聞いているか定かではないが、一応頷いた。少しばかり不安になったが、アリーシアはキッチンへ行き、お茶をポットでもらってくる。使用人に頼んでもいいのだが、そうそう人数を雇っていないのもある。自分で出来ることはやるのがこの屋敷での方針だ。ほかの屋敷ではどうかしらないが、その方が見張られることもないし、気楽だと感じた。
キッチンでいつも優しい料理長に紅茶が入ったポットをもらい、簡単にティーパーティーができるようにバスケットに入れてもらった。秘密基地のことなど、屋敷全員が知っていると思うが、むやみに誰も入ってこないからありがたい。
部屋に行くとお行儀悪く、アポロが床でごろごろと寝転んでいた。
「アポロ、そんなところで寝転んだら背中にホコリがついてしまうわ。ここはそんなにお掃除をしていないのだから。」
「うーん。」
返事ははっきりしない。疲れているのだろう。仕方なくそれ以上は何も言わないことにした。
「さあ、お菓子をいただきましょう。アポロ、起きないとお菓子あげないわよ。」
「お菓子食べる。」
「じゃあ、ソファに座っていて。」
とぼとぼとソファに座って、またソファの上でごろごろ寝転びだした。完全に怠けモードである。
アリーシアはそれを横目に、目の前にあるテーブルにティーカップと2つだし、お茶の用意をした。ティーソーサーも取り出し、アポロのところへ一枚、アリーシアの前に一枚置く。そして入れてもらったポットからお茶をカップへお茶を注いだ。爽やかな香りがする。お茶は西の貴族の土地から買い付けたものである。色が赤く、前世でいる紅茶というものだろう。そしてクッキーを並べる。
「ほら。アポロ起きて頂いてね。」
「はーい。」
ソファから起きて、クッキーに手を伸ばすアポロ。今日のクッキーはレインから頂いたもので、城下街で流行のお店のものらしい。形は丸く、チョコチップが入った素朴なクッキーである。さくっと食べたあとの軽い食感が食べやすい。クッキーでもポソポソしてしまうものも多いのだが、これはいくらでも食べられてしまいそうだ。
「おいしい!」
ぱくぱくと食べてしまい、次へ手を出すアポロ。
「ゆっくり食べてね。アポロ、お昼は食べてこなかったの?」
「食べてきたけど、美味しくなかった。」
「珍しいわね、アポロがそう言うなんて。」
「たぶん美味しいんだけど、わかんない。お菓子も出たけど、食べられなかった。」
「緊張して?」
「うーん、話を聞かないといけないから。僕面白くない話きいてもつまんない」
「面白くない?親戚の人どんなお話したの?」
「誰と知り合いだ、とか。どこへ行ったとか。どんなものを持っているとか。僕の知らない話。」
貴族や偉い人が得意とする自慢話だろう。前世でもあるあるなお話である。特に仕事において、偉い人は自慢話が好きは人が結構いる。誰と会ったとか、誰と知り合いとか。コレクションはどうだとか。それを自分のステータスとして自慢する。正直いって聞いている方はとても退屈だ。興味がそもそもないのだから。確かにその人に取り入って仕事を成功させる、という目的があるならいいだろう。でも子どもにそんなことを話したって、意味があまりなさそうだ。
「親戚の子で、アポロと同じくらいの子どもはいなかったの?」
「いたけれど。みんな同じ話するんだもん。爵位がどうのこうのとか。僕のお母さんが男爵だからとか、よくわからないこと言われた。」
たぶん親戚の人が言っているのは、母の爵位が低いことだろう。侯爵家の分家的な立ち位置にある親戚は、侯爵の地位をもっている父達がねたましいのはあるだろう。ましてその結婚相手が、男爵という立場。爵位を重視する人から見たら、噂話のネタになる。それをアポロは暗に
「そう、とっても疲れたわね。がんばったとおもう。」
「本当!?僕、がんばった?」
「ええ、とってもよくがんばった!だから今日は少し多くクッキー食べてもいいわよ。姉さまの分、少し分けてあげる。」
「やった~!」
アポロにとって初めて出会った同世代の人々は、残念ながら典型的な貴族であったようだ。それから何度か親戚回りに行ったアポロだが、少しだけ人間関係を面倒に感じてきたようで、外に出ると静かな子どもになってきてしまうようになった。
少しだけ大人っぽくなっていくアポロには、もう幼児の気配も見られなくなってきた。アリーシアにも変化はあったが、アポロも成長していく。
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