しゅるんべるげら・とるんかた
枝を伸ばし、葉を広げ、太陽の光を浴びて、幾つもの緑が息をする。細い葉も円のような葉も、赤い花も白い花も、小さな蕾も大きな蕾も、全ては等しく美しく、全ては等しく優しかった。棘のあるものも、実を生らしたものも、濃い色をしているものも、薄い色をしているものも、顔同士を近付けて内緒話に談じている。きつく吹きすさぶ風などお構いなしといって、安全な部屋の中で彼等彼女等はぎゅっと身を寄せけらけらと笑った。
「もうすぐ台風が来ますでしょ。だから部屋の中に入れておきたくて」
年老いた女性はごめんなさいね、と頭を下げる。僕はいいえ構いません、と、首を横に振る。両手で掴んだ植木鉢のへりは反り返っていて、持ち運ぶのにあっているとは言い難かった。けれど地面から浮かすくらいなら支障はない、僕はずるずる足を引きずって、鉢を玄関の中に運ぶ。
僕の胴体ほどある太さのそれは、持ち上げた瞬間びっくりするほど重かった。花も実もつけていない筒のような黄緑は天へ向かって真っ直ぐ伸びている。茎を覆って長く大きな葉が一枚、根元から生えていた。
「あとは小さな子たちだけね、ありがとう」
「いいえ」
風がとても強かった。
学校から帰る途中、女性が家の庭から植木鉢を家の中に運び込んでいるのを見て、なんとなく声をかけた。「大丈夫ですか、お手伝いできることはありませんか」突然湧いた声に目をぱちくりとさせて、それから寄った目尻の皺をさらに深くさせて、女性はありがとうと口角を上げた。ちょっとしたやり取りを幾つかしてから、女性のものとみられる庭と、家の玄関とを鉢を持っていったりきたりしている。
小さな鉢を片手ずつ持って、最後の一つを運び終える。入ってすぐに見た玄関はとても広かったのに、左右に所狭しと置かれた植木鉢たちのせいでとても狭いところのような気がした。
「………」
顔を上げる。
初めから部屋の中に置いてあったものだろう。運んだ覚えのない大きな大きな鉢は、僕の背には届かないまでも、目のあたりまで背を伸ばしている。葉についた棘は外に向いていて、なんというか、見たことのない風貌をしていた。なにより茎がない。矢絣の模様のように葉が連なり、支えの為に刺さった竹の棒の輪に頭をもたげている。これはなんというか、
「さぼてん………?」
思わず声に出してしまった。
「まあ、さぼてんかしらねえ」
のびのびとした声は柔らかに、僕の後ろでゆったりと紡がれる。後ろへ体ごと向ける。女性は笑う。僕は聞く。
「さぼてんなのですか?」
「シャコバサボテン、という名前なのだって」
人から聞いた、というふうに、女性は首をかしげる。
「でも可愛らしくないわよねえ。だからもう一つのお名前で呼んであげているの」
「名前がたくさんあるのですか?」
「勿論。この子は誰かのものではないから」
あなたのものではないの、と言いかけたけれど、やめた。女性はそれが当たり前、当然、そうであるのが定められているというように、全く迷いも衒いも感じさせない声色だったから。
「しゅるんべるげら、とるんかた」
その言葉があまりに聞き慣れないもので、だのに何故か耳に馴染んでしまって。歌うような声は目の前の大きな鉢に降り注ぐ。
「この鉢も、お花を咲かせますか?」
女性は首をゆったりと縦に振る。
「ええ、勿論。とてもとても美しく、荘厳で、暖かで、凛とした、優しい華を咲かせます」
「という訳で、貰ってきました」
「ん、そうか」
ふむと頷き、鉢を探してくる、と隘路は背を向け縁側の中の使っていない鉢を漁りに突っかけに足をかける。かこかこと石に打ち付けて、下駄は乾いた音を鳴らした。
「これなどどうだ」
「いいとおもいます」
僕も突っかけに足をかけ、かこかこ進む。隘路はひょいと大きな鉢を持ち上げて、どしり地面に置く。中身のない鉢の中にどこから持ってきたのやら、腐葉土を入れていった。
「で」
「この茎、ええと、葉? これを、ざくり」
ぺちぺち固めた土にざくりと突き刺す。
「終わりです」
「ふむ」
「根が生えてきて、茎、ええと、葉が出来て、矢絣で、大きな花が咲くのだそうです」
「矢絣」
「やがすりです」
隘路はふむ、とまた顎を引く。
花が咲くのが待ち遠しい、と僕は首をかしげる様にした。
「ところで迷路、この花は恐らく
「はい」
「花がつくのに早くて四年はかかるぞ」
「構いません」
むしろ長い時間があればあるほどずっといい。そう僕が言えば、隘路は何故だと目を瞬きさせる。
「僕がいない間は隘路が水をやるでしょう」
「ふむ」
「あるいは、迷子さんが」
「ふむ」
「僕はそれが嬉しい」
淡々と、僕は隘路の緑の髪を見つめる。すぐそばで息つき始めたいのちと同じ色だ。
そうか、と隘路は呟いた。
ぽつりと空から雫が降った。
台風が来るらしい。
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