失せ物よっつ、花路に掬え。
蛍茶碗
それはとても美しいものだ。少なくとも、僕の目にはそう見えた。醜く気味の悪い、様々な人達に、指をさされ、ある時は抉られそうになった、こんな藍色だけれど、そんなこの目にも、美しいと映る、そんなものだった。
空の雲。揺蕩う秋の鱗雲を思わせる、精巧な模様は整っている。くるりと回してみると、反対側は全く柄がない。表と裏、ハレとケ。注がれた水を通して光がそこからほんのりと、雲を際立たせる。指の腹を近付ければ、明るく照らされた。飲み口、縁のあたりは青色。………、藍色。とても透き通った藍色。藍色。
こんなに綺麗な藍色は、知らない。
「気に入ったかい?」
「はい、とても」
雑貨屋の店員さんはにこりと微笑んだ。とても嬉しそうな、笑い方。
「おにいさんが作ったのですか?」
「ん?」
きょとんと目を丸くして、店員さんは何も言わない。店員さんの赤い顔を見ながら、首を傾げれば、店員さんは「ああ、」ようやく合点がいった、という風に大きく頷いた。
「いいや、違うよ! 仲のいい職人が作ったんだ。おにいさんなんて言われたの久し振りだなあ」
大きく手を振って、店員さんはかぱりと口を開け、笑った。豪快で大袈裟な笑い方。しかしそれには不快感を感じず、また、当たり前かも知れないのだが、悪意も感じなかった。からからとしたそれはお日様。あたたかい。
「欲しいのかい?」
「え?」
「いいんだよ」
欲しがっても。
そう付け足して、店員さんは笑ったままでいる。目の奥はやさしいままだ。やさしいまま。あくまでも、やさしいまま。
やさしい、
まま。
「店員、さん」
「うん?」
「怖い、とはなんですか」
店員さんは、じっと僕を見つめる。僕の視線がとんとぶつかって、擦れて、するりと消えた。空気が揺れて、彼の頬がかさりと音を立てる。白い蛍が目の隅を突いた。
「蛍茶碗」
「ほたるぢゃわん」
ぽつ、と。雨が落ちるような単語。名称。彼は口角を少し上げて、目を伏せる。眉を下げて、小さくなった。
「蛍茶碗というんだよ」
「迷路。何か掘り出し物はありゃったか」
ぱてぱて。足音は跳ねる、跳ねる。電柱にもたれて空を見上げていた隘路は、手に透明なプラスティック製の袋を下げた制帽を見下ろした。
「隘路、隘路」
「ん」
「あの人も、怖い、でした」
「厭なことを言われたのか」
「僕ではありません。あの人、店員さん。怖い、していました」
ふむ。隘路は腕を組む。膝を曲げ、藍色と同じ高さに、細い目を置く。紫紺がまぶたの後ろで揺れる。
「それを、怖がる、という」
「こわがる」
俯いた藍色は黒いアスファルトを凝視する。と、と、と。でこぼこの穴一つ一つを覗き見る、そんな視線。穴一つ一つに入りそうなほど深く。飲み込まれる黒は無機質であまりに機械的。
「隘路、隘路」
「ん」
「僕は、悪い子です」
「何故そう思う」
いつもの声色はどこか悲しそうで。辛そうで。
「嬉しかった」
アスファルトに、贖罪の色を灯す。
「迷路」
「はい」
隘路は迷路の頭を、制帽の上からぽんぽんと二回、力を抜いて叩いた。
「みな、怖れているのだよ。対象が違うだけだ、それがわかったなら、いいだろう。––––––お前のそれとて、悪などではないよ」
迷路は、
こくん、と。
頷いた。
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