まんま

 おや、と目を見張りました。あれは坊ちゃんではありませんか。本降りの雨の中、小柄な影が背丈に合わない黒の男物の傘を背負うようにさして、とてとて歩いています。大きなランドセルも包み込んだ真っ黒の傘は、雨に濡れて更に重そうだ、と、そんな他愛もないことを考えました。ふふ、と頬が緩むのをそのままに、私は後ろからそっと近付きます。

「坊ちゃん、どうなさいました」

 ぺたり、足を止め。

 ゆっくりと私の方を振り向きました。大きな藍色の目が私を映します。それから瞬きをして、薄い唇を開きました。

「こんにちは、迷子さん」

 一連の動作はまるで流れる水のよう。落ち着き払った歳相応でない動きです。「はい、こんにちは」よろしいお返事です、と返してから、私はにこりと笑いました。

「お夕飯は流しの側に置いてありますから、それを食べてくださいね」

「今日は、何ですか」

「それはお楽しみです」

 少し舌足らずな雰囲気もありますが、冷静というか、何にも動じることのないような子ではありますが。

「最近、どうかなさいましたか?」

「どうか」

 反芻して、首を捻ります。そう、その動作。それもほんの一月前はなさらなかったものです。動き、表現、手の使い方、まるで雛鳥が親鳥の真似をして育つように、豊かになって。不思議そうに首を傾げたまま、坊ちゃんは目を一度、二度、瞬き。奥二重が伸びて縮んで、質問の意図を汲み取ろうとしています。大きな藍色の目が、見透かそうとするように、私だけを映しました。

「申し訳ございません、出過ぎた振る舞いでしたわ」

「いいえ、お気になさらず」

 傾げた首を元に戻して、坊ちゃんは首を横に振ります。

「それでは坊ちゃん、私はこれで」

「毎日、お疲れ様、です。ありがとうございます」

「勿体無いお言葉です」

 ぺこり、頭を下げてから、小さな背中は私に背を向けて雨降る街を歩いていきます。灰色の街を照らすのは、ほうわり光る橙の、こうべを垂れた街灯と。足はまんまる、円を浮かべて、眩く煌めき彩ります。

 なんだか私は嬉しくて、また、笑ってしまいました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る