6 あなたがいる景色1-2

    1-2


 朝飯をうちで一緒に食べて以降何にも食べていなかっただろう華。華が絵を描いてオレがバイトっていう今日みたいな日は、いつもならこの家に着くと真っ先に飯の用意をする。だけど今日はそういう訳にはいかなそうだから、華の空腹を紛らわせる為にホットミルクを作ってリンゴをウサギ型に剥いた。オレと持って行く人には買い置きのインスタントコーヒーを淹れてから、持って行く人が待つ部屋にあるテーブルまで運ぶ。

「安いインスタントコーヒーですけど、良かったらどうぞ」

 三つのマグカップはオレが一気に運んで、華はウサギリンゴの乗ったお皿を両手で持ってついて来た。持って行く人の向かい側へオレが座ると、華は当然のようにオレの膝の上に腰を下ろす。

「話が終わったら夕飯作るから、今はリンゴで我慢してね」

 オレの言葉にこくんと一つ頷いて答えた華は、温めに淹れたホットミルクに口を付けた。こくりこくりと二口飲んでから、華が真上を向くようにオレを見上げて催促してくる。これは、食わせろって事だな。

「田所さん、でしたっけ? リンゴ食います?」

 華の口元へウサギリンゴを運びながら聞いてみた相手は、再び驚愕の表情を浮かべている。さっきからこの人は一体何に驚いているんだろう?

「いえ、遠慮しておきます。……寺田さんは、お嬢様とはどのようなご関係なのでしょうか?」

 驚愕の表情を収めて姿勢を正した持って行く人の様子から、きっとこれが本題なんだろうと悟った。

「高校のクラスメイトで、付き合ってます」

 やましい事なんて何にもない。だからはっきり事実を口にした。どんな反応をするのか謎だった持って行く人は、オレの言葉を聞くと右手の指先を額に当てて俯いてしまう。小さな溜息吐いて、何だか頭が痛いって顔をしてる。

「この部屋の掃除や、調理器具を揃えたのも貴方が?」

「あぁ、はい。オレがやりました」

 額から手を離した持って行く人は、華にウサギリンゴを食わせながら答えるオレの顔をじっと睨んだ。すごく、観察というか……見定められてる感じがする。

「ここで一緒に暮らしている訳では、ないですよね?」

 声が一段低くなった! やっぱりこれが本題で、これを華に聞く為にこの人は待っていたんだ。最近はオレの荷物もこの家に置かせてもらってるし、ここで食事する事も増えてきたから食器だって二人分買って置いてある。多分、持って行く人はそれを見つけたんだろう。

「泊まったりもしますけど変な事はしていません。ここで過ごすのは華が絵を描く時だけで、それ以外の時はオレの母親もいるうちのアパートへ連れて行って華に泊まってもらっています。――まともな飯を作れるような環境じゃなかったですし」

 飯どころか、生活できる空間ですらなかった。

 一歩間違えれば怒りに変じそうな待って行く人からの視線を受け止めて、沸き上がって来る怒りを何とかおさえながら、オレは答える。一時睨み合うように視線を交わし、先に目を逸らしたのは相手の方だった。逸らされた視線の先にいるのは華で、華は動かなくなったオレの手を両手で掴んで動かしウサギリンゴに齧りついている。

「お嬢様は、貴方が作った物を口にされるのですか?」

 棘の取れた声音で、リンゴを咀嚼している華を見る瞳はどこか優しい。無表情かと思ったこの人は、意外と人間らしい人なのかもしれない。

「オレと、うちの母親が作った物なら食べますよ」

 冷たい無表情がほっとしたみたいに緩んだ。

 この人も、華の事を気にかけてくれていたのかな。でも、それにしては最低限だったとも思う。

「十月頃からでしょうか。この部屋が綺麗になり、絵と共に回収していたはずのゴミがきちんと分別され、定期的に捨てられているようだと気付きました」

 微かに浮かんだ表情はすぐに消え、無表情に戻った持って行く人は淡々と説明を始めた。

「初めは、お嬢様がやる気になって下さったのだと思いました。台所には調理器具が揃い始め、冷蔵庫には私が入れた物ではない食材が入れられている事も増え、食の細かったお嬢様が食べる事にも興味を持って下さったのかと思ったのです。ですが――」

 声が低められ、ぎろりと視線を向けられる。華に向ける視線と俺に向けられる視線の差が激しいのは仕方ない。

「社長の物とは違う男性用の服を発見し、社長へ報告する前にまずはお嬢様ご本人から真相を伺わなければと思い何度もこちらへ足を運びました。ですがご不在が続き、やっとお姿が拝見出来て話し掛ける機会を窺っていた所に持ち主本人が現れるとは、嬉しい誤算でしたね」

 にっこり、冷たい笑顔を浮かべた持って行く人。向けられているのは敵意ではなさそうだけど居心地が悪くて堪らない。でもオレは何にも悪い事はしてないと思うから堂々としていよう!

「オレの方にも、あなたに聞きたかった事があるんです」

 先を促すように、持って行く人の眉毛が微かに上げられた。オレの膝の上にいる華はマグカップを傾け、ゆっくりとホットミルクを飲んでいる。

 聞きたかった事はたくさんある。どれから聞こうかを少しの間悩んでから、オレは口を開いた。

「華のあの生活を知ってたのに、あなたが放置していたのはどうしてですか?」

 この人は知っていたんだ。ずっと、見ていた。それなのに放置していたんだ。

「それは、私の仕事ではないからです」

 躊躇いもなく吐かれた言葉に、腹の底から怒りが湧く。

「あなたの仕事っていうのは、華が描いた絵と食料を運ぶ事だけですか?」

「そうです。その際に気付いた事を社長へ報告するのも仕事の一つです」

「それだけですか?」

「それだけです」

 眉毛一つ動かさないで肯定されて、湧き出た怒りのやり場に困った。この人は自分の仕事をこなしていただけなんだろう。華に対して助けの手を伸ばす事はしないし、だからこそ華もこの人に興味を持っていないんだって事がわかった。

「秋のご飯食べたい。まだ?」

 ウサギリンゴを一切れ完食して、ホットミルクを飲みきった華が見上げてきた。その顔には「飽きた」とはっきり書いてある。

「そうだよな。朝飯食ってから何にも食ってないから腹減るよな。でも……」

 オレの方の本題がまだ、聞けていないんだ。

「……えーっと、田所さんも一緒に食べませんか? オレ、まだ聞きたい事があるんですけど」

 華のパパの事を、聞きたい。華から聞く話じゃない、真相を知る部外者の立場から見た話を、聞いてみたいと思った。その為にはこの人を引き留めたくて、次はいつ会えるかなんてわからないからまだ帰らせたくなくて、提案してみた。スーツ姿だけど華が気付くまで待つ時間があったんだから仕事ではないんじゃないかな。話は聞きたいけど、華に飯を食わせてやりたい。

 オレの提案を聞いた持って行く人は、一度だけオレと華の顔を交互に見てから少し悩む素振りを見せて、最終的には頷いてくれた。

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