アヤメ編 第一章 ~朱殷の剣士~

—01— プロローグ

 雷鳴が轟き豪雨が激しく地面を打つ薄暗い草原を馬に跨った二つの影が疾走していた。


 半馬身程先を走る影は綺麗な真紅の髪が風になびく凛とした美しい女性だった。女性ではあるが男性にも引けを取らない程の長身に鍛え抜かれた体、全身を覆う銀の鎧、背中に背負う巨大な戦斧は勇ましさと威厳を感じさせる。


 その女性を立てるかのようにその少し後ろを並んで走っているのは整髪用の油でその黒髪を全て後ろに流して整えている貫禄のある男性だった。腰に差すブロードソードと左目を覆う眼帯、無精髭、そして一つの目が放つ鋭い眼光はその男がただならぬ強さを持っていることを示していた。


 二人の鎧には、場所や大きさは違うが共通の紋章が入っていた。その紋章には金属の篭手を纏った両手に握られた剣が描かれている。時折轟く雷鳴と共に発せられる稲光がその紋章を、二人の凛とした表情を照らす。


「なあ団長、一つ聞いてもいいですかい?」


「どうした、ロイド?」


 団長と呼ばれた女性は振り返らずに応じた。


「なんたってまたこんな何もないような所に来たんですか?こんなところ街も無ければ鉱山や遺跡のようなものさえ無いただの草原だとあっしは思うんですがね」


「だから別に付いてこなくたっていいって言ったろ?」


「そういう訳にはいきやせん。あんな血相を変えて飛び出していく団長を見たのは久しぶりだったもんで。別に団長なんて心配する程の玉じゃねぇですが、ちょっと気になりましてね」


「おいおい、仮にもうちのギルドの副団長だろ?少しは私のことを心配してくれてもいいと思うんだが」


「心配したってこの星に団長・・・鬼神とまで謳われるトレアサ様に勝てる”人”なんていやしませんよ」


 ご冗談を、という風にロイドが言った。


「もし団長に勝てるとしたら最も長けた能力を持つ種族と言われている希少種の竜族か、それとも凄まじい文明と技術力を誇った古代人か」


「確かにどっちも戦うのは御免だね。まあ古代人なんて絶滅しているし竜族も似たようなものだから戦うことも無いだろうがね。・・・そういえばうちに竜族の雛を拾ってきた能天気な奴がいたな」


 トレアサは面倒なことを思い出したと額に手を当ててため息をついた。


「あー、デリスの奴ですかい。もしデリスの機嫌を損ねたらこれから戦うこともあるかもしれませんね」


 ロイドの冗談っぽく笑いながら言ったその言葉にトレアサはそれを勘弁してくれ・・・と返していた。


「話は戻しますが、わざわざブルメリア王国から帰ろうとしていたところなのに急にこの南の方に寄り道した理由ってなんなんで?」


「ああ、実はな・・・一昨日くらいにこの南の方からとてつもなく大きな”気”を二つも感じたんだ」


「大きな気?」


「ああ、その二つの気はしばらく激しくせめぎ合っていたようだったが、やがて一つは消えて、一つは北の方へと去っていったみたいだった」


「へえー、あっしは何も感じ取れやせんでしたが・・・まあ団長は気を感じ取る力に長けているから何か感じ取ったのかもしれませんね」


「確かに私が気を感じ取る力に長けていることは認めるが、私でも普通は精々一つの戦場や街くらいの範囲までしか感じ取ることができない。しかしあれは昨日私達が休んでいた宿にまで届くほど大きなものだった」


「それは、団長よりもですかい?」


「ああ・・・。この私など比べ物にもならないだろう」


「うへぇ・・・そんなのに遭遇したくはないですね」


 ロイドの言葉を受け流してトレアサは続けた。


「だからギルドに帰る前にこの場所で何があったのか少し確かめたくってな」


「なるほど」


 そう言うと二人はブルメリア王国の城下町から南へ向かってまた黙々と馬を走らせ続けた。空には雨を降らせ雷を鳴らす分厚い雲が一面に広がっているため周囲はずっと薄暗い状態が続いていた。二人はしばらく馬で駆けていたが、それくらいの時間そうしていたのかもわからなかった。


「確かこの辺りだったはずだが・・・」


 一昨日大きな気を感じたと思われる場所の近くに近づいたのか、トレアサは周囲を見渡すようにして徐々に馬の速度を落とした。トレアサとロイドは互いにそこまで離れないようにしながら別々に付近を捜索した。


「団長!」


 すると、ロイドが何かを見つけたのかトレアサを雨と雷の音に負けないような大声で呼んだ。呼ばれたトレアサがロイドの元へと駆けつけると、そこには二つの人の姿があった。一人は岩にもたれかかり、胸を貫かれて事切れている女性、そしてもう一人はそのすぐ近くにうつ伏せで倒れている小さな女の子だった。


 その小さな女の子の方は抱き起こしてみるとまだ息があるようだった。その少女は胸に切り傷がありそこからの出血で着ている衣服が赤黒く染まっていた。二人は親子なのだろうか、トレアサが抱き起こした腕の中のその少女は髪色も、顔も、服装も、・・・血で染まった服の色も岩にもたれかかって事切れている女性とそっくりだった。


「ロイド、この女の子はまだ生きている。傷の手当てをして一旦城下町まで連れて戻ろう」


「わかりました。」


 そう言うとロイドは携帯していた薬草や布など最低限の物で可能な限りの応急処置をした。


「目の前で母親が殺されたのか。可哀想に・・・」


「本当ですね。何もこんな小さい子まで殺そうとしなくたっていいでしょうに・・・。ところで団長、団長が感じた気っていうのはそこの仏さんのことですかい?」


「正直わからないが、あのとき片方の気が消えて片方の気が去ったことを考えると、おそらく消えた方の気の持ち主がこの女性だろう。おそらくこの女の子・・・娘を守ろうとして戦っていたんだろうな」


「そうですか。消えたもう一つの気っていうのは大丈夫なんで?」


「その気なら遥か北の方へと去っていった。おそらくここには戻ってくる心配はないだろう」


「そいつは良かった・・・。もし戻ってきたらあっしを守ってくださいよ?」


「いや、流石に無理だろう。私でも勝てる気は全くしない」


「うへぇ・・・、じゃあこの女の子の手当も終わったしブルメリア王国の城下町へ一旦戻ることにしやすか」


「そうだな。女の子の様子は大丈夫そうか?」


 息があるとはいえあまりにもひどい出血量だったためトレアサが心配してロイドに聞いた。


「それが、あっしもこの出血量はまずいんじゃないかと思ったんですが、思ったよりも傷は全然大したこと無いみたいですね。もしかしたらこの血はこの女の子のものじゃないのかもしれやせんね」


「そうか、それは良かった」


「一体この女の子とそこの仏さんは何者なんですかね?」


「わからん、まずはその女の子が回復するまで待つとしよう。いずれにせよこんなところで放っておいたら死んでしまうだろうしな」


 そう言うとトレアサとロイドはその女の子の母親だったと思われる亡骸を地面に埋めて供養し、立ち寄っていたブルメリア王国の城下町の宿屋へと一旦戻るために馬を走らせた。そのとき、ロイドに抱えられたその女の子が二人に聞こえないほどのか細い声でぽつりと喋った。


「・・・母様・・・ウィル・・・私を一人にしないで」


 無意識で力なく漂っていた女の子の手がロイドの服をぎゅっと握り締める。ロイドはそれに気付くと、城下町の宿屋に着くまでそっと少女の頭を撫で続けた。

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