第71話 母らしい考え

 区役所の介護担当者に母の在宅介護の話を相談するよう、病院から勧められていた。入院中から脚力は落ちたが、まだまだ普通に生活できる。母が弱って介護を受けるイメージが思い浮かばなかった。

 

 そもそも「介護」という言葉に抵抗があった。動けない、寝たきりになると介護を受けるのは当然のように思う。でも、母はまだそこまで体が弱っていないし、介護を受けるにはまだ早い気がした。

 介護=体力低下という印象が強く、母が「私はそんなに体が弱くなっているのかな?」と思い込んで気力が落ちては困る。


「お母さんには、まだ介護は必要ないと思うけど」

 父に介護反対を言うつもりでいた。しかしこの先、母の状態がいつどうなるか誰にも分からない。

「今すぐという話ではないけど、一応念のために、先のことを考えるからこそ、介護の話を聞いてみよう」と、父の言うことも分かる。

 母は健康な時に「介護は受けたくないよ」と言っていた。だから今回の話を「まだ必要ないよ」と断るかと思っていたが、母はこの話を受けて、介護担当者と会うことを決めた。話だけでも聞いておかなければならないという現実。母の気持ちを考えると悲しくなった。


 2011年1月21日

 自宅にて介護担当者との面談。父と母がそろって話を聞いた。具体的な話はなく、介護方針についての説明と母本人の意思確認のみ。介護を受ける場合は施設へ入るか在宅かを選択する。母は在宅介護を選んだ。

 この日は話を聞くだけだったので、今後の母の体調次第によっては、また担当者と相談していくことになった。


 今にして思うと、この時期に母は自分の体が弱くなっていると自覚していたように思う。薬の影響もあり、気分が悪くなったり体が疲れたりしていたから。本人が「もしも」に備えて介護の話を聞く気になったのは、僕ら家族に負担をかけないよう、迷惑をかけないよう、自分のことよりも家族を思う母らしい考えだった。


 結局この後は最後まで介護を受けることも担当者に相談することもなかった。

 限られた時間を出来るだけ普通に過ごしたいと思っていた母。僕も父も兄たちも、思いはみんな母と一緒だった。


 家族そろって暮らせる幸せ。今、この時を大切に。

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