第7話 母の好きなもの

 病は気から。とにかく母の気持ちを落とさないように、好きなものを観たり聴いたりさせてあげたかった。

 母はBS日テレ「こころの歌」に出演の混声コーラスユニット「FORESTA(フォレスタ)」の歌声が好きだった。番組では昔懐かしい童謡や文部省唱歌、軍歌、歌謡曲を取り上げる。母が子供の頃に口ずさんだ歌をフォレスタが歌う。母は毎週この番組を見るのが楽しみだった。特にお気に入りだったフォレスタメンバーのバリトン川村章仁さん、今井俊輔さんの低い重厚な歌声が大好きだった。番組のエンディングテーマを演奏するピアニスト「西村由紀江」さんの曲を聴いて好きになった。


 2009年当時。番組の視聴者観覧コンサートに応募して当選した。母と父と僕の三人で見に行って母は大喜びだった。灰田勝彦さんの歌「アルプスの牧場」をフォレスタが歌いながら会場の客席後方から登場するというサプライズに会場は大盛り上がり。フォレスタのメンバーは握手を求める観客の間を歌いながら歩く。僕は母が好きな川村さんがに近くを通ってほしいと願っていたが、なかなか近くを通らない。


 曲の演奏が終わる頃にフォレスタのメンバーが舞台の階段を上がってステージに戻り始める。サービス精神旺盛な川村さんと今井さんはたくさんの観客に握手で応え、まだ観客席にいた。もう曲が終わる頃に急いで走って舞台へ戻っていく時、川村さんがすぐ近くの通路を走って来た。僕と母は「川村さん!川村さ~ん!」と大声を出したが、走っていってしまった。

「あ~あ!行っちゃった~!」と母と笑って残念がるその時、川村さんが気づいたように振り返り戻って来てくれて母と握手をしてくれた。大喜びの母。母の喜びように嬉しくなった。

 コンサート終了後、会場に来ていたピアニスト西村由紀江さんにも偶然お会いできて握手してもらえた。僕は大興奮して「大ファンです!素敵です!素晴らしいです!」と繰り返すだけで言葉が出てこなかった。母は「西村さんの大ファンです。素敵な曲をいつも番組で聞いています」と落ち着いて話す姿に感心した。

「お母さん、落ち着いて話が出来て凄いね~!」

「エヘヘ」

 照れる母。僕は西村由紀江さんの美しさに興奮冷めやらず、会えたことに喜んでいると、母が嬉しそうに聞いてくる。

「大金星あげた?」

「お母さん、もう大大金星だよ~!」

 そう言うと母が嬉しそうに喜んでくれた。

秀郎ひでおが連れて来てくれたから良いものが聴けて良かった。ありがとう」

 コンサートが楽しかったと喜んでくれて嬉しかった。


 それからも母と父とフォレスタのコンサートへ何度か行った。大井町きゅりあんでのコンサートの時も母は感動して喜んでいた。小雨振る平塚コンサートは母と父と傘をさして行った。

 その後も毎週月曜日、BS日テレ「こころの歌」を一緒に見て喜ぶ母の姿に嬉しくなった。当時のエンディングテーマ曲は西村由紀江さんの「誕生」。とても良い曲で好きだった。演奏する西村さんを見て僕も母も「西村さんて美人だよね~!」と話していた。


 母の好きなフォレスタと西村由紀江さんの音楽を入院中の母に聴かせたい。次兄がお金を出してくれたので、すぐ秋葉原へ向かう。iPodを買って、そこから銀座へ向かった。フォレスタのCDを買いに山野楽器へ。


 銀座の街はたくさんの人が行き交う。その間をすり抜けるように歩こうにも上手く歩けない。母が余命を告げられたショックが大きい。こうしている間に、「もし容体が急変したらどうしよう?」と考えてしまう。

 とにかく母の事が心配で、早く買い物を済ませて母のもとへ戻りたかった。母のことばかりが頭を駆け巡り、人混みの中を歩いていても周りの音が入ってこない。視界が狭くなったような感覚でボーっとした状態の足取り。ただただ早く目的地に着きたかった。気持ちが焦り、足が上手く動かない。心と体のバランスが取れていない状態で歩いていた。行き交う人たちが会話しながら歩いている中、ひとり悲しい気持ちで歩く孤独を感じた。


 山野楽器でフォレスタのCD「まほろば」と「凛」を買うと急いで家に帰り、パソコンからiPodに取り込む。父が買って来てくれた西村由紀江さんのCD「ビタミン」も追加して入れた。母に早く聴かせたい思いでiPodを持って急いで病院へ向かった。病室に入ると母の顔を見てホッとした。


 母にiPodの操作を教えて、フォレスタの「まほろば」、「凛」、西村由紀江さんの「ビタミン」を聴かせたら、とても喜んでくれた。しかし、簡単な操作と思っていても母や父の年代は機械の操作が苦手だ。

 

 ある日、母がiPodを使っている様子がなかったので聞いてみると、

「使い方が分からなくなっちゃった。秀郎が来たら聴かせてもらおうと思って」

母が笑顔で答えた。日中、退屈な時間にでも聴いてほしいと考えていたが、操作が分からなくて聴けなかったのだと知って切なくなった。今日という一日を素敵な音楽で癒してあげたかった。一日一日を大切に。母が喜ぶことなら出来るだけなんでもしてあげたい。


 それから病院で付き添うたびに「お母さん、フォレスタ聴く?」「西村さん聴く?」と聞いてみる。母が疲れていなければ「聴きたい」と言う。すぐに僕が再生ボタンを押す。ベッドに座る母の隣に座り、一つのイヤホンで一緒に聴いた。「この曲良いよね~♪」と母と意見が一致すると嬉しかった。「この歌声良いよね~♪」とフォレスタメンバーの話で盛り上がる。西村由紀江さんの「優しい風」を聴いて母が「良いね~♪」と癒された顔を見て嬉しくなる。

 優しい時間が流れる。

「ありがとう。今日はもういいから。帰らないとお父さんが心配するから」

 母は自分のことよりも、いつも家族の心配をしてくれる。

「じゃあ、帰るね。また明日も聴こうね」

 バイバイと手を振ると、母も笑顔で手を振ってくれる。母の笑顔を見ると心が安らぐ。


 明日また朝一番で母に会いに来よう。また一緒にフォレスタを西村由紀江さんを聴こう。

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