【短編】ふたり

終夜 大翔

ふたり

「今は、こうして君と肩をならべ、肩を抱くことさえできる。だけど、ここまで来るのに僕はすごい険しい道を歩んできたんだ。そんな風に思えるよ。こんな日を夢見てただひたすらに生きてきた気すらするよ。なんでもない日常がありがたい。キミにたくさん導かれてきたよね。キミの強さ弱さどっちも知ってる。これからは、僕も強くなったり弱くなったりするよ」


 そんな僕の回顧録。


 小春日和のある日。それは、突然だった。青天の霹靂。まさにそんな感じだった。

 キミが僕の前に現れたんだ。

 正確には、キミ自身の姿を見たわけじゃないけど、キミと僕に一つの繋がりが生まれたのはあの時だと思う。

 SNSでの、なんでもない書き込み。いや、なんでもないわけじゃないか。とある映画の感想を交換するスレで、批判の嵐の中、キミは書き込みはまるで無風の中にたたずむスミレのようだった。

 正直、あの映画は批判されても仕方ないくらい宣伝が煽りすぎだったし、中身も伴っていなかったと言える。

 でも、キミは「わたし、あの話好きだなぁ」と書き込んでいたね。

 それこそ、評論家気取りの書き込みの中に本当の感想が書いてあった。僕には、それが驚きでしかなかったよ。

 正直言うと、僕はあの話の粗さというものを感じていた。けど、全体的に見たら好きだったんだ。でも、あれだけの暴風の中に一人、それこそビニル傘一本で入れる気はしていなかった。

 でも、キミはそれをやってのけた。それが今でも僕には風が避けていたとさえ思える。

 僕は、そのときのことをよく覚えていない。でも、結果から見るとフレンド申請をすぐにしていたらしいね。気がついたらメールが来て、申請が受理されていたことがわかった。

 キミは、いわゆるメンヘラと呼ばれる人間であると僕に言ってきたね。メンヘラとは、つまり、メンタルヘルスに問題のある人たちの総称だ。キミは、それを隠そうとしなかった。

 「それはね、わたしも不思議なんだけど、あなたには隠し事をしちゃいけない。そう直感的に思ったからなんだよ」とキミはのちに教えてくれた。

 そう。SNSでは、まったく触れていなかった。つぶやきにも日記にもまったく。だから、僕は混乱した。どう絡んでいっていいかわからなかったから。

 不思議だ。本当に不思議になんだけど、僕はキミにそのことを相談していたんだ。今考えたら失礼にもほどがある。でも、僕もキミには正直でいたかったんだ。

 キミを傷つけたかもしれない。そんなこと当時は思ってもいなかった。ただ、これからどうやっていくか。それだけで頭がいっぱいだったんだ。

 未来を見据えるあまり、現在を置き去りにしてしまっていたというか。必死だったことは間違いはない。

 キミがメンヘラというやつなら、僕はそれとの付き合い方も学ぶ必要があると頑なに思っていた。本当に、なんでそんな風に思い詰めていたのか今でもわからないよ。

 そうやって、よくわからないモノに四苦八苦してたら、キミは僕にこう言った。「わたしの慰めは泣くことなの」

 いよいよもってわけがわからない、混乱の極地に追い込まれた気分だった。でも、昨今はネットの普及のおかげで救われることもある。泣くという行為は脳のストレス発散に重要な役割を果たすという記述を見つけられた。

 泣くことが慰めというのは、つまりストレスによって脳が辛い状態にあると僕は解釈した。そこから、いくつか無関心に生きていたら考えもしないような言葉を受け取った。

 「今日は、調子よく眠れた。でも、明日は眠れるかわからないのがいやだ」、「眠れないのは辛い」、「眠り過ぎるのも辛い」、「夢が怖い」。正直、僕にはわからないことばかりだった。

 僕は疲れたら眠るし、友達とバカやっているときは徹夜だって平気だ。白状すると、僕はキミのそれらの悩みを理解したいと願いながら、まったく理解できていなかった。

 「眠るのが怖いの」。それが、キミのメンタルヘルスを総括していた。僕らは、表面上あまり交流はなかったように見えたことだろう。

 でも、個人的な繋がりはあったし、しかも日に日に密になっていくのが体感としてあった。もちろん、キミの体調によってばらつきはあったけれど。

 いや、これはキミを責めているんじゃないだ。キミは、どんな体調のときでも僕と繋がろうとしてくれたっていう話をしたかったんだよ。

 で、ある日「独りで眠るのはもういや」って言い出したよね。それは、どういう意味だろうって考えた。ただそういう気持ちだと言いたかっただけなのか、僕に一緒にいて欲しいと言うことなのか。

 その言葉を受けて、僕は何度目かの狼狽を覚えた。僕の中でいろいろ揺れたんだ。キミは、その発言を否定しないし、取り消すこともない。

 だから、僕はピエロでもいい。勘違いでもかまわない。会いに行こうって決断した。優柔不断な僕にしては即断即決だったと思う。

 距離的には隣の県だったけど、いけないこともない距離だった。時間的には明日行こうとも思ったけど、まだ電車は動いている。キミを一人で寝かせたくないとか、今考えるとなんて独善的な想いなんだろうね。

 そうそう、キミは今でもフォローでしてくれるけど、僕はこっぱずかしくてたまらないよ。

 僕は携帯と財布と鍵だけ握りしめて間借りしているアパートを飛び出した。人の少なくなった電車に揺られながら目的地を目指す。そのとき、冷却時間があったんだ。

 僕は懊悩したよ。客観的に見ると、僕は冴えた外見ではない。なのに、ジーパンにシャツというなんの着飾りもせずに電車に乗ってしまった。

 電車の中から、キミにメールをしたね。キミは、スマホの画面の向こうでどんな顔をしているのだろう。顔も知らないのに、表情を考えるなんておかしいかもしれないけど、そのときはそれが一番気になったんだ。

 余計なことをしたのか、いやこれでいい、という二つの感情を行ったり来たりしていた。ただ、わかっていたことは、もう残り二〇分足らずでキミの最寄り駅に着いてしまうっていうことだけだ。

 否応なしに二〇分は過ぎ、二分遅れで目的地に到着。そのときの僕は、きっとがちがちになっていたに違いない。僕は、女性に対してこんなに行動的になったことはなかったからね。

 でも、一つ言わせてもらえるなら、キミが女性だからって理由は一割くらいだったんだよ。残りは、親しい友人を助けたいという思いだったんだ。本当だよ。

 でも、キミが男だったら電車は次の日に乗っていたかも知れないけどね。

「こんばんは」

 キミは、メールで送ってきた場所の公園に独り座って空を眺めていたね。結構な都会だったから、空は明るくて月と一番星くらいしか見えてなかったけど。

 キミは、茶色に染めたショートカットで整った顔立ちをしていた。特に眠そうな目が弱々しくて、僕の中の保護欲が掻き立てられたんだ。僕は、美人局にでもあったのだろうかなんて思うくらいキミは僕の好みだった。

 服装は、水色のブラウスにベージュのショートパンツ。下にまだ寒いからか黒いタイツを履いていたね。

 キミの目には僕はどんな風に映っていたのだろう。未だに、そのことを話したがらないよね。でも、キミは僕をすぐにわかったらしく、座っていたベンチの横を開けてくれた。

「どんな夢が怖いの?」

 僕は単刀直入に尋ねた。他にどんな会話をしていいかわからなかったし、そのためにここまで来たのだっていう思いも強かったし。

「大事な人を失う夢。泣きながら目が覚める。何日も何日も何度も何度も失うの。どうせ失うなら得られなければいいのに」

 キミの声は、決して美しい類の声じゃなかったけど、僕は引き込まれた。本当だよ。

 キミはそのことをいうと、思い出してか泣きだしてしまったね。僕は、女性の涙に対する対処法なんて知らないから戸惑うばかりだった。

「ごめんなさい」

 キミは、ひとしきり泣いたらハンカチで目元をぬぐった。

「大丈夫。理解されないことには慣れてるから」

「それは大丈夫なんかじゃない!」

 びくっとなるキミ。

「ごめん、大きな声を出すつまりはなかったんだ。でも、気持ちは大きな声で言いたいんだ。僕が今なにもできなかったのはチキンだったから。確かに、理解はちゃんとは出来ていないと思う。でも、僕はキミをわかりたいと思ってる」

 たぶん、僕が人の目を見て真剣さを伝えたのはこれが初めてじゃないかって思う。

「……そうじゃなかったら、ここまで来ないよ」

「少し、歩きませんか?」

 キミはそういって先に立ち、僕に手を差し伸べたね。僕は、女性に満足に触れたことがなくて恐る恐るその手を握ったのは忘れられない。

 公園の中を歩きながら、初めて自分たちの話をしたね。名前とか職業とか歳とか。僕は、キミが年上だと思っていたからさほど驚かなかったけど、キミはそのことにひとしおな衝撃を受けていたよね。

 でも、お互い大学生だというのはせめてもの救いだったかも知れない。社会人だったら僕は恐縮してしまって逃げ出してしまったかもね。

 キミは、公園の中心の広場の草場に腰掛けて、すらりとしたきれいな指でフレームを作って空の月を眺めて「よし」といった。

「なにが、よしなの?」

「今夜は月がきれいですね」

「愛の告白?」

「あれ、知ってました?」

「ネットでちらりと読んだ程度だけど」

「愛の告白。そうでありながらそうではないのです」

「むつかしいことを言うんだね」

「実際、月はきれいです。そして、わたしがしたいのは愛の告白ではなく、人生の独白なのです」

「ふーん。よくわからないけど、僕は聞けばいいんだね?」

「そうしていただけるとありがたいです」

 そうして、キミは人生の艱難辛苦を喜怒哀楽を語ってくれた。きっと、それは実際に起こったことの何百分の一、いや何万分の一も僕には理解出来ていなかったに違いない。

 そこは、人間が違うんだからそれはしようがないと思ってもらいたい。でも、想像を駆使してその何万分の一を我がことに置き換えてみようとした。ちゃんと出来ていたかはわからない。

 だけど、キミが普通の人が当たり前に享受している恩恵を受け取れていなかったことはわかった……つもりだ。

 当たり前のことが出来なくて、周りからの理解を得られない日々。親には、就職を目前にしながら満足に眠れない姿を晒し、心配と落胆をされる日々。友達とも温度差が出てきて、どんどん加速度的に孤立していく日々。

 きっと、この先に孤独な日常が待っているのだろうな、という漠然とした心配。これについては怖くない。怖いのは、また夢を見ること。一度で充分な別れを繰り返し繰り返し体験してしまうこと。

「だから、わたしは夢を見ない方法を探りました。結論は、死ぬしかないのかなって」

 僕の全身の肌が逆立った。

「し、死ぬって……」

 そんな軽い言葉じゃないと偉そうに言いたかった。でも、彼女の苦しみだって、並大抵のことじゃない。逃げ道があるなら、そっちに向かうのも選択肢として存在するのは道理だ。

 だけど、僕はなんだろう。許せないとかじゃなくて、納得がいかなかった。もちろん、彼女にではない。彼女を取り巻く環境。彼女を冒す病。そんな世界そのものに。

 だからといって、僕に出来ることはなにもないに等しい。それだけが明確に意識の中で浮かび上がってくる。僕は、自分の頭を撃ち抜きたくなった。

「でも、まだ試してないこともあるんです」

「な、なに? どんなこと?」

 藁にもすがりたいのはどちらだったのだろうか。二人ともだろう。

「人と寝ることです」

「それって、いやらしい意味はなくて?」

「はい。でも、そんなヒマな人なかなかいなくて」

 「ヒマとかの問題?」そう口にしそうになったが飲み込んだ。

 そして、全然別のことを口走る。

「僕で良ければヒマだけど……って、なにを言ってるんだろうね、あはは」

「お願いしたいんです。……そうじゃなきゃ、告白はしません」

 僕は、あのときの衝撃は忘れない。忘れられない。

 真っ赤に俯くキミを見て、僕はどうにかなってしまいそうだったよ。

 いやらしい気持ちなんかこれっぽっちも浮かばなかった。僕は、キミに楽になって欲しかっただけなんだ。

 だから、だろう。女性にはろくすっぽ触れたことがないのに、自然とキミの肩に手が回ったのは。ただただキミを守りたかった。いろんなことから。疲れ、睡眠、社会、親との関係、友人関係、病気そのもの。とにかく、僕が敵うものなんてなにひとつなかったかも知れないけど、僕は闘う決意をしたんだ。

 それから何年が経ったのだろう。相変わらずキミは不眠と絶賛格闘中。僕は、仕事と育児でてんてこ舞い。でも、洗濯物の中で眠るキミと我が子を見るとそんな苦労なんて雲散霧消だよ。

 僕も夢を見るんだ。キミと風の気持ちいい日に、あの広場の草っぱらで、キミの肩を抱きながら、キミの睡眠を見守った日の夢をね。


<了>

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