第20話 学校に
『ニライ・カナイ』から美緒の通う二中までは10分くらいで着く事が出来た。
校門の横にある駐車場にバイクを停めると、あまりの排気音の煩さに校舎からこっちを見ている何人かの人の姿が目に入った。
気にせずに校門に向い学校の敷地に入ると、昇降口から体つきが見るからに体育会系の男の先生らしき人物が出てきた。
「学校に何か御用かな? 部外者は立ち入り禁止なのだが」
あからさまに上から目線で言われる。
「学校から連絡があって呼び出された3年の大羽美緒の保護者なんですけど」
「3年の大羽だ?」
「今年の4月に東京の中学から転校してきた大羽美緒の保護者です」
そう告げると男の先生は俺の姿を下から上に、上から下へと怪訝そうな顔をしながら目線を動かした。
部外者に対してはこんな扱いなのかも知れないと思ったが、今は美緒がどこに居るのかも判らないし校舎の中に入った事が無いので、とりあえずこの先生らしき男に取り次いで貰うなりするしか手立てが無かった 。
「担任の名前は? クラスは?」
「聞いてないので知らないですね。ここの3年生なのは確かです」
「ちょっと待ってなさい」
あきらかに俺より若く見える先生は俺の方が年下だと確信している様な応対の仕方だった。
しばらくすると先生らしき男が再び現れて会議室の様な所に案内された。
「失礼します」
ノックをしてから部屋の引き戸を開けると正面に校長と担任らしき女の先生が座っていて、その横に同級生の女の子とその母親が座っている。
そして美緒は同級生と母親の対面に座らされていた。
「大羽美緒の保護者の岡谷隆史です」
「こちらへどうぞ」
電話をくれた担任の先生に促されて美緒の横に座ろうとして、美緒と目が会うと美緒が唇を噛み締めて体を硬直させているのが判った。
「事情を説明していただけませんか? 何があったんですか?」
校長と担任らしき先生が口を開こうとした瞬間、同級生の母親が怒鳴り飛ばしてきた。
「この子が私の大事な玲華ちゃんに怪我をさせたのよ! 中学3年の受験の大事な時に何て事をしてくれたのよ、この責任はきちんと取っていただきますからね!」
「もちろんです。美緒が起こした事は保護者である私の責任ですから」
母親は怒り心頭でまともに話が出来る状態には見えなかった。
こちらが感情的になってしまったら話しにならないのであくまで冷静に対処した。
美緒の横に腰を降ろすと校長先生が母親を宥め賺した。
「まぁまぁ、お母様も興奮なさらずに冷静に話し合いを……」
「冷静で居られる訳無いじゃない! 玲華ちゃんが」
「先生。事情を説明して頂けませんか? その上で双方の話を聞いて判断したいので」
興奮している母親の言葉を遮るように話し始めると、母親がもの凄い形相で俺の顔を睨み付けた。
「こんなどこの馬の骨かも判らない保護者じゃなくて母親を呼びなさい、どうせ娘がこんなじゃ母親もろくでもないでしょうけどね」
その言葉を聞いた瞬間、美緒が握り拳に力を込めて立ち上がろうとするのを俺が腕を掴んで止めさせる。
美緒が悔しそうな顔をして泣きそうになるのを堪えながら俺を見た。
「申し訳ないが少し静かにして頂けませんか? 私は話をしに学校まで来ているんです。先生、私に判るように説明をお願い致します」
担任の先生から何が起きたのか説明を受ける。
先生の話では一部始終を見ていたわけではなく他の生徒に呼ばれて教室に駆けつけると、2人がもみ合うように喧嘩をしていて美緒が突き放した時に相手の生徒が尻餅をつき、その時に手首を怪我した様だった。
「それで喧嘩の原因はなんですか?」
「それが良く判らないのです。2人とも何も話さないので」
「怪我をしたのは玲華ちゃんなんだからこの子が悪いに決まっているじゃないの! 大体、父親でもない男に娘を預ける母親がどうかしているのよ。まともじゃないに決まっている!」
俺の横で美緒が小さな体を震わせて涙を必死に堪えていた。
自分が起こした事で母親の真帆が侮辱されるのが悔しくて堪らないのだろう。
「なんでこんな事になったのかな? 原因を君の口からも聞きたいのだけど」
俺はあえて美緒ではなく相手の女の子の目を真っ直ぐに見て聞いてみる。
すると相手の子は気まずそうに軽く唇を噛んで俺から視線を外した。
それを見た瞬間に美緒が原因で起きた事じゃないと確信した。
そして美緒に何か変った事が無いかと美緒を見ると、今朝俺が貸したはずのクロノグラフの腕時計をしていなかった。
「美緒、俺が今朝貸した腕時計はどうしたんだ?」
俺の言葉に美緒と相手の同級生の体がビクンと反応した。
「持ってない訳ないだろ、出すんだ」
美緒が震えている手をスカートのポケットに入れて時計を取り出して目の前の机に置いた。
時計はガラスが粉々に割れていて時を刻むのを完全に止めてしまっていた。
「何で今朝貸したばかりの時計がこんな事になっているんだ?」
「今はそんな時計なんてどうでもいいことでしょ! 玲華ちゃんの怪我のほうが!」
「少し黙っていてもらえませんか? 先生の説明では軽い捻挫だと言っていたじゃないですか。今は何でこうなってしまったのかその原因が知りたいのです。知った上で美緒に非があるならば責任は私が全て取ります。私には美緒が理由も無く人を傷付ける様な事をするとは信じられないんです」
「理由があれば人を傷付けて良いとでも? だから……」
「これ以上、美緒の母親を侮辱する事は私が許しませんよ! なんなら出る所に出ましょうか? これ以上問題を大きくしたら娘さんの進学に響くと思いますがそれでも良いんですね」
強めの口調で言い放ち母親の顔を凝視した。
「私は何もしていないのに壊された。床に投げつけられて……」
美緒が涙声の様な苦しそうな声を搾り出した。
「そ、そうなの? 玲華ちゃん?」
母親が娘に問い質すと娘が小さく頷いた。
「なんですか、時計の1個や2個。それも日本製の時計じゃない、それくらいいくらでも弁償しますわ」
「その言葉に嘘は無いですね」
「ええ、もちろんよ」
母親が鼻息も荒く言い放った。
それを見てから静かに話し始める。
「まぁ、日本のセイコーの腕時計ですからね。セイコーの腕時計でクレドールと言うのを知っていますか?」
「そんな事知るわけないでしょ。関係ない話をしないで下さい」
母親の言葉を無視して話を続ける。
「そのクレドールシリーズの中で一番高い時計は1500万するんです。日本の時計も捨てたもんじゃないですよね」
「…………」
俺の言葉に母親の顔から血の気が引いていくのが見てとれた。
一気に畳み掛ける。
「この時計は私の大切な人からの頂いた物なので値段は知らないんですよ。でも、これはチタン製のクロノグラフですからね高いものだと100万弱から数十万円くらいですかね。それに数年前に頂いたので今じゃ手に入らないかも知れないんですよ」
「…………」
母親の顔がすっかり青ざめて最初の勢いは借りてきた猫の様に勢いを引っ込めてしまった。
「それでは話を戻しましょう。治療費諸々の請求を私にして頂けますか? その上で正式に謝罪に伺いますので、その時に直せるようでしたら修理代を駄目な場合は同等の物と同じ代金を……」
「あ、あの、玲華ちゃんの怪我はそんなにたいした事が無いので治療費は結構です。そうだ忘れていたわ。これから急いで祖母の所に行かなければならないのでこれで失礼します」
こちらが話し終わらないうちに急に落ち着きが無くなった母親がいきなり席を立ち、娘を叱り飛ばしながら部屋を出て行ってしまった。
残された俺達は呆気に取られて見送るしか出来なかった。
しばらく間が開き担任の先生が声をかけてきた。
「あの、岡谷さんてもしかしたら西崎さん達の?」
「父親と言うより保護者でしたね」
「金子先生は岡谷さんをご存知なのですか?」
「はい、校長先生。実は岡谷さんにはお会いした事は無いんですが、卒業生の秋香さん春介くん茉冬さんの育ての」
「ほう、そうでしたか。皆さん良い子ばかりで」
「先生、その話はまた別の日に。これからも美緒を宜しくお願い致します」
「そうですね」
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