第12話 驚かずに……





突然、俺の前に前触れも無く15年前に別れた彼女の娘・美緒が現れた翌朝。

俺は慌しく仕事に行く準備に追われていた。

「クソ! もう少し早く起きればよかった」

「私の所為じゃないからな」

「ガキじゃ有るまいし美緒の所為になんてするか」

美緒にはとりあえず石垣島タウンガイドを渡した。

もちろん地図にはマンションの場所や住所、それに近くにある店舗を大まかに書いてある。

「すまないが朝飯と昼飯は適当に済ませてくれ。これで必要な物があったら買うんだ。いいな」

「まるで子ども扱いだな」

「あのな、あまり時間が無いのに屁理屈を言って困らせないでくれ。大人じゃないのは確かなんだ。だけどガキ扱いしているわけじゃないだろ」

「ふん」

一万円札を財布から取り出して渡すと、美緒が口を尖らせてそっぽを向いた。

「それと、これが俺の連絡先と仕事先の住所と電話番だ。何かあったら必ず連絡するんだぞ」

店の名刺を美緒に渡す。

「そんなに美緒が心配なのか?」

「当たり前だろ。お前に何かあったらあいつにどう顔向けするんだ」

「それはママが気になるって言う事か?」

「あのな、何度も言わすなよ、今一番問題なのは時間が無いって事なんだ。屁理屈を言うな。もし、美緒に何かあったらこんなクソみたいな俺の命ならいつでも差し出してやるよ」

「馬鹿だな」

「馬鹿で上等!」

そう言い切って俺はマンションを飛び出して階段を駆け下りた。


仕事先は市内から10分位の名蔵湾沿いにあるカフェ&レストラン『ニライ・カナイ』で、俺はホール兼キッチンの仕事をしている。

ランチタイムが14時に終わりお客が引け俺は掃除の係りで、ホールのアルバイトの女の子2人が片付けと夜の準備に取り掛かっていた。

由梨香ゆりかはしっかり者でお姉さんタイプの女の子で少しぽっちゃりしている、もう1人の美穂里みほりはおとなしく気が弱い妹タイプの女の子だ。

名蔵湾に面した『ニライ・カナイ』の大きな窓からは、次々と色が変る海と竹富島が一望できた。

「また、チーフがモップを持ったまま海を見てるよ。ミポ」

「そうだね。毎日見てて飽きないのかなぁ?」

「チーフが海を見ている時の目って凄く哀しそうで遠くを見てるみたいだよね」

その時、入り口の自動ドアが開く音がした。

「あっ、スイッチを切るのを忘れてた。お客さんかな」

由梨香ゆりかが入り口の自動ドアに小走りで近づくと白いTシャツに花柄のショート丈のキャミサロペット姿の女の子が立っていた。

「ゴメンなさい。ランチは終わっちゃったんだけど」

「あの、おか……た……」

「誰かに用事かな?」

女の子は少し困った様にモジモジしながら深呼吸をして由梨香に伝えた。

「パパいますか?」

「パパぁ?」

素っ頓狂な由梨香の声に美穂里が驚いて2人が顔を見合わせ、2人の頭上にクエスチョンマークが大量生産されていた。

この時間に『ニライ・カナイ』に居る男は2人だけだった。

1人はキッチンの波照間。

波照間は女好きだが女気がなく独身だし、齢25の若輩者にこんな娘が居るわけも無く。

そして、チーフの岡谷はバツイチで子どもが3人居るが3人とも高校をとうに卒業しているはずで、由梨香の目の前にいるのは中学生にしか見えないとても可愛らしい女の子だった。

女の子は背伸びをして由梨香の肩越しに店内を見渡していた。

不意に美穂里の後ろから声がした。

「おーい、何やっているんだ? 賄いの時間……美緒?」

「ち、チーフ? 今なんて?」

由梨香が目をまん丸にして声を上げると美穂里が由梨香に隠れるように後ろにくっ付いた。

「美緒、こんな所まで何しに来たんだ?」

「相手の事を知る事は、これから一緒に暮らしていく上で必要だろ」

「い、一緒に? 暮らす?」

由梨香と美穂里が酸欠状態の金魚みたいに口をパクパクさせていた。

「こんな所までやって来るとは。仕方が無い、賄いでも食べていくか?」

「うん」

美緒が落ち着いた船のキャビンの様な店内を見回しながら頷いた。

「テル! 賄い一人分追加だ! ユーカとミホは何をそんなに度肝を抜かれた様な顔をしているんだ? 賄いの時間だぞ」

「チーフ! これが驚かずに……もう良いです。なんだかお腹が空いたのとダブルパンチで体から力が抜けました。ねぇ、ミポ。ミポ?」

美穂里は魂が抜けてしまったかの様に口を半開きにして、まるで東京タワーの蝋人形館にある毛利衛さんと向井千秋さんの蝋人形の様に微動だにせず固まっていた。


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