第86話 蜘蛛の魔物とお嬢様

「町に謎の非常線が出来て他の区画に移動できなくなっただと!?」


 マルド元将軍は、戻ってきたライズ達の言葉を聞いて驚いた。


「マルド元将軍はこの件についてなにかご存知ありませんか?」


 だがマルド元将軍はないないと首を横に振る。


「ワシは既に引退した身だ。即座に情報など入ってこんよ。だがそれよりも解せんのは、王都に非常線が引かれたという事だ。王都にそんなものが引かれるなど、よほどの大捕り物か王都が戦場にでもならん限り起きんぞ!」


 つまりは異常事態だという事だ。


「これだと捜索もまともにできませんねぇ」


「普通の人間ならな」


 マルド元将軍がニヤリと笑う。

 こういう状況ならお前の独壇場だろうと。


「魔物達に調査させます。夜になったら飛べるヤツにこちらに向かってくる魔物達とも合流させましょう」


「うむ、任せたぞライズよ。ああそれと、現状では宿を取るのも無理だろう。客室を用意するでな、泊まっていくといい」


 上司が嬉しそうに宿泊を勧めてくる事に、ライズはじわりと嫌な予感を感じた。


「そうそう、ワシの孫がお前のファンでな。ぜひ会ってやってくれ」


「マルア様ですか。承知しました、魔物達への指示を終えたらお嬢さんに面会させて頂きますよ」


「うむうむ、孫も喜ぶだろうて」


 ◆


「という訳で、ブラックドッグとピクシーそれにケットシーに頑張ってもらう事になる」


「アタシ達は動いちゃだめなのかい?」


 アラクネ達隠密行動が得意な魔物達が諜報活動への参加を求めてくる。


「今回は町に非常線が引かれてるからね。魔物の影でも見られたら衛兵達を刺激してしまう。俺が王都に戻っているのは既に知られているし、そうなったら俺が暗躍していると疑われかねない。だから昼間に動いても大丈夫な連中だけで情報収集を行ってもらい、アラクネ達荒事が得意な連中はもしもの時の為に待機だ。動いてもらうなら夜になるだろうな」


「分かったよ旦那」


 アラクネは見た目がキツ目の美人だが、その本質は甘えたがりだ。

 キャラクター的に頼りになる姐さんキャラで会った為、甘えさせてくれるライズにベタ惚れなのである。

 それゆえ、彼女はライズにちゃんとした理由がある限りその命令には絶対服従の姿勢を保っていた。もちろんライズの身に危険があればその限りでは無いが。


「じゃあケットシー、ピクシー、ブラックドッグ、よろしくたのんだよ」


「まかせるニャ!」


「おっまかせー!」


「ガウ!」


 ライズの期待に応えるべく、魔物達が一斉に飛び出していく。


「さて、それじゃあ俺は……」


「ライズ様―っ!」


 と、そこに元気の良い少女の声が響いた。


「おわっ!?」


 ふりかえろうとしたライズの背中に、ドスンという衝撃が襲ってくる。


「おっとっとっと」


 バランスを保てず、倒れそうになるライズを、モニュンとした感触が支える。


「お?」


 それはアラクネのクッションであった。

 豊かな双丘は、倒れてきたライズの顔を谷間で受け止め、彼が怪我をしないように優しく保護する。


「大丈夫かい旦那?」


「あ、ああ。ありがとうアラクネ」


 アラクネの谷間から抜け出したライズの前に、彼女の顔が近づく。

 別にキスをねだっているわけではない。彼女が欲しがっているのはもっと大事なものだ。

 ライズは右手を挙げ、アラクネの頭をなでる。


「ありがとうな」


「……ニヘッ」


 嬉しさを堪えきれなかったアラクネが、相好を崩す。

 もしこの笑顔を見た男が居たら、アラクネの下半身が蜘蛛である事も気にならずに好意を抱いた事だろう。


「もー! ライズ様! こっちも見て下さい!」

 と、ライズの背中から不機嫌そうな声が響く。


「ああ、すみませんマルア様」


 ライズが体をよじって後ろを見ると、目と鼻の先に可憐な少女が眉を吊り上げていた。


「もう! せっかく驚かそうと思ったのに、他の女の人とイチャイチャするなんて酷いです!」


 彼女の名はマルア=カルワイーニ。

マルド元将軍の孫娘であり、カルワイーニ子爵令嬢でもある。

 祖父であるマルド元将軍に似てライズや魔物達に対する偏見のない少女で、幼い頃からライズ達に懐いていたため、彼にとっては妹の様な少女であった。


「おひさしぶりです。大きくなられましたね」


「ちっがーう!」


 しかしなぜかマルアはライズの言葉を強く否定する。


「え? 何がですか?」


『旦那、こういう時はしばらく会わない間にすごく綺麗になったとか言うんだよ』


 ライズの耳に震える様な音の言葉が届く。

 アラクネの糸を使った糸通信だ。

 この通信は最小限の音で対象にのみ連絡をする事が出来る為、マルアに聞かれることなくライズにアドバイスをする事が出来たのだった。


「冗談ですよマルア様、しばらく会わない間にますますお綺麗になりましたね」


「えっ? そ、そーお?」


 えへへーと顔をほころばせるマルア。そんな事思ってもいなかったわーといわんばかりの態度だが、先ほどの否定の言葉がそう言われる事を強く望んでいたと自白している。


(アラクネには後でお礼を言わないとなぁ)


 マルアが喜んでいる姿を見て、ライズはアラクネへの感謝の念を強める。

 姉御キャラであるがゆえに、アラクネは他者への適切な対応の仕方を熟知していた。

 そしてその情報をこうして糸通信でライズに伝える事が出来る事は、彼女の有用性を強く補強していたのである。


「それにしても、ライズ様が王都に戻ってきているとお爺様に聞いてびっくりしたわ。騎士団に戻るの?」


 マルアはライズの右腕に抱きついて彼に語りかける。


「いえ、今回は仕事で来ただけですので」


(本来は仕事ですらないんだけどな)


「なーんだ、残念」


 ライズの本心を知らず、マルアは残念そうな顔になる。


「衛兵達が街の移動を制限しているのもその仕事の関係?」


 なかなか鋭い観察眼に、ライズは内心舌を巻く。

 ライズ自身もこの非常線が術宝と無関係とは思っていなかったからだ。


「現状では分かりません。ですがもしかしたら関係あるかもしれませんね」


「ねぇねぇ、どんな仕事で王都に来たの!? 私に出来る事なら協力するわ!」


 面白そうな事に自分も参加したいとマルアはライズへ協力を申し出る。


「申し訳ありませんが、荒事になる可能性もありますからマルア様を巻き込むわけには行きません」


「えー! つまんなーい!」


 ライズが拒否するのも当然だった。

 マルアはあくまでも貴族の娘、騎士でもなければ冒険者でもないのだ。


「マルアのお嬢さん、あんまり旦那を困らせないでおくれよ。旦那も仕事で来ているんだ」


 と、そこでアラクネがマルアを諌めにかかる。


「むー、しょうがないわねぇ」


 と言って、そのまま獣型の魔物達の中へと飛び込んでいくマルア。


「モフモフ遊んでー!」


 そんなマルアの姿を見て呆れるライズ。


「成長したと思ったけど、まだまだ子供だなぁ」


「まぁ、人間の子供ならあんなモンでしょ」


 アラクネが苦笑しながら魔物達と戯れるマルアを眺める。


「アラクネ、さっきは助かったよ。ありがとう」


 そういってライズは再びアラクネの頭をなでる。


「……エヘヘェ」


 頭を撫でられた事ですぐにフニャンとなってしまうアラクネ。

 非常に平和な光景であった。


 だが、その平和な光景も、フリーダ将軍の暴走によって脅かされる事になるとは、まだ誰も知らなかったのであった。

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