第40話 白きモニュモニュっとしたデカいナニかが通る

 ウィーユス河を巨大な白い物体が遡行する。

 そのあまりにも奇怪な光景に釣り人は驚き、水鳥は飛び立ち、魚は触手によって捕まれておいしく頂かれた。

 そう、クラーケンである。

 だがクラーケンとは本来海の魔物。この様な淡水の河にいる生き物ではない。

 それ故に近隣住民の驚きはひとしおであった。


「本当に揺れないんですねぇ」


 ライズ達と共に道案内役として同行するカーラがクラーケンの上にポヨンポヨン跳ねてはしゃぐ。


「基本水棲の巨大な魔物は柔らかい体が多いですよ」


「へぇー、不思議ですねぇ」


 水棲の巨大な魔物はその大きさ故に一定以上の水深のある場所でないと生活が出来ない。

 そして水深が深い場所は高い水圧が発生する為、彼等の体が柔らかいのは水圧の変化を柔軟に受け止める為に必要な機能であった。

 もっとも、そんな事実は本人達も知る由はないのであったが。

 更に言えばライズにとってもどうでも良かった。

 今の彼の視線は目の前でポヨポヨ跳ねている所為でちらちらとその姿を見せるスカートの中身に釘付けだったからだ。


(天然も悪くない)


 不幸中の幸いだったのは、人間の性癖が理解できない魔物達には、主の視線の意味が理解できない事と、人間の表情変化を理解できない事か。

 いや、居た。理解できる者達が居た。


「ライズ様、あちらの景色が綺麗ですよー」


「ええ、そうですよ主様~、そっちよりあっちの方が綺麗ですよ」


 そう、ラミアとセイレーンである。

 彼女達は半人にして女のみの魔物、本能でライズの視線の意味を理解したのだ。

 恐るべきは女の勘であった。


「あがが」


 二人がかりで無理やり視線を外されるライズ。

 そしてそんな彼等を呆れた様子で見る魔物達。


 彼等は今回の依頼の護衛役として付いてきた魔物達だ。

 今回のルートは水路である為、選出された魔物は水棲と飛行能力を持つ魔物に厳選された。

 またトレントの様に早く動く事が苦手な魔物も留守番となった為、横にしか歩けないカルキノスも留守番となっている。


「ライズ様ー!」


 とそこに先導して偵察をしていたハーピーが戻ってきた。

 

「どうした?」


 ライズはラミア達に無理やり変えられていた姿勢を戻してハーピーに問いかける。


「えっとね、この先にジャイアントトードとかがたくさん居るよー」


 ハーピーの役目は障害となる魔物や移動が困難な地形の把握であった。

 クラーケンが万全を期して薬を輸送する為に、先行して障害を排除する為だ。


「では我々が障害を排除してくる」


 そういって護衛のマーマンやタラクスク達がクラーケンの前に出て、そのまま先へ向かう。


「やれやれ、たかがジャイアントトード程度、我にとっては食事前のツマミなのだがな」


 輸送に専念させる為に戦闘を禁じられているクラーケンがぼやく。


「そう言ってくれるな、今回の依頼はクラーケンにしか頼めないんだ。時間もやり直しも利かない以上、慎重に慎重を重ねるにこした事は無い」


「承知している」


 ライズに諌められクラーケンは渋々輸送に専念する事にする。

 そしてマーマン達の向かった方向から、大きな水柱が上がるのだった。



 ◇


「いやーしかし早い! これだけ早ければ目的地には一週間以内に着きますな!」


 共にクラーケンに乗ってきたソイドが感嘆の声をあげる。

 薬を搭載している馬車の持ち主である彼は、荷物の引渡しが終わったらそのまま村の馬を購入して旅を再開すると言って付いてきたのだ。

 何しろ町に戻るとライズ達が戻るまでの間稼ぎが無い状況になってしまう。

 商人としてそれは避けたいという判断からの選択であった。

 その為にソイドの馬はデクスシの町の牧場に売り渡され、今は次の主と出会うのを待っていた。

 そしてその対価を使ってデクスシの町で取引されている交易品を買い込んだのである。


「目的地までこの速度なら3日、余裕を見て4日と言った所でしょうか」


 そういってソイドが広げたのは目的地までの道のりが書かれた簡易な地図だった。


「おや、地図をお持ちですか?」


 これにはライズも意外だった。

 この時代、地図を持っているのは貴族か軍人くらいだ。

 地図は主に戦争に利用されるものの為、簡素な地図であっても民間人が利用する事は少ないのだ。

 というか購入する事が出来ないので求めるなら自分で作るしかない。


「ええ、商売の役に立てる為に自分の通った道と人から聞いた道を地図に起こしたのですよ」


 そういってソイドは惜しげもなく自分の地図を見せてくれた。


「ほぅ、これはなかなか詳細な地図ですね」


 事実、ソイドの地図は細かい道まで書かれており、軍の地図ほどではないものの結構な精度だった。

 それでも素人が作った物として考えれば十分すぎる代物である。


「デクスシの町はココですから、今はこの辺りですかな」


 ソイドは指でデクスシの町と書かれた場所からウィーユス河の絵を上って行き、その途中で指を止めた。目的地からおおよそ1/7辺りの距離であろう。


「魔物の襲撃なんかもあるでしょうから急ぎたいところですね」


「ですが急ぎすぎて薬をダメにしては意味がありませんからなぁ」


「難しい所ですねぇ」


「大丈夫ですよー! こんなに早くて柔らかいんですから! クラーちゃんならすぐですよ!」


「クラーちゃん!?」


 真面目な会話に混ざってきたカーラの能天気な言葉にショックを受けるクラーケン。

 依頼主であるカーラはクラーケンの速さを全面的に信頼しているらしかった。


「そうですね、我々はクラーケンさんに賭けたのですから、いまさら心配しても無意味ですね」


「ですね」


 男達がそう納得した時だった。


「ライズ様ー! この先にはおっきな滝があるよー!」


「「……」」


 ハーピーからのタイムリーすぎる報告を受けて顔を覆う二人。


「呪われてませんかねこの依頼」


「正直、私もそう思わざるを得ません」


 相手が自然物とはいえ、それでも何かしらの悪意を感じずには居られない二人であった。


「安心しろ。滝などなんら問題ない」


 と、そこにもたらされたのはクラーケンの男らしすぎる啖呵だった。


「いや、滝の振動はかなりのものだ。油断しなくてもやばいぞ」


 魔物を使役する為に様々な土地を渡り歩いたライズは、滝の勢いがどれだけ凄いかを理解していた。

 そして巨大なクラーケンが移動できるだけの滝となれば、その振動は相当なのものだろう。


「ソイドさん、この辺りに迂回するルートはありませんか?」


 地図を持つソイドにライズは迂回路の提示を要求する。


「申し訳ないのですが、私の地図はあくまでも人間が通った事のある場所を記したものですので、未開の地の情報までは」


「ならハーピー……」


「だから必要ない。滝がダメなら陸を歩けば良いのだ」


「へ?」


 クラーケンは、薬を持った馬車を二つの触手でそっと持ち上げ、別の触手にライズ達を乗せる。


「滝の振動が届かない地面を歩けば済むだけの事よ」


 こうして、クラーケンのトンチの利いた解決法で大滝の危機は回避された。


 ◇


「あ! アレが谷の村に行く為のつり橋ですよー!」


 再び河に戻ってきたライズ達にカーラが彼方に見える細い線を指差した。

 すでに彼等は目的の谷に入っており、周囲は大きな岸壁に覆われていた。


「うー、この辺りの風グチャグチャー!」


 偵察に出ていたハーピーが髪をと羽をボサボサにしながら帰ってくる。


「危険な魔物は居なかったか?」


「うーん、大丈夫っぽい。空の魔物もこの風じゃ飛ばないよー」


 ライズに髪と羽根の手入れをされながらハーピーが報告をしてくる。


「大丈夫ですよー! ココまでくれば魔物も現れません! 村の周辺には神官様の張り巡らせた聖なる結界がありますから!」


 と、故郷への帰還で興奮したカーラが力説する。


「聖なる結界?」


「その通りです! この村は代々恐ろしい悪魔を封印してきた村なのです! そして悪魔の封印を解こうとする邪悪な者達を退ける為の強固な結界も張られているのですよ!」


 ここに来てライズはカーラの素性を聞いていなかった事に気付いた。

 彼女達が来てからというもの、計画の頓挫に告ぐ頓挫でソレどころではなかったからだ。


「そりゃあ凄いですね。魔物を寄せ付けない結界を張れるなんて相当高位の神官様じゃないですか?」


 ふとライズの脳裏に王都を蝕む堕落に満ちた神官達の姿が浮かぶ。


(アイツ等はろくに回復魔法も使えないエセ神官だったけどなー)


「その通りです!神官様は悪魔を封印するだけでなく、結界魔法も得意な文字通りの天才なのですから!」


 と、そこでカーラのテンションが下がる。


「だというのに、神官様は恐ろしい難病に罹ってしまわれました。顔色はどんどん悪くなり、自分の足で歩く事も出来なくなり、遂には魔力まで弱まって悪魔の封印が解かれてしまったのです! その所為で村を守る結界に穴が空き、魔物達が結界の穴から入り込む様になってしまったのです」


 悲しそうに事情を語るカーラ。


「そんな訳で私は神官様のご病気を治す為のお薬を捜し求めていたのです! やりましたよ神官様! カーラは遂にお薬を手に入れましたー!」


 興奮してぴょんぴょん跳ねるカーラの姿を見つつ、ライズとソイドは頷きあっていた。


「結界に穴が空いて……」


「その穴から魔物が入り込むようになってしまった」


「あれ? どうしたんですかお二人共?」


 神妙な顔つきの二人にカーラが首を傾げる。


「ハーピーとマーマンはもう一度偵察に向かえ! タラスクス達はクラーケンから降りて直ぐに戦闘が出来る様に警戒態勢!」


 ライズの指示に魔物達が即座に散開する。

 しかしその判断はわずかに遅かった。

 クラーケンの白い体にいくつもの黒い斑点が出来たのだ。

 否、それは影だった。

 上空からクラーケンの体に影を落とす程の巨大な何かが落ちてきたのだ。


「岩!?」


 それは巨大な岩石だった。

何十もの岩がクラーケンに降り注ぐ。


「いかん!」


 マーマンがあせりの声をあげる。

 いかに優れた武勇を誇ろうとも、上空から勢いよく降ってくる無数の巨大な岩石を破壊するのは困難極まりない事だったのだからだ。

 ハーピー達にしてもそうだ。彼女達は空を飛ぶ為に軽い身体となっている。

 鋭い爪で敵を引き裂くには向いているが、やはり巨大な岩を相手にするには向いていない。

 例外はタラスクスやケートスの様な巨体の魔物だが、いかに彼等といえどもこの数にはどうしようもなかった。


「せめて薬だけでも死守……っ!?」


「邪魔だ」


 ぺいっ。


 クラーケンに必死の指示を出そうとしたライズであったが、当のクラーケンは薬を搭載した馬車を押さえていた足を除いた9本の足でぺしぺしっと岩を跳ね返していった。

 それはもう砂利をはじく様にあっさりと。

 そう、あっさりだった。

 いかにクラーケンの身体に影を落とす大きさといっても、所詮は斑点程度の影を落とす程度の大きさ。クラーケンの足で払えば何十もの数を吹き飛ばすのは容易な事だった。

 跳ね返された岩が四方八方に吹き飛んでゆく。

 そしてドゴンドゴンと谷の外壁に埋まっていく岩の固まり。


 と、そこでなにやら違う物が落ちてきた。

 否、それは物ではなく生き物だった。


「ジャイアントトロールか!」


 その魔物は巨体を持って敵に襲いかかるジャイアントトロールであった。

 ジャイアントトロールは一体ではなく、何体も落ちてきた。


「ライズ様! 上っ!」


 ハーピーの言葉に崖の上を見れば、ジャイアントトロールの群れが見える。


「そうか、アイツ等が岩を落としてきたんだな!」


「どうやら敵は反撃を受けない上空から岩を落として、運悪く押しつぶされた獲物を喰らって生活していた様だな」


 ジャイアントトロールの姿を見たマーマンが先ほどの岩が人為的な物である事を見抜く。


「成る程、だがもうタネはバレた訳だ! ハーピー! 空中部隊はジャイアントトロールの迎撃に向かえ!」


「了解! やっつけちゃうよーっ!」


 ライズの命令を受け、お返しとばかりにハーピー達飛べる魔物達は全速で上空に飛び立って行った。


 ◇


 ジャイアントトロールの群れを撃退したライズ達は、更に谷の奥深くへと進んでいく。


「見えてきました! あれが私達の村、ミトレー村です!」


 カーラが指を指した先には、白くきらめく神殿を最奥に置いた段状の町並みが見えるのであった。

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