第256話 貝原、最終進化したってよ

「はー、こりゃまたどえらいもんに進化したなぁー」


 ヤクトは遠くを望むように片手で庇を作りながら、アイランドシェルから見渡せる絶景を満喫した。その発言はその他大勢の気持ちを代弁していると言っても過言ではないだろう。

 私がアイランドシェル――その名の通り、島のように超巨大な貝の魔獣――に進化して小一時間と経たない内に、周囲はトウハイ中からやって来た野次馬達で埋め尽くされていた。

 これ以上、野次馬達が近付かないよう兵士達が身体を張って規制線を作っているが、彼等の方からもチラホラと視線が向けられており、最早野次馬とそうでない者との線引きは曖昧であった。


「ですが、ガーシェルが無事で何よりです」

「うん!」


 私が復活したことでアクリルを取り巻いていた悲しみは吹き飛ばされ、本来の無邪気な明るさが感情の主導権を取り戻していた。その姿に彼女を知る者達はホッと安堵の吐息を零した。只一人を除いては――。


「ああ、まだよのなかにはわたしのしらないまじゅうがいるのか……」


 恍惚という言葉が似合うだらけない笑みを浮かべながら、アイランドシェルの平原に突伏するキューラ女史。感動しているのか、悶えているのか、その口調は言語を忘却の彼方に置き忘れたかのように浮ついている。


「キューラおねーちゃん、どうしちゃったのー?」

「姫さん、見たらアカン。アレは流石に見たらアカン」


 魂が抜け落ちたキューラの情けない姿は幼子の目に毒だと判断したヤクトは、それを見せないよう全身を使ってアクリルの視界をシャットダウンする。そして気を取り直すように溜息を吐き出し、港があった方角へ目線を遣った。


「せやけど、折角準備してもらった船を台無しにしてしもうたな」


 北岳の名前の由来となった立派な山脈は、トンカチで叩き潰されたかのように進化した私の巨体に耐え切れず押し潰されてしまっている。それによって崩落した山の瓦礫が四方へ雪崩れ込み、港は勿論のこと健闘寺や麓の町にも甚大な被害が及んだ。

 にも拘らず、人的被害は皆無という奇跡的な結果に誰もが驚いた。だが、それは幸運の女神が齎した奇跡などという陳腐なものではない。私が進化した際に得た新スキル『収容』が発動したのだ。

 これは半径5キロ以内の人間を任意でシェルターに回収するというものであり、これによって一々貝殻を潜って出入りをする必要が無くなった。またシェルターの収容制限も無限となり、その気になれば一国の軍隊を収容する事だって可能だ。

 他にも新たに手に入れたスキルの中で特にユニーク性が高いと思うのは、『分身』と呼ばれるスキルだ。これは魔力を消費する代わりに貝の種族ならば、どんな魔獣でも召喚出来るというものだ。因みにヤクト達と現在進行形で会話しているのは、この分身で呼び寄せたヴォルケーシェルだ。

 更に分身した貝の魔獣とは視野を共有する事が可能であり、島のような巨体に適当に配置して監視カメラの如くに活用するも良し、一体だけ先行させて偵察ドローン代わりにするも良しという使い勝手の良い便利機能も備わっている。

 しかし、視野共有を活かすとなると脳内で複数の情報を処理する羽目になり、思考が追い付かなくなる恐れがある。そこで様々な物事を同時に考えながらも、並列して作業を行える『並行思考処理』なるスキルも獲得で来た。


「気になさらないで下さい」角麗がフォローを込めて苦笑する。「ガーシェルが復活した上に、これだけの被害を出しておきながら人的被害も無かったのですから」

「しかし、これだけの被害を出しておきながら御咎めなしという訳にもいかんのでは?」


 どうやら皆それに関しては思うところがあったらしく、クロニカルドが敢えて物申した途端にサッと顔色が気まずいものへと早変わりする。事実、助かった市民の中には私達に恨みがましい目を向けてくる人間も少なからず居る。

 不可抗力だったとは言え、これだけの被害を出してしまったら無理もない話だ。けれども、仕方がありませんと言って開き直る訳にはいかない。それにコレはコレで好機だ。私の新しい力を試す絶好のチャンスとも言えよう。


『あっ、三賢人の皆さんも来ましたね』


 ヤクト達は前方の淵からトウハイの大地を見下ろした。何万という人込みで埋め尽くされた海がパッと左右に分かれ、その合間を馬車の群れが砂埃を巻き上げながら駆け抜けていく。

 その殆どが装甲を張り巡らした護衛馬車で、それらに取り囲まれた東洋風の豪奢な美で作られた馬車が一際目を引く。やがて馬車の群れは私の手前で止まり、中から数人の人間が降り立った。

 予想通り、周囲の護送馬車から兵士達が続々と降り立ち、そしてある程度の壁を構築したところで中央の高級馬車から三賢人が姿を現した。彼等の登場に街の人々も思わず色めき立つ。

 人生を長く生きて多少の事には動じないと思われた三人だが、流石に巨大な私を見上げた時は細い目を丸々と見開いて驚愕を露わにしていた。まぁ、自分の国に突然邪龍クラスの巨大生物が現れれば、そりゃそうなりますわな。


「ほな、ガーシェル。こっちへ招待したってな」

『了解しました』


 ヤクト達の手前と三賢人の足下に単純な円と線で構築された魔方陣が構築され、淡い光の粒子が噴水のように放出される。そして粒子の放出が途絶えて光の壁が崩れ落ちると、先程までトウハイの大地に立っていた三賢人と数人の護衛が私達の目の前に立っていた。


「これは……!」

「三賢人様、突然の無礼をお許しください」


 状況が呑み込めていない三賢人に深々と非礼をお詫びするかのように頭を下げるマリオン。そこで漸く彼等も此処が私の上だと理解したらしく、ゴホンッと咳払いして落ち着きを取り戻そうと努めた。


「マリオン殿が居られるという事は……」青海が興味深そうに周囲を見渡す。「此処は、あの魔獣の上という事ですな?」

「そうだよー!」


 と、アクリルが元気に答えるも、流石に一国の主に匹敵する人間に対して無礼だと判断したクロニカルドの手によってやんわりと口を封じられた。しかし、三人は幼子の無邪気な振る舞いよりも、私という存在に未だ気を取られているらしく其方に気付く素振りすら見せない。


「しかし、これは驚きですな」真緑が心の籠った声を上げる。「噂で聞きましたが……やはり邪龍を食べた事が原因なのですか?」


 真緑は困惑した眼差しでヴォルケーシェルである私の方をチラッと見遣る。恐らくはそうなのだろうが、一魔獣である私に細かい事実は分かる筈がない。そして賢者タイムから復活を果たしたキューラが私に代わって答えを代弁する。


「恐らく、そうだと思います」学者の好奇心と個人的な満足感が合わさった笑みを浮かべながら断言する。「邪龍を取り込んだことで膨大な経験値を獲得し、それを元手にして驚異的な進化を成し遂げた……と考えるのが妥当でしょう」

「このガーシェルなる魔獣のおかげで邪龍を倒せたも同然だというのは分かる。しかし、この惨状はどうするのだ?」


 赤岳が険しい面持ちで被災した北岳の町を見遣れば、痛い所を突かれたかのようにヤクト達の面持ちも険しくなる。只でさえ今は邪龍の爪痕を癒す為の復興作業に勤しんでいるのだ。そこへ来て私の進化騒動で新たな被害が増えれば、向こうにとっては傍迷惑以外の何物でもない。


『あの……その件で少しお話があるのです』


 ヤクト達が何と言おうか思い悩んでいる中、私は意を決して泡の吹き出しで訴えた。それを目にした三賢人は私が言葉を繰り出した事実に大きく目を丸くし、ヤクト達は何をする気なのかと興味深い眼差しを投げ掛けてくる。


『宜しければ、私に街を立て直す許可を頂けませんか?』

「街を立て直すだと?」半信半疑の声色で真緑が思わず声を上げる。「そうしてくれるのならば文句は言わんがしかし、一体どうやってやるのだ?」

『それに関しては私に考えがあります。ですが、先ずは――』


 小一時間後、私の要求通りに人払いが為されて辺り一帯は無人となった。残されたのは崩落した山に押し潰された北岳の町だけだ。無意識だったとは言えコレを引き起こした元凶が自分だと思うと、心の何処かでツキリと突き刺さるものがある。

 しかし、直ぐに感傷的な気分を捨てて、私は街を再構築する為に意識を巡らした。進化によって魔法の性能は飛躍的に向上し、精密性や創造性に至っても大幅に底上げされた。そして新たに手に入れた魔法もあれば、恐らく……いや、間違いなく街一つを再建するなど造作もない事だ。


『よし……行くぞ! 再生!』


 この土地に築かれた街の全体図を脳裏で再現し、魔法を発動させる。まるで波一つ立っていない水面に一滴の雫を落とすかのようなイメージで、私の身体から発せられた魔力が大地に広がって浸透していく。

 そして魔力が隅々にまで行き渡るとゴゴゴッと大地が鳴動し、まるで錬金術のように新たな建物が――されど以前のと寸分変わらず――次々と再構築されていく。それと入れ替わるように積み重なった瓦礫や岩は大地に呑み込まれて行き、あっという間に一帯は嘗ての町の姿を取り戻した。


「ガーシェル!」クロニカルドが慌てて此方へ振り返る。「今の魔法は一体何なのだ!?」

『今のは土魔法と植物魔法の混合技ですね。あとマッピングで大地の情報を読み取って以前の町を再現してみました』

「な……植物魔法だと!? 此処に来て新しい魔法を手に入れたのか!?」

「いや、植物魔法も凄いけどマッピングで大地の情報を読み取るって、そっちの方が訳が分からへんわ」


 そう、今回の進化で強化されたのは魔法だけではない。各種スキルの性能も最大限にまで引き出され、それによって以前までは無かった副次効果も付与されたのだ。

 例えばマッピングだと一帯の地理情報に加えて大地の情報――以前あった街の図面や地質の特性――を収集することが出来るようになり、ソナーだと音波で相手の位置を探るだけでなく、音波そのものを強化して衝撃波に変換するという攻撃的な仕様も可能になった。


「ですが、これで北岳の街の件は解決ですね」と、角麗が安心した笑みを浮かべて言う。

「ああ、それにガーシェルが進化した今なら船を使わずともドレイク帝国へ――」


「その前に一つ宜しいでしょうか?」


 ヤクトが新たな旅へ気持ちを切り替えようとした矢先、この場に居る何者でもない第三者の声がやって来た。パッと振り返れば森の奥にぼんやりと白い人影が佇んでおり、此方へ近付くにつれて影が薄まって明確な人間の姿が露わとなった。


『あの人は……!』


 それを目にした途端、私の脳裏に電流が駆け抜けた。何故なら私達の前に現れた人物は、私が意識の狭間を彷徨っていた時に出会った、あの女性であったからだ。てっきり私の夢が生み出した幻的なものかと思われていたが、まさかこうして現実世界でもお目に掛かれるとは……。

 ヤクトは銃を構え、角麗は拳を構える。クロニカルドは魔法で援護する構えを取り、護衛として来た兵士達は主君である三賢人と、非戦闘員であるマリオン達を守るように前へ出る。そしてアクリルも見知らぬ人間に対する警戒心を露わにして私の傍に身を寄せた。


『大丈夫ですよ、アクリルさん。あの人は敵ではありません』

「ガーシェルちゃん、知っているのー?」

『ええ、と言っても眠っている間に出会っただけで詳しい事は知りませんから……」


 女性は『敵意は無い』と言わんばかりに無警戒に、そして無防備なまま森を抜け出て全体像を曝け出した。その時、ヤクト達は大きく目を見開かせた。その女性はよくよく見ると身体が半透明に透けており、脛から下に至っては幻のように掻き消えて実在すらしなかった。


「幽霊……なの?」

「ある意味、そう言えます」


 キューラが呆けたように呟くと、女性は御淑やかに微笑みながら答える。しかし、そこに恨みや憎悪の類は見当たらない。寧ろ、清々しいまでに透き通った微笑は聖人のようであり、私達に彼女が悪霊などの危険を齎す存在ではないという印象を齎すには十分であった。


「私の肉体は千年以上も昔に朽ち果てています。そしてデイダラボッチ……貴方達が邪龍と呼んでいる生物が滅びた事で、私の魂は解放されました」

「邪龍の名前を知っている!?」青海が思わず目を見張る。「それに邪龍が滅びて解放されたとは一体……?」


 サァッと心地良い一陣の風が吹き抜け、さわさわと森の草葉が耳触りの良い音を奏でる。それに合わせて霊体にも拘わらず彼女の髪が微かに揺れ、爽やかな日差しが半透明掛かった銀髪をキラキラと宝石のように瞬かせる。

 その時、私は違和感の正体に気付いた。彼女と出会った時から、ずっと誰かと似ていると思っていた。世にも珍しい銀の髪……そう、この女性はアクリルに似ているのだ。そして女性は下腹部に両手を重ねながら、丁寧にペコリと御辞儀した。


「申し遅れました、私の名前はガイアと言います。千年以上に渡って、私の魂は邪龍の制御核として封印されていました」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る