第219話 暴走の幕開け

 アラジンはラカムが書き記した手帳の内容に真剣な眼差しを注いだ。文字の羅列を追って目線を走らせるにつれて、その表情が険しい色で汚染されていく。

 そこに書かれているのはラカムが死に至った経緯だった。どうやらダンジョンに起こっている異変の数々を執務室で調査していた最中、弟のガラムに不意を突かれる形で襲われて命を落としたそうだ。

 そして次に意識を取り戻した時、前世の記憶を引き継いだまま今の姿……アンデッドになっていたという訳だ。またダンジョンの魔力によって生まれ変わったからか、ダンジョンに起こっている異変の実態を無条件で知ることが出来た。

 過剰なまでに魔獣を狩り過ぎた事でダンジョンの魔力に限界が近付いており、このままではコアが臨界に達して一種の防衛機能が発動してしまう。もし発動すればダンジョンから大量の魔獣が溢れ出し、ダンジョンは機能停止するというビッグバンに似た災厄が起きるだろうとの事だ。


「成る程、これがラカムさんが発見した事だったか……」


 アラジンから手渡された手帳を受け取り、ラカムはコクリと頷いた。彼の顔に理解が浮かび上がっているのを見て取り、ラカムも懸念が一つ減ったのか眼孔に宿った薄暗い赤は何処となく穏やかな輝きに落ち着いていた。


「で、どうすればダンジョンの暴走……いや、防衛機能を止められるんだ?」


 ラカムはサラサラと手帳にペンを走らせ、ピラッと引っ繰り返してアラジンに仮説を見せた。


『先ずはダンジョンを封鎖する必要がある。どれくらいの期間を置けば良いのかは分からないが、魔獣の総数が全盛期の頃に戻れば問題ないだろう』

「そうなると急いでダンジョンの冒険者達を引き揚げさせる必要があるな……」と、アラジンは背後の自警団の方へ振り返った。「ダンブルさんの方は終わったのか?」

「計画が予想通りでしたら既に鎮圧も終わっている筈です」

「よし、その前提で動こう。ラカムさんは此処で待っているか?」


 ヤクトの提案にラカムは首を横に振り、またしても手帳にペンを走らせた。


『いや、私も行こう。今やこのようなアンデッドだが、ある意味でダンジョンに救われたようなものだ。その恩義を返したい』

「相変わらずだな、アンタは……」


 そう呟いてアラジンはフッと微笑んだ。アンデッドに成り果てても相も変わらぬラカムの義理深さに懐かしさを覚えたのだろう。そして外に出てもバレぬようラカムが自警団の衣装でカモフラージュすると、一同は自警団の屯所を後にしてダンジョンへと向かった。



 獣舎から解放された私はヤクト達と共に中央の広場にあるダンジョンへと向かっていた。既にエルドラの街には異様な空気が漂っていた。未知なる事態への不安と、今後何が起こるのかという不穏が大半を占めているが、微かにだが希望も入り混じっている。

 人の目に付かぬよう水面下で進んでいたクーデターだったが、流石に小一時間も経過した頃には人々も異変を感知したらようだ。街中で起こっている自警団同士の小競り合い、そしてエルドラの中枢を担う機関の制圧……ここまで来ればクーデターだと気付かぬ人間は少ないだろう。

 けれども、ダンブルを始めとするクーデターを主導したメンバーの迅速な指揮と誘導によって市民への不安は最低限に抑えられた。無論、これは彼等に対する市民達の信頼が厚かったこと、またガラムの暴政に対する不満が大きかった事も起因している。

 漸くダンジョンの置かれた広場に足を踏み入れると、未だに大勢の冒険者が詰め掛けており、エルドラの町を覆い尽くさんとする異様な空気とは無縁の――ある意味、平常通りの――活気と熱気に満ちた空気が構築されていた。

 だが、よくよく考えればダンジョンに訪れる冒険者の殆どは、エルドラの外からやって来た余所者だ。例えクーデターの噂が広場にも押し寄せていたとしても、彼等が我関せずと冒険者家業に勤しんでいても何ら可笑しくない。


「おいおい、まだこんなにも多く居るんかいな……!」

「仕方ねぇさ」フドウが冒険者達に目線を張り付けながら嘯く。「此処はエルドラで最も人気のある場所なんだからな」

「フドウ!」


 そこへアラジンを筆頭とした面々が合流し、ソレを見て向こうも成功したと理解したフドウは待っていたと言わんばかりの笑みを零した。


「その様子だと成功したようだな」

「ああ、そっちもな」

「人切り幽霊はどうなったんです?」

「ああ、それなら……」


 と、アラジンは肩越しに振り返って背後に立っていた自警団の一人を見遣った。その人物が前に出て顔に覆った防砂用のスカーフを僅かにずらすと、その下から真っ白い骸と赤い仄かな輝きを宿した眼孔が露わとなった。


「おわ!」

「連れて来たのかよ……。しかし、よく連れ出せたな。これを捕まえた連中から文句を言われなかったのか?」

「出る時は自警団の一員として誤魔化していたからな。だけど、ラカムさんを押収する時に恨み言を言われたがな。人切り幽霊の遺骸が殺人事件と関わっているかもしれないと聞いて渋々と引き下がってくれたが、あの未練っぷりには辟易したよ」


 呆れの詰まった溜息を吐き捨てるアラジンを見て、私とヤクトは互いに目線を交わして苦笑し合った。ダンジョンで出会った時でさえも功名心に焦り、此方を巻き添えにしようとしたのだ。その最たる手柄である人切り幽霊を奪われれば、未練がましい反応をしても何らおかしくない。


「で、どうするんだ?」フドウはハンター達に視線を遣った。「このままモタモタしてたら最悪の事態とやらが起こっちまうんじゃねぇのか?」

「兎に角、ハンター達をダンジョンから出そう。自警団の命だと言えば、流石に向こうも抵抗はしない筈だ」


 アラジンの話を受けて、早速自警団はダンジョンの前で屯しているハンター達に退避を呼び掛けた。予想通り、殆どのハンター達は自警団の要請に眉を顰めていたが、ダンジョンに重大な問題が発生する恐れがあると聞くや、掌を返すように広場から慌てて逃げ出していく。

 

「やれやれ、情けねぇ。ダンジョンで何も起きない訳がねぇだろうに、覚悟が足りなさ過ぎんだろ」

「無理もない」アラジンが苦笑しながらフドウを宥める。「このダンジョンは難易度が比較的に低いダンジョンなんだ。加えて魔石を搔き集めれば一儲け出来るから、苦労して下層まで潜る人間も居ないしな」


 そして粗方の冒険者を避難させたところで、避難誘導をしていた自警団が此方へ駆け寄ってきた。その表情には焦りと懸念が滲んでおり、何があったのか大凡で予想が付いた私達も釣られて怪訝そうに眉を顰めた。


「大体のハンター達は退避させました。しかし、既にダンジョン内に潜ってしまったハンターもいるみたいです」

「数は分かるか?」

「約30チーム……150人には上るかと」

「よし」アラジンが私達を見渡す。「ヤクト達と俺達とで手分けして潜ろう。ダンジョンが防衛機能を発動させる前に――っ!?」


 その時、アラジンの台詞を遮るように午前中の情景を掻き消す程の真っ赤な光が辺り一面に広がった。パッと振り返るとダンジョンのある石造りの塔が赤々と染まり、石と石を組み合わせた隙間を電子回路のように赤い輝きが駆け抜けていく。


「おい、これって……!」

「まさか、手遅れやったんか!?」

「誰か出てくるぞ!」


 ダンジョンの入り口からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきたかと思いきや、五十人以上の冒険者がドッと溢れるように飛び出してきた。誰かが一度倒れると我先に押し退ける後続達に次々と踏み潰され、複数の足音に骨の砕ける音と悲鳴が入り混じる。

 中々に凄惨な光景だが、冒険者達が気に留めるどころか逃げ足すら止めないところを見るに、余程の恐慌状態にあるらしい。そしてフドウは真横を通り過ぎようとした冒険者を咄嗟に掴んで引き止めた。


「おい! 一体何があった!?」

「わ、分からねぇ! 突然ダンジョン内に魔力が膨れ上がり、今までにない数の魔獣が湧きやがったんだ! セーフィーエリアにも押し寄せてきて、こりゃ駄目だと思って逃げ出したんだ!」


 フドウとアラジンは最悪の事態が起きてしまったと確信し、緊張で強張らせた互いの顔を見合わせた。先に目線を切り上げたアラジンは未だにフドウに引き止められた男に話し掛けた。


「ダンジョン内に居た冒険者は全員逃げ出したのか!?」

「いや、腕の立つ何チームかはダンジョンに残っている! 少しでも魔獣の数を減らす為に殿を引き受けてくれたんだ! 外に出たのは新米や、ソロ同士で手を組んだ一時凌ぎのチームばかりだ!」

「……そうかよ。じゃ、お前さん達を始めとする冒険者は自警団と一緒に街を守っててくれや」


 パッとフドウが手を放せば、冒険者は戸惑いながらも頷き返してその場を後にした。フドウはハァッと溜息を吐きながら気怠そうに後頭部を掻き、ダンジョンの方へ目線を遣った。


「やれやれ、これから押し寄せてくるであろう魔獣を蹴散らしながら、中に取り残されたハンター達も助けにゃならんとは……面倒この上ないな」

「だが、やるしかない。どちらにしてもダンジョンを止めなければならない」

「そうそう」気さくに相槌を打ちながらキールがアラジンの肩に乗る。「それに今は何だかんだで最強の布陣が出来てるじゃネェか」


 アラジンは肩に乗っかったキールに同意の微笑みを向け、それから私達の方へ目線を寄越した。その目には並々ならぬ信頼が寄せられており、それに当てられたヤクトは奮起するかのように左掌に右拳を叩き付けた。


「はは、そう言われちゃこっちも負けてられませんわ。それにこっちも心強い援軍が来たみたいですわ」


 ヤクトが振り向いた先に目線を走らせると、別方面で活動していた自警団の一団がやって来た。その中に含まれていたクロニカルドが此方に気付くや、矢のような勢いで飛来してきた。


「無事だったか、貴様達!」

「ああ、クロニカルド先生の方はどうやったんで?」

「ふん、他愛もなかったわい。反発する輩を一薙ぎしたら、あっという間に抵抗の意志を無くしおった。気概の無さに呆れ果てたわい」


 クロニカルドはガラムと裏で繋がっている裏社会の組織や悪徳商会の鎮圧に回っていたのだ。流石にそちらでは少なからぬ抵抗があったようだが、クロニカルドと熟練の自警団の活躍によって難無く事を済ませたようだ。


「して――」クロニカルドはチラッと塔を見遣る。「どうやら最悪の事態が起きてしまったみたいだな」

「ああ。しかも、まだ中にはハンターが取り残されていやがる。そいつらも助けないとな」

「丁度いい感じに数も揃っているし、問題は無いだろう」

「ほな、エルドラを救う為にダンジョンに潜るとしましょか」


 広場から波紋のように広がりつつある騒動を自警団に任せ、私達はダンジョンへと足を向けた。既に入り口からは濃密なまでの魔獣の気配――殆どが石像(ゴーレム)なのに気配があるのはどうかと思うが――が漂ってきており、入ることすら許さぬように私達の身体に重く纏わり付く。

 だが、私達はソレを振り払うかのように躊躇いなくダンジョンへ足を踏み入れた。やがて私達の後ろ姿が入り口に蔓延る暗闇に呑み込まれると、ダンジョンは凶兆を告げるかのように一層と強い輝きを帯び始めた。 

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