第197話 VSイゴール

 私達が納屋から飛び出すと、時刻的に宵を迎えている筈の野外は昼間のような明るさに溢れ返っていた。しかし、それは人々の営みに必要な明るさではなく、全てを焼き払わんとする業火の輝きであった。


「くそ、どれが本隊や!?」


 しかも、木々の合間から差し込む炎光の輝きが一つだけではなかった。村を半包囲するかのように三つ――そしてたった今、新たな爆発と共に四つとなった。一繋がりではないという点から鑑みるに、敵は幾つかに分散して森の至る場所に火を放っているみたいだ。


「こうやって複数箇所に火を付けるという事は、此方の戦力分散を狙っていると見るべきだな」

「だろうね」


 クロニカルドの意見に、ジルヴァが険しい面持ちで相槌を打つ。しかし、それは相手の戦略を警戒していると言うよりも、自分の故郷を躊躇なく破壊する相手の作戦に憤っている節が強く感じられた。そんな彼の表情を横目で観察していた角麗だったが、やや考え込んだ後に試案を述べた。


「どうしますか? こちらも分散して敵に対処しますか?」

「いえ、それは危険です」ヘルゲンが懸念の籠った声色で待ったを掛ける。「敵はアクリルさんの故郷を跡形も無く滅ぼすだけの実力の持ち主です。此方の戦力を徒に割くのは良策とは言えません」

「寧ろ、この場合は逆に考えるんだ。相手側が戦力を分散させてくれているおかげで各個撃破し易いと。それに此処はボクの故郷でもある。地の利は此方側にあると言っても過言じゃないさ」


 そう自信有り気に語るジルヴァだが、それは彼だけの専売特許ではない。敵の迎撃において協力を申し出てくれた50名ばかしのエルフ達にも言える事である。ましてや故郷が危機に晒されようとしている事もあって、彼等の意気込みっぷりは一入であった。

 何はともあれ、作戦の要となる骨子さえ固めてしまえば、連携や索敵などの細かな役割分担もトントン拍子に決まっていった。そしていよいよ行動に移ろうとした矢先、マジックアーマーに不具合が無いかを確認していたヤクトが私の方へ振り向いた。


「ガーシェル、お前は此処に残って姫さんを護るんや」

『宜しいのですか?』


 私が出した吹き出しの問い掛けには二つの意味が込められている。一緒に行動しなくても良いのかという問い掛けと、アクリルの傍に居続けても良いのかという確認だ。ヤクトも私の言わんとしている事を察したのか、首を縦に振って肯定してくれた。


「敵さんが戦力を分散させているのは確かかもしれへんけど、あれで全部とは限らへん。寧ろ、あの炎全てが俺っち達を誘き寄せる為の餌である可能性も捨て切れへん。となれば、連中が狙う本命は誰なのかは……言うまでもあらへんやろ?」


 成る程、私達が炎に気を取られている間に手薄となった村を襲うという訳ですか。ヤクトの推測は十分に……いや、十二分に有り得る話だ。ましてや現在進行形で起こっている襲撃が例の黒ローブ達によるものだとしたら、狙いはアクリルに他ならない。


『分かりました。ならば、私は此処に残ってアクリルさん達をお守りします』

「ああ、頼むで。仮にガーシェルが敵の本隊とぶつかったとしても、時間さえ稼いでくれれば本隊を挟み撃ちすることも可能かもしれへん。まぁ、それは上手く行けば話やけどな……」


 相手が油断ならないだけに、流石のヤクトも順調に物事が運んでいく楽観のビジョンが頭に思い浮かばないみたいだ。

 程無くしてエルフ達が燃え盛る森へ先陣を切り、その直ぐ後ろをヤクト達が続いていく。まるで業火の煌きに呑み込まれるかのように彼等の姿はあっという間に見えなくなり、その数分後には激しい戦闘音が彼方から轟き始めた。

 どちらが優勢なのか、はたまた劣勢なのか……こればかりは私のスキルを以てしてでも分からない。不安が無いと言えば嘘になるが、だからと言って味方が負けるかもしれないという不穏な考えは微塵も浮かばなかった。

 ヤクト達の実力は共に旅をしてきた私自身が一番良く知っているのも大きいが、何よりも今回の戦いでは今までに紡がれた人々の縁という大きな力も味方してくれているのだ。これで負ける未来なんて想像出来る筈がない。


(だからこそ……私も負ける訳にはいきませんね)


 そう胸中で意気込みながら意識を前に飛ばすと、燃え盛る森を背景バックに一人の男が近付いてくるのが見えた。背後で煌々と輝く炎が逆光となっているせいで、相手の姿は黒く塗り潰されたかのように影に覆われている。

 しかし、味方にしては気配を絶ち過ぎている上に、ピリピリと柔肌を刺すような敵意が遠距離からでも感じられる。やがて細長く尖った人影が私の数歩手前に差し掛かった所で、漸く相手の全貌が明らかとなった。


「ほぅ、あの時の貝が立派になった物だな……」


 光さえも呑み込んでしまいそうな暗黒色のローブを纏った老人……間違いない、アクリルをしつこく付け狙う連中の親玉――イゴールだ。老人は私を見るや、そう言ってニヤリとほくそ笑んだ。それは余裕の笑みと言うよりも、己の失態を自嘲しているかのような笑みであった。

 しかし、それも分からないでもない。当初は取るに足らない単なる雑魚が、僅か数カ月出会わなかっただけで見間違える程に急成長していたのだから。仮に私がイゴールだったとしたら、雑魚と侮ってみすみすと取り逃がした当時の自分を打ん殴りたくて堪らない筈だ。


「魔獣に聞いても無駄かもしれんが、あの小娘は何処にいる?」

『………』


 イゴールの問い掛けに対し、私は無言を貫いた。因みにアクリルや国王陛下は納屋を後にし、エルフの村から更に奥まった場所にある避難所――エルフ族が設けた隠形特化の結界――に移っている。仮にイゴールが此処を突破しても、彼女達を見付け出すのは骨が折れるだろう。


(まぁ、そう簡単に抜かれるつもりはありませんけどね……アイアンウォール!)


 私が胸中で魔法を唱えると、断崖絶壁の山肌を彷彿とさせる武骨にして巨大な鉄壁が地中から迫り上がった。それは私達の周囲を隙間無く取り囲み、あっという間に鉄のカーテンで区切られた闘技場コロッセオが完成する。

 この闘技場はイゴールを逃がさないという意味だけでなく、此処から絶対に逃げないという私自身の覚悟の表れでもあった。即席の闘技場を見回しながら、イゴールは感心したかのように嘯いた。


「成る程な……。主人を売る気は無いどころか、主人を害す者は許さないと。よく出来た従魔じゃないか。しかし、いくら進化して強力になったとは言え所詮は魔獣……努々私を倒せるとは思わぬことだ」


 そう言ってイゴールはゆっくりと手を掲げると、開いた掌に魔力のオーラが集中し始めた。限りなく黒に近い紫の靄が手そのものを覆い尽くし、やがて掌の中央に凝縮されて黒い光を放った直後、全てを焼き尽くす地獄の業火が迸った。


「デスフレイム!」

『ホーリーキャノン!』


 イゴールの攻撃を見極めるかのように一拍置いてから発射された聖水の砲弾は、両者の中間で漆黒の炎と激突した。光と闇が激しく入り乱れるような忙しない点滅光が闘技場に溢れ返り、それに伴って水と炎が鬩ぎ合う盛大な蒸発音が響き渡る。

 やがて相打ちで終わった事を意味する夥しい水蒸気の煙幕が辺り一面を埋め尽くした。普通ならば視界が殺されて焦るところだが、常時発動させているソナーはイゴールの姿を確実に捉えていた。


『ウォーターカッター!』


 半透明の四枚の丸鋸は本物さながらの甲高い唸りを立てながら、濃霧のように立ち込める水蒸気の煙幕へと飛び込む。流石に煙幕を切り裂くどころか逆に呑み込まれて見えなくなってしまうが、ソナーを介した第二の目はウォーターカッターの行方を追っていた。

 四枚のウォーターカッターはイゴールに群がるように襲い掛かり、相手の老体を細切れにするかに思われた。が、その手前で何かに弾かれてしまい、カッターは砕け散るかのように無害な水飛沫と化して消失してしまう。

 一体何が起こったのか……と考える間も無く、毒々しい赤を基調とした紫電が水蒸気の煙幕を突き破って襲い掛かって来た。


『ロックウォール!!』


 私の眼前に迫り上がった墓石のような分厚い岩壁が紫電を受け止めた瞬間、目も眩むような赤が視界を埋め尽くした。肉眼を通して頭脳に流れ込む莫大な光量を処理し切れず、キャパシティオーバーを意味する頭痛にも似た苦痛が齎される。

 やがて閃光が治まって視界も回復し始めると、稲妻を受け切って真っ黒に炭化した岩壁が視界に飛び込んだ。程無くして岩壁はボロボロと脆い石炭のように崩れ落ち、最終的に黒焦げた塵芥の山だけが取り残された。

 防護壁の成れの果てを目の当たりにして息を飲んだのも束の間、僅か数瞬の内に岩壁の向かい側にまで距離を詰めていたイゴールに視界を奪われた。そして老体とは思えぬ速度で私の懐に飛び込んだイゴールは―――


「ぬぅん!!」

『!?」


 私の巨体は空き缶を蹴飛ばすかのような勢いで吹き飛ばされ、地面の上を石ころのように何度も横転した。やがて背後にある鉄壁に激突して漸く止まったが、その衝撃で頭の中では幾つもの星が閃いていた。


『い、今のは一体……?』


 幸いにも身体面におけるダメージは皆無に近かったが、精神面におけるショックは強大であり動揺が長引くほどであった。そして体勢を立て直してイゴールを見遣れば、先程の拳を繰り出したポーズのまま止まっていた。

 しかし、よくよく見ると突き出された拳の周りには魔力のオーラが蔓延っている。こちらが投げ掛けている凝視の意図を汲み取ったかのように、イゴールはローブの下から老獪な笑みを覗かせた。


「驚いたかな? 私の本職は魔法使いではない。『魔闘士まとうし』――格闘家と魔法使いの混合職だ。勿論、魔法も繰り出せるが……正直に言うと好きじゃない。遠距離戦は戦いという実感を感じさせられないのでな」


 そこで言葉を切ったイゴールは「ハァッ!」と気合いの籠った雄叫びを上げて四肢に力を込め始めた。すると先程まで枯れ木同然だった筋骨がローブの下で活発に脈動し始め、萎んだタイヤに空気を注入するかの如くにみるみると巨大化していく。

 やがてローブの上半身が巨大化するイゴールの肉体に耐え切れなくなり、裂帛の悲鳴を上げて内側から引き千切られた。そうして露わとなったイゴールの姿は、最早老人と呼べる代物ではなかった。

 人体の限界ギリギリまで怒張した筋肉は躍動感に漲っており、その出で立ちは最盛期の格闘家……もしくはありとあらゆる修行や苦行を克服した武闘家のようであった。何よりも160センチ程度だった身長も、若干曲がっていた腰が伸びた事と筋肉の膨張によって2m近い長身を獲得している。


「この身体は奥の手の時にしか出さないものなのだが……折角殴り甲斐のある敵に出会えたのだ。存分に楽しませて貰うとしよう」


 まるで半世紀近くも若返ったかのような溌剌とした笑みを浮かべてみせるイゴール。しかし、若返ったのは肉体だけではない。精神面も若返ったらしく、先程までは老獪とも言うべき狡猾な雰囲気が似合っていたが、今や獰猛な肉食獣のような血気に溢れている。

 そしてイゴールがゆっくりと一歩を踏み出し、次の一歩を踏み出そうとした瞬間―――彼の姿は忽然と視界から消え失せていた。


『!?』


 我が目を疑うよりも先に脳内のソナーのセンサーに意識を向けると、既にイゴールは9時方向の3m手前にまで迫っていた。私が咄嗟に車輪を回して急発進した直後、背後から爆音のような轟音がやって来た。

 左側のタイヤに急ブレーキを掛けて急反転させるかのように振り返れば、先程まで自分の居た場所に拳を振り下ろしたイゴールの姿があった。


『ファイヤーキャノン!』


 前方の火口から立て続けに三発の火球を発射し、その全てがイゴールに襲い掛かる。イゴールが攻撃に気付いて振り向いたのと同時に着弾し、けたたましい爆音と夥しい火炎が巻き起こる。

 やったか……と思いたいのも山々だが、ソナーの反応は未だに健在。つまりは仕留め切れていない。直ぐに次の行動へ移ろうとした矢先、燃え盛っていた炎が突如として内部から巻き起こった旋風に巻かれて掻き消された。

 そして旋風の中心から現れた無傷のイゴールは、地面スレスレに拳を這わせるような鋭いアッパーカットを繰り出した。すると空を切った拳の後から凍て付くような一陣の風が吹き抜け、その寒風を追い駆けるかのように氷の剣山が一直線に築き上げられていく。


『どわ!!』


 迫り来る氷山に驚きながらも、咄嗟に横へ飛び退いてソレを躱す。やがて背後の彼方にある鉄壁に届いた氷は、脆い砂糖菓子のように崩れ落ちて無に還る。しかし、氷の行方に気を取られたのは失敗だった。何故なら意識を再びイゴールの方へ向けようとした時、既に彼は私の真横に迫っていたからだ。


「はぁ!!」


 肉眼では捉え切れない程の勢いで振り抜かれた剛脚が貝殻に激突した途端、鉄が砕けるかのような轟音が場内に響き渡った。幸いにもソレは幻聴で終わったが、私の巨体が石ころのように転がされた事実に変わりは無かった。

 どうにかして横転を止めようとするも、回転が弱まろうとする頃合いを狙っているかのように、その先々でイゴールが先回りして脚撃なり拳撃なりを叩き込んで何度も転がされてしまう。これでは弄ばれているのも同然だ。

 既に発動させている防御スキルのおかげで、(一方的に攻撃されている割には)許容範囲のダメージで納まっている。が、このままピンボールの玉のように遊ばれ続けたら、どうなるかは定かではない。


『この……! 水蒸気爆発!!』


 イゴールが三度回り込もうとした瞬間を狙い、九つの火口から噴火のような爆発が噴き出した。水蒸気爆発の衝撃を受けたイゴールは、真っ白い噴煙に巻かれながら吹き飛ばされて鉄の壁に叩き付けられる。

 偶然とは言え、今の一撃は流石に効いただろう―――そんな期待を抱きながら傷付いた身体を起き上がらせるも、噴煙が晴れ上がった先から現れたイゴールはこれまた無傷であった。


『……うそでしょ?』


 そんな私の呟きを聞き取ったかのように、イゴールはニヤリと血に飢えた獣のような獰猛な笑顔を浮かべてみせた。

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