第108話 VSオークラーケン②

「ブギィイイ!!!」


 憤怒に駆られたオークラーケンの攻撃は怒涛を極めた。十本の触腕が変幻自在の槍のように突き出され、凄まじい勢いで且つ様々な角度から私に襲い掛かる。それに対して私はジェットを小刻みに噴射し、迫る触腕をギリギリで回避しながら距離を詰めていく。


『聖水魔法! ホーリーカッター!』


 聖水魔法なんて凄そうに言っているが、その実態はウォーターカッターに聖属性を付与させただけだ。しかし、オークラーケンのような聖属性を嫌う魔獣には効果は抜群だ。

 私の周囲に聖水で作られた四枚の回転刃が出現し、チェーンソーのような唸りを上げながらオークラーケンの触腕や胴体を擦れ違いざまに切り裂いた。


「ブギャアアアア!!」


 切り口から油性絵具のような濃厚な青い血が噴き出し、穢れた汚水に新たな色を付け加える。切られたダメージもそうだが、オークラーケンが堪えたのはやはり聖属性による浄化効果だ。

 回転刃で切られた傷口から浄化を意味する白い煙が血に交じって濛々と立ち登り、相手が好む穢れを根こそぎ奪い取っていく。それによって苦しみ悶える姿は、まるでエクソシストのワンシーンにある、聖水を浴びせ掛けられた悪霊のようだ。

 このまま一気に相手を畳み掛けるべく更なる接近を試みようとしたが、私の眼前に二本の触腕が立ちはだかった。当初は接近を拒むガードの構えかと思っていたが、蛇の頭のように擡げた触腕の先端が三方に割れ、中から現れた円口が私を捉えた。

 それを見て咄嗟にUターンを描いた直後、剥き出しの円口からドス黒い瘴毒液が吐き出された。当初は形が定まらない泥状の液体だったが瞬く間に固形化が進み、私が先程まで居た場所を通過する頃には先の尖った涙型となっていた。


「ブギィィィ!!」


 私とオークラーケンの間に距離が築かれると、オークラーケンは豚の口から大量の毒墨を吐き出した。大気中で吐き出した時は半固形化したオイルの塊みたいだったが、水中ではあっという間に水に溶けて広がり、ほんの数秒で視界の風景は純度の高い漆黒で塗り潰されてしまった。

 しかも、厄介なことに暗視スキルを以てしても、墨で埋め尽くされた空間は全く見通せなかった。完全な暗闇に取り残される感覚を味わうのは前世以来であったが、現状を考えると懐古に浸る余裕などなく、寧ろ圧倒的に危機感の方が勝っていた。


『ソナー!』


 私は肉眼での探索を早々に切り捨て、超音波による探索に切り替えた。身体の内から発せられるピンガー音が均等な波紋を描いて広がっていくのが、脳内に浮かび上がる簡易レーダーと白黒で構成されたが教えてくれる。

 すると正面から交差するように迫る二本の触腕を察知し、私は咄嗟に急上昇した。太い触腕が私のスレスレを通り過ぎる感覚が貝殻越しに伝わって来るが、まだ一回目を避けただけでは安心など出来る筈がなかった。


(嘗て私が煙幕代わりに白煙スキルを用いた時、自分も煙に巻かれながらも相手の存在を正確に把握出来ていた。それと同様にオークラーケンも私の動きや位置を把握していると見做すべきだろう。ならば、奴の独壇場とも言うべき土俵に居続けるのは危険だ!)


 そう結論付けた私は視野が利く場所を求めて頭上目掛けて急上昇した。この池全部が墨に支配されていても、流石に水上に飛び出してしまえば暗闇の支配から抜け出せるだろうと考えての事だ。

 だが、そんな考えはオークラーケンに見抜かれていたらしく、水面を目指した矢先に奴の長い胴体が私の行く手を遮った。脳内のレーダーに映し出された通せんぼの影を認識するや驚愕が心臓を叩き、次いで反射的に急ブレーキを掛ける。

 辛うじて奴の胴体と正面衝突する危機を寸前で回避してホッと息を吐き出す間もなく、常時発動させていたソナーが私の直下から迫る十本の触腕を捉えた。私はUターンを描いてオークラーケンから離れるも、触腕達は執拗に私の背中を追い掛けてくる。

 時には私の横スレスレを通り過ぎ、時には先端が私の背中を撫でるように掠る。さながらカーレースに匹敵する激しいデッドヒートを繰り広げた末、辛うじて触腕の魔の手から逃げ切る事に成功した。

 しかし、触腕から逃れられたと思ったら、今度は固形化した瘴毒液の弾丸が背後から襲い掛かってきた。それも一発や二発どころではない。絶え間なく降り注ぐ雨の如く、弾幕を張る対空砲火を彷彿とさせる勢いでだ。

 流石の私もオークラーケンが編み出した弾幕を回避し切れず、――そもそも鈍重なロックシェルで、どんな攻撃も回避しろと言う方が無茶な話だ――何発か貝殻に命中してしまう。

 幸いにも聖鉄が生み出す鉄壁と加護のおかげでダメージは許容範囲内に納まり、状態異常にも罹っていない。が、だからと言って弾幕に真っ向から逆らうのは些か無理がある。どれだけ頑丈でも、攻撃を集中的に浴びれば何時か壊れてしまうのは当然の理だ。

 やがて弾幕の射程外へと出ると攻撃がピタリと止み、先程までの喧騒が嘘だったかのような静けさが水中を満たした。しかし、その静けさに耳を傾け、緊張に束縛された心を休ませている余裕など今の私には無かった。


(ソナーで相手を捉えてから攻撃するにはタイムラグが有り過ぎる。ましてや此方の動きが丸見えである以上、下手に攻撃を仕掛けるのは危険だ。となれば、墨の効果が途切れるまで逃げ回るか? 或いは……――!)


 と、オークラーケンの対抗策を考えていた矢先にソナーが新たな反応を感知し、それまで活発に働いていた思考は中断へと追い遣られた。そして反応を捉えた正面に意識を向けると、ソナーの波紋に引っ掛かったと思しきオークラーケンの二本の触腕が脳内イメージの中で鮮明に浮かび上がる。

 もう追い付いたのかという驚きを後回しにし、私は主舵を切るように身体を大きく右へと傾けて回避行動を取ろうとした直後だった。想像もしていない方角から凄まじい衝撃が襲い掛かり、次いで金縛りに遭ったかのように体が動かなくなった。いや、違う。何かに雁字搦めにされて身動きが取れなくなったのだ。


(な、何だ!?)


 予想外の事態に心臓はバクバクと常軌を失ったかのように早鐘を打ち、状況の理解を拒む暗闇が不安と恐怖を駆り立てる。その一方で『戦いの最中で恐慌状態パニックに陥ったら負けだ』と自分に何度も言い聞かし、最低限の平常心だけは辛うじて保たせた。

 やがてオークラーケンが吐き出した毒墨の効果が切れ、視野を覆っていた暗闇の靄がみるみると晴れ上がり、黒一色に支配されていた退屈な風景に色彩が蘇る。そして完全に視野が復活すると、私の身体はオークラーケンの触腕に雁字搦めにされていた。


『お、オークラーケン!? そんな馬鹿な!』


 前方から迫って来るオークラーケンの触腕を感知して避けた筈なのに、何故か逃げた方向にオークラーケンが待ち伏せしていた……この矛盾する事実に私は衝撃を受けた。このような真似はオークラーケンが二匹以上居るか、向こうに瞬間移動の能力がなければ不可能だ。

 だが、触腕を感知した方角へ目を遣ると其処にオークラーケンの姿はなく、代わりに長い棒状の瘴毒液の塊が穢れた水中に漂っていた。それを見た私は相手が用いたトリックと答えを無意識に理解した。

 ソナーは超音波の反射で物体を探知する探索スキルの一種だ。目視が利かぬ状況下でも使えるという長所があるが、一方で探知した物体が何なのかを明確に知る術が無いという短所も持ち合わせている。脳裏にイメージこそ浮かぶが所詮はイメージに過ぎず、肉眼で直接得る情報と比べると緻密さに欠ける。

 ソナーの弱点を理解していたオークラーケンは瘴毒液で触腕を模った模型を作り、それを超音波の波紋にわざと引っ掛けて感知させた。その結果、感知した偽物を本物と勘違いした私は、オークラーケンの思惑通りに踊らされてしまった……という訳だ。

 またソナーが放つ超音波の波紋は、別の超音波の波紋で相殺されるという特徴がある。私がオークラーケンの待ち伏せに気付けなかったのは、私の放ったソナーが奴のソナーとぶつかり合って相殺されていたからに違いない。

 己の迂闊さを呪っていると不意に視界がグンと引き寄せられ、オークラーケンの不細工な豚顔が眼前一杯に映し出された。まるで此方の精神に重圧を掛けるような圧迫面接に酷似しているが、当然ながら相手にそんなつもりは一切ない。

 触腕に囚われた私を見据えるオークラーケンの眼は鬼畜なサディストのように細まり、大口径の鼻腔からブヒブヒと心底下品な笑い声を漏らしながら舌を舐めずる姿は品性の欠片もない。そもそも魔獣に品性を求めても無意味なのだが。

 言葉や意思は疎通出来ずとも、表情や態度からオークラーケンの思考を読み取る事は出来る。彼は勝利に酔い痴れていた。そして勝者の暁として、勝者の権利として、敗者である私は貪らんとしている。

 その読みは的中し、オークラーケンは不揃いな牙が生えた口を大きく開いた。両腕に当たる二本の触腕で私をガッチリと絡めたまま口へと運んでいく姿は、ハンバーガーを食す人間のポーズと瓜二つだ。

 そして底無しの闇が広がるオークラーケンの口腔が眼前に迫り、いよいよ私を口一杯に頬張らんとする―――その時だった。


『聖氷魔法! “聖なる氷結ホーリーバーン”!!』


 私の身体がパキパキと音を立てながら氷結を纏い、まるでソレが伝染するかのように私を捕えていたオークラーケンの触腕も凍っていく。


「ブギィイイイイ!!?」


 今まさに私を食わんとしていたオークラーケンは想定外の不意打ちに悲鳴を上げ、それまで浮かべていた愉悦の笑みが一転して苦悶に歪んだ表情へと変貌する。無理もない、私みたいな貝の魔獣が氷魔法を使うなんて誰が想像出来ようか。

 しかし、私とて最初から氷魔法が使えた訳ではない。この氷魔法は元々アーネラルが生まれながらに持っていた希少なファーストマジックであったが、それを彼女から託される形で私が受け継いだのだ。そう、彼女から託された物とは氷魔法コレのことだ。

 また聖魔法との融合で生み出された聖氷せいひょうには浄化の効果が含まれており、氷の膜に覆われた触腕からみるみると力の源である穢れが失われていく。また触腕の強みであった柔軟性も失われ、私を締め付けるのはおろか動かす事もままならない状態だ。

 浄化の苦しみも当然あるが、それ以上にオークラーケンを苦しめたのは寒さだった。先程まで大声を上げていた口は歯の根も合わないほどにガチガチと震えるばかりで、本来の声そのものが凍り付いてしまっているかのようだ。

 そんなオークラーケンの声にならない苦痛を他所に、聖氷は蝕むようにゆっくりとだが確実に範囲を広げていく。そして凍結が触腕を伝っていよいよ胴体に差し掛かろうとした時、オークラーケンはトカゲの尻尾切りよろしく凍り付いた触腕を根元から切り捨てた。

 深刻な危険に晒される前に肉体の一部を切り捨てるという文字通り身を切る勇気と覚悟は称賛に値するが、その賢明な判断を下すには些か遅過ぎた。


『逃がしません!』


 車のアクセルを全力で踏むイメージでジェットを噴かすと、身体に絡まった触腕から枯れ木を裂くような悲鳴が上がった。それに伴い深刻な亀裂が凍て付いた触腕を埋め尽くし、最後はガラス窓を叩き割るかのように木っ端微塵に砕け散った。

 散らばった残骸がダイヤモンドダストの煌きを放ちながらヘドロの底へと沈んでいく……そんな美醜が交わった幻想的な光景に私は見向きもせず、その場から離れようとしているオークラーケンを追い掛けた。


アイスニードル氷針!』


 貝殻の表面に生えたハリセンボンのような細かい氷の棘が順次撃ち出され、白い泡沫の尾を引きながら水を蹴るようにして泳ぐオークラーケンの八本足に命中する。

 その衝撃で氷針はパリンと陶器を割るような断末魔を上げて破裂してしまうが、中に凝縮されていた冷気の塊がオークラーケンの足に纏わり付いて凍結を齎した。

 相手の動きが止まっている間に私はオークラーケンに追い付き、奴と向き合うように身体を反転させた。


聖なる螺旋ホーリードリル!』


 私の正面に聖鉄で出来た巨大なドリルが装着された瞬間、オークラーケンはギョッと目を大きく見開いた。恐らくソレがどんな武器であり、何の為に装着したのか薄々勘付いたのだろう。

 だが、勘付いたからと言って動きが鈍くなったオークラーケンに成す術などなかった。そして私自身もオークラーケンに情けを掛けるつもりなんて更々なく、音を立てながら高速回転するドリルの穂先を相手の額に捻じ込んだ。


「ブギイイイイイイイイ!!!!」

『うおおおおおおお!!!』


 ドリルの先端が甲高いうなりと共に分厚い頭蓋の岩盤を突き破り、オークラーケンの口から苦痛に塗れた絶叫が飛び出した。奥へ奥へと掘り進むにつれて突入口とも言うべき傷口は抉られるように拡大し、大量の血とミンチと化した脳症が汚水に混じって外へと流出する。

 最終的にドリルは頭蓋を貫いただけに止まらず、トンネルを掘るかのようにオークラーケンの肉体を貫通し、ドリルと一体化していた私も相手の背中を突き破る形で飛び出した。

 すぐさま後ろへパッと振り返れば、オークラーケンの胴体にビニール袋を強引に捩じ切ったようなギザギザに歪んだ穴が完成しており、そこから向こう側の風景が覗いて見えた。自分のした事とは言え、背筋が粟立つ嫌な光景だ。


【相手の体力がレッドラインを切りました。丸呑みが可能です。標的を丸呑みしますか?】


 そして此処で待ちに待った勝利確定スキルが発動!! 勿論、この機を逃しませんとも!!

 では、改めまして―――!


『いただきます!!』


 バクンッ!


 オークラーケンの巨体が吸い込まれるように私の胃袋へと納まり、暫しの静寂が場を満たす。やがて私の脳内に例の如く、あのBGMが鳴り響く。


【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして12になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして13になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして14になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして15になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして16になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして17になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして18になりました。各種ステータスが向上しました】

【経験値が規定数値に達しました。レベルがアップして19になりました。各種ステータスが向上しました】

【戦闘ボーナス発動:各種ステータスの数値が通常よりも多めに獲得します】

【触手が触腕に成長しました】

【攻撃技:触腕を会得しました】

【攻撃技:吸収ドレインを会得しました】

【攻撃技:毒墨を会得しました】

【攻撃技:毒墨と毒液が統合され、猛毒墨に発展しました】

【特殊スキル:白煙が黒煙に発展しました】


 よっしゃあああ!! 勝った!! そして珍しく様々なスキルと技が手に入りました!! 

 と、喜んでいたら穢れに満ちていた水中が急速に清浄化され始め、汚水の濁りがみるみると薄れていく。どうやら竜の目を支配していたオークラーケンの死によって、汚染からも解放されて本来の姿を取り戻しつつあるようだ。

 

『これであとはヤクトさん達次第ですけど……』ヤクト達の居る対岸を見遣るも、すぐにアーネラルが居る池の底の方へ目線を落とす。『先にアーネラルさんを回収しませんとね』


 これは彼女から氷魔法を受け取った時に聞かされた事なのだが、魔法の譲渡は持ち主が変わる度に効果がリセットされるそうだ。つまりアーネラルが水中で生き延びる為に築いた氷の壁も、私が氷魔法を受け継いだ瞬間に効果を失っており、時間が経過すれば何れ崩壊するという訳だ。

 幸いにも今すぐに崩壊する恐れはないとの事だったが、オークラーケンとの戦いで相応の時間を食ってしまい、今もまだ無事だと言う確証は何処にもない。そう言った事情に付け加えてアクリルの命を救う重要なキーマンである以上、アーネラルの回収が急務であるという判断を下したのは強ち間違いではないだろう。

 善は急げと言わんばかりに私は真下で沈殿しているヘドロのベッドに飛び込み、その先で待っているであろうアーネラルの元へと向かっていった。



【名前】ガーシェル(貝原 守)

【種族】ロックシェル

【レベル】11→19

【体力】11100→15100(+4000)

【攻撃力】2470→3110(+640)

【防御力】8550→10150(+1600)

【速度】735→935(+200)

【魔力】4670→5310(+640)

【スキル】鑑定・自己視・ジェット噴射・暗視・ソナー(パッシブソナー)・鉱物探知・岩潜り・堅牢・遊泳・浄化・共食い・自己修復(成長修復)・聖壁・鉄壁・研磨・危険察知・丸呑み・暴食・鉱物摂取・修行・黒煙・狙撃・マッピング・吸収

【従魔スキル】セーフティハウス・魔力共有

【攻撃技】麻酔針・猛毒針・腐食針・体当たり・針飛ばし・猛毒墨・触腕

【魔法】泡魔法・水魔法・幻覚魔法・土魔法・大地魔法・聖魔法・氷魔法

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