第83話 解き放たれし暴力

「いやぁ~、ええ買い物したわぁ~」


 アクリルが実技試験を終えた頃、ヤクトとクロニカルドはテラリアの商店通りに足を運んでいた。

 ニコニコと笑顔を浮かべるだけに留まらず、今にもスキップを繰り出しそうな軽い足取りから見ても、ヤクトにとっては充実した買い物であった事が窺える。が、隣に居たクロニカルドは訝しむような眼差しで笑顔の相棒をねめつけた。


「良い買い物だと? そんな鉄のガラクタがか?」


 クロニカルドの視線はヤクトではなく、ヤクトが手にブラ下げている麻製の手提げ袋に向けられていた。その袋の隙間からは、たった今クロニカルドが指摘した鉄のガラクタ――ヤクトが購入した商品――が陽光を反射しながら見え隠れしている。

 クロニカルドだけでなく他の人間から見てもガラクタにしか見えないが、自分の買い物にケチを付けられたと思ったのかヤクトはムッと軽く唇を尖らせながら反論を呈した。


「分かっとらんなぁ、クロニカルド先生は。俺っちのスキルに掛かれば、これも立派な武器になるんやで?」

「ほぉ、そのような鉄の物体が? して、どのような武器なのだ?」

「それはまだ言えへんわ。出来上がってからの御楽しみっちゅーヤツやな。せやけど、この世は魔法だけやあらへんって事をクロニカルドにも教えたるわ」


 そう言ってヤクトが売り付けた挑発をクロニカルドは鼻先で笑い飛ばしながら買い取り、更に高値を付けて売り返した。


「そこまで言うのであれば見届けてやろうではないか。まぁ、どんな物を出されようが己が編み出した魔法の足元にも及ばないだろうがな」

「何やとぉ!? 言いおったな! 今に見とれや、絶対に吠え面をかかしちゃるからな!」

「貴様が生きている間に、己の吠え面を拝むことが出来ればの話だがな。まぁ、期待せずに気長に待っておいてやろう。己の寛大さに感謝するのだな?」


 その瞬間、クロニカルドとヤクトの瞳からプライドと言う名の電流が迸り、両者の間でぶつかり合って不可視の火花を飛び散らした。

 まるで目を逸らしたら負けという暗黙の了解があるかのように、瞬き一つせずに睨み合う二人だったが、そこへ年若い女性の声が二人の間に飛び込んだ。


「ヤクトさん! クロニカルドさん!」

「「ん?」」


 自分達の名前を呼ばれて二人は睨み合いを止めて声の方へと振り返ると、そこには昨日出会ったエマが控え目に手を振っており、彼女の肩からはグリーンワームのエルピーがひょっこりと顔を覗かせていた。服装はメイド服になっている事から、今は仕事中なのが窺える。

 途端、ヤクトは先程まで剥き出しにしていた対抗心を完全に隠匿し、人好きしそうな笑みを彼女に向けた。その変わり身の速さに隣に居たクロニカルドも思わず目を丸くしてしまう。


「エマさんやないか。そっちも買い物かいな?」

「いえ、私はシュターゼン様の試験が終わるまで時間を潰しているだけです」

「そう言えば貴様の主人もアクリル同様に試験に挑んでいるのであったな」

「はい、無事に試験が終わっていると良いのですが……」

「しかし、今更ではあるが何故そやつは従魔に拘るのだ?」


 何の前触れも無く唐突に投げ込まれたクロニカルドの疑問に、二人は不思議そうな面持ちで彼の方へ振り向いた。


「どういう意味や?」

「そのままの意味だ。シュターゼンは曲がりなりにも貴族だ。冒険者のように従魔を引き連れて出歩く必要など無い筈だ。単に個人的な理由で魔獣を使役するのであれば、従魔としてではなくペットとしてヘルスタッグを飼育する道もあったであろうに。何故、態々従魔許可証を手に入れる必要があるのだ?」

「成程、そう言われたら確かに不自然やな」


 ヤクトもクロニカルドの疑問に一理あると納得を深め、顎に指を沿えて考える素振りを作った。が、相手の事情も知らないのに思考を巡らした所で答えに辿り着ける筈がない。


「あの……ここだけの話なんですが――」地べたをゆっくりと這うような重々しさと慎重さを併せ持った口調でエマが言葉を挟む。「――貴族の間では、強力な魔獣を引き連れるのが一種のステータスとなっているみたいなのです」

「ステータス……? どういうこっちゃ?」

「既に御存じかもしれませんが、ヘルスタッグはシュターゼン様が自力で手に入れた訳ではなく、雇った冒険者等の力を借りて手に入れた物です」

「だろうな。あのようなボンボンに魔獣を捻じ伏せる力なんて有る筈がない。して、それと貴族とどう関わりを持つのだ?」

「今言ったみたいに貴族達にとってすれば、強力な魔獣は金が有れば手に入るという認識が蔓延しているのです。つまり魔獣が強力であればある程に、その貴族の財力が豊富というアピールになる訳です」

「成程、要するに魔獣は権力を見せびらかす為の派手な御飾っちゅー訳やな。流石に貴族間の面子争いに巻き込まれた魔獣に同情せざるを得んわぁ。」

「そして従魔として付き従えれば、己の力としても振る舞う事も出来る。貴族みたいな面子で全てが決まる世界では、この上ない存在ではあるな」


 クロニカルドは脳裏に浮かんだシュターゼンを始めとする貴族の姿に向かって嘲笑を投げ掛けた。確かに耳にすれば『たったそれだけの事で……』と誰もが呆れを覚えるだろう。

 しかし、貴族――特に権力や地位に拘る者――にとって面子は武器であり宝だ。時には面子を使って相手を降し、時には面子を使って周囲の敬服を買う。最早ソレは権力と大差ない不可視の力だ。

 だが、必ずしも完璧ではない。泥なり傷なりを付けられれば面子の価値は下がるし、ましてや格下の人間に後れを取ったとなれば、上に立つ者としての面子は潰されたも同義だ。

 故にシュターゼンは是が非でも従魔を得たというアピールを示さなければならないと考えたのだろう。ある意味で、この試験を受けたきっかけは従魔を得たエマにあると言っても過言ではない。

 どちらにしても一般人からすれば逸脱した常識である事に変わりはなく、これ以上貴族の考えに付き合い切れなくなったのかヤクトは頭を左右に振って別の話題を持ち出した。


「ところで、あれから体調はどうなんや?」

「御心配お掛けしましたが、今ではすっかり元気ですよ。これもクロニカルドさんが掛けて下さった回復魔法のおかげです。本当に何と言って御礼を申し上げれば良いのやら……」

「構わん。それに体調が良くなったのは、必ずしも回復魔法によるものではない」

「どういう事や?」


 その一言に反応したのは首を傾げるエマではなく、無意識に目付きを鋭く細めたヤクトだった。


「初めて出会った時は気付けなかったが、二度目……つまり貧困通りで出会った時に確信したのだ。この女の身体には呪印が纏わり付いている事にな」

「呪印やて!?」


 呪印と言う言葉が飛び出した瞬間、全く身に覚えが無かったのかエマの表情が驚愕の余り硬く強張った。横目で彼女の反応を盗み見ていたヤクトは、まさかと言わんばかりに大きく見開いた目をクロニカルドに戻した。


「それも隷属魔法と呼ばれる服従を強いる魔法だ。そして己の魔法で呪印を解除してやれば、御覧の通りだ。十中八九、それが原因と見て間違いないだろう」

「で、でも……私、そんな呪印なんて大層な魔法を付けられた覚えは―――」


 身に覚えがないと断言しようとした直前で何かを思い出したのか、ハッとエマの口が止まった。その綺麗な金色の瞳はヤクトとクロニカルドを捉えているが、彼女が見ているのは現在ではなく過去の記憶であった。


「もしかして……あの時に?」

「何か心当たりがあるんか?」


 ヤクトに促されるとエマはコクリと短く頷き、不安で震える声色で心当たりを述べた。


「じ、実は……シュターゼン様がヘルスタッグを捕獲した際、何故か私を同行させたのです。そしてシュターゼン様は『コイツと契約するから手伝え』と命令して、私から数滴の血を抜き取ったのです」


 その時は何も不思議に思わなかったと弁明するが、クロニカルドは彼女が述べた血という単語からある可能性を見出したらしく、眼孔に宿った蒼い灯火が感情と連動して激しく燃え上がった。


「血だと!? まさか代理血縛か!?」

「何や、その代理血縛って?」

「血縛とは隷属魔法で用いられる術式の一つだ。血は人間の生命に欠かせぬ存在であり、それを媒介として利用する事で隷属魔法の効果を飛躍的に底上げするのだ。但し、これにはリスクもある」

「リスク?」

「万が一に血縛が破られ場合、術者本人に何かしらの形で反動が返って来る。それは傷になって現れたり、寿命を削ったりと様々だ。しかし、代理血縛ならば話は別だ。これは他人の血を媒介としている為、発生するリスクは全て他人が請け負い、術者本人に一切の害が及ばぬ」


 要するにシュターゼンは雇い主という立場を利用し、また要点も告げずにエマの命を勝手に差し出してヘルスタッグを隷属させていたのだ。

 その性質の悪さにヤクトも思わず苦い顔を浮かべ、エマでさえも自分が命の危機に晒されていたとは露程も思わなかったらしく口元を両手で抑え込んで絶句している。


「ん、ちょい待てや? クロニカルドの魔法でエマさんの身体を蝕んどった呪印を解いたって言いおったな。それじゃ今、ヘルスタッグに掛けた隷属魔法の効果は―――」


「キシャアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 ヤクトがある疑問に気付いて質問を投げ掛けようとした時、甲高い奇声がテラリアに轟いた。中途半端に質問を遮られてしまったヤクトだが、今の雄叫びが彼の疑問に対する明快な答えであったのは言うまでもない。



「おかしいわね」


 シュターゼンの試験を窺っていた試験官の中で、そんな疑問を不意に投げ掛けたのは主任であるキューラであった。その声に反応した数人が振り返り、彼等の目線は彼女が手にしていた資料へと辿り着く。

 彼女が見ていた資料は試験初日の健康診断等で得た、シュターゼン本人の記録――魔法やスキルを含めて――だ。素人が見れば身長や体重についつい目が行ってしまうだろうが、彼女が着眼したのは魔法の欄だった。

 そこは空白で埋められており、即ち彼が魔法を持っていないという意味を表している。だが、その事実にキューラの勘が違和感を訴えた。エルフ族は長命であり元々魔獣が多く生息する森で暮らしていたという事もあって、人間達の勘に比べたら遥かに鋭さと的確さに長けていた。


「人間であれ亜人であれ魔獣であれ、ある程度成長したら誰もが第一の魔法ファーストマジックを無条件で覚える筈なのに……彼にはソレがない」

「まぁ、第一の魔法が発現するのは人それぞれですしね。年若い内に覚える者も居れば、二十歳になって漸く発現する人も居ますし……」

「スキルだって無いんだよ? 貴族だろうが貧乏人だろうが、魔力に欠陥を持っている人間だってスキルは覚えるもの。ましてや、こっちは魔法よりも早くに発現する筈なのに、幾ら何でもおかしすぎる」


 表向きは推理中の探偵のように目に見える疑問点だけを訴えるが、既にキューラの脳裏では一つの可能性が宿っていた。魔法具によるスキルや魔法の隠蔽だ。

 初日の身体検査はあくまでも表面上のデータを取るだけであり、もし魔法具でステータスの一部が隠蔽されていたら、そのデータが読み取れなかったのも頷ける。

 では、一体何を隠していたのか? 恐らく従魔試験を受けるに当たり、試験官達の注目を――悪い意味で――集めてしまうスキルか魔法を所有しているのだろう。

 しかし、だからと言って一方的な決め付けでシュターゼンをしょっぴく訳にはいかない。彼が魔法具を不正に使用したという確固たる証拠を見付けなければ駄目だ。だが、意地の悪い言い方をすれば、結局は魔法具の持ち込みを許してしまったキューラ達に責任があるのだが。


「もし魔法具を使っていたとすれば、ソレを身に着けていたはず。きっと何処かにある筈……うん?」


 何気無く彼の顔写真が入った書類から目を離し、幻影都市の至る場所に仕込ませた映像魔法の一つに映し出されたシュターゼンの姿を目にした瞬間、彼女は一瞬間違い探しをしているような錯覚に陥った。程無くして錯覚の理由を見付けた途端、泡沫のように疑問が弾け飛び、脳裏の歯車がカチッと音を立てて噛み合った。


「やられた!!」


 キューラの痛恨の叫びに、周囲の試験官達が一斉に彼女の方へ振り返る。


「ど、どうしたんですか!?」

「これを見て!」キューラが写真と映像を交互に指差す。「試験当日はイヤリングをしていたのに、今はしていない! 恐らくコレが魔法具よ!」


 写真に写っているシュターゼンには、オレンジ色に輝く硝子玉のイヤリングが耳朶からぶら下がっている。しかし、映像に写っている彼はイヤリングは身に付けていない。単なる外見として捉えれば些細な違いではあるが、キューラの言う様に魔道具であれば話は別だ。


「試験を中断させて再度データを取り、そして事情を聴取する必要があるわね」

「し、しかし……既にシュターゼン氏の実技試験は佳境を迎えています。今更止めようとすれば、向こうが反発する恐れも……」

「相手の不正を見逃したまま合格させたら、こっちの面目が立たないでしょ! それに貴族だからといって大目に見ていたら、後々に悪例を作る事になるわよ! 私が責任を取るから、試験を中断させて――」

「主任! シュターゼン氏の従魔の様子に異変が!!」


 試験官の一人が映像魔法に映し出されたシュターゼンとヘルスタッグを指差しながら緊迫した声で報告するのを耳にした瞬間、キューラは事態の深刻化を確信した。



 実技試験を受けていたシュターゼンは違和感を覚えていた。ボタン一つ欠け間違えているみたいな、下着を裏返しで着ているような、些細だが何時もと明らかに違う、そんな微妙な違和感だ。


(何だ、この妙な違和感は!? 何かがおかしい!?)


 違和感の正体さえ分かれば頭の閊えも抜けてスッキリするのだが、ソレを見付け出せればないもどかしさが返って彼の神経を逆撫でる。

 だが、その違和感の正体を確かめたくても此処は試験会場だ。不用意な挙動を取れば、何処かで目や耳を忍ばせているであろう試験官に不審を抱かせてしまう。常に横柄な態度を取る彼ではあるが、こういう場に限っては小心者の本性が上手い具合に働き、己の心をセーブしていた。

 心の何処かでささくれのように一々引っ掛かる違和感を無視し、試験に専念しようと心に決めたシュターゼンはヘルスタッグに次なる命令を出そうと右手の甲に視線を落とした。

 そこに描かれているのは従魔契約の紋章―――に似せた隷属魔法の令呪だ。これがある限り、ヘルスタッグは術者シュターゼンの命令を何でも聞く、都合の良い道具に成り下がってしまう。

 令呪の存在によって醜く歪んだ自信は肥大化し、内に掬っていた不安を追い出すのと共に横柄な自己が表面に現れる。


「おい、デストロイヤー!! さっさと移動するぞ!!」


 肝心の魔獣に視線もくれず、令呪に向かって傲慢に言い放つとシュターゼンは足を先に進めようとした。だが、数歩進んだところでデストロイヤーが動き出そうとしていない事に気付き、彼は顔を真っ赤に染めて憤慨を露わにした。


「おい!! さっさと来い!! ボクの命令に従え!!!」


 怒りに任せて再度令呪を使おうとした時、彼の顔色が憤怒の赤色から一変して、血の気を無くした蒼白へと変色した。右手の甲に浮かんでいた令呪が虫食いの被害を受けたかのように端々から浸食されていき、僅か十秒足らずで令呪そのものが消え去ってしまった。

 そして残された白い手を穴が開くほど見詰めてから、恐る恐るヘルスタッグの方へ視線を移し変えた。


「グルルルルル……!!」

「あ、ああ……!」


 鬱陶しいという理由だけで令呪を以て禁じさせた筈の唸り声を発し、隷属魔法で意思を抑制されるのと同時に輝きを失っていた眼は、真っ赤に熱せられた鉄のようにギラギラと燃え滾っていた。これが何の感情を意味するのか、他人の心に見向きもしないシュターゼンでも手に取るように分かった。


「キシャアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 デストロイヤーが咆哮を上げ、束縛されていた己の意思を完全に解き放った。いや、最早そこに居るのはデストロイヤーではない。憤怒と復讐心に駆られた最悪の暴君……魔獣ヘルスタッグである。

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