低電力の待機状態-Sleep mode

@henleng

第1話 問題-Issue

「あと五分…」

 幼馴染という名の魔の手から布団をキープするための最大限の譲歩でも、試合終了まで残り僅かだからラストスパートをかけるぜと言った決意の表れでもない。ちなみに昨日の昼休みに退部届けを顧問に提出したばかりだった。

(そろそろか。)

 机に突っ伏した形でアナログ式の腕時計を見る。指示された演習問題はとうに終わっている。くだらない事を考えながら時間の経過を待つ。残り一分。頭の中でカウントダウンを始めた。秒針は絶えず決められた間隔で動いている。そういうルールだ。残り十秒。どこから沸いてくるのか分からない、得体のしれない昂揚感を感じた。そしてゼロ、と呟いたのとほぼ同時に、授業終了を知らせるチャイムが鳴った。その誤差数十ミリ秒以下。

「ん、今日の授業はここまで」

 担任がパタンと教本を閉じた。

「それじゃあ委員長、よろしくね」

 先程までは曖昧だった担任の声がクリアに聞こえた。委員長と呼ばれた女生徒は「はい」と短く返答してから、一呼吸おいて「起立」の号令を行う。その言葉に従って立ってからというもの、毎回何となく居心地の悪さを感じるのだったが、その違和感が何なのかは今日も分からなかった。

「はい、お疲れ様です。えー、分目君は、このあと職員室まで来てくれますか?」


 やはり一週間も経たないうちに部活を辞めたのが問題だったのだろうか。教材が敷き詰められた、折り畳み収納ケースを運ばされながらそう思った。担任の後方、やや左側を歩いて着いて行く。中学の頃の証明問題の復習に一々、大きな三角定規だの大きな分度器だのを使用するとは、よほど生真面目な性格なのか。お蔭で渡り廊下の段差で転ぶかと思った。三角定規が死角になったのだ。

「あ、その辺りに置いといて下さい」

 本題を言おうとして噤んだ様子だった。指示通り机のすぐ傍の床にケースを置いた後、せめてものの反抗として、手を労わるフリをした。

「ありがとうございます。それでですね、退部届の件ですけど…分目君は、転部の予定はありますか?」

 億劫だった気持ちは消え失せ、一瞬たじろいでしまう。担任の言葉は普段とは違って低音に、若干潜めながら発せられ、曇らせた表情と相まって独特の威圧感を醸し出していた。それは、予想通りの質問に対して、あらかじめ用意してきたテンプレート通りそのまま述べようとする事を一瞬、躊躇させるのには、十分すぎる圧力だった。

「退部届にも書きましたが…」

 相手を刺激しないように努める。面接のように、いかにもまる暗記してきましたよといった態は払拭させなければならない。生唾を飲みこむ。次の発言次第では今後の高校生活の安寧に関わる気さえした。

「今の学力を維持したいので、勉強する時間を確保したいのですよ。やはり部活動に所属すると、どうしても帰りが遅くなりますし、疲れてしまいますからね」

 当たり障りのない理由で転部の意志がない事を伝えた。ただし、このありきたりな理由は最も効果的だと確信していた。

「そうですか。そういえば、分目君は特待生でしたね」

 授業料を減額される特待生を継続するためには、定期テストで好成績をとらなければならない。担任の反応も悪くなかった。

「勉強する時間が欲しいとなると、吹奏楽部や園芸部などの文芸部も無理そうですね」

 この私立高校では正当な理由がない限り、部活動加入は必須だった。だからといって、何のノウハウも無い人に担任が勧める所としてはどうかと思った。

「まぁ、今後は学業に勤しみますから。」

「どうしても、勉強がしたいようだね…」

 その言葉を肯定する。やや語弊はあるが、運動する事との二者択一ならばと、曲解しておくことにした。

「そう…」

 顔を俯かせたのは束の間。

「それはちょうど良かったよ!」

 担任の顔が、パッと明るくなった。

「実は情報処理部顧問の増室先生が是非、来てほしいと仰っていてね。先生、勉強熱心な子なので大丈夫ですよー、って口を滑らせちゃって」

 そのあまりの変わり様に、呆気にとられることしかできない。

「え、いや、あの…」

「でも、やっぱり先生が見込んだ通りです!増室先生が放課後すぐに直接部室に来て下さい、とのことでした。あ、部室分かります?えっと、既設棟の1Fの理科室は分かりますよね?そこの道をまっすぐに向かってですね…」


 どうやら、分かりました、と頷いてしまったらしい。ニコニコして手をふる担任を尻目に、職員室を後にした。

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