聖域
どれだけ魔物がいるかと警戒した森は、予想とは違っていた。そこはまるで不気味なほど神秘的であり、人の身で立ち入ることが畏れ多い神聖な場所な気がした。山と山の狭間に続くとは思えないほどに明るい。湧き水や草木が澄んだ空気を生み出し、吸い込むたびに咳き込みそうになる。
「緑が眩しいわね……」
鬱蒼としているよりはずっといいはずなのに、何故か落ち着かない。緊張。それは予感か。
「何故一匹も魔物がいないか、だな」
魔物がいない安全地帯ならば動物たちがいそうなものだがそれすら見当たらない。
クラウたちは肌で違和感を感じてはいたが進む足は緩めない。黙々と先を急ぐ。ここがどんなところであれ、目的は変わらない。
しばらく行くと甲高い声が聞こえた。おそらくはひとではない何か別の生き物だろう。ここまで何の気配もなかったせいで突然の声に二人を顔を見合わせた。
「何かいるな」
「ええ。それも複数」
音の様子から方角と距離は何となく掴めた。どうする? とティアがクラウに目で問う。
「先を急ぎたいのはやまやまなんだがな、」
まるで争うようなそんな気配。クラウはため息をついた。そう遠くはない。無視して進むには躊躇いが生まれる。
「ちょっとだけ見に行くか」
ここがどういう場所かを理解して進むのと理解しないで進むのとでは、いざという時の咄嗟の対応も変わってしまう。最低限チャンスはものにしたい。
クラウは向かっていた方向を示す目印をその場に魔法で刻み、声のする方へ身を翻した。
「……空?」
木々が多いから障害物のない上空から聞こえるような気がするのだろうか。ティアは首を傾げた。
「空にもいる」
「ってことは飛んでる? 魔人?」
「魔物にも飛ぶ奴はいる。魔人ならそんなたくさん……まぁ本気で俺を潰すつもりなら来るかもしれないが」
そういう気配ではない。
それを証拠にクラウが合流する前からすでに騒ぎになっている。やはり魔人ではなさそうだ。
クラウは草を掻き分けた。
やがて二人の目に飛び込んできた景色はすぐには理解が難しいものだった。鳥にしては大きい部類だが人にしては小さい何かが飛翔する。悠然と飛び交うシルエットを目で追い、それらが交差する場所に何かがいることに気付く。空中ではねられ落下しながらあちらへこちらへ飛ばされていた。
クラウたちが立つのは崖っぷちで、あれが落ちる先は谷底。
「──何だ?」
「仲間割れ、かしら……よく見えないわ」
ふわりとクラウたちのもとへ降るように舞う羽根は綺麗な色だ。
「見たことのない羽根だ。それに」
魔力を感じる。ならばあれは魔物か。
「襲われてるこを助けないと」
「だが同種族だ。さっきお前が言った通りあれは仲間割れだ」
言いながらクラウは腑に落ちない顔をした。
(魔物が魔物を襲うことは考えにくいんだがな)
最初こそ攻撃を受ける度に悲痛な声をあげていた小さな影は、いつしか弱々しい叫びが掠れていた。
「可哀想だわ。何とかできないかしら」
ハラハラと見守るティアがクラウを振り返る。
「何とか、な。空を飛べるわけじゃないがやってやれないことはない。ただし、」
「じゃあお願い」
話は最後まで聞け。そう言ってやりたかったがクラウは諦めた。軽くため息をついてからやれやれとティアを肩に担ぐ。
「しっかり掴まってろ」
「何? 何事!?」
一度跳んだら次に地を踏む時は谷底だ。再合流が難しいなら団体行動に限る。
「あれの傍まで寄せるからちゃんとかっさらえよ」
「共同作業ってわけね、わかったわ」
とはいえ。風の魔法で自分を吹き飛ばすことで滞空するクラウのそれは、自由自在に飛べるわけではないし、優雅にとはいかない。謂わば乱暴な力業だ。担がれたままのティアが小さな悲鳴を噛み殺しながら必死にしがみつく、振り落とされそうだ。そうこうしてる間に距離が縮まりターゲットを視認する。
「どうやら鳥の雛だな」
クラウの呟きにティアが身を捻り見上げる。鳥たちに落とされている雛。何故そんなことが起きているか理解が出来ない。接近するクラウたちに周りの鳥が向かってきたがクラウはそれらをかわして雛へ向かった。
手を伸ばしたティアがボロボロの雛を受け止めると即座に傷の治療を開始した。
「この子、魔物なんかじゃない」
ハッと息を飲むティアに、だがクラウは周りの鳥との応戦に忙しい。回避した先に鳥、鳥、鳥。どうやら見逃してくれそうにない。
「普通の野鳥が魔法を使うか?」
「確かに、普通の動物とは違うわ。でも私たちだって魔法を使うでしょ?」
悪魔がもたらしたとされる魔力を魔属以外で使うのはごく一部の人間の中にもいる。だがそれは知力があってこそ。動物が魔法を使う――ありえないとは言わないが、いささか考えにくい。
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