鉄瓶
ある美術館、生け花の展示会が行われている。杉三と蘭が入り口から入ると、至るところで女性たちが、おしゃべりをしている。
蘭「山村御流か。格の高い流派だな。」
杉三「僕はなにも気にしないよ。流派なんてなんにも知らないし、要らないと思うし。」
蘭「だめ、そんなこといっちゃ!家元の人もいるんだぞ、そんな発言したら侮辱罪になるよ。」
杉三「侮辱って何?」
蘭「杉ちゃんはそれもわからないのか。」
ため息をつくと、人が近づいてくる。
声「いいよ、蘭。これからの向上のために、もっと侮辱してくれ。」
蘭「あ、沢田さん。きょうは、ご招待をありがとうございます。」
と、頭をさげる。
杉三「だれ?この人は。」
蘭「この人が、師範の沢田礼さん。僕が、小学生のときの同級生。」
杉三「そうだったんですね!僕は影山杉三です。蘭の親友です。どうぞよろしく。」
と、右手を差し出し握手する。
杉三「す、す、すごい冷たい!冬じゃないのに何で!」
蘭「どうしたんですか?顔色が真っ青ですよ。体でも悪いのでは?」
礼「そういう蘭だって、相変わらず白いかおをしているな。」
蘭「いやいや、これは生まれつきです。よかったら、作品を見せてくださいよ。」
礼「では、ちょっとこちらにいらしてください。」
二人、礼のあとをついていく。
礼は、自分の名前のついた作品の前でとまる。見事な百合の花が、花瓶にささっている。
蘭「すごいなあ。」
杉三「みなさん上手ですね。上品に花をいけてますね。」
礼「ええ、山村は、ありのままの姿を生ける、というのがスローガンなんですよ。つまり、自然に生えていた状態を、忠実に再現するのが目的なんです。」
杉三「再現、ですか。それならしなくてもいいと思うけど。道端にはえてるのを再現するんですよね?」
蘭「杉ちゃん、それを言わないでよ!失礼でしょうが!」
杉三「だってそうじゃないか、ありのままって言うんだから。」
礼「いや、その発想は面白い!杉三さん、でしたっけ。意外にいけるかもしれない。次の展示会のときに、使えるテーマかもしれないなあ。」
蘭「杉ちゃんは、意外に役にたつのか。」
礼「いや、少なくとも頭の固いだれかに比べたら、面白いと思う。蘭も、よくこんな面白い人と、友達になれたね。」
蘭「あ、ありがとう。」
と、頭をかくが、
蘭「それにしても、顔が真っ青だな。なんだか、心配だよ。ご飯とか食べてるのか?」
礼「まあ、ご飯にはなかなか縁のない生活さ。」
杉三「じゃあ、たべさせてあげるから、僕の家に来てよ。」
蘭「よせ、彼の家は、遠いんだから。ここから富士駅は遠いんだよ。それに、新浜から歩いて家に帰らせるのは辛すぎると思うよ。そうなったら、遅くなって、ご家族にも、迷惑がかかるよ。」
礼「新浜なら近いから大丈夫。」
蘭「あれ、お前の家は、遠かったはずじゃ?」
礼「あ、ああ、事情があって、そっちに引っ越したんだ。いま、とあるマンションにいるよ。」
蘭「なんだ、そんな近くだったのか。引っ越しのはがきでも寄越してくれればいいのに。」
礼「まあ、そのうち出そうかなと、思っていたけどね。」
杉三「水くさいやり取りはよして、僕の家に来てよ。」
蘭「杉ちゃん、いきなりはちょっと。」
礼「いや、よらせてもらうよ。」
杉三「じゃあ、いこう。」
と、どんどん会場を出ていってしまう。
蘭「まあ、とにかく来てやって。言い出したら聞かないんだから。」
礼「君も、大分頭が柔らかくなったようだね。彼の世話をするなんて。」
蘭「よくわからないよ。杉ちゃんは。」
二人、杉三のあとをついていく。全員、美術館の正面玄関から出て、駅へ向かう。杉三と蘭は、駅員に手伝ってもらいながら電車にのる。礼も電車に乗り込む。
杉三「ごめん、お願いがあるんだけど。」
杉三はお菓子を食べている高校生に声をかける。
杉三「彼を座らせてあげたいから、どいてくれないかな。」
高校生「あきめくらのひとに、言われたくないわ。」
杉三「この席は、彼が座るためにあるんじゃないの?だから、色が違うんだよ。」
高校生「は?読み書きできないくせに、何がわかるのよ。」
蘭「杉ちゃん、いこうよ。僕らは次の駅で出るんだから、もう五分くらいすれば出る。」
杉三「でも、座らせてあげたいんだ!だって辛そうじゃないか!」
アナウンス「まもなく、富士に到着いたします、、、。」
蘭「ほら、出るよ!駅員さんたち、待ってるよ!」
高校生「駅の名前もわからない人が、偉そうに言うもんじゃないわよ!」
蘭「すみません、これで勘弁してください。」
と、千円を渡し、
蘭「さあ、出るよ!」
と、先にホームへ出る。
蘭「この人を出してあげてください。」
駅員は、杉三を出してやる。同時に礼も、外へでる。
礼「どうもすみません。ありがとうございます。」
杉三「すみませんって誰に?謝ることなんかないよ、体の悪い人を座らせるのは、悪事ではないもの。」
蘭「杉ちゃん、わからないこと言わないで。もう帰るよ。」
全員、駅の外へ出る。
杉三の家、
礼「カレーか。たべられるかな。」
蘭「駅ではあんなに迷惑かけたのに、カレーを作るとなると、違う人間のように見えるよ。」
礼「面白い人だね。」
蘭「面白いのか、悪いのか、よくわからないよ。」
礼「なあ、蘭、君は刺青師という肩書きがあるし、数々の人から背中を預かるんだから、責任はあるが、僕はどこの組織にも属してはいない。
君は、そうじゃないからわからないと思うけど、所属していないことほど、辛いことはないよ。」
蘭「行きなり来て何を?」
杉三「さあ、カレーができたよ、食べよう。」
と、膝の上に置いたカレーの皿をテーブルに置くのを、三回繰り返す。
礼「はあ、、、。本格的なカレーだね。」
杉三「ただのカレーだよ。」
礼「い、いただきます。」
と、スプーンをとり、カレーを口にする。
礼「す、すごい、美味しい!信じられない!」
杉三「信じられなくてもいいよ。」
礼「すごいなあ、、、。これは、鉄瓶でお茶を飲むより、栄養がありそうだ。」
杉三「うん、その顔だからそう思ったんだ。」
蘭「杉ちゃん、それはつまり、」
杉三「貧血なんだろうなと。」
礼「よ、よくわかったね!」
杉三「顔を見ればすぐわかるよ。あきめくらだから、よくわかるの。」
蘭「杉ちゃんは、偉いのかばかなのか、よくわからない。なんでこんなに一杯アボガドや牛肉が多いのか、答えはそれだったのか。」
杉三「もっと、元気でいてほしかったんだ。だって、自然な形に近く花を生けるのであれば、花だって嬉しいと思うからさ。自然なままでいられるのが、一番大事なことだもの。それは、続けてほしかった。」
蘭「杉ちゃんはよくわからない、、、。」
礼「それにしても、このカレーは、うまいね。文字の読み書きができないのに、なんでこんなに上手に。」
蘭「ちゃんと食べてなかったの?」
礼「そうだよ。だって台所にたつことさえ、ほぼ、できないもの。鉄瓶でお湯を湧かすのが関の山だよ。」
蘭「だったら、生協にでも頼んで、弁当かなんか、つくってもらえよ。それか、お手伝いさんをお願いして、晩御飯をつくってもらえ。僕もやってもらったことがあったが、かなり楽になるよ。」
礼「まあ、それもそうだが、、、。もったいない気がして。」
杉三「もったいない?そんなことないよ!食べればより楽になれるし、生け花もできるよ!」
蘭「お前、どうしたんだ?」
礼「気にしないでくれ。最期に、お前にあえてよかった。悪いけど、今日は、お暇するよ。」
杉三「もっとカレーを食べていったら?」
礼「いいよ、これから用事があるからね。また、カレーをたべさせてね。道は、いま歩いてきたところをたどるよ。じゃあ、ありがとな。」
と、椅子から立ち上がり、そそくさと帰っていく。
杉三「不味かったのかなあ。半分しか食べてないや。」
蘭「あんなに、美味しそうな顔をしていたのにな。」
杉三「やっぱりあきめくらはダメか。」
と、肩を落としてしまう。
蘭「それとは話がちがうよ。杉ちゃん。」
杉三「あの人、一番大切なことを、蘭にいわなかったね。」
蘭「そうかもな、、、。」
杉三「何があったのか、調べにいこうよ。僕、心配なんだ。」
蘭「人のプライベートにあんまり口をだすのもどうかと。」
杉三「本当に困っている人は、自分では何もできないと思うよ。」
蘭「まあたしかにそうだ。」
杉三「礼さんって、どんな人?」
蘭「まあ、一年しかつきあってないから、よくわからないけど、優秀な人だったよ。僕と違って、成績もトップクラスでね、早くから東大にいこうとか、騒がれていたよ。そのわりに、花が好きで、小学校の華道部で、部長もしていた。まあ、偉い人だから、華道部みたいならくな部活動にしておいて、塾にいっているとか、噂したこともあったけど、結局、華道を極めて、師範までになった。」
杉三「大学は、いかなかったの?」
蘭「その通り。そのせいで親とは絶縁状態なんだよね。」
杉三「いまは、展示会ができるほどすごい人になったのに?」
蘭「そうだね。人間の運命なんてわからないよ。」
杉三「親御さんってまだいる?」
蘭「いるみたいだよ。嫌だって思う親ほど、長生きするんだよねってよく口にしていたから、あいつ。」
杉三「じゃあ、会いに行こう。」
蘭「会いに行こうって誰に?」
杉三「礼さんのご家族にさ。本人が無理なら、僕らがいくしかないじゃないか。」
蘭「おい、本気か?さっきも言ったけど、他人の、」
杉三「だって、生け花をあれくらいきれいにできる人なんだから、悪い人ではないと思う。それに、あの顔からみると、体が凄く悪いってよくわかるから、助けてあげたいんだ。だから、いく!蘭も、心配だとかいってたじゃないか。」
蘭「仕方ないなあ。明日の朝、富士駅に行こう。」
と、大きなため息をつく。
富士駅。
蘭「バス乗り場へいこう。彼の実家は、富士見台にあるんだ。歩いていったら遠すぎる。」
杉三「わかったよ。」
二人はバス乗り場に向かう。
バス乗り場。
蘭「ここで待っていると来るよ。」
杉三「ここ、バス乗り場?」
蘭「そうだよ。」
杉三「だって、あまりにも狭いんだもの。ここに、大型バスが入るの?」
蘭「でも、バス乗り場とかいてあるし。」
と、二人の前に、ハイエースが1台やってくる。
蘭「すみません、これは富士見台にはいきますか?」
運転手「はい、そうです。お手伝いしましょうか?」
蘭「ありがとうございます、よろしくお願いいたします。」
杉三「これ、ほんとにバスなんですか?」
蘭「そんなこと言っちゃダメ!すみません、この人は、」
運転手「ああ、支援学校に通ってたのかな?富士見台の。」
杉三「富士見台に、支援学校があるんですか?」
運転手「そうだよ。あそこは、過疎化が進んでいるから、市役所の方針で、十年前に支援学校ができたんだ。
このバスも、めっきり使われなくなったから、廃線にする予定だったけど、支援学校の生徒さんたちが、通学するために、バスをマイクロバスにして、残してあるんだよ。」
蘭「なるほど、僕も知りませんでした、そんなこと。」
運転手「そろそろ発車時刻だ。二人とも乗って。」
二人は、運転手が用意してくれたスロープから乗り込む。運転手がアクセルを踏むと、バスは武者震いするように動き始める。
蘭「四十分くらいですかね。」
運転手「そのくらいかな。まあ、この時間帯じゃ、道路の混雑もないだろうしね。」
バスは、富士駅前の商店街を抜け、住宅地を抜け、一面に茶畑で覆われたところにやってくる。途中の停留所で乗ってきた客は全くなく、貸しきりの状態であった。
杉三「綺麗なところだね。お茶畑の緑と、空の青さと、富士山と。」
蘭「不便なところでもあるんだよ。僕らがよくいくショッピングモールもないし、病院もないでしょうが。」
杉三「それなりに工夫すればいいんじゃない?」
蘭「例えば?」
杉三「通販と言う手もあるよ。」
蘭「杉ちゃんは、何でも前向きなんだな。」
運転手「お客さん、終点ですよ。」
蘭「あ、もう?速いですね。じゃあすみませんが、おろしてください。」
運転手「その前に運賃を。現金でも、スイカでもいいよ。」
蘭「わかりました。じゃあ、スイカで支払いします。」
と、スイカを読み取り機にかざして支払う。
蘭「杉ちゃん、スイカ出して。」
杉三「スイカってどれ?」
蘭「お財布見せて。」
と、杉三の財布からスイカを取り出す。
蘭「おじさんに渡して。」
杉三「はい。」
と、運転手に渡す。
運転手「はい、承りました。お兄さんもたいへんだね、お二人とも、お体が不自由なのに。」
杉三「僕は兄弟じゃないよ。友達だからね。」
運転手「へえ!それはすごいなあ。そうやって、手取り足取りやってくれるなんて、普通は家族しかできないよ。」
蘭「あの、帰りも乗りたいんですけど、お願いできませんか?」
運転手「はいはい、支援学校から帰る子が多くなるから、ぎゅうぎゅう詰めになることはないけど、混雑するから気を付けてね。」
蘭「わかりました。ありがとうございます。さあ、杉ちゃん、出よう。」
二人は、運転手に手伝ってもらい、外へでる。
杉三「それにしても、ほんとに綺麗なところだね。富士市って広いんだね。」
蘭「とにかく、礼のうちにいってみよう。いまは、どうなっているんだろう。たしか、こっちの方角だ。」
と、西に向かって移動する。
道の両脇は茶畑だが、しばらく移動すると、小さな集落がある。
蘭「あの、集落の一部だ。」
杉三「いいな、みんな綺麗なひとたちなんだろうな。」
二人は、その中に入っていく。すると、中学生くらいの、子供たちの歌声が聞こえてくる。
杉三「歌が上手だね。よく、学校でも歌われる歌だ。でも、こんな良い声の歌なのに、何でみんな雨戸を閉めているのかな。台風の季節でもないのに。」
言われてみればその通りだ。ほとんどの家は、雨戸がしまっている。
杉三「話し声がするよ、聞いて。」
蘭「耳がいいなあ。雨戸が閉まっているのに、聞き取るんだから。」
杉三「ここは、風景はきれいだけど、すんでる人は、そうでもないみたいだね。」
と、いい、涙を流す。
蘭「勝手になかないで、礼のうちに行ってみよう。発案したのは、杉ちゃんだから、責任とってよ。」
杉三「そうだね、、、。」
蘭「一番奥だよ、あいつの家は。」
と、蘭は杉三をつれていき、一軒の家の前で止まる。
杉三「ここか。」
よくある住宅だが、玄関に花を飾ることもなく、殺風景な家である。蘭が呼び鈴を押すと、女性が一人出てくる。
蘭「こんにちは。礼の同級生だった伊能蘭です。覚えていらっしゃいませんか?」
女性「ああ、礼の?」
蘭「先日、展示会で礼を見かけまして、ちょっと気になることがありまして、こちらに来ました。」
女性「あの、この人は?」
杉三「僕は、蘭と礼さんの親友である、杉三です。お母様ですか?」
女性「はい、母親の沢田美奈子です。でも、礼はうちの子ではありません。」
杉三「でも、お母さんが二人以上いる何て人は、めったにいませんよ。」
美奈子「もう、あの子とは関わりたくありませんし、会いに行くつもりもありません。あの子のせいで、私がどれだけ苦労したとお思いですか?あんな子、産むべきじゃ、なかった。」
杉三「苦労ってどんなこと?」
美奈子「卿に入っては卿に従えという言葉があります。私も、私の家族も、そうやって、生きてきました。でも、礼はそれを守らなくて、好きなことばかりしていたから、その罰として、私は追い出したのです。 ここは、都会とちがって、何でも助けあっていかないと、やっていけないところなんですよ。それに加われない若者は追い出すように教育されるんです。」
杉三「具体的に、どうやって助けるんですか?」
美奈子「ご存知の通り、ここは、お茶のまちです。茶摘みだって、製茶だって、いくら機械を使っても人が足りません。それは、前々からわかりきっていますから、こどものころから手伝うのが当たり前です。それなのに、礼ときたら、道端に咲いてる雑草の花にしか興味をもたないし、お茶刈りも、製茶も何も手伝わないで、クローバーやレンゲの首飾りなんか作ってましたわ。」
回想、少年時代の礼
美奈子が、親戚一同と茶摘みをしている。
美奈子「礼、茶摘みを手伝いなさい。」
礼「嫌だよ。」
と、どこかへ行ってしまう。
美奈子「こら、待ちなさい、礼!」
親戚「もうほっとけ!あいつを探しにいっていたら人手が足りない!」
親戚「ちゃんとしつけていただかないと困るわ!」
美奈子「すみません、すみません、今度はもっと厳しくしつけますので!」
親戚「頭を下げている暇があったら、手伝え!」
美奈子「申し訳ありません!」
親戚「さっさと摘め!」
美奈子が茶摘みをしていると、礼が戻ってくる。
礼「誕生日プレゼントだよ、クローバーの首飾り!」
と、綺麗に製作したクローバーの首飾りを、母親に渡そうとするが、
美奈子「静かにしなさい!」
と、それをひったくり、半分に折ってしまう。
礼「だって誕生日なのに、仕事をしているから、ありがとうしたかった。」
と言い、泣き出してしまう。美奈子は、彼の顔より、親戚たちの怒りの方を感じとり、縮こまってしまった。
回想終わり
蘭「なるほど、だからわざわざこんな遠いところから、田子浦の学校に通わせたんですね。」
美奈子「ええ、近くの学校で問題でも起こしたら、すぐ私のせいにされますから。でも、それで余計に花に興味をもってしまって。担任の先生が、生け花を習ったらどうかと、うるさいくらいに言うものだから、山村御流という、普及してない流派を習わせたんですけど、後継者のすくない流派だから、さらに重宝されてしまって。」
杉三「すごいことじゃないですか。伝統を担うって。」
美奈子「学生を終わったら、お茶農家に戻ってきてほしかったけど、山村御流の先生に、持っていかれてしまったわ。」
蘭「つまり、芸養子になったということですか。」
美奈子「そう。師範までもらってね。きっとどっかで大活躍していると思うわ。たまに手紙をもらったけど、私は全部破り捨てた。親戚の人からは、育児に失敗したとしてバカにされてるけど、どこにもいく所もないし、仕方なくここに置いてもらっているようなものよ。私は、完全に敗北者だわ。この町にも、息子にも。」
蘭「敗北者という言い方はどうかと思います。勝つとか負けるとかの基準もはっきりしていないし。」
美奈子「その方が楽なのよ。だって、あの子をこの町に合うように、育てられなかったんだから。」
蘭「人間なんて、いろんな人がいるもんですよ。どこの世界にも、一人か二人、欠陥のある人はいると思いますけどね。それに、芸養子になったのなら、もういいじゃないですか。一昔前なら、そういうケースは珍しいかもしれないけど、今の時代、子供を育てられなくて、施設に更正をお願いするケースは多いですし。開きなおった方が、いいときもありますよ。」
美奈子「それはそうですね!でもあたしたちがいるところでは、そういうわけにいかないんです!それが田舎ってところの、恐ろしいところですわ!女は、台所にしか居場所がない地域では、親の目だけではなく、地域の目も、気にかけなきゃいけないんですよ!」
杉三「だったら!もう一回お母さんとして、彼に会ってやってくれませんか!きっと何か見つかると思いますよ!」
美奈子「なんですか、あたしにもう一回恥をかけというのですか?」
杉三「当たり前じゃないですか。恥をかくなんて、そんな悠長なことは、言えないんですよ!だって、そんなこといってる間に、一番大切な人が、」
蘭「杉ちゃん、」
杉三「消えちゃいますから!」
美奈子「意味わかって使ってる?」
杉三「当たり前じゃないですか。いくらあきめくらだからって、そのくらいはわかりますよ!」
蘭「僕からも、お願いします。」
蘭も頭を下げる。
美奈子「そうなの、、、。」
杉三「来てくれますね。ほんとに、条件はなく受け入れてくださいね。」
美奈子「わかったわ。あなたたちも乗ってね。」
と、黒いワゴン車を出す。蘭と杉三は、美奈子に背負ってもらい、車に乗る。美奈子は、けたたましいエンジンをかけて、ワゴン車は走り出す。
途中、再び子供たちのうたが聞こえてくる。
美奈子「この学校って、礼が作ったようなものだったのよ。」
杉三「へえ、どうして作ったんですか?」
美奈子「あの子が、お茶の仕事もろくにできなくて、山村御流に引き抜かれたとき、大変な騒ぎになって、ここの校長が責任をとったの。それほど、あの子は酷かったのよ。何かの病気なのかとか、知恵遅れかとか、何回も聞かれたわ。」
蘭「まあ、昔は、そういう子がいると、かくしておきましたからね。いまは、大っぴらにみせてますが、それでも傷つく子はいるでしょう。それに、いまは治療者もいるけど、昔はそうでもなかったからな。」
杉三「先駆者だったわけですか。」
蘭「そうとも言えるな。パイオニアだ。」
美奈子「子供にはやさしいけど、そこへとつなげられない家族は、ダメって言われるのがおちよ。」
杉三「僕の母は、なんにも言わずに、好きなことをやってますよ。」
美奈子「変な人ね。」
蘭「もうすぐ田子ノ浦に入りますよ。そうしたら、礼さんがすんでいるアパートを探さないと。」
杉三「あの子、サンボトルっていうところにすんでいるらしいわよ、ご飯は食べているのかしら。どうせ、作れるはずがないわ。」
蘭「じゃあ、サンボトルという、建物を探してください。これは、杉ちゃんだけがもつ、超能力のようなもので、外れたことは一度もありません。」
美奈子「サンボトルね。」
と、カーナビを操作して、その通りに走っていく。
しばらく走ると、大きな白い建物。
美奈子「この建物のことかしら?」
蘭「いえ、違います。これは、総合病院です。昨年オープンしたばかりです。」
美奈子「ナビによると、この辺りらしいけど。」
蘭「あれですね。病院の隣にある、黄色い壁の建物。」
それは、病院の十分の一ほどしかない、小さなアパートだった。偽りなく看板にはサンボトルと書かれている。
車を止めるところもないため、仕方なく病院の駐車場を借りた。全員車をおり、一つ一つの部屋の、表札をチェックしていった。
蘭「あった、多分ここだ。」
一番端の部屋のドアに、沢田という、表札があった。蘭は、迷わず呼び鈴を鳴らした。
蘭「あれ、いない。留守かなあ。」
と、隣の部屋から男性が現れて、
男性「礼さんなら、さっき病院にいったよ。頭がいたいからっていうけど、あれ、ただの頭痛じゃないよな。雪女みたいに顔が真っ白いし、頭はハゲ茶瓶だ。隣に病院があるのが、せめてもの救いだ。きっと、ものすごく悪いんだろうな。」
と、いい、ゴルフのクラブを持って、部屋を出ていく。
杉三「じゃあ、病院にいってみましょうか。」
母親は酷く動揺している。杉三はそれを無視し、どんどんいってしまう。
病院のなか。掃除が行き届いており、待ち合い室には、マリア様の彫刻が置かれている。
杉三「すみません、沢田礼さんはいますか?」
受付「おりますが、いま輸血中です。ご家族の方ですか?」
美奈子「母親です。」
受付「いらしてくれたんですね。彼の話だと、二度と来ないと言っていましたので、喜ぶと思います。」
彼女の方が喜んでいるような口ぶりだった。
受付「終わり次第、来させますので、そちらにお掛けになっておまちください。」
と、用意された椅子にすわらせる。
杉三「前に話した、鉄瓶だけでは、足りないんだろうな。」
蘭「鉄瓶どころか。輸血しなきゃだめさ。最悪の場合は骨髄移植しかないよ。」
杉三「ドナーがないんでしょ?他にはなにもないの?」
蘭「さい帯血移植と言う手もある。しかし、赤ちゃんもいないし、相手もいないから、多分できないだろう。」
杉三「どうしてそんなに?」
蘭「わからないよ、神様じゃないんだから。杉ちゃん、君、ちょっと声が大きいよ。」
杉三「あの人に教えてあげてるの。」
突然、がらりとドアがあく。
医師「お二人さん、ちょっと来てくれます?」
杉三「はい。」
二人は診察室に入る。
杉三「礼さんは?」
医師「状態が落ち着くまでお預かりすることにしました。で、ものは相談なんですが。」
蘭「相談と言いますと?」
医師「二人とも、血液型は?」
蘭「そういうことですか。悪いことに僕も体が悪いので、提供できないのがほんとに、残念です。おんなじA型なのに。」
医師「杉三さんは?」
杉三「僕はわかりません。調べてみてもいいですよ。礼さんのためなら、何でも役にたちたいし。こんなバカな男が役にたつなんて、信じられないくらいですよ。」
蘭「杉ちゃん、君のお母さんがいっていたじゃないか、君の血液型はとっても珍しいから、すぐわかるって。
二千人に一人の血液型だから、適合しないよ。」
医師「そうですね。AB型のマイナスなんて、確かにその通りですよ。それでは、お二人から骨髄を取ることはできませんね。」
杉三「じゃあどうなるの?礼さんは、死んでしまうの?もう生け花もできなくなるの?」
医師「はい、近いうちにそうなっていくでしょう。」
杉三「どうしても止められないの?」
医師「我々の力ではもう。」
蘭「杉ちゃん、仕方ないよ。いままでもみてきたじゃない。いくら、医療がいいからって、ダメなものもあるんだよ!そうならないと、地球が生き物で、パンクするでしょうが!」
杉三「まだいる!」
蘭「誰が?」
杉三「取り戻してくる、、、。ドアを開けて!」
蘭「取り戻すって何を!」
杉三「つべこべ言わないで開けて!」
看護師がおそるおそるドアを開けると、杉三は全速力で飛び出し、雑誌を読んでいる美奈子の下にいく。
杉三「お母さん、お願いがあるんです。礼さんに、骨髄を分けてやってくれませんか。このままだと、一番大事なものを、みんななくすことになりますよ。」
美奈子「また、私に恥をかかせるの?今度は息子を病気にした責任をとるわけ?」
杉三「責任ってなんですか?お母さんが子供を作るのは当たり前のことですよ!まるで礼さんが世の中にいないほうが幸せみたいな口ぶりですね。僕はそれが、どうしても理解できません。」
美奈子「あの子のせいで、私がどれだけ恥をかいたか。みんな、私が一番悪いみたいな態度で。いま思えば、あのとき、中絶すべきだったんだわ。」
杉三「中絶、ですか?」
美奈子は、口に手をやった。
杉三「何か事情があったんですね。」
美奈子「どうして、私だけが、、、。」
杉三「話してください。僕はただのバカだし、あきめくらだし、専門的な知識もないです。」
美奈子「外へ、でましょうか。」
杉三「はい。」
二人、病院の中庭に出る。
美奈子「おかしいと思いませんか?母親の私だけがいて、父親が何も出てこないこと。」
杉三「僕も片親ですよ。父の顔は、わからないです。バツイチとか、よくあることだと言われてきてるから、おかしいとは思いません。」
美奈子「私、一度だけ強姦されたことがあるんです。」
杉三「誰に?」
美奈子「付き合っていた人がいたんです。インターネットで。茶摘みばかりしていては、面白くないといわれて、友人からあるSNSを教えてもらいました。登録しても、こんな田舎者ですから、なかなか出会いはなかったんですが、ある日突然、介護職をしているひとから、友達申請がありました。大変に優しい方で、私はいろいろ相談にのってもらったりして。で、付き合い始めて半年後に、お茶をすることにしました。その人が、車でわざわざ家まできてくれて、二人で食事して、帰ろうと車にのったら、後ろから、体を触られて、、、。私、やめて!と言ったんですけど、、、。」
杉三「言わなくていいですよ、そのときのことは。また、苦しくなったらまずいでしょ。親御さんには伝えませんでしたか?」
美奈子「ええ。その人は、私の親にはとてもいい人にみえたそうで、ひどいことされたなんて、言えませんでした。それから数ヵ月して、父母は旅行先で、水害に巻き込まれて死んだんです。こうなれば、中絶もできなかったから、産むしかなかったんですけど、産んだあとに、礼の顔と、強姦したあの男の顔が非常によく似ているようになってきて。さらに、礼はだんだん変わり者になっていって。私は、完全に晒し者でした、、、。」
杉三「それで悔やんでいたんですね。」
美奈子「やっぱり、礼は産むべきではなかった。私も、あの子の顔をみると、あの男の顔が常に思い浮かぶし、あの子も、だんだん茶農家の暮らしになじまなくて、随分苦しかったでしょう。私もあの子も、お互いが存在していることで苦しいわけですから。杉三さんは、いいですね。あきめくらって、バカにされることも多いですが。美しい世の中に、ずっといられるじゃないかしら。」
杉三「一昔前なら、そんなことは、あり得なかった。生まれてくれて、誰でもウェルカムだったんですから。それが、お互いを苦しめる存在になってしまったなんて、絶対あり得ないリアクションですよ!」
と、両手で顔をふさいで泣き出してしまう。
美奈子「あなたの方こそ、あり得ないリアクションだったわ。私には。」
突然、中庭のドアがあく。
蘭「杉ちゃん、ちょっと来てくれ。礼がどうしても杉ちゃんに会いたいって。」
杉三「礼さんが?」
蘭「いいから、はやく来い!」
一緒に来た看護師の表情で、杉三は何があったか、感じとる。看護師はその表情を変えないまま、杉三を病棟につれていく。 彼女は、その母親に批判のこもった目を向けると、黙って杉三と蘭を、エレベーターにのせる。
看護師がつれていったのは、緩和ケア病棟。一見すると、痒いところにてが届くホテルのように見えるが、それは末期の水を提供するものである。
杉三と蘭が部屋に飛び込むと、礼は意識が朦朧としていて、声をかけても通用しなかった。
杉三「僕らには、何にもできないんだね。」
蘭が、隣で涙を流した。
蘭「お前、小学校ではすごいやんちゃ坊主だったな。それが、僕より先に逝ってしまうとは。人間の運命ってものは、何にも逆らうことはできないな。ただ、受け入れるしかないと、どんなに偉い人がいっても、怒りと、悲しみはどうしても消せないよ。」
杉三「僕も、蘭も、一生忘れないよ。君はお母さんに愛されなかったようだけど、せめて、僕たち二人がここにいるってことを、はっきりとじゃなくていいよ、何となくでいいから、天の羽衣を着る前に、確認してから着替えてくれ。」
と、いった時にけたたましい音がなる。
杉三「そうか、もう、着替えたのか。随分早かったな。また、会おうね。」
と、いって顔を覆ってなきはじめる。蘭も、あえて止めはしなかった。
蘭「そっとしてあげてください。遺品のこととかは、僕がしますので。」
看護師「私たちも手伝いますから、ゆっくりでいいですよ。」
蘭「ええ。そうですね、、、。」
と、涙を流す。
看護師「ご家族に知らせなければ。」
杉三「知らせないでください!僕はバカだけど、自分の都合ばかりで、彼に多大な迷惑をかけるような親には、会う資格なんかないと思います。」
蘭「杉ちゃん、しかし、」
杉三「知らせなくたっていい!これこそ、罪の意識をもってもらうにはいいチャンスだ!いや、チャンスは一度きりかも知れない!」
医師「わかりました。そうさせましょう。彼の言うことも一理あります。なにしろ、こんなに重大な病気にかかったのに、一回も来訪しないなんて、母親かとでもいいたくなりましたからね。」
蘭「葬儀屋さんに電話しますよ。」
と、スマートフォンを鳴らす。
翌日。
仕事を終えて、駅に向かおうとした美奈子は、小さな寺院の前を通りかかる。するとそこには、「沢田家」とかかれた看板。同姓同名かと思ったが、その前に介護タクシーとかかれた車が停車していたため、ピンときた。
美奈子「あの、すみません、今日は、、、。」
係員「身内の方ですか?」
美奈子「この、沢田と言うのは、、、。」
と、回りを見回してみると、たくさんの花輪が置かれていた。そこには、「沢田礼先生へ、山村御流、生徒一堂」と、書かれている。
美奈子「あの子、、、。」
と、崩れ落ちて泣き出してしまう。と、寺院の中から声がして、大きな坊主頭がうつる。戸が開いて、尼僧さまがそとへでてくる。
尼僧さま「息子さんに、お別れをしてあげて、誉めてあげてください。杉三さんから、他言するなと言われていましたが、許可します。」
美奈子「この時計を、あの子に渡してあげてください。」
尼僧さま「わかりました、」
と、持っていた超高級な腕時計を受けとる。そして、息子が大事にもっていた鉄瓶を母に手渡す。
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