杉と蘭のシリーズその弐

増田朋美

桐紋

道路。買い物帰りの杉三と蘭が、狭い歩道を車いすで移動している。そこへ

自転車が走ってくる。

蘭「杉ちゃん止まって!」

杉三「え?」

と、後ろを振り向く。そこへ風のように自転車が突っ込んできたからたまら

ない。よけようとした杉三は見事に横転してしまう。

蘭「危ないじゃないか!」

自転車に乗っていた人物は、急いで自転車を止め杉三の下へ駆け寄ってくる。

おばさんか?と蘭が顔を見ると、二十代の若い女性であった。

女性「もうしわけありません!お怪我はありませんか!」

杉三「そんなに謝らなくていいよ。僕なら無傷だよ。」

女性「あの、治療費はちゃんと払いますから、今ならまだ四時だから、病院

もかろうじて間に合います。一緒に行きましょう!」

蘭「そうはいいますけど、彼の足をどうしたら良いのです?これでは病院に

は、いけませんよ。」

女性「えっ!」

蘭「彼の車いすのことです。どうしたら車輪一つで移動できるのでしょう?」

女性が杉三の車いすを見ると、車輪が見事に外れてしまっている。確かにこ

れでは移動はできない。

女性「申し訳ありません!福祉道具を売っている私が、なぜ、こんなミスを

してしまったのか、本当に御免なさい。」

蘭「福祉道具?」

女性「はい。中古ですけど。高齢者を対象に、歩行補助機とか、杖などを販

売している店です。あ、もしかしたら、車いすも在庫があるかもしれません。

どうでしょう?私の店に来てくれませんか?」

蘭「どのくらいの距離がありますか?」

女性「五分もかかりません。私、責任持ってタクシー呼んできます。」

と、女性はスマートフォンを取り出す。二言、三言交わし、

女性「直ぐに来てくれるそうです。本当に、お二人には申し訳ないです。」

数分後、介護タクシーが到着する。蘭と杉三は、タクシーに乗り込む。

女性「壊れた車椅子も、うちで引き取りできますから。」

蘭「ああ、そう。」

女性「はい。それを修理して、又新しいお客さんに出せそうなものは、こち

らで、又販売するんです。」

杉三「リサイクルショップなの?」

女性「まあ、古道具屋です。壊れているけど、修理に出すなりすれば、また

使えるものを買い取って販売しています。」

運転手「お客さん、行きますよ。どちらまで?」

女性「青葉台まで。」

運転手「了解です。」

と、タクシーを走らせる。

杉三「店の名前は何ていうんですか?」

女性「桐紋です。」

杉三「きりもん。ああ、豊臣秀吉の家紋ですか。つまり、店主さん?」

女性「まあ、よく知ってらっしゃるのね。因みに、私は手伝い人。店主は私

の父がやっています。」

杉三「貴方のお名前は?」

女性「菅野厚子と申します。」

杉三「僕は影山杉三です。こっちは親友の伊能蘭です。」

蘭は何か考え込んでいたが、直ぐ我に帰って、

蘭「伊能蘭です。ど、どうぞよろしく。」

杉三「どうして、黙っていたの?」

蘭「ああ、桐紋という古道具屋は、うちの教授が良く口にしていた名前だっ

なあ、、、と。」

杉三「教授?」

蘭「ドイツにいたときの、鉄製造の教授だよ。歩けない人だけど、すごい偉

い方だ。」

一瞬、厚子の顔が少し固くなる。

杉三「どうしたんです?」

厚子「いえ、何でもありません。」

運転手「お客さん、青葉台営業所に着きましたよ。目的地はどこですか?」

厚子「あ、桐紋という店の前で止めて。」

運転手「わかりました。」

少し行くと、桐紋と書かれた看板。その前でタクシーは止まる。

厚子「どうもありがとう。」

運転手「はい、650円です。」

蘭は財布を出すが、

厚子「ああ、あたしが出すわ。」

と、千円札を渡す。

運転手「はい、おつり。又利用してね。」

杉三「ありがとうございます。」

三人、タクシーを降りる。店は、車いす、歩行補助機、ストレッチャーなど、

福祉用具が所狭しと置かれている。

店に入ると、店には一人先客がいた。紺色の紋付を身に着けた男性は、かな

り高齢なようでも、それが美しく見えてしまう、端正な顔立ちだったが、車

いすに、乗っていた。蘭はその人を見て、店に入るのをためらってしまった。

杉三「どうしたのいの?」

蘭「どうしてかって、実は、、、。」

と、言いかけると、先客も蘭が誰なのかわかったようで、蘭のほうをむく。

男性「こんにちは。蘭さん。」

蘭「あ、青柳教授!どうしてここに!」

杉三「ど、どういうことなんだ、お互い知ってた?」

蘭「だから、さっきも言ったでしょ?この方は、鉄製造の教授なんだよ!」

杉三「いつの!」

蘭「大学院の時だ。あ、あの、すみません、商談の邪魔になるから、失礼し

ます!」

杉三「困るよ。僕はどうやって帰れば良いの?」

蘭「ああ、そうかそうか、新しい車椅子、買わなきゃいけないものね。」

男性「蘭さんも、変わっていませんね。こちらの方は?」

蘭「ああ、その、、、ひょんなところで知り合った友人なのです。」

杉三「初めまして、僕は影山杉三です。よろしくです。」

男性「青柳懍といいます。こちらこそ初めましてですね。」

蘭「教授、今日はどうしてここに見えたのですか?」

懍「ああ、教え子が作った鉄瓶を、ここで販売してもらいたくて、打ち合わ

せしていたんですよ。」

蘭「鉄瓶?」

懍「今は、大学から離れまして、日本の若者を支援する事業をやっておりま

す。ドイツでいくら教えても、日本社会に貢献はしない。それでは日本の若

者がつぶれますから。」

蘭「で、鉄瓶で、何をしているんです?」

懍「ええ、昔ながらの踏鞴製鉄からはじめて、鉄瓶を作らせる事業ですよ。

以前は、販売まではしていなかったのですが、今年に入ってから、販売して

ほしいとメールが届くようになりましてね。ただ、僕の家はとても田舎です

し、近くに扱ってくれそうな店もないものですから。」

蘭「そうですよね。あの映画のせいですね。あれを見たら誰だって、踏鞴製

鉄を悪事だと思いますよ。あの監督さんを高く評価するひとは多いですが、

あのような過激な描き方はしないでもらいたいですよ。」

懍「はい、あれが公開されて。少なくとも一年は大損害になりましたよ。特

に子供を持つ親御さんからの苦情が多かったです。子供向きの映画ですから、

童話のようにしないとわかりにくいのは確かですが、祟り神とか、でいだら

ぼっちのような、非現実的な要素があるから困るんだ。踏鞴製鉄は、生死を

つかさどる神にそむくような悪事ではないんですけどね。」

蘭「あれ、杉ちゃんは?」

と、きょろきょろとあたりを見渡す。

杉三「こっちだよ!」

懍「箪笥売り場ですね。」

杉三は、新しい車いすにのり、厚子と何か話していたのだった。

蘭「その車いす、いくらだった?って、そうか、聞いても意味がないのか。

で、どう?使い勝手は。」

杉三「少なくとも今は。」

懍「発達障害があるのかな?お金の勘定ができないとは。」

蘭「あと、文字の読み書きもできないのです。」

懍「なるほど。」

蘭「驚かれないのですか?」

懍「驚きも心配も必要ないと思いますよ。支援が必要であれば助ければいい

し、必要なければしなければいい。ただそれだけのことですから。」

蘭「そ、そうですか!やっぱりさすが教授だ!」

懍「意外に導かれる結論は小さいものですよ。踏鞴製鉄だって、大量の木炭

が必要になりますが、取れる鉄の量は、その十分の一もありませんもの。」

蘭「そうですか、、、。」

二人がしんみりしていると、不意に声がする。

声「じゃあ、一万円ね。」

声「はい。」

蘭「支払いか。できるのかな、杉ちゃん。一万円札と千円札の識別もできな

いんですよ。」

声「一万円札は、それじゃないわよ。」

声「じゃあこっち?」

声「正解!」

声「五千円は女の人だもんね。」

蘭「おっ!五千円を識別できるようになったんだ!嬉しいな!」

杉三が笑顔でやってきて、

杉三「いの、一万円札当てられたよ。」

蘭「良かったね。」

懍「おめでとう。」

蘭「何を買ったの?一万円で。」

杉三「桐箪笥!」

と、ちいさな箪笥を指差す。

蘭「どうやって、持って帰るの?それに、車いすを買いにきたのに、御代が

なくなるよ、それじゃあ。」

杉三「僕これに決めた。この車いすを買うんだ。」

蘭「そんな安っぽい車いす、直ぐに壊れるよ。」

杉三「いいじゃないか、直してもらえば。」

蘭「なおすって誰に?」

杉三「彼女が修理屋を探してくれるって。提携している修理屋さんがあるっ

て。」

蘭「そうしたら、またお金がかかるでしょうが。普段から勘定ができないん

だから、調子に乗るとぼったくりにあうよ。ほかのやつにしなよ。もっとま

しな車いす、たくさんあるじゃない。たとえばさ、これとか。」

懍「蘭さん、すこし打つ手を変えてごらんなさい。そういう世話好きな所、

全く変わっていませんね。杉三さん、その車いすは、ほかのものと比べて、

何か違いがあるだろうから、探してごらんなさい。」

杉三「車輪が少し茶色くなって、ザラッとしています。ほかのは、銀色で、

ピカピカしています。」

懍「そう。よく気がついた。偉い。でも、蘭さんは、ほかのにしろという。

理由はなにかな?」

杉三「ざらっとしたのは、粉が出ます。だんだん車輪が細くなっています。」

懍「うん。それはね、錆というものですよ。鉄は古くなると、さびるよう

にできています。君が発見してくれた通り、車輪が細くなるというのは、

錆びたことにより、鉄が力尽きていく、ということなんですよ。力尽きた

ものを、無理やり動かそうとしますと、どうなるでしょう?例えば、おば

あさんにフルマラソンをさせたら、」

杉三「あ、途中で倒れてしまうことになりますよね。」

懍「そういうこと。つまり、その車いすもおばあさんのようなもの。途中

で、倒れてしまうでしょう。そうなったら、君は移動ができなくなる。だ

から、蘭さんはそれではだめだ、と、言っているのです。どうでしょう、

お分かりになりましたか?」

杉三「うん、教えてくれてありがとう!じゃあ、ほかのものにするよ!

ありがとう、おじいさん。」

厚子「じゃあ、杉ちゃん、こちらはいかが?お安くしておくから。」

杉三「これだったら、錆びてないから、フルマラソンを走っても大丈夫で

すね!おじいさん。」

懍「ええ、そういうことになりますね。」

杉三「じゃあ、これを頂いていきます。」

蘭はあっけに取られて、杉三を見る。

厚子「はい、初めてのお客様だから、一万円で良いわ。ほしがってた桐箪

笥も、持っていって。二度と売れはしないから。」

杉三「いいの?」

厚子「良いわよ。これ、十年くらい販売してるけど、ほしいといった人は

誰もいないわ。」

懍「ああ、大きさも中途半端ですしね。帯に短し、襷に長し。使い道がみ

つかりにくい大きさだから、売れなかったのでしょう。」

厚子「そうなんですよ。着物を入れるには小さすぎるし、枕元に置くには

大きすぎるからって、クレームがつくんです。ああ、運搬のほうは大丈夫

よ。私、マニュアル車の免許持っているから、お宅まで、運んでいけるわ、

トラックで。貴方たちは先に帰って待機してて。直ぐ運ぶようにするから。」

杉三「どうもありがとう。じゃあ、よろしく頼む!」

と、一万円札を機嫌よく差し出す。

蘭「わあ、、、よく一発で現金を見やぶった。僕がいくら教えても覚えら

れなかったのに、、、。それに、車いすだって、杉ちゃんは、気に入った

ものみつけてしまうと、変更なんて、いくら説得しても、できなかったの

に、、、。」

懍「蘭さん、感情ではだめですよ。こういう人には。通じないと嘆くので

なく、どうしたら、彼が納得してくれるか、を考えないと。自閉症って、

そういうものです。」

蘭「ありがとうございます!目から鱗がおちましたよ、教授!やっぱり流

石です!」

懍「いえいえ、僕だって一度で獲得したわけではありません。長くゆっく

りやっていくことにより見えてくるものです。」

杉三「おじいさんは、鉄について本当によく知っているんだね。」

蘭「当たり前だよ。この方は、ずっと鉄について研究してきたんだから。

それに、杉ちゃん、おじいさんではなくて、大学の先生なんだから、ちゃ

んと、教授とよばないと、失礼だよ。」

懍「いえいえ、僕はもう、大学は引退してしまいましたし、年齢からもう

高齢者ですから、おじいさんと呼んでくれて構いませんよ。まあ、教育か

らは、退いているわけではありませんが。踏鞴製鉄の教授活動はしていま

すけどね。」

杉三「踏鞴製鉄?それ、なんですか?たたらって響きが綺麗。」

懍「ああ、綺麗だとお思いですか。感覚も変わっているんですね。踏鞴製

鉄というのは、弥生時代から続いている古代の製鉄です。つまり、鉄を作

ることです。それをさらに加工して、鉄瓶の製造をやっているんです。」

杉三「鉄瓶でお茶を飲むの大好きです。でも、それを作っているなんて、

すごいじゃないですか!どうやって鉄を作るんです?鉄ってどこからか、

取ってくるんですか?」

蘭「杉ちゃん、鉄は木に生えているものじゃないんだよ。」

懍「はい、その通り。原料として、砂鉄というものを土から採取するんで

す。そして、予め用意していた材木を燃やして、それを溶かすことにより、

初めて鉄というものになるんですよ。」

杉三「ああ!なんか古い映画にあったような、、、。」

懍「ああ、見ていたんですか。やっぱり。そうですよね、、、。貴方みた

いに感性のいい人は、きっと、より、悪事に見えたことでしょう。ただ、

弁解になりますが、古代の人たちは、ふいごの変わりに自然の風を利用し

ていましたし、禿山にさせるほど森の木を切りすぎていた、いうことはま

ずありませんでした。なぜなら、木炭を作る能力がない時代には、落ちて

いる木の枝を拾って燃やすしかできなかったんです。まあ、テレビだから、

ああやって過激な演出にしたんだと思いますけど、、、。」

杉三「いえ、そうは思いません。それに、踏鞴製鉄のことだって、悪事だ

とは思いませんよ。だって、それのおかげで鉄瓶ができたのですから。」

懍「そうですか。生きていると、いつでも学ぶことはありますね。あの映

画が公開されたとき、悪役とおんなじことをやっていると、何度もからか

われましたよ。特に、ちいさな子供から多かったです。ほんとに。」

杉三「僕は、踏鞴製鉄は悪事ではないし、鉄瓶をこれからも作ってほしい

です。」

懍「ありがとう。貴方のような人でなければ、口にだしていえない言葉で

すね。」

蘭「杉ちゃん、そろそろ帰らないと。」

杉三「え、もうそんな時間?」

蘭「そうだよ。何分喋ったら気が済むんだ。」

懍「いやいや、興味があって喋るのは当たり前のことです。それが学ぶと

いうことですからね。それと点数を重ねてしまう日本の教育が悪いのです。

杉三さん、もし、踏鞴製鉄に興味があるのなら、うちの製鉄所を見学する

こともできますからね。お気軽にお問い合わせ下さい。」

蘭「教授は、今日のお帰りは、、、。」

懍「ああ、いま大渕にすんでいるから、ここからは直ぐに帰れます。心配

は要りません。」

蘭「そうですか、わかりました。じゃあ、僕らは、、、。」

厚子「トラックにのりますか?」

杉三「乗れるんですか?」

蘭「いやいや、タクシーで帰りますよ。違法はしたくありませんから。」

厚子「じゃあ、私、追いかけますから。トラックで。」

蘭「急いで呼びますね。」

と、スマートフォンをダイヤルする。暫くすると、タクシーが到着する。


杉三の家。夕食を食べている蘭と杉三、美千恵。

美千恵「へえ、そんな偉い教授の方がいらしてたなんて。あんたも、運

が強いのね。」

杉三「僕は、生徒じゃないよ。」

蘭「頭が上がらないですよ、青柳教授には。いつまでも。」

美千恵「そんな人が、踏鞴製鉄ではなくて、また教鞭をとってくれれば

日本の教育も、変わるんじゃないかしら。」

杉三「踏鞴製鉄をしているから良いんだよ。」

蘭「それにしても、僕が散々苦労して来たことを、ああして一発で解決

してしまうとは。それに、杉ちゃん、桐箪笥まで貰ってきて。」

美千恵「そうねえ。でも、この桐箪笥、何に使えるかしら。着物を入れ

るにしては、収納スペースが少なすぎるのよ。」

蘭「青柳教授も、帯に短し襷に長し、と、言ってましたね。」

杉三「じゃあ、羽織を入れれば?道行きとか。」

美千恵「ああ、そうね。そうして使わせて貰おうかな。羽織もいくつか

持ってるし。」

蘭「よかったね、杉ちゃん。使い道が見つかったね。」

杉三「本当!今日は良い日だ!」

美千恵「お店の女の子も、かわいい子だったわ。結婚しているのかしら。」

蘭「してないみたいですよ。」

美千恵「あら、あんなかわいいのに?もったいないわね。」

杉三「まあ、買い物に来る人は年寄りばっかりだから、出会いがないん

だって。」

美千恵「今時珍しいわよ。お父さんと一緒に店をやってるなんて。彼女

位の歳であれば、親なんてうっとうしくて、彼氏の方が良いって言う歳

なのに。」

杉三「体でも悪いのかなあ。」

蘭「それはないと思うけど、、、。」


翌日、日曜日だったので、美千恵の仕事は休みだった。杉三もその日は

用事はなかったので、家で、着物を縫っていた。

と、インターフォンが鳴った。

美千恵「あら、どなたかしら。」

と、玄関のドアを開けると、大柄な男性が立っていた。職人気質の、厳

格そうな顔つきで、力持ちらしく、腕は太かった。

美千恵「どちらさまですか?」

男性「はい、桐紋の店主で。菅野正史です。厚子の父です。」

美千恵「まあ、お父様!どうしたんですか!」

正史「はい、実はですね、娘が貴方たちに桐箪笥を売り付けたそうです

が、娘はどのようにして売りつけたのか、教えていただきたい。」

美千恵「私じゃありません。息子が購入してきたのです。」

正史「では、息子さんとお話させてくれませんか。」

美千恵「はい、、、でも、息子は自閉症という障害がありまして。」

正史「自閉症!それでは娘が、貴方の息子さんから、金を騙し取ったと

言うことになりますな。あれは、販売を目的として作ったものではあり

ません。」

美千恵「えっ、非売品?」

正史「はい、車いすと桐箪笥を買ったそうですが、車いすの料金は頂い

ております。しかし、あの桐箪笥はそういうわけですから、返していた

だきたい。」

美千恵「そうはいっても、、、。もう、羽織とか帯とかたくさんしまい

こんでしまいました。それまでの箪笥は今日処分してしまいましたし。」

正史「しかし、あれは飾り物として置いてあったものですから。息子さ

んと、はなしをすることはできませんか?」

美千恵「構いませんが、あんまり畳み掛けるように話さないで下さい。

パニックしてしまう可能性もあります。それに、文字も読めないし、計

算もできませんので、慎重に話してくださいね。杉三、お客様よ!」

杉三が車いすで、やってくる。

美千恵「昨日の桐箪笥売っていた、厚子さんのお父様。」

正史「ああ、貴方が杉三さんですか。」

杉三「はい。僕が影山杉三です。」

正史「昨日、娘が桐箪笥を売り出した時の様子を覚えていますか?」

杉三「はい、いのと、青柳教授と一緒にいました。」

正史「そうではなく、貴方に、桐箪笥を売りつけたときの、態度です。」

杉三「とても嬉しそうでしたけど?単に長く買い手がいなくて、困っ

ていた、ということでした。」

正史「娘がそういっていたのですか?」

杉三「はい。ちゃんと覚えています。」

正史「ほんとに?」

杉三「そういっていましたよ。『この桐箪笥はね、父がずっと昔に作っ

たものだけど、十年くらい買い手が見つからなくて、困っていたところ

なのよ。』と。」

美千恵「言ったままをそのまま記録できるんですよ。うちの息子。」

正史「そうですか、それは大間違いです。この桐箪笥は、確かに十年前

に作った代物ですが、販売目的でつくった物ではございません。店の中

に展示するために作ったものです。師匠から独立したときに、作ったん

ですよ。」

杉三「そうか、だから帯に短し襷に長しだったんだ!何かを入れるため

じゃないから、中途半端な大きさだったんだね。」

正史「よくわかりましたね!実を言えば、それは、寸法を間違えていた

のです。つまり、一人前ではなかったころのものと言うことですよ。」

杉三「初めて作った桐箪笥だったんだ!記念品として、店に飾りたかっ

たんだ!」

正史「そういうことです。だから、これからも、展示品として、飾って

おきたいんですよ。」

杉三「お聞きしますけど、娘さんのほうはそのことを知っていたのでし

ょうか?なぜそれを僕に売りつけたんでしょう?」

正史「全く、あいつもいつまでも子供のままで困ります。先日マニュア

ル車の免許を取らせたとおもったら、こんなことをして、あとで、こっ

ぴどく叱っておきます。」

杉三「お父さん、こっぴどく叱る前に、やることがあるんじゃありませ

んか?」

正史「は?だって娘はもう大人です。自分で全部できるようにならない

と、いつまでも甘やかしてはいられない。」

杉三「本当にそんなんでしょうか。僕はなんだか彼女が、かわいそうに

思えるんですが。」

正史「どういうことですか?」

杉三「わかりません。なんだか直感で。」

正史「あなたは、障害があるからそう思うのでしょう。でも、一般社会

ではそうはいかない事をしって置いてください。」

杉三「わかりました。じゃあ、返品にあとで伺います。」

正史「お待ちしております。」

と、杉三に一礼して、玄関から出て行く。

美千恵「ちょっとまってください!私たちは、」

正史には聞こえていないらしい。

美千恵「こまったわね。うちの車では、こんな桐箪笥、運ぶことはできないし、私じゃトラックは運転できないわ。周りにトラックを運転できる人もいないし、どうやってもっていこうかな。」

杉三「そうだ!あの人なら協力してくれるかもしれないぞ!」

と、脇目もふらず外へ飛び出していく。


蘭の家

いきなり入り口の戸を叩くおと。

声「いの、いる?」

アリス「杉ちゃんだわ、随分急いでいるみたい。」

蘭「はいはい、いま開けるよ、どうしたの?」

と、戸を開けると

杉三「いの、この間のおじいさんの電話番号って知ってる?」

蘭「何だよそんなに興奮して。」

杉三「あの桐箪笥を返さないといけないんだよ、あれは非売品で。」

蘭「非売品?どういうこと?」

杉三「今日中に、返さなきゃいけないんだけど、うちにはトラックがないから、この間のおじいさんなら、トラックを持っているんじゃないかと。」

蘭「トラックあるかな。教授も歩けないんだし。」

杉三「だって、材料を運んだりするんじゃないかなって思って。」

アリス「よくひらめいたわね。青柳教授の番号は、この葉書に書いてあるわよ。毎年毎年、年賀状送ってきてくれているから。」

と、蘭に一枚の葉書とスマートフォンを手渡す。

蘭「ありがとう、ちょっとかけてみるよ。」

大渕の、小さな家。表札はなく、かわりにたたら製鉄所と書いた小さな看板。

裏庭で、懍が、小さな炉に、材木をくべたりしていると、

弟子「先生、伊能蘭さんと言うかたから、お電話です。」

懍「どうしたんだろう。」


数時間後、走る軽トラックと、そのあとをおいかける、介護タクシー。

蘭「教授、本当にすみません。トラックを貸してもらっただけでなく、こうしてきてもらうなんて。」

懍「いいんですよ。僕も、何回かあの店を訪問したとき、厚子さんの言動はなんとなくおかしいなあ、と、おもいましたから。きっと、なにかしら確執があったと思いますよ。彼女。」

蘭「全然、気がつきませんでした。もっとしっかりしなければ。」

懍「いやいや、蘭さんほどの年齢では、わからなくて当たり前です。」

蘭「杉ちゃん、大丈夫かな。トラックにのりこんでしまったけど。」

懍「大丈夫ですよ。うちにきている者は、ああいう人に偏見をもつことはたぶんないです。」

蘭「そうですけど、かなりの重度ですから。」

懍「存在してはいけない人なんていませんから。」

トラックは、桐紋と書かれた看板の前でとまる。

懍「あのトラックと同じところへとめて。」

タクシーはトラックの近くでとまる。

二人は、運転手に下ろしてもらう。

杉三は、トラックを運転していた、懍の弟子に車いすにのせてもらう。

杉三「こんにちは。」

正史が店のドアをあける。

正史「ああ、もってきていただけましたか。ありがとうございます。」

杉三「厚子さんに、会わせてもらえませんか?」

正史「いや、いまは刺激しないほうがいいと、精神科の先生に言われていますので。」

蘭「ちょっとまってください、厚子さんは、病院に通っていたんですか?」

正史「はい、店の営業に支障がでますから、あの子を入院させようと思っているのです。前々から、考えていましたが、いくら過去を忘れろといっても、忘れるどころか、努力さえしようとしませんから。」

杉三「あたりまえじゃないですか!お父様が、そんな態度だからいつまでも、忘れられないんですよ!」

正史「障害のあるかたは、贅沢すぎますよ!私たちは、ただでさえ大変なんですから!」

杉三「じゃあ、なんのために、子供を作ったんですか。ただの性欲だけだったら、遊廓でもいってくればいいでしょうに!自分のおもうようにいかないからって、そうやってほっぽらかすんだったら、無責任というものです!彼女がなぜ、お父さんの桐箪笥を僕にうりつけたのか、答えがやっとわかりましたよ。彼女はそうやって、お父さんにたいして、抗議したんですね!」

二階の部屋からすすり泣きが聞こえてきた。

杉三「答えは、出ているじゃありませんか。」

正史「わからないんですよ。」

杉三「なんですか、またにげるの?」

正史「あいつを喜ばせるために、一生懸命この仕事をしてきました。もともと、金持ちの家庭ではないし、私も、幼い頃に家族をなくして、中卒で働かなければなりませんでしたし。」

杉三「まあ、理由はあったかもしれませんが、子供をもったからには、責任もって、一人前にしなければならないんじゃないですか?だって、何もしらないんですから。教えてやらないと!」

正史「そんなこと、自分で考えて、判断して、覚えていくのでは?」

杉三「そういう見方もあるけれど。」

正史「学校で習うとか。」

懍「お恥ずかしながら、日本の教育ほどのきたないものはありません。学校なんてなんの役にもたちませんもの。どうやっていきるかを教えるばしょではなく、単に進学率をあげるだけしかしていないところです。信じてよいばしょとは言えない時代になりました。」

正史「だったら、誰のお陰で生かされているかを考えさせ、自分でやらせるということですよね!しっかりと。」

杉三は「それはもっと無責任だ!自分が良い顔したいから、親孝行させて、自分が良い顔をしたいから、子供にやらせて喜ぶんだ!もしもだよ、本当に愛情があるのなら、やり方だけ伝えて、自分の中だけで喜べよ!」

蘭「杉ちゃん、それは言い過ぎな、」

懍「いいんですよ、 彼の発言は間違っていないから。寧ろ、ああいう人でなければ言えない言葉ですよ。」

杉三「誰のお陰で親をやらしてもらっているのか、よく考えろ!」

正史「そうだな、、、。杉三さんの、言う通りかもしれんな。」

静かな足音がして、厚子がおりてくる。

厚子「ごめんなさい、お父さんにそばにいてもらいたくて、桐箪笥をうりつけたのよ。こうすれば、私の方をみてくれる、側にいてくれるって。」

正史「お前のことは見ているつもりだった。体の弱かったお前に、一輪車の練習をさせたり、ローラーブレートをさせて、立ち直らせようとおもった。お前は楽しそうにやっていたじゃないか。」

厚子「本当にほしいのは、ものなんかじゃないわ。私、子供のころね、星の王子様をよく読んでいたの。そのときに、ものすごいインパクトを受けた台詞があったのよ。大切なものはめに見えないもの。でも、私には見えなかったわ。みんな、お父さんが命令しているようにみえた。お母さんが生きていれば、とめてくれたかもしれないけど。」

杉三「お母様、いつ亡くなったんですか?」

厚子「小学校六年の時。ここで店を構えて、軌道に乗り始めてきた矢先だった。働きすぎてうつ病になって、薬のんで治療していたけど、薬で肝臓を悪くして。まあ、オーバードーズに近かったかな。」

杉三「そうだったんですか、、、。不思議だね、人間は自由には自由だけど、所詮、動物なんだね。それをわすれると、大変なことになる。」

正史「何を間違えたのかよくわかりません、いままで生きていた通りに生きてきたけど、娘もその通りとは、限らない。」

厚子「めに見える、印のようなものが、あれば良いのに。」

杉三「やってみませんか?忘れたらすぐに思い出せるように。いの、彼女に、桐の紋を彫ってあげな。この店の看板を。」

蘭「桐紋?」

厚子「ぜひお願いします!それを背負っていけば、父はいつも繋がってくれることを、感じ取れます。」

蘭「彫ることはできますが、僕はマシーンを使ったことがないから、三倍くらい、時間がかかりますけれど。」

厚子「ええ、そのままでかまいません。この右腕に!」

蘭「わかりました。お時間のあるとき、仕事場にいらしてください。」

厚子「そうすれば、父の記念碑を、誰かに売り付ける必要はないですから!」

懍「本当は、刺青によって実感する、という行為は、必要なかったのですが、いまとなっては、こうしなければならないケースもあるんですね。なかなか偏見もありますが、時代は確実に変わってきているのです。」

厚子「お父さん、お父さんの記念碑みたいな桐箪笥、もう売り付けたりはしないわ。そして、桐紋を彫ってもらい、いつでもお父さんがいると実感しながら、私、やるから。桐紋を体につけていれば、お父さんが、側にいてくれるって実感できる。この店は私がつぐ。何があろうと、かならず!」

正史「ありがとうな。厚子。」


数ヵ月後、右腕に紫色の桐紋を入れた厚子は、店の接客をしたり、見積書を書いたり、たのしそうに働いていた。


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